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第四章 非公認のカップル
16話 彼に劣等感を持つ者同士
しおりを挟む何が起こったのか分からない。強い光を目に受けてしまい、オリビアは思わず手で目を覆った。ワルフの杖からどんな魔法が放たれたのかは分からないが、体に異変は感じない。何かの攻撃でもされたのかと思ったが、痛むのは転んだ時に出来た膝の傷だけだった。
目の裏にも感じる真っ白な光が収まったところでおそるおそる目を開けると、目の前に大きな布のようなものが自分に被さってくるのが見えた。
「あっ……!」
驚きで縮こまらせた体に、そのまま布は巻き付いた。しかし、ふわりと覆われる感覚では無い。むんずと体まるごと掴まれ、地面に押し付けられる。よく見るとそれは布ではなく、自分の背丈ほどもある人間の手だった。
「きゃ……!!な、なにこれ」
仰向けにされ視界が広がり、そこで初めて周囲の変化に気が付く。やたらと木々の頂点が遠い。散策路であるアスファルトの上には巨大な岩がごろごろ転がっている。先程までは無かったはずの、身の丈ぐらいもある長さの草が沢山生えている。自分の動きを封じている巨大な手が伸びている先を辿ると、そのサイズに対応する大きさの肌の浅黒い男の顔が目に入り、その目と目が合った。
(もしかして、私……)
オリビアが自分に何の魔法がかけれられたのか悟った瞬間、ぐんと体が宙に浮く。突然の事に声も出せず、空気を細かく吸い込むので精一杯になった。一瞬の恐怖の後、体は巨大な鼻の先に持っていかれる。
「すげぇ!ガキのおもちゃみたいだ!!」
耳をつんざくような声量でワルフは喜びの声を上げた。腕ごと握り締められているため、両耳が塞げない。オリビアの背中に冷や汗が流れた。確信する、彼の魔法で、自分は今人形サイズに体を変えられてしまっている。
「な、何でこんな事するの?」
震える声で問うと、ワルフは聞こえにくいのか「ん?」と耳を近づけてきた。その巨大な耳には、角ばった金色のピアスがいくつもぶら下がっている。
「お願い、やめて。元に戻して」
ワルフに聞こえるように声を張り上げると、彼はうんうんとうなずき────オリビアの体を自身の頭上に持ち上げた。
「きゃあっ!!」
「ここから落ちたら相当痛いぞ。それでも文句言うのか?」
「!」
ワルフは指を一本ずつ離そうとした。オリビアは下を見て震え上がった。ワルフの身長を考えると、今ここは地上から2mも無いだろう。しかし小さくなってしまった今の彼女の体では到底耐えられない高さだ。地面にたたきつけられてしまったら、ひとたまりもない。逆らう事など出来るはずもなく、必死で首を横に振った。
「よし…いい子だ。これでもしあいつが来てもお前は見つからないから、のんびり向かおうな」
ワルフはオリビアの体を今度は大事そうに両手で包み込むと、どこかへ向かって歩き出した。薄暗い森林が続く散策路のさらに誰もいなさそうな奥へと進むワルフを、オリビアは不安になりながらも成す術なく見ているしかなかった。
(どこに行くの?逃げたい。けど、怖い……どうしよう)
ワルフは鼻歌を歌いながらずんずんと歩いた。誰もいない森の中。少し前まであんなに人が溢れかえったフェスティバルの会場をハヤトと2人で歩いていたというのに、今聞こえるのは音楽やショーの歓声ではなく、今のオリビアには大きすぎる足音だけだった。ワルフは時折オリビアをジロジロと見下ろしては「暴れると落としちまうかもな」と声を掛け、彼女の恐怖を煽った。
やがて、彼の足は古い小屋の前で止まった。物置だろうか?その周りには何かの資材や道具が無造作に置かれているが、しばらく使われていないのか、どれも錆びている。ワルフはオリビアの体を片手で持ち直すと、もう片方の手で躊躇なく小屋の扉を開いた。中は薄暗く、埃っぽい空気が充満している。
「いい場所だろ?事前に見つけておいたんだよ。でも汚ねぇな…これも魔法で綺麗に出来たりすんのか?……………お!いいね。見ろよオリビア。お前こんな事出来るか?感謝しろよ」
ワルフは首にぶら下げているクリスタルの力で、普段なら彼に出来ない魔法もある程度なら自由に使いこなせるようになっているらしい。彼の杖さばきはぎこちなく、どう見ても成功するとは思えない動きだったが、ほこりだらけだった小屋にはあっという間に澄んだ空気が流れ込み、散乱していた物や作業台も整えられる。破れたソファも新品同様に姿を変え、そこにどっかりと腰を下ろした。小さなオリビアにとっては、小さな2人掛けのソファもキングサイズのベッドのように広く感じられた。
「よし……まずは傷の手当をしてやるよ。血が出たまんまだと気が散るからな」
ワルフはオリビアを自分の太ももに座らせ、杖を向けた。柔らかな光が、小さなオリビアの膝の傷を的確に癒す。彼は自分で出した魔法に自分で感動しているのか、魔法を使う度に感嘆の声を上げた。オリビアはそれを無言で眺めた。ここへ連れてこられた理由はまだ分からないが、当然良い事が起こるはずも無いだろう。隙を見て逃げたいが、窓はワルフの後ろにある。様子を伺うオリビアの頭を人差し指で優しく撫でながら、ワルフは上機嫌で呟き始めた。
「最高だ……お前ら、今日が初めてのデートなんだろ?あいつもとんだヘタレ野郎だぜ。しかもそんな記念すべき日を俺みたいな奴に台無しにされるなんてなぁ……こんなすっきりする事あるか?オリビア」
ワルフは、何も言えずにいるオリビアの両腕をつまんで持ち上げた。
「お前、このサイズもなかなか可愛いなぁ。ハヤトから隠すにもちょうどいいし、しばらくこのサイズでいさせてやってもいいけどな。戻りたいか?」
「……ええ。お願い……します」
人形のように手足を好き勝手に動かされながら、オリビアは控えめに頷いた。
「だよな。でももちろん、条件があるぜ」
ワルフは自分のズボンのポケットから小さな透明の魔法薬瓶を取り出した。片手で器用に蓋を回し、中にたっぷりと入った深紅の液体を指先でとろりと掬い上げる。それをオリビアの小さな顔の前に持ってきて、怪しげな赤い雫をちらつかせた。
「これはな、パクれなかったんだ。店のおやじにバレたと思ったら、学校に言わねぇ代わりにってふっかけてきやがった。痛い出費だったぜ。だから元取ってくれよな……これを飲むんなら、元に戻してやる」
「……これ、何の薬?」
オリビアは恐る恐る問いかけたが、答えは予想出来た。ワルフは案の定「惚れ薬」と即答し、さらに表情を曇らせる彼女の反応を楽しむように口の端を釣り上げた。
「俺だって出来るなら使いたくなかったよ。でもな、魔法で調子に乗ってる野郎には、こっちも魔法で対抗するのが筋ってもんだろ」
「……ワルフ……ダメよ。こんなやり方間違ってる。どうしてここまでするの?あの時は、最初で最後だって言ったじゃない……」
オリビアはゆっくりと首を振って、ワルフの瞳を見つめて悲しげに訴えた。告白を断ったあの時の、潔く身を引いた姿が嘘のようだった。
「あれか?嘘に決まってるだろ。あいつもたまには奪われる苦しみを味わったらいいんだ」
「そんな……そんなの、逆恨みよ」
「お前に言われたくねぇ!」
ワルフは声を荒げた。苛立ちを含んだ怒声だが、空気を振動させて悲痛な叫びとなってオリビアに響く。
「オリビアなら俺の気持ち分かるだろ?あいつの才能を誰よりも間近で見てきたのはお前だ。お前だっていつも悔しそうにしてたじゃないか。何をやっても届かない悔しさ、お前が1番よく分かってるはずだ」
自分を握る彼の手に力が込められて少しの息苦しさを感じるが、それでもオリビアは言い返す。
「分かるわ。分かるわよ。私だって、悔しい。ハヤトを見ていると時々辛くなるもの」
オリビアは恐怖も忘れて、小さな体でワルフに共感した。ワルフの気持ちは、彼の言う通りオリビアが一番理解出来た。彼を誰よりも妬んでいたのは自分なのだ。
──ワルフよりもきっと、ずっと。
横にいるだけで襲い来る劣等感。素直に認める事の出来ない弱さ。自暴自棄になっても仕方無いと頭では分かっていても、嫉妬の気持ちはそう簡単には消えない。辛い感情を抑え込み続けるとその内に矛先が変わる。自分が変わるよりも、相手を責める方が簡単だ。
しかし、それでは自分のためにならない事も、オリビアには良く分かっていた。
「──でも、正々堂々と挑んで勝つ事でしか、この気持ちは埋められないのよ。だからその気持ちを抑えろなんて言わないけど、仕返しをしたってなんの……」
その時、ワルフが言葉を遮るように、魔法薬をオリビアの顔に近づけてきた。彼の手に収まるサイズの小瓶だが、オリビアにとっては大樽だ。思わず説得を止め、口をきゅっと結ぶ。
「お前でさえ勝てないのに、俺なんかが今更頑張ったって無理だろ。だからそういう時の為にこの力があるんだろ?手っ取り早く思い通りにする夢のような方法が。俺は今すぐ、あいつの悔しがる顔が見たいんだよ。そのためにはお前が必要なんだ」
ワルフは小瓶をオリビアの方へ傾けた。飲ませるというより、頭からかけようとする動きだ。
「や……やめて!それは絶対ダメ!」
「何怖がってんだ?安心しろよ、意外と美味いらしいぜ」
「そ、そんな薬で人の気持ちを動かしたところで効力はすぐに消えるし、むなしいだけよ」
今にも液体のこぼれ落ちてきそうな瓶の縁を凝視する。
「それがな、高いだけあって、結構効き目も長持ちするんだと。なんと、1年も持つって話だ!それまでに一緒にハヤトから逃げれば、効き目がなくなる頃にはあいつも諦めがついてるだろ。代わりの女も用意してやったんだ。俺って優しいな」
「1年!?」
「そうだ。これが俺の計画の仕上げだ。ハヤトには内緒な、愛想を尽かしたって事にしようぜ」
ワルフの計画の全貌を知り、愕然とする。魔法薬の効き目のあまりの長さに、オリビアは青ざめた。これを飲んでしまったら、取り返しのつかない事になる。1年後なんて、とっくに卒業しているではないか。この大事な時期にワルフに自我を奪われてしまったら、進路だって彼の思い通りに決められてしまう。きっとハヤトとの距離を遠ざけられ、薬の効果が切れた後に会えないようにされているかもしれない。
「せっかく……楽しいって思い始めていたのに」
オリビアはぽつりとつぶやいた。
──私がもっと早く、自分の気持ちに折り合いをつけられていたら。
「大丈夫だよ。すぐに俺といる方が楽しくなれるからな。それこそ、デートなんてしたくてしたくてたまらないくらいに」
「ハヤトなら……すぐに解除してくれるかも」
「それもこのクリスタルで防いでやる。今ならあいつと互角にやり合えそうだ」
「ワルフ…………」
「これで俺の勝ちだ。あいつの事は忘れろ」
彼に思いとどまる気持ちは微塵も無いのだろう。自分に向かって飛び出してきそうな液体にオリビアは息を呑んだ。
──これを飲んだら、ハヤトの事はまた、ただの憎らしいライバルにしか見えなくなるのかしら。違ったのに。違うって、やっと思えたのに。
呆然としながらそう思った。しかし、ふいに自分の体を握りしめる手の力が弱まり、我に返る。油断したのか、一瞬だけ緩んだ彼の手から腕だけ抜け出す。そして咄嗟に手を伸ばし、小瓶を思い切り横にはじいた。
「あっ!」
ワルフの手を離れた小瓶が小屋の隅に転がり、中に入っていた深紅の魔法薬も後を追うように地面に飛び散った。ワルフが気を取られた隙に、オリビアはソファから飛び降りる。小屋の隅にあるテーブルの下に滑り込み、身を丸めた。雑巾やバケツといった掃除道具が散乱しており、臭いがきついが構わず身を隠す。
「おいおい……何してくれてんだよ。あ?オリビア、どこ行った」
ワルフは舌打ちをすると、辺りを見渡し始めた。オリビアはそばに落ちていた小石を両手で持つと、ワルフがこちらに背中を向けたタイミングで彼のそばに思い切り投げた。コツンと音がして、その方向にワルフが視線を向ける。
(良かった!窓少し開いてる!)
まだ希望は失っていなかった。ワルフの注意を逸らし、テーブルの下から抜け出す。窓は高い位置にあるが、魔法で無造作に隅に寄せられた物が積みあがっているため足場には困らない。魔法は上手くなっても彼の大雑把な性格が出たらしい。音を立てないように、隠れながら登って窓を目指す。
(あと少し……!)
もうあと数センチで窓枠に手が届きそうになった時だった。何かの肥料だろうか、土でざらついた表面の袋に足を掛けると、自分を探すワルフが立ち上がる音が聞こえてオリビアは動きを止めた。ここはワルフからは死角になっているが、彼が大きく動けばすぐに見つかってしまうだろう。
しかしワルフはオリビアを探そうとしなかった。ゆっくりとその場で回転し、杖を掲げる。
「ははは……慣れないもんでな、すぐに忘れちまう。今の俺は天才魔法使い様なんだったよ」
彼が乱暴に杖を振る風の音が聞こえたと思うと、突如オリビアの体は宙に浮いた。
「きゃっ!!」
悲鳴と共にワルフめがけて見えない力で引き寄せられる。足をばたつかせるも空中では踏ん張る事ができず、高らかに笑うワルフに悠々と捕まえられた。
「何逃げようとしてんだ?寂しいだろ。これから彼女になろうってんのに」
彼の声には余裕と優越感が滲んでいる。オリビアは強引に彼に正面を向かされ、正面からじっと見つめられる。恐ろしさのあまり目に涙が滲んだ。
「た……助け……」
「お前なぁ、貴重な魔法薬こぼすなよ?まぁ、こんな事もあろうかと、もう一つ買っておいたから俺は気にしねぇけどな。でも……あーあ、せっかく選んだ可愛い服もこんなに汚しちまって」
ワルフはオリビアのスカートについた汚れを指先で拭うと、何か思いついたように、にたっと笑った。
「薬は後だ。お前には少し、お仕置きが必要だな」
「な、何するの、やめ……いやっ!!」
愉快そうに笑いながらオリビアをソファに押し付ける。黒いワンピースの裾を指でつまんで、たくし上げた。
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