総指揮官と私の事情

夏目みや

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1巻

1-2

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 だけど彼女は出て行ってしまった。
 彼女は、本当は嫌だったのかもしれない。図々ずうずうしく触れてくる自分に嫌悪を感じていたのだろうか。
 それならば、この屋敷を飛び出したのも納得がいく。
 思わず険しい顔つきになっていた時、勢いよく扉がノックされた。

「……入れ」

 考えにふけっていたところを邪魔されて、少々機嫌が悪くなる。
 しかし、扉を開けて部屋に入って来た人物に驚き、思考が停止した。
 その人物とは、たった今まで自分を悩ませていた彼女だったのだ。
 愛らしい唇に、大きく見開いた瞳。元気そうに微笑んで自分を見ている。
 これは夢かまぼろしかと、自分はしばらく動けないでいた。
 一カ月ぶりに見る彼女はまったく変わっていない。白い肌に上気した頬。その全てが、自分の視線を奪う。

「お久しぶりです、総指揮官殿」

 彼女が自分に話しかけている。これは夢じゃない。突然の出来事に喜びが込み上げ、言葉すら出ない。

「その節は、大変お世話になりました」

 彼女は礼儀正しく、深々と頭を下げる。自分は動く事も出来ずに、彼女の行動を見つめていた。そんな自分をたいして気にした風もなく、彼女は続ける。

「あのですね……」

 そう言って、彼女は持っていた紙袋を開ける。そこからあわい桃色の柔らかそうな物体を両手で取り出し、自分に差し出した。

「やっと新しい生活にも慣れてきたので、改めてご挨拶あいさつにきました。それと、今までお世話になったお礼です」

 この贈り物を黙って見つめていた自分に、彼女は嬉しそうに言う。

「これは抱き枕です!」

 その物体が枕だという事を認識するのに時間がかかった。

「しかもムーファの形なんです!」

 確かにこの国にはムーファという動物がいる。彼らは夢の国の住人と揶揄やゆされるほど、一日の大半を寝て過ごす。それと安眠をかけているのだろうか、この枕は。

「何故ムーファかといいますと、動物のいやし効果を期待したいからです!」

 誇らしそうに鼻の穴をふくらませつつ、興奮ぎみに彼女は続ける。

「この枕には、安眠を誘うポプリが入っています。これでぐっすり眠れますよ!」
「……」


「あとは心地よい眠りを誘う香油と、ハーブティーと……」

 紙袋の中をあさる彼女を見つめるうちに、自分はある事に気付いた。
 もしや彼女は日々睡眠の足りない自分を心配し、何か手立てはないかと思案した挙句、屋敷を飛び出して行ったのではないか。
 そうして自分のために、一カ月もかけて探してくれたのかもしれない。この安眠を誘う枕や様々な道具を――
 だが、安眠のためと言うならば、彼女こそが自分にとって安眠へとつながる存在だ。
 彼女は枕を両手で差し出したまま、微動だにしない自分の様子を不思議そうに見つめている。首をかしげると、その黒い髪が肩からすべり落ちた。
 そんな些細ささいなしぐさや表情の全てがいとしくてたまらなくなり、胸の奥が苦しくなる。

「自分に、安眠を――」

 それをくれるのは、目の前の彼女しかいないのだ。
 愛しい気持ちを抑えきれずに、思わず枕を抱えていた彼女ごと抱きしめる。
 自分のために屋敷を抜け出し、慣れない労働をしてまで賃金を稼ぎ、贈り物を探してくれた。
 そして今、ここに戻って来てくれた。
 彼女の優しさに触れ、自分は騎士として――いや一人の男として、彼女を一生かけて守ろうと心に誓う。
 抱きしめた彼女は、驚きに目を見開いていた。


   * * *


 総指揮官殿に抱きしめられた日から、数日が過ぎた。
 私は一人、椅子に座り頬杖ほおづえをついて、この屋敷に戻ってきた時の事について思い返していた。
 あの日、はつお給料を手に入れて、喜びをかみしめながら買い物をしていたら、えらく可愛らしいムーファの枕を見つけた。それを総指揮官殿へのお礼の品物として購入し、届けたら、いたく感謝され……たのかどうかは反応が薄くてわからなかったが、急に枕に抱きついてきたので、きっと喜んでいたはずだ。私をついでに抱きしめてしまうぐらい。
 実を言うと、細く見えても意外にたくましい体つきを感じて、ドキドキしてしまった。
 枕を渡した後「じゃあ」と言って帰ろうとした私の手を掴み、そのままじっと見つめてきた総指揮官殿。

「あの、そろそろ……」

 そう言った私の手をさらに力強く握り、無言の圧力を発する。
 その後、この屋敷から帰してもらえなくなったのも、また事実だ。――何故? 
 朝は共に屋敷を出て、私を食堂に送ってから、総指揮官殿はご自分の業務へと向かう。
 お昼過ぎにふらりと現れ、食堂で黙々と食べていく。今では朝昼晩と、総指揮官殿の顔を見ない日はない。その代わり騎士団の若い人達はまったくもって、やって来なくなった。
 帰りは食堂まで迎えに来てくれて、屋敷まで一緒に帰る。その後はいつもの夕食をとる。
 以前と違うのは、私のおしゃべりの内容が『今日も暇だった』という変わり映えのしない内容ではなくなったこと。
 食堂のおかみさん夫婦や、お客さんのお話、その日の仕事の内容とかだ。まぁ、相変わらず総指揮官殿の反応が減塩スープなのは変わっていないけれど。
 ただ、以前よりは口の端を上げることが多くなった……気がする。それも、笑っているのか、アホな私をあわれんでいるのか、意図は掴めないけれど……まぁ、彼が楽しければそれでいいや。
 今夜も彼は、私が贈った枕を頭に敷きながら私の手を握り、私のおしゃべりを子守歌代わりに眠るのだろう。
 そうして総指揮官殿の無防備な寝顔を見ながら、また今夜も思うのだ。
 やっぱり総指揮官殿の思考回路はわからない、と。
 しかし、この寝顔を見ていると、ずっと見ていたい気持ちにもなってくるから不思議だ。
 とりあえず『脱・異世界ニート』の目標はクリアした。
 自立の点ではまだだけど、そう焦ることでもないのかなぁと、思い始めた。何より心配性の総指揮官殿の無言の圧力が痛いし。
 そして『またお世話になります!!』と甘えることに決めた私だった。


 
   2 総指揮官殿と私の文通


 総指揮官殿が、公務で隣国へ出掛けた。本日から一カ月ぐらい戻ってこないらしい。
 やっほーい! 
 ……とまでは思わないけど、何をしようかちょっとワクワクしてしまう。
 食堂のおかみさんに頼んで、しばらく泊めてもらおうかなぁ。その方が仕事に行きやすいし。
 最初は住み込みだったんだからいいよね!?
 今では、送迎付きの通いですが……何故こうなったんだろう? 
 それは総指揮官殿がとっても過保護だからだ。まったく私のことをいくつだと思っているんだろう。まるで小さい子供を相手にしているのかのようだ。
 だから、一人歩きもすごく心配されるのだ。ここら辺の治安はとってもいいのに! 
 そんな訳で、総指揮官殿がいない間は、街に一人で買い物に行ったりしたい。
 でもって、美味おいしいスイーツでも探してみようかな! あとは可愛い雑貨も欲しいなぁ~! 
 いや、決して総指揮官殿の留守が楽しみな訳ではないのよ。そうよ、楽しみではないのよ。もごもご……
 と、自分自身に言い聞かせるも、計画を練っているとやはり楽しくなってきてしまうのだった。


 そんなある日、総指揮官殿の部下のレスターが、総指揮官殿からの手紙を届けてくれた。
 こっちの世界に来てから、人から手紙をもらうなんて初めてなので嬉しい。
 わくわくしながら、のりでべっとり留めてある封筒を開けて中を見る。

『隣国カルパールは由緒ゆいしょ正しき大国であり、鉄鋼などの産物も豊富で、その歴史は長く、大変興味深いものがある。我が国とも長きにわたり友好関係を築いている。今回の公務の目的はお互いの騎士団の力の向上を図ることだ。今朝カルパールの、広大さで有名なグルゴニーの丘に着き、かの国の騎士団との交流を円滑に行うため、自国の騎士達の陣営の配置を思案し――』

 ………………
 ……開けて読んだ瞬間、わくわくした自分がアホだったと思い知る。
 これは、私に一体どうしろというのだろう。しかも丁寧な字で便箋びんせんにびっちり三枚もつづられているが、もしや騎士団の記録でもつけろという事なのでしょうか。
 それとも、私を騎士団に勧誘しているつもりなのか、あの総指揮官殿は。体力気力共に無理だ。
 理解に苦しむ手紙をもらい、どうしたものかと途方とほうに暮れる。

「レスター……」
「はい!」
「この手紙が国への報告書ではないですよね? まさかとは思うけど、間違ってないですか?」
「いえ、報告書は先に届けてきました! 報告書は一枚ですから」

 国より、私への手紙の方が長いのか! 
 総指揮官殿は、これを私にどうしろと――! 
 この手紙を急いで持ってきたレスターから、何かを期待するようなオーラを感じるが、私はその瞳を真っ直ぐに見つめ返せない。

「レスター、わざわざありがとうございます」
「とんでもございません。それでお返事はどういたしましょうか!」
「……ちょっと時間がないので、今は保留でお願いします」
「そうですか……」

 レスターの落ち込み具合を見て申し訳なく思う。
 だけど返事と言われても、何をどう書けというのか私にはわからない。
 鉄鋼の産物が豊富だなんてまあステキ。グルゴニーの丘? ピクニックへ行きたいわ。……などと書けばいいのだろうか。
 私はしばらく、頭を悩ませた。
 それから五日後。
 またレスターが屋敷にやって来た。私に手渡したのは総指揮官殿からの報告書……いや、一応手紙なのか? これは。
 すぐさま確認したら、今度もため息の出るような内容だった。
 しかも便箋五枚に増えてるし。新手の嫌がらせなのかしら。それとも本気で騎士団にお誘いなのかしら。いつもの事だが、総指揮官殿の行動は理解に苦しむ。

「……レスター」

 再び期待に満ちた目で見つめてくるレスターに、申し訳ないけど今回の返事も保留と伝える。
 レスターは悲壮感ひそうかんただよわせ、公務先に帰って行った。その日半日ほど、私は頭を悩ませた。
 十日後。
 またまたレスターがやって来た。もう何も言わなくてもわかる。前回よりも分厚い封筒を手渡され、自然に涙目になる私がいた。

「……レスター」
「はい!」
「今日も――」

 保留です、と伝えようとしたところ、レスターがいつも以上に強い目で訴えてきた。涙目になっている気がする。よほど返事を持って帰れと圧力でもかけられているのだろうか、そんなレスターに少し同情してしまう。それが失敗だった。

「……明日、お仕事がお休みなので、返事は明日書きます……」

 つい、言ってしまった。私のバカ! 
 レスターは喜んで五日後に来ると言って帰って行った。
 私のタイムリミットはあと五日。さぁどうする? 内容は? 分量は? 
 一日中、私は頭を悩ませた。


   * * *


 本日から、友好国である隣国カルパールまでの公務が急遽きゅうきょ決まった。
 公務なので渋る訳にもいかず、部下達を引き連れて目的地へと向かう。
 カルパールへと向かう道中、考える事はただ一つ。
 彼女は今、何をしているのだろうか。今も元気に働いているのだろうか。本来なら、この時間は彼女の働く食堂で昼食をとっていたはずだ。突然だったので、挨拶あいさつもせずに出てきた自分を彼女は責めるだろうか。
 そうだ、良い案が浮かんだ。五日ごとに、自国に公務の進捗具合を書きしるした報告書を提出しなければならない。それを部下にたくし、ついでに彼女の様子を見てくるように言付けた。そして報告書と共に、彼女への手紙を部下に渡す。
 彼女はどんな顔をして読んでくれるだろうか。


 彼女に手紙を渡し始めてから十五日後。

「総指揮官殿! お返事です! 預かってまいりました!」

 目を輝かせた部下のレスターが、嬉しそうに息を切らせて自分のもとへと駆け寄る。

「総指揮官殿のお手紙、大変喜んでいました!」
「そうか」
「えぇ! 感動のあまり、最後は涙ぐんでいましたから!」

 レスターと別れた後に手紙の封を開けると、彼女の丸い字が便箋びんせんから飛び出してくる。心が穏やかになる時間。
 手紙の内容に特に変わったことは書かれていなかった。どうやら彼女は元気そうだと安心し、口の端が自然に上がる。
 自分も最初はどんな内容を書けばいいのか悩み、とりあえず近況報告になっていた。返事を期待して手紙を書いていた訳ではなかったが、彼女の事を考えるとつい筆が進んでしまっていたのだ。
 しかし、こうやって返事をもらえるとは予想外で、それだけに感激もひとしおだ。胸に何かが込み上げてくる。文字を指でなぞりながら、これからも手紙を送り続けようと自分の中で誓いを立てた。


   * * *


 総指揮官殿から手紙を受け取りはじめて二十日後。

「今日も総指揮官殿からのお手紙を、預かって参りました!」
「げ」

 つい心の声が口から出てしまった私は、慌てて口を押さえる。レスターは一瞬不思議そうな顔をしたが、聞こえていなかったみたいでホッとした。
 レスターから受け取る封筒がそのたびに重みを増していくのは、気のせいではないはずだ。

「……一つ、聞いてもいいですか?」
「はい!」
「総指揮官殿は、いつお帰りになるのでしょうか……?」

 なんだか、このままでは文通友達になりそうなので、いっそ帰って来て欲しい。私にはあの手紙の返事を書くのは荷が重すぎる。
 私の質問を聞いたレスターは瞳を輝かせていた。


 それから五日後。いつもの総指揮官殿定期便をレスターから受け取り、封を開けて手紙に目を通す。
 しかも今回は、私の出した手紙の誤字脱字までご丁寧に赤ペンで指摘されていた。何これ、どこの通信教育。
 手紙の中の総指揮官殿は相変わらずだった。という事はお元気なのだろう。淡々と公務の様子を語っているが、文章レベルが高度なので、辞書を片手に持っても残念ながら七割程しか解読できない。
 まぁ、この手紙も総指揮官殿らしいといえば総指揮官殿らしい。真面目な人柄がにじみ出ているし、私を気遣っていることだけは伝わってきた。一言もそんな事は書いていなかったけれども、何となく感じたのだ。

「あぁ、総指揮官殿……早く帰ってこないかな……」

 ペンを片手に便箋びんせんとにらみ合う私は、返事に悩みながら、心からそう願った。


 総指揮官殿が公務から、ついに帰ってくるらしい。
 長かった……本当に長かった…………! 
 あの手紙の長さはマジで半端ない! このままいったら、どこまで長くなったのか。想像するだけで恐ろしい。
 きっと総指揮官殿がいない間に、自堕落な生活を送りそうな私に活を入れていたのかもしれない。
 しかし、私はここで重要な事に気付いた。
 総指揮官殿の不在中にやろうと思っていた計画の半分もこなしていない、という現実を。
 休みの日に一人でスイーツを探しに行くとか、お買い物に行くとか、そんな計画を全てパーにした総指揮官殿からの通信教育的手紙。あの返事に頭を悩ませる毎日は、勉強していたも同然だった。
 だから、私はここに誓う! 
 今日のお休みは、今話題の『ハニーズ・ビー』というスイーツ専門店に行くと!
 なんでも、そこのお店の名物『ハニーフラン』というお菓子は、ワッフルのような形で外はカリカリ、中はしっとり柔らかな生地で、ちまたで大人気らしい。噂を聞いた時から、私も食べてみたいと思っていたのだ。
 甘いお菓子は私の幸福のみなもと、笑顔のタネ、そして肥満への第一歩。……けど、食べちゃうもんね。
 総指揮官殿は何故かとっても過保護なので、私が一人で出歩くことにあまり良い顔をしない。だから、行くなら今のうち。鬼の居ぬ間になんとやら! とは昔の人はよく言ったものだ。いや、別に総指揮官殿を鬼と思っている訳ではないが、あわわわわ。
 ハニーフランがあまりにも食べたくて、総指揮官殿の通信教育のお返事にも熱く語ったほどだ。
 昔から、食べ物には尋常じゃない熱意を燃やしてしまう。『その熱意を他の事に費やせばいいのに』と、周囲の人間によく言われたが、自分でもそう思う。
 思い立ったら吉日で、私は急いで出かける準備をし、張り切って一人、屋敷を飛び出したのだった。
 そうしてたどり着いた『ハニーズ・ビー』は大盛況だった。
 温かみのある赤いレンガ造りのお店に入った瞬間、甘い香りに包まれる。
 店内はわりと広めで、イートインできるスペースもあったので、私は店内で食べることにした。だって、こんな美味おいしそうな食べ物、すぐ味わいたいじゃない? ねぇ? 
 飲み物と一緒に、あこがれのハニーフランを購入して、わくわくしながら空いている席を探す。
 二人がけのテーブルを見つけると、そこに腰をかけて一息つく。さぁ食べようと思って口を開けた時、店の入口のベルが鳴り響いた。
 何気なく入口の方を向いた私は、そこにいるはずのない人物を見つけて我が目を疑った。
 甘い香りのする店内にまぎれ込んだその人物は、明らかに異彩を放っていた。
 切れ長の青い瞳を鋭く輝かせ、店内の様子をうかがっている。甘い香りのただよう店内の雰囲気とは真逆の空気を身にまとうのは、総指揮官殿だった。
 なんでいるんだぁぁあ! 
 私はしばらく開けた口を閉めるのも忘れて彼を見つめていた。だけど、いつまでもこうしているわけにはいかない。そう思って席から立ち上がり、総指揮官殿に声をかけることにした。
 何だか、買い食いがばれてしまった小学生のような気分になったけれど、べっ、別に悪い事なんてしてないし? 正々堂々と声をかけたわ。

「おっ……おかえりなさい、総指揮官殿」

 正々堂々と強がりつつ、噛んでしまった自分が憎い。
 私が声をかけると、総指揮官殿は片眉を上げた。たいして驚かなかった様子を見ると、店内に入ってきた時点で私の存在に気付いていたのだろう。さすが総指揮官と呼ばれる立場にいるだけあって、抜かりのない観察力だ。
 思わぬ店での遭遇に驚いたが、立ち話も何なので、総指揮官殿に自分の席の場所を教え、『よろしれけばご一緒に……』と、声をかけた。
 しばらくすると、総指揮官殿が飲み物とハニーフランを手に、私の向かいの席に座った。
 総指揮官殿はまさかハニーフランを食べたいがためにここまで来たの? 私の手紙に触発されて?
 総指揮官殿は、甘い物なんて食べなさそうだが、人は見かけによらない。総指揮官殿甘党説に、共通の趣味を見つけたみたいで嬉しく感じる。
 しかも隣国から帰ってくるなり一人で真っ直ぐこのお店に来るなんて、かなりのつうとみた! 
 私はにやけながら、購入したばかりのハニーフランを口に入れる。
 その瞬間、口の中に甘さが広がった。

美味おいしい!! 外はサクサクしていて中はふわふわで柔らかくて、しつこくない甘さ!」

 ハニーフランの味は私の想像をはるかに超えていて、ほっぺたが落ちそうなぐらいだ。

「しかし本当に美味しいですね。何個でも食べられそう。是非お持ち帰りしなければ!」

 私は一人で笑ったり、しゃべったり、食べたりした。総指揮官殿は、いつものように無口で無表情だ。
 だけど、そんなの慣れっこなので、私は一人で話を続ける。

「そういえば、アデルの家で先月産まれた子猫を、見に行ってきました」

 アデルとは、総指揮官殿のお屋敷に勤めているメイドさんだ。私達は年も近くて仲良しなので、休日でもよく会っている。

「その子猫が、もう小さくて可愛くて! お母さん猫の側でぐっすり眠っている姿なんて、見ているこっちがとろけそうなくらいで、何時間でも見ていられます」

 アデルの家の子猫がどんなに小さくて可愛らしいかについて一通り熱弁をふるった後、前々から疑問に思っていた事をふと思い出し、総指揮官殿に尋ねてみる。

「そういえば、総指揮官殿のご両親は?」
「――いる」

 ……そりゃねぇ、ご両親が「いる」ってのはわかってるさ。
 総指揮官殿だって、木の股から生まれたとか、コウノトリが運んで来たとか、桃の中に入って川から流れてきた訳ではないでしょうに。
 私が聞きたいのは、そんな事ではなくて、『ご両親は健在で?』とか、『どちらにお住まいで?』ということだ。
 そこから会話に花が咲くかとも思ったけど、やはり無理だった。だけど、まぁいいや。いつものことだし、今は味わうことに専念しよう。


   * * *


 隣国へと公務中、彼女から届いた手紙のやり取りは、慣れない土地で肉体的にも精神的にも疲れていた自分の大きないやしになった。
 夜になると何度読み返したことか。そして公務中は、話がスムーズに進行するようにとお守り代わりに胸ポケットへとしまっていた。
 顔を見ないと不安なのだが、それでも彼女とこうやって手紙という手段でつながるという新たな発見も出来た。
 それはそうと、最近の彼女の手紙には気になる一文があった。

『ハニーズ・ビーで売られているハニーフランが食べたいです』

 読んだ瞬間、これは、そのハニーフランを土産みやげとして持ち帰って来て欲しいという彼女の願いだと思った。
 ただならぬ使命感を感じ、公務を終えると大至急で報告書をまとめて提出し、その足で店に向かったのだ。店の場所は偶然にも甘党であるレスターが把握していた。
 そこで嬉しい誤算が起きた。彼女が一足先に店に来ていたのだ。
 土産として渡した時の喜ぶ顔が見られないのは少し残念だったが、それよりも彼女に会えた喜びの方が大きかった。
 正直、甘い物は匂いからして苦手なのだが、彼女のためなら我慢できる。
 目の前で美味おいしそうに食べている彼女に、ハニーフランをそっと差し出す。

「え? いいんですか?」

 自分がうなずくと、彼女は瞳を輝かせながら、嬉しそうに手を伸ばした。


   * * *


 お店を出た後、私は総指揮官殿と一緒に屋敷まで帰った。それ以降、食後のデザートはハニーフランが出てくる。最初の頃は喜んだけれど……
 ごめんなさい!
 いくら総指揮官殿の大好物とはいえ、私は正直、もうお腹いっぱいです。だって毎日なんですもの! うぇっぷ。
 どんなに美味しくても毎日食べていると拷問ごうもんに感じてきます。しかも朝晩二回。
 なんだか、こうも甘いものが続くと、たまにしょっぱいお煎餅せんべいとか食べたくなるのは私だけではないはずだ。
 こんなことを考えるのは、わがままだと自分でも思う。私がこれを美味おいしいと言ったので、こうやって買ってきてくれているのかもしれないし。


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