上 下
3 / 18

3

しおりを挟む

「……予想してたより酷いわね。それ、完全に舐められてるじゃない。このままそんな男と結婚したら地獄よ、地獄」

 意外にも、マチルダはサンドラに同情的だった。笑われたり馬鹿にされたりするのも覚悟の上で話したので、サンドラは少し拍子抜けしたような、でもホッとしたような気分になる。

「ですよね……でも、この程度じゃ婚約解消なんてできないでしょうし、私どうすればいいのかわからなくて……」
「確かにそうね。親に言ったところで、子どもの喧嘩扱いされそうだわ」

 マチルダはなにかを考えるように顎に手を当てた。そして、赤い瞳がスッとサンドラを見つめる。

「あんたはエイデンのことをどう思ってるの?」
「え?」
「本当に婚約解消したいと思ってる? それとも、反省して謝ってくれるなら許せる?」
「それは……」

 サンドラは顔を伏せ、ギュっと手を握る。
 婚約者として出会ってから、サンドラはエイデンのことが好きだった。さらさらとした黒色の髪も、穏やかな青い瞳も、整った顔立ちも、自分にはもったいないくらい素敵な婚約者だと思っていた。
 でも、いまとなってはエイデンのことがよくわからない。なにより、自分がエイデンのことをどう思っているのかもわからない。サンドラは彼の友人が言っていた『腹黒いエイデン』なんて知らないのだ。
 
「……私、エイデンのことがよくわからなくなってしまいました……たとえ謝ってくれたとしても、それが彼の本心かどうかわかりませんし……」
「まあ、あんな話聞いちゃった後じゃなにもかも薄っぺらいわよね」
「はい……」

 笑顔の裏で、サンドラのことを馬鹿にして笑っているのかもしれない。結婚しても、子どもが産まれても──……そう考えると、サンドラの背筋にゾッと冷たいものが走った。

「わた、わた、わたし……!」
「落ち着きなさいよ。取り乱したってどうにかなることでもないでしょ」
「は、はい……」

 頷いて、サンドラは大きく深呼吸する。その様子を、なぜだかマチルダがじっと見ていた。

「…………」
「…………」
「……あ、あの、マチルダ様?」
「あんた、手先が器用なのになんで化粧しないの?」
「え? えっと……一応お化粧はしてもらってます……」
「これで? どうせ侍女が粉はたいてるだけでしょ?」
「……はい」

 別に悪いことをしているわけでもないのに、サンドラはなんだか恥ずかしくなる。ばっちり化粧をしたマチルダと並ぶと、ほぼすっぴんの自分がいっそう味気なく思えた。

(……待って。そういえばマチルダ様は、なんで私の手先が器用なことを知っているのかしら?)

 手先が器用なことは、サンドラの数少ない長所だった。特に縫い物や刺繍は人一倍得意で、周りにもよく褒められる。
 しかし、それを友人でもないマチルダに知られていることがサンドラは不思議だった。サンドラはきょとんとマチルダを見つめる。

「マチルダ様はどうして私の手先が器用なことを知っていらっしゃるのですか?」
「あんたの刺繍を見たことがあるから」
「私の刺繍を……? どこでですか?」
「エイデン・ロードリーの刺繍入りのハンカチを見たのよ」

 その言葉にサンドラは納得した。
 確かにサンドラは、時々エイデンに刺繍入りのハンカチをプレゼントしていた。その時はエイデンもうれしそうに「ありがとう」と笑ってくれたものだ。

「私とエイデンはクラスが同じだから、たまたまハンカチの刺繍が見えて、誰にもらったのか聞いたら、あんただって。私が話しかけたら嫌そうな顔してたわ、あいつ」

 そのときのことを思い出しているのか、マチルダは冷たく鼻で笑う。
 エイデンもマチルダのことをよく思っていなかったようだが、どうやらそれはお互い様らしい。

「もしかして、マチルダ様は刺繍がお好きなんですか?」
「別に。刺繍なんてどうでもいいわよ」
「そ、そうですか……」

(じゃあなんで私の刺繍のことが気になったのかしら?)

 と、サンドラが疑問に思っていると、サンドラの顔をじろじろと眺めていたマチルダが呟くように言う。

「……真面目だけが取り柄の、地味で従順な女がいいってエイデンの奴が言うんなら、そうじゃない女になってみたら? 私みたいな、派手で、気が強くて、絶対妻にしたくない女に」
「…………?」

 サンドラは首を傾げた。マチルダの言葉の意味がよくわからない。
 しかし、そんなサンドラを置いてきぼりにして、マチルダはどこかウキウキとした表情をしていた。

「こういう子の方が案外化けるのよねぇ……肌も綺麗だし、パーツの位置も悪くない。髪も解いたら長そうだから、色々アレンジできるわ……」
「……あの、マチルダ様……?」
「化粧は魔法じゃなくてアートよ。アートに必要なものがなにかわかる?」

 独り言をぺらぺら喋っていたマチルダの瞳がサンドラを捉え、揚々と問いかけてくる。
 その問いの意味も、答えもわからずサンドラがおろおろとしていると、マチルダの目が弧を描いた。

「手先の器用さと、情熱よ。今のあんたにはぴったりじゃない?」

 そう言って、マチルダは悪戯を思いついた子どものように無邪気に笑う。
 赤みの強い口紅を塗られた唇が笑みを浮かべる様は蠱惑的で、サンドラはなぜか少しドキドキした。
しおりを挟む
感想 19

あなたにおすすめの小説

【完結】お荷物王女は婚約解消を願う

miniko
恋愛
王家の瞳と呼ばれる色を持たずに生まれて来た王女アンジェリーナは、一部の貴族から『お荷物王女』と蔑まれる存在だった。 それがエスカレートするのを危惧した国王は、アンジェリーナの後ろ楯を強くする為、彼女の従兄弟でもある筆頭公爵家次男との婚約を整える。 アンジェリーナは八歳年上の優しい婚約者が大好きだった。 今は妹扱いでも、自分が大人になれば年の差も気にならなくなり、少しづつ愛情が育つ事もあるだろうと思っていた。 だが、彼女はある日聞いてしまう。 「お役御免になる迄は、しっかりアンジーを守る」と言う彼の宣言を。 ───そうか、彼は私を守る為に、一時的に婚約者になってくれただけなのね。 それなら出来るだけ早く、彼を解放してあげなくちゃ・・・・・・。 そして二人は盛大にすれ違って行くのだった。 ※設定ユルユルですが、笑って許してくださると嬉しいです。 ※感想欄、ネタバレ配慮しておりません。ご了承ください。

あなたの側にいられたら、それだけで

椎名さえら
恋愛
目を覚ましたとき、すべての記憶が失われていた。 私の名前は、どうやらアデルと言うらしい。 傍らにいた男性はエリオットと名乗り、甲斐甲斐しく面倒をみてくれる。 彼は一体誰? そして私は……? アデルの記憶が戻るとき、すべての真実がわかる。 _____________________________ 私らしい作品になっているかと思います。 ご都合主義ですが、雰囲気を楽しんでいただければ嬉しいです。 ※私の商業2周年記念にネップリで配布した短編小説になります ※表紙イラストは 由乃嶋 眞亊先生に有償依頼いたしました(投稿の許可を得ています)

振られたあとに優しくされても困ります

菜花
恋愛
男爵令嬢ミリーは親の縁で公爵家のアルフォンスと婚約を結ぶ。一目惚れしたミリーは好かれようと猛アタックしたものの、彼の氷のような心は解けず半年で婚約解消となった。それから半年後、貴族の通う学園に入学したミリーを待っていたのはアルフォンスからの溺愛だった。ええとごめんなさい。普通に迷惑なんですけど……。カクヨムにも投稿しています。

ここはあなたの家ではありません

風見ゆうみ
恋愛
「明日からミノスラード伯爵邸に住んでくれ」 婚約者にそう言われ、ミノスラード伯爵邸に行ってみたはいいものの、婚約者のケサス様は弟のランドリュー様に家督を譲渡し、子爵家の令嬢と駆け落ちしていた。 わたくしを家に呼んだのは、捨てられた令嬢として惨めな思いをさせるためだった。 実家から追い出されていたわたくしは、ランドリュー様の婚約者としてミノスラード伯爵邸で暮らし始める。 そんなある日、駆け落ちした令嬢と破局したケサス様から家に戻りたいと連絡があり―― そんな人を家に入れてあげる必要はないわよね? ※誤字脱字など見直しているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません。教えていただけますと有り難いです。

私ってわがまま傲慢令嬢なんですか?

山科ひさき
恋愛
政略的に結ばれた婚約とはいえ、婚約者のアランとはそれなりにうまくやれていると思っていた。けれどある日、メアリはアランが自分のことを「わがままで傲慢」だと友人に話している場面に居合わせてしまう。話を聞いていると、なぜかアランはこの婚約がメアリのわがままで結ばれたものだと誤解しているようで……。

なにひとつ、まちがっていない。

いぬい たすく
恋愛
若くして王となるレジナルドは従妹でもある公爵令嬢エレノーラとの婚約を解消した。 それにかわる恋人との結婚に胸を躍らせる彼には見えなかった。 ――なにもかもを間違えた。 そう後悔する自分の将来の姿が。 Q この世界の、この国の技術レベルってどのくらい?政治体制はどんな感じなの? A 作者もそこまで考えていません。  どうぞ頭のネジを二三本緩めてからお読みください。

女性として見れない私は、もう不要な様です〜俺の事は忘れて幸せになって欲しい。と言われたのでそうする事にした結果〜

流雲青人
恋愛
子爵令嬢のプレセアは目の前に広がる光景に静かに涙を零した。 偶然にも居合わせてしまったのだ。 学園の裏庭で、婚約者がプレセアの友人へと告白している場面に。 そして後日、婚約者に呼び出され告げられた。 「君を女性として見ることが出来ない」 幼馴染であり、共に過ごして来た時間はとても長い。 その中でどうやら彼はプレセアを友人以上として見れなくなってしまったらしい。 「俺の事は忘れて幸せになって欲しい。君は幸せになるべき人だから」 大切な二人だからこそ、清く身を引いて、大好きな人と友人の恋を応援したい。 そう思っている筈なのに、恋心がその気持ちを邪魔してきて...。 ※ ゆるふわ設定です。 完結しました。

好きな人と友人が付き合い始め、しかも嫌われたのですが

月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
ナターシャは以前から恋の相談をしていた友人が、自分の想い人ディーンと秘かに付き合うようになっていてショックを受ける。しかし諦めて二人の恋を応援しようと決める。だがディーンから「二度と僕達に話しかけないでくれ」とまで言われ、嫌われていたことにまたまたショック。どうしてこんなに嫌われてしまったのか?卒業パーティーのパートナーも決まっていないし、どうしたらいいの?

処理中です...