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第一章 これは政略結婚

4.元婚約者について

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 パタンと扉を閉め、そのままフラフラとソファに向かう。ドサッとその身を投げ出した。

「結婚……かぁ」

 実感がわかず、クッションを抱きかかえ、天井を見上げる。
 ボーッとしていると扉がノックされた。一体誰だろう。

「はい、どうぞ」

 返事をすると扉の隙間から赤毛を一つにまとめてお団子にした、シルビアが顔を出した。

「お嬢さま、結婚されるのですか!?」

 開口一番に質問してくるシルビアは私専属のメイド。同じ年齢だけどなかなかしっかり者で、頼れる姉みたいな存在だ。

「あら、もう聞いたの? 話が早いわね」
「さきほどマリアンヌお嬢様と奥様が話していらしたのを、小耳に挟んだのです。それよりも、本当なのですか?」
 
 シルビアが真剣な顔で詰め寄ってくる。

「うーん、多分、そうなると思うわ」
「どうして他人事みたいな言い方なのですか!?」

 シルビアに指摘され苦笑する。

「だってついさっき言われたばかりだし、実感がわかないのよね」

 いまいちピンとこない。それが本音だった。

「それでお嬢さま、相手はどんな方なのですか?」
「それが――」

 先ほどの父との会話を思い出す。

「なんでもいくつもの新しい事業をしている方だとか……」
「お名前は? 年齢はおいくつなのですか?」

 質問されハッと気づく。

「あっ……聞くのを忘れた。どちらもわからないわ」

 シルビアはがっくりと肩を落とす。

「しっかりしてください、お嬢さま!! ちゃんとお嬢さまを幸せにしてくださる相手なのですか?」
「それもよく、わからないのよね」

 苦笑いで率直な意見を告げると、シルビアがため息をつく。

「で、でもお金持ちなのは確かみたいよ。この家の借金を払ってくださるのだから」

 だから今後、当面の間はシルビアのお給金の支払いは大丈夫だと告げる。

「私はお嬢さまが心配です。慣れないお屋敷で上手くやっていけるのでしょうか」
「そうね、まぁ、なんとかなる……と思うしかないわ」

 シルビアは不安に顔を曇らせた。

「でね、もし良ければだけど……」

 口にするのは勇気がいる。手をモジモジとさせ、考えを告げる。

「この縁談がまとまったら、シルビアもついてきてくれたら嬉しいかな、って」
「よろしいのですか!?」

 シルビアの顔がパッと輝く。

「ええ、あなたさえ良ければ、一緒に来て欲しい。まあ、相手方にも了承を得なければならないけれど……」
「行きます、行きます!!」
「良かったわ」

 シルビアの返答を聞き、ホッとする。

「お嬢さまのいなくなるアルベール家は、泥船に乗るようなものですから」

 はっきりと口にした彼女に笑ってしまう。
 正直、借金がなくなっても、根本的な問題が残っている。いつまた何かをやらかし、使用人たちに暇を出すかもしれないからだ。それに義母と妹の浪費問題が残っている。

 せめて長年仕えてくれたシルビアだけでも連れて行きたい。その方が安心だし、心強い。

「縁談のお相手と三日後にお会いすることになったのよ」

 クッションを胸に抱き、膝を抱えた。

「きっと素敵な方ですよ」

 シルビアの言葉に苦笑する。そうだといいのだけれど。

「でもマリアンヌには脂ギッシュで頭皮が薄い方かもしれないわね、って言われたわ。お父さまより年上かもしれないし」

 シルビアの顔が曇る。

「マリアンヌお嬢さまは、本当に意地悪ですね」

 私の代わりにプンプンと怒ってくれるシルビア。そんな彼女が大好きだ。

「それともベンみたいになるかもね、って」

 彼の名を出すとシルビアの眉がピクリと動く。

「あら、気にしないで。元婚約者と言っても、口約束みたいなものだったから」

 ベン・ボンド
 伯爵家の長男で父親同士が友人で、私の幼なじみでもある。年齢も私より二つ上で、背が高く細身の男性。
 彼は周囲に物静かで知的な印象を与える。

 年齢が近かったことから『ベンとルシナを将来結婚させよう』と親同士が勝手に盛り上がっていた。
 私もなんとなく、結婚するならベンなのかしら? と思うようになっていた。
 彼とならゆっくりと愛を育み、穏やかな生活を送っていける気がしていた。
 
 だが半年前、街に出かけた時、私は偶然にも見てしまった。
 ベンとマリアンヌが腕を組み、楽しそうに歩く姿を。
 その時のベンは、ちょっとはにかんだ笑顔をマリアンヌに向けていた。けれど決して嫌がっている素振りもなく、むしろ嬉しそうだった。

 そんな姿のベンを見たのは初めてで、同時に瞬時に語った。
 ベンはマリアンヌのことが好きなのだ、と。
 マリアンヌからはベンが好きだとか、そんな話題を聞いたことがなかったから、正直驚いた。
 だが、私の知らない所で二人は愛を育んでいたのだろう。

 私は屋敷に戻ると、その足で父のもとへ向かう。
 今後、ベンとの婚約の話が出たら、なかったことにしてくれ、とだけ告げた。
 
 父は理由を知りたがったが、後から本人たちの口から聞くだろうと思い、固く口を閉ざした。
 ベンに特別な感情はなかったが、幼なじみとしては幸せになって欲しいと思っている。それにマリアンヌのわがままに、ある程度は慣れているだろうと思っていた。
 きっと二人は上手くいくだろう。

 そう思っていたが、あれから一向にそんな話はでなかったので、痺れを切らしてマリアンヌに聞いてみた。

「どういうこと? 私とベンが付き合っている?」

 だがマリアンヌは意外にもキョトンとして首を傾げた。
 街で仲良く腕を組んで歩く二人を見たことを告げた途端、マリアンヌは噴き出した。

「ちょっと、やめてよ。お姉さまの婚約者だから、ちょっとからかってみただけよ」

 なんていうことだ。

 気まぐれで声をかけて、ベンをもて遊ぶようなことをしてみただけというの?

「でもやっぱり、ベンじゃ物足りないわ。つまんない。私はもっと格上を狙うし、ベンはお姉さまに返すわ。地味な者同士お似合いじゃない」

 手をヒラヒラと振ってバカにするマリアンヌに、さすがに頭にきた。

「なんてことをするの。人の気持ちをもて遊ぶだなんて」
「はいはーい。仕方ないじゃない。それにコロッと騙される方も悪いのよ。それだけ私がお姉さまよりも、魅力的だったんだから、しょうがないじゃない」

 ちっとも悪びれもせず、肩をすくめるマリアンヌ。私の怒りも彼女には通じなかった。

 あれ以来、ベンに会っていないが、元気でいるのだろうか。気にかかるが、私から連絡するべきではない。
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