婚約者を妹に奪われて政略結婚しましたが、なぜか溺愛されているようです。

夏目みや

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第三章 船上パーティ

32.発熱と看病

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「失礼します。医師の先生がいらっしゃいました」

 ジールの案内で現れたのは初老の男性だった。側に控えている女性は助手だろうか。医師はベッドの脇に立ち、さっそく診察に取り掛かる。

「ふむ。顔が赤く、熱が高い。症状はいつからでしょう?」
「昨日、体を冷やしてしまって……。今朝起きたら、こうなっていました」

 医師は一通りの診察を終えた。

「典型的な風邪でしょう。体を冷やしたことが原因かと。喉が赤いから、しばらく熱は続くとみてください。熱さましを出しておくから、休養が大事です」

 助手は大きなカバンから薬草を取り出し、目の前で調合を始めた。
 助手が手際よく作業始める横で、今まで合わない薬があったかなど、質問されたのですべて正直に答えた。

「ご懐妊の可能性はありますか?」
「――ッ、あっ、ありません!!」

 最後の質問に真っ赤になり、大声を出してしまった。

 清い関係の私たちに、それはない、絶対に。

 扉の向こう側にいるグレンに聞こえていたかしら? なんだかすごく恥ずかしい気持ちになり、焦ってしまった。 

 医師は一瞬、目を丸くすると優しく微笑んだ。次に部屋の外で診察が終えるのを待っていたグレンに声をかけた。結果を報告しているようだった。扉の奥から、話し声がする。

 薬の調合を終えると医師と助手は帰って行った。
 グレンはベッドまで近づいてくると、端にそっと腰かけた。

「まだ辛いか? なにか欲しいものがあれば、なんでも言ってくれ」

 まだ体は熱っぽいが、喉が渇いた。お願いすると彼はすぐに部屋から出て行った。
 そしてしばらくすると水差しを手に戻ってきた。そのまま私の口元にグイッと差し出す。

「自分で飲めますから」

 首をフルフルと振り、水差しを受け取ろうとするが、彼は断固として渡さなかった。

「こんな時ぐらい、世話を焼かせてくれ」

 大人しく彼の差し出す水差しに口をつける。

「美味しい」

 はぁっと息を出すと、水差しから水滴がポタリと胸元に落ちる。それを見たグレンはサッと視線を逸らした。

「今日は仕事に行かれないのですか?」
「俺のことを、こんな時でも仕事に行く、薄情な奴だと思うのか?」

 グレンはフッと微笑んだ。その微笑みが寂しそうに見えた。

「仕事に行ったところで手につかないだろう」

 いつになく彼が素直だと思うのは、私が弱っているからだろうか。弱っている者を前にすると優しくなる、同情だろうか。

「食欲がないのなら、これを食べるといい」

 グレンが手にしていた皿には、すりおろしたのラカンの果実が入っていた。ラカンの実は水分を多く含み、甘い。子供の頃、風邪を引いて熱が出た時に、よく食べていたっけ。

 なんだか懐かしい気持ちになる。
 グレンはすりおろしたラカンをスプーンですくうと、私の口元に近づける。

 えっ、これも?

 グレンは「食べろ」と視線で訴えてくる。
 まるで自分が小さな子供になった気分だ。だが今は無駄に反論する気力もない。
 大人しく口を開けた。甘酸っぱさが口の中に広がり、のど越しがいい。

「美味しい」
「それは良かった。すりおろしたかいがあった」
「……え」

 グレンの発言を聞き、しばし固まった。人に命令するでなく、自分ですりおろしたの? ラカンを?

 その様子が想像つかなくて、思わず声を出して笑ってしまう。

「笑うなよ」

 グレンはちょっと照れたようで口を尖らせた。

「それだけ笑えれば大丈夫だな。あとは薬を飲むんだ」

 処方された薬は顔をゆがめるほど苦かった。
 グレンはシーツを引っ張り、私の肩までかけた。

「眠るといい。俺は眠るまで側にいるから」
「……ありがとう」

 なんだか具合が悪い時、誰かが側にいてくれるって、すごく心強く感じる。

「もとはと言えば、俺の責任でもあるから」

 あっ、なるほど。罪悪感からくる優しさですか。

「先方には、はっきりと謝罪を求めるつもりだ。謝罪するまで、出航はしない。場合によっては投資を打ち切ることも考えている」

 先日、事業に私情は挟まないって、言っていたような気もするけど……。

 まあ、いいや。

 熱で朦朧とする頭で考えても答えはでない。
 ウトウトしていると、すっと手が伸びてきた。

「おやすみ」

 優しい口づけを額に受けた。柔らかな感触に、さらに顔が熱くなるのを感じる。恥ずかしくてシーツを引っ張って顔を隠した。
 
 目を閉じると、すぐに眠りについた。


 *****


 翌日、ぐっすり寝たおかげか、熱はすっかり下がった。だいぶ体調ももとに戻ってきた。

「本当、良かったです。お薬と旦那様の看病が効いたのでしょうかね」

 シルビアのホッとした声を聞く。

「そうね、心配かけたわね」
「旦那様ってば、よほど心配だったのでしょうね。夜通しついていらしたのですよ」
「えっ、そうなの?」

 寝顔をずっと見られていたのだろうか。だったら恥ずかしい。

「額の汗をふいたり、世話をやいていましたよ。私が代わると言ったのですが、自分でやると言って、断固として聞き入れませんでした」

 眠っている間も時折、ひんやりとして気持ちいいと思ったのは、あれは彼の手だったのかしら。

「お嬢さまの容態が回復したのを確認した明け方に仮眠をとって、それからお出かけになりました」
「そうなの……」

 やはり仕事が忙しいのだろう。
 仮眠をとっただけで出かけたなんて、彼も体調を崩さないのだろうか。

「愛されていますね、お嬢さま」

 シルビアがニコニコと笑う。私は曖昧に笑って首を傾げた。
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