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 森を抜けてしばらく歩道ぞいに歩くと、煙突が見える。ここまでくれば、もうすぐそこだ。
 やがて小屋が見えた。小屋の前の井戸のところで姿が見えたのは、サーラだ。水を汲んでいる。
 井戸のポンプを押すと、サーラのローブについている鈴がチリンチリンと音を出す。
 この音を聞くと、サーラがすぐ側にいるのだと実感できて安心する。

「サーラ、ただいま」

 嬉しくなって駆け寄ると、サーラは顔を上げ、周囲をきょろきょろと見回す。

「こっちよ!!」

 さっきより大きな声を出すと、ようやく気付いたようだ。

「ああ、お帰り。リーン」

 皺くちゃの顔に満面の笑みを浮かべ迎えてくれる。
 本当は「凛音」なのだが、どうやら発音しにくいらしく、私のことを「リーン」と呼ぶ。凛音を知る人は誰もいない。この世界ではリーンとして人生を歩んでいる。
 もしも、元の世界に戻ることができたのなら、その時には凛音に戻るのだ。

「貸して」

 井戸のポンプを押すのは結構、力がいる。サーラの代わりに私がやろう。

「ああ、ありがとう」

 サーラはホッとした声を出し、ポンプを手放した。
 認めたくないけどサーラ、年を取った。
 出会った頃より耳が遠くなったし、目も悪くなったようだ。
 年齢を考えると無理もないが、時折心配になってしまう。だが、彼女が今後できなくなる部分は、私がサポートすればいいだけだ。

「そろそろお昼ご飯にするね」

 前向きに考えようと顔を上げた。
 小屋に戻り、二人で向かい合わせでテーブルに座る。

「いただきます」

 豆のスープに昨日焼いたパン、そしてサラダを用意した。質素な食事だが、食べられるだけでありがたい。

「今日はどんな薬を作ったの?」
「ああ、今日は火傷に効く薬。これから腹痛の薬を作る」

 サーラは薬草を採取して、独自の調合で薬を作り出す。とても苦い薬だが、効能の方は文句がつけようがないぐらいだ。ルルドの村にたまに遠い街から行商が来るが、サーラの薬を仕入れにくるのだ。それぐらい効果がある。
 私はサーラの助手といっても名ばかりで、まだまだ足元にも及ばない。やっと薬草の見分けがつくようになったレベルだ。

「じゃあ、午後から手伝うわ」

 腕まくりをして使用した食器を洗っていると、扉が鈍く叩かれた音が聞こえた。
 私とサーラは無言で顔を見つめあう。
 ここはオウルの森の奥深く。近くのルルドの村の住人でさえ、めったに近寄らない。よって客人なんてくることがない。
 もしかして空耳だったのかといぶかしんでいると、再度扉が叩かれた。
 そこでサーラと私は、再度目を見合わせた。
 もしかしてルルドの村の住人になにかあって、急に薬が必要になったのかしら……?
 重い腰を上げて対応しようとするサーラを手で制し、私がやると告げる。

 空気が張り詰めている――。

 妙に身構えてしまう。
 ううん、そんなはずはないわ。気のせいよ。
 三回目の扉が叩かれる音が響き、ようやっと返事をした。

「はい、どちらさまでしょうか」

 ここの扉に鍵などついていない。なぜなら急に訪ねてくる人などいなかったから。
 でもせめて相手の素性を確認してから、扉を開けようと思った。
 ルルドの村長さんかしら。それとも行商のおじさん?

「急な訪問で失礼する。ここに住まわれるのは、オウルの森の番人か」

 だが予想と反してかえってきた声は若い男性だった。
 オウルの森の番人? それはサーラのこと……?
 サーラに助けを求めて視線を投げると、見たこともない険しい顔をしていた。

「サーラ……?」
 
 私の呼ぶ声も聞こえなかったのか、彼女は椅子から重い腰を上げると、扉へ向かう。
 そして扉に向かい、声を張り上げた。

「いかにも私がオウルの森の番人だ。要件を述べよ」
 
 シャンと背筋を伸ばす様子は、サーラも緊張しているように見えた。

「私はインぺリア国の騎士、ヒルデバルドと申します。王命により、このオウルの森へ参りました」
「――して、なにようだ」

 緊張感漂う空間にごくりと息を吞んだ。

「異世界の落ち人を探しています」

 それは私のこと――?

 聞いた瞬間、心臓がドクドクと脈を打つ。
 なに、なにが起きているの? まさか私を迎えに来たの? でもどうして? 
 私はもうここで生活して2年もたつの。
 やっと平穏な暮らしに慣れてきたの。今さら、なんだっていうの?

 混乱して足が震えてくるも、なんとか奮い立たせる。

「落ち人になに用か」

 サーラは気丈に口を開く。するとしばらく相手は沈黙した。

「――王城へ連行せよと、神託がありました」

 サーラは目を見開き、唇をギュッと噛みしめたのを見逃さなかった。
 なに、なにが起きているの!?
 緊迫する空気を肌で感じ、質問したくても出来なかった。
 ただ、これから先、今までのサーラとの平和な暮らしは崩れ落ちてしまうかもしれない。
 嫌な予感に身震いした。

「扉を開けてもらえないでしょうか」

 たずねているようで、拒否することなど出来ないと感じる声色。だが私は必死で首を横にふり、サーラに拒否の態度を示す。
 サーラは私を見て、小さく首を横にふる。
 ああ、あきらめろ、ということだ。例えここで拒否したところで、相手は力ずくでくるだろう。まだ聞いてくるだけ親切なぐらいだ。
 なぜなら、相手はその気になれば、この扉を破壊することすら容易いと思われる。
 サーラは静かに私に近寄り、そっと手を伸ばし、頬に触れる。

「ああ、あんたに危害を加えることはないだろうから」

 サーラは私を安心させるためか、フッと微笑んだ。だが、気づいてしまった。その微笑みには憐みの意味も含まれていると。
 それに頬に触れるサーラの手が、少し震えていた。
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