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6.ランスロット・ハーディ侯爵という男

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*ランスロット視点*


 部屋の扉が、バタンと音がして閉まった。
 すぐさま廊下の向こうから、執事のトーマスがソソソと近寄ってきた。

「いかがでしたかな。セシリア様の具合は」
「ああ、顔色は悪くない」

 伝えるとトーマスが微笑んだ。

「それは安心しました。お坊ちゃ……いえ、ランスロット様も安心なさったでしょう」

 トーマスは幼い頃からハーディ家に仕えている。時折、お坊ちゃまと呼ぶのは昔の癖だ。トーマスの中で自分は幼い頃のままなのだろう。ふとそんな思いがよぎる。
 
「セシリア様の体調不良はきっと、疲れや緊張からくるものでしょうな。いきなり環境が変わったのですから、そこらへんは我々の配慮が足りませんでした。すみません」
 
 深々と頭を下げるトーマスだが、彼を筆頭に使用人たちに非はない。むしろよくやっている。

「ランスロット様が待ち望んだ花嫁、セシリア様ですから。大事にせなばなりませんな」

 軽口を叩いて笑うトーマスに視線を投げる。
 だがさきほどまで笑っていたトーマスが、急に目を見開いた。

「はっ……!! も、もしや……」

 トーマスは思い当たるふしがあるのか、唇を震わせた。

「セシリア様、緊張からくる体調不良かと思いましたが、もしかすると――ご懐妊ではありませんか!?」
 
 目を見開き詰め寄ってくるトーマスから顔をそらす。

「いや、それはない」
 
 問いかけられ、首からカーツと熱を持ち、頬が熱くなった。
 そんなこと、あるはずがない。ギュッと拳を握りしめた。
 結婚式の夜、ベッドに腰かけ、不安げに自分を見上げる彼女を見た時、一瞬理性が飛びそうになったのは事実だ。
 だが、その姿はまるで出征を直前に控えた者の表情に見え、伸ばしかけた手をギュッと握りしめた。
 ビクッと肩を震わせた彼女をこれ以上、怯えさせてはいけない。震えて怯えている彼女に触れることはしない。心を通じてこその夫婦だ。
 ベッドに横になり背を向けて耐えた。
 だが、本音は自分の顔が耳まで赤いことを悟られたくなかったせいもある。
 世間では氷の侯爵と呼ばれ、冷静沈着だと噂されているが、彼女を前にすると感情がおさえられない。
 同時に心臓が弾け飛びそうなぐらいドクドクと高鳴っていたことも、知られたくなかった。
 背を向けると彼女が小さく息を吐き出した。安堵したのだろう。
 無理もない。彼女の気持ちが整う前に結婚してしまったことは自覚している。

 ゆっくり――ゆっくりでいい。
 置かれた環境に慣れてくれれば、それでいい。
 そしてお互いを理解し、信頼関係を築きたい。
 自分は辛抱強く待つつもりだ。

「……彼女のペースに合わせよう」
「それでこそ、お坊ちゃまです。決して自分の意見を押し付けず、セシリア様に合わせるという心意気は大事ですぞ」

 結婚前は一人で取っていた食事も彼女が来てからは心が躍る毎日の楽しみとなっていた。
 たわいもない事を一度、たずねたことがある。すると彼女は少し小首を傾げ考えたあと、遠慮がちに微笑んで見せた。
 その笑顔を向けられたのが自分だと思うと、食い入るように彼女を見つめてしまった。心が歓喜に震えた。

「坊ちゃまが長年探していた初恋の女性なのですから、大事にせねばいけませんな」

 トーマスにチラリと視線を投げる。
 言われずともわかっている。
 ようやく見つけた彼女はちっとも変っておらず、一目見てすぐにわかった。
 だが、十年ぶりに再会した彼女は体が弱いのかもしれない。
 それなら最善の治療を施してやりたい。その苦痛をやわらげてやるのが夫である自分の務めだろう。

「トーマス。例の件はどうなった」
「はっ、お坊ちゃま。明日の早朝、屋敷に到着するでしょう」
「ああ、頼んだぞ」

 暗い廊下で話し終え、灯りの漏れる彼女の部屋をチラリと振り返る。
 いつか彼女の心の内側に入れるよう努力しよう。
 そう心に誓ったのだった。


**** セシリア ****


「えっ、ええっ? 医師!?」

 いきなり診察があると告げられ、混乱した私は頭を抱えて叫んだ。
 ハンナはうなずき、説明する。

「この国で一番の名医を、わざわざ首都から呼び出したようですよ」
 
 なんたることだ。

 単純に『わー、別室でとる夕食最高』と呑気に思っていたが、裏ではそんな話が進んでいたなんて。
 医師の診察がどうにも苦手な私は、知っていたなら仮病など使わなかった。
 しかも医師は三日間、ほぼ休みなく馬車に揺られてきたようで、顔色が悪かった。疲労がたまっているのだろう。私の良心がチクチクと痛む。
 この場で診察が必要なのは、どうみたって呼びつけられた医師の方だ。
 ここまでして、まさかの仮病だったとは口が裂けても言えない。
 無駄足になるのも申し訳ない。
 一通りの診察を受け、問題ないとの返答をもらった。そりゃあ、元気ですから。

「お嬢様は胃がキリキリと痛むことが多いので、お薬を用意していただけますか?」
「わかりました。苦味は強いのですが、よく効く薬を調合いたしますね」

 医師は泥と草を混ぜて煮詰めたような、おどろおどろしい色の液体が詰められた瓶を取り出した。

 え、まさか、あれが薬とはいわないわよね?

 もとより薬がどうにも苦手なので、後ずさりする。

「調子が悪い時は、ティースプーンで二杯飲んでくださいね」
 
 やはり薬だったようだ。
 できれば絶対飲みたくない。苦笑いで対応する。

「では、早速飲んでください。どのような症状にも聞く万能薬ですので」
「えっ……」

 差し出されたティースプーンの液体はなんともいえない香りがする。
 生臭さと刺激臭を感じ、顔をしかめた。

「さあ、お嬢様。お飲みください」

 ハンナが水の入ったティーカップを差し出す。

「ま、また今度に――」

 薬が苦手な私は、なんとか逃れようとする。

「いえ、体調不良に速効性がありますので、目の前で飲んでいただきたいです」

 そう告げる医師の方こそ、飲んだ方が良さそうな顔色をしている。ずっと馬車に揺られ、疲れている顔色をしているのだから。……あっ、私のせいか。

「ささ、お嬢様。一口で頑張ってくださいませ」

 ハンナが私の肩をつかみ、逃がさないように押さえつけた。

 あっ、ちょっ、やめ……!!

 結果、苦さと鼻につく匂いに涙が出た。その場で吐き出さなかった私を誰か褒めて。

「良かったです。ランスロット・ハーディ侯爵がとても心配していらしたので」

 ああ、医師よ。あなたもランスロット・ハーディ侯爵から圧がかかったのですね。そりゃあ、薬を飲ませようと必死にもなるわ。

 もしかしてランスロット・ハーディ侯爵は私の嘘を見抜き、なおかつ嫌がらせで苦い薬を飲ませたのかと疑ってしまう。

でも私は、こんな苦い思いをするのなら、もうしばらく仮病は使うまいと誓った。
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