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 退室してすぐ、ヒルデバルドは近くの一室へと、私を誘導した。
 ヒルデバルドが後ろ手で扉を閉めた途端、私はへなへなとその場に崩れ落ちた。気丈に振る舞っていたが、限界だった。涙が流れ、視界がにじむ。
 聞いていた話と全然違う。歓迎どころか、身の危険すら感じた。

「大丈夫ですか」

 そっとハンカチーフを差し出してくるヒルデバルドの手を拒絶した。

「大丈夫なんかじゃないわ!! 私はこんな目にあうために、ここに来たんじゃない」

 泣きながら非難するが、ヒルデバルドは無言で聞いている。
 嗚咽を漏らし泣きじゃくった。

「でも一つだけ、あの人は良いことを言った。私のことは興味がないって。好きにしていいということだわ。だったら簡単よ、私をオウルの森へ帰して!!」

 あの場で一番の権力を持つディオリュクスが皆の前で言ったのだ。だったらもう私は不要だということだ。彼の気の変わらぬうちに、さっさと帰るに限る。

「残念ですが、それはできません」

 だがヒルデバルドは大きく首を横にふる。

「どうして!?」

 頭に血が上り、思わずつかみかかる。だが彼の胸を力いっぱい叩いても、日頃鍛えているのだろう、私の力ではびくともしない。

「今のディオリュクス王は、混乱しているのだと思います。今のリーン様同様に。それに周囲が許すはずがありません」
「じゃあ、私はここにきて、なにをする使命があるの? なんのために来たの? 教えてよ!!」

 こらえていた想いを、ヒルデバルドにぶつける。
 彼の胸を何度も叩く。彼は拒否することなく、受け止め続けた。
 やがて私の方が力尽きた。髪を振り乱し、泣き疲れて目は痛いし最悪だ。

「授かった神託の細かい部分は、王だけが耳にしております。いつか、教えていただける日がくるでしょう」

 なにを呑気に言うのか。そんなわけないでしょう。
 肉体的にも精神的にも疲れてしまい、返事をするのも嫌になる。
 ようやく大人しくなった私をヒルデバルドは一室に案内した。

「ここはリーン様のお部屋になります」

 広い部屋に豪華な調度品が設置されている。だが、なんの感情も浮かんでこない。ヒルデバルドは私を部屋に案内すると、すぐにどこかへ消えた。
 部屋のベッドに倒れ込む。柔らかなシーツの感触にせっけんの香りがした。
 本当に疲れた……。
 これから先、私はどうなってしまうのだろう。暗い気持ちになり、瞼を閉じた。

     * * * * *

 最悪なディオリュクスとの謁見から三日が過ぎた。私はまだ城に滞在している。
 特になにをするでもなく、起きて食事をとり、そして寝るだけの日々。

 いったい、なぜここにいるのだろう。

 世話をしてくれるメイドたちも注意されているのか、私と必要以上に会話しようとする者はいなかった。ただ生かされているだけの生活。
 豪華な部屋だが、どこか物足りない。壁に飾られている絵画に、数々の高そうな調度品。
 ああ、花がないのだ、この部屋には。
 森では常に自然に囲まれていたから、どうしても草花が懐かしく思える。

 この城に来て以来、ずっと部屋にいるので、嫌でも考えてしまう。
 きっと、周囲も私の扱いに困っているのだろう。本来ならディオリュクスの保護を受ける存在が、彼が私のことを拒否したのだから。
 だったら、もう一度ディオリュクスに頼み込んでみようか。
 
 私を帰してくださいって。
 
 ……だけど、それは現実的じゃない。
 彼の冷たい視線を思い出すと、身震いがする。そもそも彼と接する機会がないし、会いたいとも思わない。この部屋に籠って三日が過ぎ、毎日やることがなさすぎて精神的にも限界がくる。

 窓辺に立ち、外を見る。
 天気が良いのに、私の心はちっとも晴れない。もしや、このままこの部屋で飼い殺しなのだろうか。
 深くため息をついた。

 ダメだ、このままでは気持ちが落ち込んでしまってよくない。大きく首を振った。
 まずはこの部屋から出て、行動範囲を広げてみよう。
 誰かから咎められたって、知るもんか。それぐらいの自由はあってもいいはずだ。
 部屋の扉を開けそっと顔を出すと護衛が一人、脇に立っていた。私の行動を見張っているのだろう。
 だが、首を上下に揺らしていた。しかも器用なことに、立ったまま眠っていることに気づいた。私が外に出ることはないと、思い込んでいるのかもしれない。
 
 これはチャンスだわ。
 
 私は無言で部屋から一歩、外へ出た。音をたてないように慎重に扉を閉める。
 まさか私がみずから部屋から出るとは、想像していなかったのかもしれない。だから安心して気が緩んでいるのだろう。
 このまま私の好きにさせてもらうわ。
 そのままゆっくりと廊下を歩き始めた。背後の護衛など、気にしていられない。
 廊下の角を曲がり、こっそり顔を出して部屋の前を見ると、まだ護衛は気づいていない。安堵して胸をなでおろした。

 広い城、いくつもある部屋数、自分がどこを歩いているのか見当もつかない。そもそも私はどこへ向かっているの? あてもなく城内をさまよう。
 重厚な造りの豪華な城なのだが、冷たさを感じる。
 
 そうしてどこをどう歩いたのか、ホール状になった広い空間にたどりついた。壁紙はワイン色でアンティーク調の燭台が並ぶ。そして高い天上から吊るされたシャンデリア、壁一面には肖像画が飾られている。

 肖像画の前に立ち、一枚ずつ確認する。どうやらかなり昔の作品もあるみたいだ。だが色あせることなくこの状態を保っているのを見ると、保存方法がいいのだろう。
 こうやって見ると王族は美形が多いことがわかる。あと金髪。そして一枚の肖像画の前で足が止まる。
 そこに描かれていたのは、長い金の髪を巻いて高く結い上げている女性。大きな瞳はまるで宝石のように輝き、白い肌に赤く色づいた頬。目の覚めるような青いドレスを身にまとい、ソファに持たれかかっている。こちらに向かってにっこりと微笑む姿は、この世の美をすべて凝縮したような美しさだ。

 だが、ふと気づく。先日会った、ディオリュクスに似ていると――。
 
 思い出したくもない人物が脳裏に浮かぶ。
 だが、肖像画の中の女性の美しさから目が離せない。その魅力に惹きつけられる。
 だから、気づかなかった。人が近づいてきたことに。

「誰の許可を得て、ここに入っている」

 背後から声が聞こえて、ビクッと肩を揺らす。心臓がドクドクと脈を打ち、息を呑む。

 この声はまさか――。
 
 背中を嫌な汗が流れ始めた。振り返りたくても、怖くて動けない。私の耳に絨毯を踏みしめる音が響く。いよいよ近づいてきた足音に、観念して顔を向けた。
 真正面から対峙して、息を呑む。

 今一番、会いたくない人物、ディオリュクス本人だった。
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