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一切見世物
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浅草六区の歓楽街。寺に向かう半ばの道は、昼も夜も煩悩と享楽に塗れている。帝都中のありとあらゆる娯楽を集めたようなこの場所で一際目を惹くのは、見るも眩しい旗の列。小ぶりなテントに飾られた極彩色の造花、騒がしい祭囃子。レヴューの少女も芝居の花形も、この異彩には敵わない。大仰な謳い文句と共に北の街から浅草へと舞い戻った見世物小屋の一団──その名を、べっ甲座という。
「寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。今日は待ちに待ったお披露目だよ。流れ流されやって来た、盲のあの子の晴れ舞台。さあさあ、皆々様、怖がらないで入っておいで」
威勢の良い呼び込み口上の声は男児のそれである。この日は年に一度の菊供養で、老若男女が花を手に訪れていた。敬虔な檀家たちでさえ、その声に誘われて小屋の方をちらりと見ずには居られない。大人しそうな少女が二人、互いの袖を引き合って、行こうか行くまいか躊躇っている。そこに入口から顔を覗かせたのは、見目麗しい琥珀の瞳と茶色の巻き毛を持つ青年であった。彼は少女達と目が合うと、にっこりと笑って手招きしてみせる。どちらからともなく、からり、と下駄の音がした。彼女らは固く手を握るとテントの中へ入ってゆく。そうして一人また一人と吸い寄せられて、見世物小屋の中はあっという間に人集りが出来ていた。
「さて、次にお見せ致しますのは、海の向こうの遥か異国で生まれた、世にも珍しい秘伝の奇術。お見せするのは我らが座長、奇術師金花に御座います。どうぞお見逃しありませんよう!」
間もなく舞台の上に現れたのは一人の男──鮮やかな朱の着物を纏った、金色の瞳を持つ美男子であった。仰々しくお辞儀をする。拍手喝采。方々から若い女の歓声が聞こえる。そうして早速、彼の演目は始まった。
「お集まりの皆様、ご機嫌麗しゅう。はは、今日は一段と別嬪さんの多い事だ!さて、お嬢さん方、何か大切な物を隠そうと思ったことはあるかな。奇術なら簡単だ。それを今からお見せしよう」
金花は人好きのする笑顔を振り撒くと、ぱちんと手を打って造花の薔薇をどこからともなく取り出す。黄色い声。彼はひらひらと着物の裾をはためかせながら、初老の婦人や制服の女学生、それから先程の少女に花を配って回る。紙で出来た安価な飾りに過ぎないが、その麗しい顔に微笑みかけられては、皆受け取らずにいられないのである。そして最後の一輪を取り出した彼が再び手を叩けば、花は忽然と消えてしまったのだった。
「おっと、最後の一つは大切に残しておかないとな。渡す相手は決まっているんだ」
ある種白々しく、意味ありげに放たれた言葉に女学生たちはざわめく。彼がくるりと後ろを向くと、丁度手伝いの童女が大きな行李箱を持ってきたところであった。金花はその中を広げて観客に見せる。彼の新たに披露する奇術は、これまでよりも大掛かりなもののようだった。
「ご覧の通り、こいつは何の仕掛けも無い箱だ。だが一旦閉じて術をかけてみると、不思議なことが起きる。そのまま見ていてくれよ」
箱の上にはらりと布が掛かる。神妙な顔をした金花が目を閉じて暫くすると、布の下がかた、と揺れる音がする。観客たちは固唾を飲んで見守る。布を取り払って箱を開けると、その中にいたのは──顔に包帯を巻いた、書生のような身なりの青年であった。
「紹介しよう。今日が栄えあるお披露目、雲隠れの千歳だ!」
見物人の驚きの声が狭いテントに満ちる。拍手の音に気圧されるように、箱から出てきた千歳はぎこちないお辞儀をした。金花はその様子を満足げに見届けると、一つ頷いて先程消えた筈の薔薇をおもむろに手渡す。千歳は造花を数回指でなぞってその形を確かめると、不思議そうに首を傾げた。金花は愛おしそうに目を細めて笑うと、その手を緩やかに導いて懐に花を仕舞わせた。
「それは花だ、千歳。お前が持っておくと良い」
「……」
「これで解るだろう。千歳は盲だ。仕掛けなどあったところで見える筈がない。だが、俺の奇術は視えるんだ!さあ、仕上げと行こう。おいで、千歳」
千歳の手を引いた金花は、彼を再び行李箱の中に入らせると蓋を閉め、布ですっかり覆い隠してしまった。そうして術をかけた後に箱を開ければ、最初のように、中には誰も居ないありふれた行李箱に戻っているのだった。消えた──彼は、どこへ行ったのだろう。あちらこちらからどよめきが響く。観客たちは驚嘆に駆られて拍手をするのだった。
「お嬢さん方に一つ、良い事を教えてあげよう。大事なものを隠したい時、別に奇術を習う必要はない。肝要なのは意表を突くこと。あえて目立つ所に置いておく……なんていうのも、悪くないかもな。それじゃあ名残惜しいが、そろそろお別れとしよう!次も楽しんでいってくれよ!」
金花が腕を広げると、それを合図とするように双生児たちが脇からやってくる。彼らが持ってきた箱を開けると、中からは何匹もの白い鳩が羽音を立てて飛び出す。鳩たちが群れをなして右へ左へと行き交った後、舞台の上には最早誰も居なくなり、子供のからからという笑い声だけが響いて消えた。静まり返った小屋の中で、多くの観客たちは呆気に取られたまま、帰ることもせず暫く舞台の方を見つめていた。
「ねえ、あの人の大事なものって……」
「いけないわ。それは、内緒にしておかなくちゃ」
造花の薔薇を手にした少女が囁いたのを、傍らの少女は首を振って制止する。彼女たちは顔を見合わせると、手を固く握ってそそくさと小屋から出ていった。それはまるで、見てはいけないものを見てしまったかのような表情をしていた。そして二人の後ろ姿をテントの裏の物陰から見ている金花の横には、忽然と消えた筈の千歳が控えている。彼は金花の着物の袖を掴んだまま、様子を窺うように周囲の音をじっと聞いていた。
「へえ。あのお嬢さんたちは気が付いたみたいだな」
「……何に?」
「俺の大事なもの」
楽しげに笑うと、金花は千歳の腰に腕を回して抱きしめる。どこか不安げな手つきでその身体に触れてくる千歳を安心させるように、彼は何度も口付けをした。血の通う人間の身体は温かかった。それこそ彼がずっと求めていたものなのである。心底幸せそうに頬を寄せる金花の表情を、千歳が知ることは未来永劫になかった。
『神田の火事 首なし死体見付かる』
帝都の新聞にはおどろおどろしい事件の記事が載り、毎日のように記者が憶測を書き連ねている。盲の青年があの惨劇の唯一の生き残りであることを知る者は、彼ら二人を除いて誰も居ないのだ。
祭囃子の音が、今日も浅草の街に鳴り続けていた。
「寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。今日は待ちに待ったお披露目だよ。流れ流されやって来た、盲のあの子の晴れ舞台。さあさあ、皆々様、怖がらないで入っておいで」
威勢の良い呼び込み口上の声は男児のそれである。この日は年に一度の菊供養で、老若男女が花を手に訪れていた。敬虔な檀家たちでさえ、その声に誘われて小屋の方をちらりと見ずには居られない。大人しそうな少女が二人、互いの袖を引き合って、行こうか行くまいか躊躇っている。そこに入口から顔を覗かせたのは、見目麗しい琥珀の瞳と茶色の巻き毛を持つ青年であった。彼は少女達と目が合うと、にっこりと笑って手招きしてみせる。どちらからともなく、からり、と下駄の音がした。彼女らは固く手を握るとテントの中へ入ってゆく。そうして一人また一人と吸い寄せられて、見世物小屋の中はあっという間に人集りが出来ていた。
「さて、次にお見せ致しますのは、海の向こうの遥か異国で生まれた、世にも珍しい秘伝の奇術。お見せするのは我らが座長、奇術師金花に御座います。どうぞお見逃しありませんよう!」
間もなく舞台の上に現れたのは一人の男──鮮やかな朱の着物を纏った、金色の瞳を持つ美男子であった。仰々しくお辞儀をする。拍手喝采。方々から若い女の歓声が聞こえる。そうして早速、彼の演目は始まった。
「お集まりの皆様、ご機嫌麗しゅう。はは、今日は一段と別嬪さんの多い事だ!さて、お嬢さん方、何か大切な物を隠そうと思ったことはあるかな。奇術なら簡単だ。それを今からお見せしよう」
金花は人好きのする笑顔を振り撒くと、ぱちんと手を打って造花の薔薇をどこからともなく取り出す。黄色い声。彼はひらひらと着物の裾をはためかせながら、初老の婦人や制服の女学生、それから先程の少女に花を配って回る。紙で出来た安価な飾りに過ぎないが、その麗しい顔に微笑みかけられては、皆受け取らずにいられないのである。そして最後の一輪を取り出した彼が再び手を叩けば、花は忽然と消えてしまったのだった。
「おっと、最後の一つは大切に残しておかないとな。渡す相手は決まっているんだ」
ある種白々しく、意味ありげに放たれた言葉に女学生たちはざわめく。彼がくるりと後ろを向くと、丁度手伝いの童女が大きな行李箱を持ってきたところであった。金花はその中を広げて観客に見せる。彼の新たに披露する奇術は、これまでよりも大掛かりなもののようだった。
「ご覧の通り、こいつは何の仕掛けも無い箱だ。だが一旦閉じて術をかけてみると、不思議なことが起きる。そのまま見ていてくれよ」
箱の上にはらりと布が掛かる。神妙な顔をした金花が目を閉じて暫くすると、布の下がかた、と揺れる音がする。観客たちは固唾を飲んで見守る。布を取り払って箱を開けると、その中にいたのは──顔に包帯を巻いた、書生のような身なりの青年であった。
「紹介しよう。今日が栄えあるお披露目、雲隠れの千歳だ!」
見物人の驚きの声が狭いテントに満ちる。拍手の音に気圧されるように、箱から出てきた千歳はぎこちないお辞儀をした。金花はその様子を満足げに見届けると、一つ頷いて先程消えた筈の薔薇をおもむろに手渡す。千歳は造花を数回指でなぞってその形を確かめると、不思議そうに首を傾げた。金花は愛おしそうに目を細めて笑うと、その手を緩やかに導いて懐に花を仕舞わせた。
「それは花だ、千歳。お前が持っておくと良い」
「……」
「これで解るだろう。千歳は盲だ。仕掛けなどあったところで見える筈がない。だが、俺の奇術は視えるんだ!さあ、仕上げと行こう。おいで、千歳」
千歳の手を引いた金花は、彼を再び行李箱の中に入らせると蓋を閉め、布ですっかり覆い隠してしまった。そうして術をかけた後に箱を開ければ、最初のように、中には誰も居ないありふれた行李箱に戻っているのだった。消えた──彼は、どこへ行ったのだろう。あちらこちらからどよめきが響く。観客たちは驚嘆に駆られて拍手をするのだった。
「お嬢さん方に一つ、良い事を教えてあげよう。大事なものを隠したい時、別に奇術を習う必要はない。肝要なのは意表を突くこと。あえて目立つ所に置いておく……なんていうのも、悪くないかもな。それじゃあ名残惜しいが、そろそろお別れとしよう!次も楽しんでいってくれよ!」
金花が腕を広げると、それを合図とするように双生児たちが脇からやってくる。彼らが持ってきた箱を開けると、中からは何匹もの白い鳩が羽音を立てて飛び出す。鳩たちが群れをなして右へ左へと行き交った後、舞台の上には最早誰も居なくなり、子供のからからという笑い声だけが響いて消えた。静まり返った小屋の中で、多くの観客たちは呆気に取られたまま、帰ることもせず暫く舞台の方を見つめていた。
「ねえ、あの人の大事なものって……」
「いけないわ。それは、内緒にしておかなくちゃ」
造花の薔薇を手にした少女が囁いたのを、傍らの少女は首を振って制止する。彼女たちは顔を見合わせると、手を固く握ってそそくさと小屋から出ていった。それはまるで、見てはいけないものを見てしまったかのような表情をしていた。そして二人の後ろ姿をテントの裏の物陰から見ている金花の横には、忽然と消えた筈の千歳が控えている。彼は金花の着物の袖を掴んだまま、様子を窺うように周囲の音をじっと聞いていた。
「へえ。あのお嬢さんたちは気が付いたみたいだな」
「……何に?」
「俺の大事なもの」
楽しげに笑うと、金花は千歳の腰に腕を回して抱きしめる。どこか不安げな手つきでその身体に触れてくる千歳を安心させるように、彼は何度も口付けをした。血の通う人間の身体は温かかった。それこそ彼がずっと求めていたものなのである。心底幸せそうに頬を寄せる金花の表情を、千歳が知ることは未来永劫になかった。
『神田の火事 首なし死体見付かる』
帝都の新聞にはおどろおどろしい事件の記事が載り、毎日のように記者が憶測を書き連ねている。盲の青年があの惨劇の唯一の生き残りであることを知る者は、彼ら二人を除いて誰も居ないのだ。
祭囃子の音が、今日も浅草の街に鳴り続けていた。
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