上 下
48 / 66
[最終章:1年後のホウキレース編]

48話 最悪の大会前夜

しおりを挟む

図書館を出て、オリビアは渡り廊下を走る。すっかり日は落ちていた。ここから覗ける中庭で、噴水が見えて一瞬立ち止まる。もう生徒は皆帰宅しているはずが、止め忘れたのか次々と水が湧き出ていて、まるで今の自分だけのためにあるような錯覚に陥った。

あのニヤつく顔が早く見たいのに、胸がいっぱいで上手く走れないのを、月明かりに照らされてキラキラと光る水の粒に見とれたせいにしたかった。

ふと、向こうから誰かが歩いてきた。コツコツと、ヒールを鳴らす音がする。音は、オリビアに数メートルまで近付き、止まった。振り向くとそこには、黒いスーツに身を包んだ、美しい女性が立っていた。

長い髪をすっきりとまとめ、いつでも凛とした、オリビアの憧れの教師。彼女がハヤトに振られた話を盗み聞きしてしまったあの日以来、勝手に気まずさを感じて話すことが出来なかったけれど、それでも大好きな唯一の理解者。

「マリア先生…」

マリアはオリビアと目を合わせると、優しく微笑んだ。彼女は明日、この学校を去る。

「オリビア、良かった。今日も図書館にいるんじゃないかと思って、仕事帰りに寄る所だったのよ。最後に挨拶しておきたくて」

「先生…!教師をお辞めになるって…」

ええ、とマリアはにこやかに笑った。

「去年、魔法学会から、お声をかけていただいたのよ。魔法使いが使う魔法の根源については、まだ分からないことだらけじゃない?私もずっと論文を出していたら、ぜひうちで、って。だから思い切って、学会の研究施設で働くことにしたの」

以前より魔法学の発展に貢献してきたマリアには、納得の抜擢だ。

「…すごい…!栄転ですね!やっぱりマリア先生は凄いです。おめでとうございます」

手を叩き、オリビアは心から祝福した。しかし一方で、マリアがどんどん遠い存在になってしまうような気がした。

「ありがとう。明日の大会が終わったら、すぐに引っ越さないといけなくて。明日だとバタバタするから、今オリビアと話せて良かったわ」

マリアの目には、寂しさが浮かんでいる。

「私もお話出来て、嬉しいです…………って、あ、あれっ、明日…?大会って…………えっ!?」

オリビアは突然目を丸くし、マリアの目を見て固まった。

「?そうよ。ホウキレースの大会。明日じゃない」

「…忘れてた………!!」

「えぇ!?」

オリビアの顔が青ざめていく。例年、大会は学年末テストの後なのに、今年は順番が入れ替わっている。その話は聞いていたはずなのに、最近はハヤトやレイとの勉強会で頭がいっぱいで、すっかり抜け落ちていたのだ。

「ど、どうしよう……!!全然特訓できてないです……!」

「あらら……。でも、オリビアなら大丈夫。しっかりしているもの。きっと出来るわ。楽しめればいいのよ」

マリアは驚いたが、すぐに優しい笑顔を浮かべた。しかし、オリビアは顔を歪ませる。その目には涙が浮かんでいた。

「……無理ですよ。私には、才能なんて無いんです!今までいつもどんなことでも、直前まで全力で準備し続けてきたから、結果を出してこられたんです。でも、今回は違う。何も出来ていないわ。優勝したいのに、こんなんじゃ、絶対勝てない……!それに、緊張しやすいんです。先生方の期待には応えられない…!」

「……オリビア?」

突然弱気な言葉を並べ出したオリビアを不思議に思い、マリアは彼女の肩に手を置いた。すると、オリビアはせきを切ったようにぽろぽろと泣き出した。

「どうしたの。大会用の特訓はしていなくても、あなたは普段から練習しているじゃないの。それもこっそり。私は知っているわ」

マリアが背中をさすりながら言うと、オリビアは首を横に振る。

「それじゃダメなんです。私は人一倍やらないと、ダメなんです!勉強だって、丸暗記しか出来ない!!こんなの、実力じゃないわ……」

オリビアの心には、図書館でレイに言われた言葉が深く深く突き刺さっていた。マリアを前にし、我慢していた辛い気持ちが溢れ出す。

──自分は、勉強が出来るのではなく、ただ覚えているだけ。だから、ハヤトに届かない。ホウキも、大会用のコースを、それも人一倍練習しないと、きっと10位にすら入れないだろう。レイの言ったことは、間違っていない。うすうす感じていたけれど、誰も気付かないで欲しかった。

うつむき、マリアのハイヒールだけが目に入る。綺麗な赤色。今までは辛い事がある度に、ずっとこうして頼ってきた。皆の前では余裕のあるしっかり者でいたくて、冷静そうな振る舞いを続けてきたせいで、いつしか誰にも見せる事の出来なくなっていた弱気な自分。

この靴で歩く音が聞けるのも、こうやって素直に甘えることが出来るのも、今日が最後。

オリビアが下を向き泣いていると頭の上から、声が降ってきた。

「そんなこと、ないわ」

マリアの声色は、とても優しかった。

「暗記の何が悪いの?それが出来なくて苦労している人だっているのよ。それに、暗記だけでは、あの成績は取れない。オリビアの努力には、きちんと力が伴ってきている。ホウキだってそうよ。日頃から頑張ってるあなたが、大会の前だけ練習する人に、負けるはず無いわよ」

ポンポンと、オリビアの肩を叩くマリアの手は、温かかった。

「才能がいくらあったって、生かせない人も大勢いるわ。素質があるかないかなんて、そんなに大事なことじゃないのよ。大丈夫。あなたは私の、自慢の生徒よ。ずっとそう言ってるじゃない」 

「マリア先生……」

オリビアは、マリアに抱きついた。マリアは優しく抱きしめ返す。

「マリア先生みたいに、私のことを理解して下さる人がいなくなっちゃうのが、辛いです…寂しいよ……!!」

わんわんと、オリビアは泣いた。マリアも目の端をハンカチで押さえる。

「あなたみたいな子、なかなかいないわ…。一生懸命頑張るあなたが、私は大好きよ…ハヤト君も、同じじゃないかしら」

「……えっ」

オリビアは涙を貼り付けた顔を上げ、マリアを見つめた。マリアが悲しそうに微笑む。

「ふふ、ハヤト君の好きな人って、オリビアなのよね?告白するって聞いてた。私、あなたになら負けてもいいって、その時思ったのよ」

「あ…先生…ごめんなさい、私、前…先生がハヤトを好きだってお話……盗み聞きしてしまったんです。それからずっと、話しづらくて…」

「やっぱり。あなた、全然顔出さないんですもの。おかしいと思ったの」

マリアは切ない表情を浮かべながらも、笑顔を絶やさず言った。

「すみません…」

「いいのよ。生徒に気持ちを持ってしまった私が悪いし、今は吹っ切れているから。それよりも…安心しているの。私の他にも、そのままのオリビアを理解してる人がいるんだなって、分かったから。ハヤト君の話を聞いていたら、不思議だけれど、嬉しくなってしまったわ」

オリビアは、黙ってうなずいた。マリアの気遣いが、心に染みる。

「だから…私がいなくても、大丈夫。付き合っているんでしょう?」

「いえ…ずいぶん長いこと、待たせてしまって。やっと、決心ついたんです。でも、ハヤト、何にも分かってなくて。今は何もかもやる気が出ないみたい…これから、お尻を叩きに行くところです」

涙を拭いて、背すじを伸ばす。

「そう。じゃあ、早く行ってあげて。彼はあなたを待ってると思うわ。これからはハヤトくんに支えて貰うのよ」

「はい」

「頑張るのよ。あなたには、自分を偽る必要なんて無いわ」

「はい…先生…!」

オリビアは再び泣きそうになるのをぐっとこらえ、笑顔で答えた。

「ありがとうございます、マリア先生。私、ずっと先生のこと、応援しています」

「私もよ。明日の大会も、思い切り飛ぶのよ」

最後にオリビアは、マリアに手を差し出した。マリアの細長く、暖かい手が、オリビアの手を包んだ。

***

マリアを正門まで見送り、ハヤトの部屋がある宿舎まで向かった。さすがに、もう教室にはいないだろう。

オリビアはそっと、遠慮がちに扉を叩いてみる。反応が無いので、2回、3回と少し強めにノックすると、少ししてから物音が聞こえて、ガチャリとドアが開いた。

「…!オリビア……っ」

ハヤトはオリビアの顔を見ると、驚いて目を見開き、すぐに顔を歪ませた。

「あ…ハヤト。こんな時間にごめんなさい。あの……」

オリビアは、言葉に詰まる。何から話すか決めていなかった。

「ハヤト……部屋、入ってもいい…?話がしたくて」

緊張で震える声を絞り出すように言うと、ハヤトはうなずきかけ─────首を横に振った。

「ごめん、出来ないよ。テストの話だろう。君を入れたら、また傷つけてしまうかもしれない」

「え…それは」

「ごめん。放っておいてくれ」

「待ってよ、ちょっ………」

ハヤトの声は優しいが、オリビアを見ない。そのままドアを、閉められた。まさか拒絶されるとは思っていなかったため、オリビアは呆然と立ち尽くした。

しばらくすると、雨の音が聞こえてきた。サァサァと静かな雨音が、だんだんと強くなってくる。

「……帰ろう」

オリビアは走って、自室へ戻った。雨に濡れた体を拭いて、窓の外を見る。暗い空が広がっている。

何も準備出来ていない。コースの確認もこの雨では難しい。お気に入りのホウキを倉庫から取ってきて手入れする事も、ハヤトと話す事すらも出来なかった。

明日は、1年前のあの空でハヤトと出会った、ホウキレースの大会だ。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

赤ずきんちゃんと狼獣人の甘々な初夜

真木
ファンタジー
純真な赤ずきんちゃんが狼獣人にみつかって、ぱくっと食べられちゃう、そんな甘々な初夜の物語。

絶体絶命!!天敵天才外科医と一夜限りの過ち犯したら猛烈求愛されちゃいました

鳴宮鶉子
恋愛
絶体絶命!!天敵天才外科医と一夜限りの過ち犯したら猛烈求愛されちゃいました

大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。 でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。 けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。 同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。 そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?

お見合いから始まる冷徹社長からの甘い執愛 〜政略結婚なのに毎日熱烈に追いかけられてます〜

Adria
恋愛
仕事ばかりをしている娘の将来を案じた両親に泣かれて、うっかり頷いてしまった瑞希はお見合いに行かなければならなくなった。 渋々お見合いの席に行くと、そこにいたのは瑞希の勤め先の社長だった!? 合理的で無駄が嫌いという噂がある冷徹社長を前にして、瑞希は「冗談じゃない!」と、その場から逃亡―― だが、ひょんなことから彼に瑞希が自社の社員であることがバレてしまうと、彼は結婚前提の同棲を迫ってくる。 「君の未来をくれないか?」と求愛してくる彼の強引さに翻弄されながらも、瑞希は次第に溺れていき…… 《エブリスタ、ムーン、ベリカフェにも投稿しています》

溺愛婚〜スパダリな彼との甘い夫婦生活〜

鳴宮鶉子
恋愛
頭脳明晰で才徳兼備な眉目秀麗な彼から告白されスピード結婚します。彼を狙ってた子達から嫌がらせされても助けてくれる彼が好き

ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる

Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。 でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。 彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。

お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~

ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。 2021/3/10 しおりを挟んでくださっている皆様へ。 こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。 しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗) 楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。 申しわけありません。 新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。 修正していないのと、若かりし頃の作品のため、 甘めに見てくださいm(__)m

イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。

すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。 そこで私は一人の男の人と出会う。 「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」 そんな言葉をかけてきた彼。 でも私には秘密があった。 「キミ・・・目が・・?」 「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」 ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。 「お願いだから俺を好きになって・・・。」 その言葉を聞いてお付き合いが始まる。 「やぁぁっ・・!」 「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」 激しくなっていく夜の生活。 私の身はもつの!? ※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 では、お楽しみください。

処理中です...