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夜の章

14.夜明け

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 ついに迎えた、運命の土曜日。
 静は今日、ずっと家にいることに決めていた。

 叔父は本部に呼ばれ、ついでに飲んでくるから遅くなる、と言われている。
 深澄は万智が唐突に朝迎えに来て、拉致された。特訓なんか必要ないと喚きながら抵抗する深澄を鮮やかな手腕で拘束し、遅くなるから気にしないでねとにっこり笑ってドアを閉めていった。

 完全に叔父の掌の上にいるけれど、今日だけは心底ありがたい。
 できれば五年前のように、あかりと二人きりになりたかった。





 午前はあまりにも落ち着かないので、買い込んでいた材料で料理をしては片っ端から保存した。
 洗濯機を回し、取り込み忘れても良いよう深澄の部屋で室内干しにしておく。
 掃除は特別念入りに行い、水回りと静の部屋はぴかぴかになった。

 そのまま風呂で汗を流し、昼食を済ませて片付けをする頃には五年前の約束の時間、一時になった。

 やるべきことをすべて終わらせた静は、部屋でじっと待つことにした。
 あかりが座っていた位置にクッションを置き、倒れた彼女を支えた場所に静が座る。静かな空間に一人でいると、自然に思考はあかりで染まっていく。

 あの日、あかりは家に上がってほんの二十分程度で意識を失った。
 もし体調不良だったとしたら心配だ。まだストーカーにつけられた心の傷が癒えていない可能性は充分にある。静がそれを広げてしまわないよう注意しなくては。
 ただ、今思えば、あかりは自分がこれから倒れるのだと知っていたようにも見えた。
 話し終わるタイミングに合わせて眠る。そんなことができるものだろうか。
 理由が何であれ、あかりが無事ならそれで良い。

『私、静くんには同じ世界の人と幸せになってほしいな』

(また聞こえる)

 あの日のことを思い出すと、どうしても記憶が再生される。
 蒼真にはただの嘘だと言われたけれど、静の心は割り切ってくれなかった。

『大丈夫。静くんなら、私なんかよりもっと大切にしたいって思える人を、ちゃんと見つけられるよ』

 静があかりを諦められるよう考えた言葉なのだろう。笑顔で、穏やかに、嫌われるために。
 本当はわかっている。けれど、きっとあかりの想像以上に、静の奥深くは抉られた。

『無理じゃないよ。だって静くんは、愛してくれるなら私じゃなくてもいいんだから』

 傷は脈動と共に疼いて、特に夢にははっきりと表れた。
 例えば、あかりに別の女性を薦められて、絡められる腕を振り解きたいのに動けない夢。二人を見たあかりは、「やっぱり私じゃなくてもいいんだね」と悲しそうに笑って消えていくのだ。
 嫌だと名前を叫んでも、手を伸ばしても、絶対に届かない。

 だから静は、眠るのが怖かった。

『静くんは愛してくれる人がほしかったの。そこに最初に好きだって言ったのがたまたま私だったから、好きだって錯覚しちゃったんだよ』

 たしかに愛に飢えていたのだろう。
 あかりのくれる感情が驚くほど心地良くて、永遠に浸っていたいと思った。
 けれど静だって考えなかったわけではない。蒼真に軽い気持ちで「他の子に告られてたらどうなってたんだろうな」と言われ、あったかもしれない今について想像しようとしたことはある。

『もし私じゃない人が告白してたら、きっと静くんはその子だけを見て、その子のことを好きになったんじゃないかな。私にしてくれたみたいに』

 あかりではない人に告白されて。
 あかりではない人だけを見て。
 あかりではない人を好きになる。

 ーーそんな今を、かけらも思い浮かべることができなかった。

『そしたら、きっと私のことなんて目に入らなかったよ。それに静くんが次好きになる人はすぐ現れる。ううん、現れてる。その人を見つけて、大事にしてあげて』

 あかりをかわいいと、『好き』をまだ理解できない時でもすでに感じていた。
 向かい合わせで座って、泣くあかりが静への気持ちを滲ませる。すると、すとんと自分が好かれているのだと胸に落ちた。

 それがすべてだ。

 他の人がどう、と考えても仕方がない。
 静が出会ったのはあかりで、好きになったのはあかりだった。
 もし、なんてもう、この先にはないのだ。

 あの時から静はずっと、色褪せることなくあかりが好きだ。

(諦めるのはあかりの方だよ)

 忘れてと微笑む姿だって何度も何度も夢に見た。
 あかりがいない朝が来るのが辛かった。
 今日こそは何かわかるかもしれないと期待しながら起きて……今日も手がかりを掴めなかったと落胆しながらベッドに横たわる。そして、眠る前にあかりに会わせてくれと御守りに願って一日が終わるのを、千日以上繰り返した。

 会いたい。
 会ってあのやわらかい声で名前を呼んでほしい。
 静を見つけて嬉しそうに笑ってほしい。
 頬を染めて、手を繋いでほしい。
 静に向かって好きだと言ってほしい。
 静の好きを、今度こそ受け止めてほしい。

 そんな想いが込められた御守りは、あかりが静に会いたいと願ってくれたことで叶った。
 叶ってしまった。

 だから、あかりこそ諦めるべきなのだ。

(こうして僕があかりを覚えてる。少なくとも今の時点で想い合えてる証拠だ)

 過去と現在を行き来するための御守りは、静が込めた願いの力を使っていた。それが尽きれば当然あかりは過去の静に会えなくなる。

 もし五年前、あかりがあのまま関係を続けていたら、ドラゴン戦で御守りを持たない静は立ち上がれなかったかもしれない。助言のない状態で住人を召喚できたかどうかもわからない。
 そうしたら深澄たちはコーラーとして活動を続け、『サイド レストアラー』は生まれず、過去が書きかわりーーいつの間にか、お互いが出会っていない今を過ごしていたかもしれない。

 幸せな記憶も、苦しんだ記憶も、すべて無かったことになって。

 けれど、二人の選択はすべて、共にいる未来を選び続けたのだ。

(だから、大人しく僕に愛されて)




 ーー時間だ。

 すう、と音もなく、ゆっくり待ち望んでいた姿が浮かび上がった。

 五年前に目の前で消えてしまった女の子。
 そしてこの半年、見守ってきた女の子に。

 きっと今、見えはしないけれど、五年前の自分が同じようにあかりを支えている。
 あの時は嫌だと、消えないでくれと、格好悪くも泣いて縋った。
 それなのに今もまた、同じように視界が潤んで、あの時の僕に渡したくないと思っている。

(成長してないな、僕は)

 これから絶望と希望の間を彷徨い続けることになる過去の自分には悪いけれど、もうこれ以上は待てない。
 過去の静が、あかりが溶けていくのを見つめていたその瞬間、向こう側で同じように待ち焦がれた自分がいたのだ。もし手段があったとしても、言うまでもなく返せるわけがない。

 やがて完全にあかりが腕の中に収まり、五年前との繋がりがーー今、消えた。

「あかり……」

 すやすやと寝息をたてて眠る彼女を起こさないよう、名前を呟く。
 閉じたまなじりからは涙が流れていた。あの時何もしてあげられなかったそれをそっと拭って、しっかりと抱き直す。

 静が瞬きをすると、ぽたぽたとあかりの服に雫が落ちた。

(やっと、会えた)

 それが、嬉しくてたまらない。

 早く起きて。
 一喜一憂するあかりを見たい。
 まだ起きないで。
 好きなのは今の静ではないと否定されるかもしれない。

 複雑な気持ちで、けれどそれを上回る幸せを噛み締めて、あかりが目覚めるのを待つことにした。





 しばらく静はあかりを穴のあくほど見つめていたけれど、およそ一時間が経過したところであかりが身を震わせた。
 上着を脱いでいるし、寒いのだろう。日が出ているとはいえもう十一月だ。
 起きた時に驚かせてしまうのは本意ではないとはいえ、風邪を引かせるのは避けたい。

 静はあかりを起こさないよう慎重に抱き上げると、自分のベッドにそっと寝かせた。
 シーツも布団も午前中に整えていたのでちょうど良かった。

 ただ、一つだけ問題が発生する。

(あかりから離れたくない)

 気がつけば服を握られていて動けない、なんて都合の良い偶然があるはずもなく、あかりは布団に包まれたからか、それともきちんと横になれて楽になったからか、先ほどよりもやわらかな寝顔になっていた。

 とてもかわいい。

 呼吸が長いので、深く寝入っているのだと思う。すぐに起きる気配はなさそうだ。

(怒られる、かな)

 正直、隣であかりの体温を感じていたい。
 けれどもちろん嫌われたくもない。

 これがもし逆の立場だった場合、起きてあかりが一緒に寝ていたら静はとても嬉しいのだけれど、さすがに男と女では違うかもしれない。

(そういえば……水族館の帰りも誕生日も、あかりは僕を嫌いにならないって言ってくれた)

 七月はまだ、あかりが時間の停滞やレストアラーという非現実的な部分をしっかり認識しているのかはわからなかった。だからもし知られたら両親のように態度が変わってしまってもおかしくないと思って、素直に受け止められずにいた。
 けれど、あかりは本当にすべて知っていた。その上で言ってくれたのだと今ならわかる。

 ーーそれなら、良いだろうか。

 静はそっと布団をめくり、シングルベッドに入り込む。さすがに狭く距離が近い。
 ただ静にとって近いのは喜ばしいだけだ。
 遠慮なく腕まくらをして、空いた方の腕であかりを抱き寄せる。

 ああ、あたたかい。
 この温もりがずっとほしかった。

 腕の中に好きな人がいるという状況は、五年のブランクがある静には幸せすぎた。
 そのせいか、とろりとろりとまぶたが落ちて、あかりがいなくなってからあまり眠れていなかった静を、あっという間に夢へと誘った。
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