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第三章 船上パーティ
29.妻ですから
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対する彼は冷静だった。反論もせず、淡々と事実を述べるのみだ。
わめいている相手を前にしても動揺していない。彼はこんな場面に慣れているのかと、ふと感じた。
「貴族の私が、下賤な血が流れている者と取引をしてやろうと思ったのに。この平民あがりが!!」
相手の怒声を聞き、肩がピクリと揺れた。
この人、いくらなんでも理性を失いすぎでしょう。
グレンは黙っているが、聞くに堪えない発言だ。こんな差別用語もグレンは言われ慣れているの? だとしたら、とても悲しい。
息をスッと吸い込むと一歩前に出て、グレンの横に並ぶ。
「はじめまして、ハンス子爵」
それまで隠れていたが、いきなり姿を現した私に相手は面食らったようだ。
「あなたの数々の暴言、しっかり聞きましたわ」
彼の目を見て、にっこりと微笑む。
「ですが、私の旦那様をバカにするのは許しません」
目を見て毅然とした態度を貫く。
「なっ……」
女性に言い返されるとは思わなかったのだろうか、相手は動揺している。
実家のアルベール家は最近まで没落寸前だったとはいえ、歴史だけは由緒正しい伯爵家だ。ハンス子爵が表立って逆らうのは、賢いやり方ではない。
相手は瞬時に判断したのか口をつぐんだ。血統が第一だなんて、おかしな価値観。能力はあれども血筋で見下されるなんて、納得いかないわよね。
これまでグレンは、こんな経験をいくつもしてきたのだろうか。そう思うと、胸がギュッと締め付けられた。
人々が騒ぎを遠巻きに見ていることに気づく。いつの間にか周囲の注目を集めていたようだ。
「ほら、ご覧になって。ハンス子爵、逆恨みでみっともない」
「出資を断られて酒に酔って悪態をつくなど、家門の恥だろうな」
「あの方、事業に失敗続きで、次こそ取り返そうとしているのですわ。だからこそ、あのように必死なのですわ」
「でもこのようなお祝いの場に乗り込んでくるなんて、ねぇ」
ヒソヒソとあざ笑う声が聞こえる。
私にも聞こえているのだ、ハンス子爵も気づいたのだろう。真っ赤な顔をして両肩をブルブルと震わせ、うつむいている。
やがて、いたたまれなくなったらしい。
「――ッ!! 失礼する!!」
吐き捨てるように叫ぶと身をひるがえした。
ホッと一息つき、隣に並ぶグレンの顔を見上げる。
「本当に……」
えっ、と思った時には両肩に腕が回され、きつく抱きしめられていた。
「凛として強い女性だ」
私を抱く手に、ギュッと力がこもる。耳元でささやかれ吐息が耳にかかり、背筋が震えた。
「俺にはもったいないぐらいだ……」
つぶやくような声を聞く。いきなり肩を掴まれた。
「だから時間をくれ。相応しくなれるように努力するから」
私の顔を見つめる彼の顔は真剣そのものだ。相応しい? なにを言っているのかしら。
「仰る意味がわかりません」
ゆっくりと首を横に振る。
「あなたは私の夫です。胸を張っていいのです」
そう、見下す奴がいても堂々としていればいい。これだけの事業に出資できる財力だってあるのだから。
「君は――」
クシャリと顔をゆがめたグレンは一瞬、泣き出すのかと思った。
どうしたの?
ふいに心配になり指を伸ばす。ゆっくりと頬に触れると、彼の体がビクンと震えた。
「グレン!! ここにいたのか」
突如、背後から声がかかった。振り向くとそこにいたのは若い男性だった。あの方は……。
見覚えがあるのは、あの舞踏会の夜、グレンと一緒に私のことを話していた友人のうちの一人だ。顔をパッと背け、距離を取る。
「友人から呼ばれているわ。いってらっしゃい」
そっと微笑む。
「だが君は――」
「私はいいの。少し風にあたっているから」
先日の夜に偶然会話を聞いたことから、グレンの友人には苦手意識がある。できればあまり接触したくない。
近づいてきた友人に小さく会釈をし、そっと距離を取る。
「すぐ戻ってくる」
どうやらグレンは一人で行くことに納得してくれたみたいだ。
手すりに手をかけ、海を眺めた。潮風が心地よくてホッとする。青空の下、キラキラと輝く海面を見ている、この時間が贅沢に思えた。しばらく目を閉じて一人の時間を堪能していると、人の気配を感じた。
瞼を開けると、そこにいた人物が視界に入る。
「あら、ごきげんよう」
長い髪を風になびかせ、勝気な目つきで私を見下ろす、アンナ・ブッセンだった。全身にふりまいたような香水のきつさに、つい顔をしかめた。さっきまでの清々しい気分が台無しになった。
「ごきげんよう」
だが表情に出さずに努め、ゆったりと微笑む。
わざわざ私に近づいてくるだなんて、また嫌味でも言うつもりなのか。今回は取り巻きは引き連れておらず、一人だった。
「素敵な船ですわね」
彼女の父とグレンは事業関係で手を組んでいる。きっと彼女もいるだろうと思って覚悟はしていた。だが、向こうからわざわざ近づいてくるとは。しかも一人になった途端。
きっと彼女はこの機会を待っていたのだろうな。そんな気がした。
「ええ、グレンには本当に良くしていただいてるの。私のお父さまもだけど、娘の私も……ね」
含み笑いを見せるが、人を不快な気分にさせたいのだろう。
「そうなのですね」
だが私は傷ついたりしない。
この結婚が政略結婚なのだから、私に与えられた任務は一つ。彼の妻として振る舞うことよ。
「私のことも大事にしてくださっています。優しい方ですわ」
ニコッと微笑むと、相手が一瞬ひるんだように見えた。
わめいている相手を前にしても動揺していない。彼はこんな場面に慣れているのかと、ふと感じた。
「貴族の私が、下賤な血が流れている者と取引をしてやろうと思ったのに。この平民あがりが!!」
相手の怒声を聞き、肩がピクリと揺れた。
この人、いくらなんでも理性を失いすぎでしょう。
グレンは黙っているが、聞くに堪えない発言だ。こんな差別用語もグレンは言われ慣れているの? だとしたら、とても悲しい。
息をスッと吸い込むと一歩前に出て、グレンの横に並ぶ。
「はじめまして、ハンス子爵」
それまで隠れていたが、いきなり姿を現した私に相手は面食らったようだ。
「あなたの数々の暴言、しっかり聞きましたわ」
彼の目を見て、にっこりと微笑む。
「ですが、私の旦那様をバカにするのは許しません」
目を見て毅然とした態度を貫く。
「なっ……」
女性に言い返されるとは思わなかったのだろうか、相手は動揺している。
実家のアルベール家は最近まで没落寸前だったとはいえ、歴史だけは由緒正しい伯爵家だ。ハンス子爵が表立って逆らうのは、賢いやり方ではない。
相手は瞬時に判断したのか口をつぐんだ。血統が第一だなんて、おかしな価値観。能力はあれども血筋で見下されるなんて、納得いかないわよね。
これまでグレンは、こんな経験をいくつもしてきたのだろうか。そう思うと、胸がギュッと締め付けられた。
人々が騒ぎを遠巻きに見ていることに気づく。いつの間にか周囲の注目を集めていたようだ。
「ほら、ご覧になって。ハンス子爵、逆恨みでみっともない」
「出資を断られて酒に酔って悪態をつくなど、家門の恥だろうな」
「あの方、事業に失敗続きで、次こそ取り返そうとしているのですわ。だからこそ、あのように必死なのですわ」
「でもこのようなお祝いの場に乗り込んでくるなんて、ねぇ」
ヒソヒソとあざ笑う声が聞こえる。
私にも聞こえているのだ、ハンス子爵も気づいたのだろう。真っ赤な顔をして両肩をブルブルと震わせ、うつむいている。
やがて、いたたまれなくなったらしい。
「――ッ!! 失礼する!!」
吐き捨てるように叫ぶと身をひるがえした。
ホッと一息つき、隣に並ぶグレンの顔を見上げる。
「本当に……」
えっ、と思った時には両肩に腕が回され、きつく抱きしめられていた。
「凛として強い女性だ」
私を抱く手に、ギュッと力がこもる。耳元でささやかれ吐息が耳にかかり、背筋が震えた。
「俺にはもったいないぐらいだ……」
つぶやくような声を聞く。いきなり肩を掴まれた。
「だから時間をくれ。相応しくなれるように努力するから」
私の顔を見つめる彼の顔は真剣そのものだ。相応しい? なにを言っているのかしら。
「仰る意味がわかりません」
ゆっくりと首を横に振る。
「あなたは私の夫です。胸を張っていいのです」
そう、見下す奴がいても堂々としていればいい。これだけの事業に出資できる財力だってあるのだから。
「君は――」
クシャリと顔をゆがめたグレンは一瞬、泣き出すのかと思った。
どうしたの?
ふいに心配になり指を伸ばす。ゆっくりと頬に触れると、彼の体がビクンと震えた。
「グレン!! ここにいたのか」
突如、背後から声がかかった。振り向くとそこにいたのは若い男性だった。あの方は……。
見覚えがあるのは、あの舞踏会の夜、グレンと一緒に私のことを話していた友人のうちの一人だ。顔をパッと背け、距離を取る。
「友人から呼ばれているわ。いってらっしゃい」
そっと微笑む。
「だが君は――」
「私はいいの。少し風にあたっているから」
先日の夜に偶然会話を聞いたことから、グレンの友人には苦手意識がある。できればあまり接触したくない。
近づいてきた友人に小さく会釈をし、そっと距離を取る。
「すぐ戻ってくる」
どうやらグレンは一人で行くことに納得してくれたみたいだ。
手すりに手をかけ、海を眺めた。潮風が心地よくてホッとする。青空の下、キラキラと輝く海面を見ている、この時間が贅沢に思えた。しばらく目を閉じて一人の時間を堪能していると、人の気配を感じた。
瞼を開けると、そこにいた人物が視界に入る。
「あら、ごきげんよう」
長い髪を風になびかせ、勝気な目つきで私を見下ろす、アンナ・ブッセンだった。全身にふりまいたような香水のきつさに、つい顔をしかめた。さっきまでの清々しい気分が台無しになった。
「ごきげんよう」
だが表情に出さずに努め、ゆったりと微笑む。
わざわざ私に近づいてくるだなんて、また嫌味でも言うつもりなのか。今回は取り巻きは引き連れておらず、一人だった。
「素敵な船ですわね」
彼女の父とグレンは事業関係で手を組んでいる。きっと彼女もいるだろうと思って覚悟はしていた。だが、向こうからわざわざ近づいてくるとは。しかも一人になった途端。
きっと彼女はこの機会を待っていたのだろうな。そんな気がした。
「ええ、グレンには本当に良くしていただいてるの。私のお父さまもだけど、娘の私も……ね」
含み笑いを見せるが、人を不快な気分にさせたいのだろう。
「そうなのですね」
だが私は傷ついたりしない。
この結婚が政略結婚なのだから、私に与えられた任務は一つ。彼の妻として振る舞うことよ。
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