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30.人間・真人の決着
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深傷を負い意識を失っていた僕は、悲しげなノヴァの声が聞こえてくることに気付いた。
『……嘘だ、マナト……嫌だ、嫌……死ぬな、マナト! ……死ぬな、マナトッ――』
繰り返し僕の名を呼ぶ、あまりにも痛々しく切ない声。
すぐさま飛び起きて、応えてあげなければと焦るのに、僕の体は鉛のように重く、てんで言うことを聞かない。
それでも、悲しむノヴァを早く安心させてあげたくて、懸命に意識を集中させ、必死に動こうとした。
(動け! 動け! 動け! 動けってば!! ノヴァが僕を呼んでるんだから!!!)
ドクンと心臓が脈動したのを感じ、僕は息を吸い込み呼吸する。
「……、……ぅ……はぁ……」
ようやく血が巡りだし、僅かに動けるようになった体で、ゆっくりと瞼を開けた。
「ん…………ノヴァ?」
そこにいたのは、いつもとは姿形の違うノヴァ。
動物の頭に巻き角が生え、大きな黒い翼がいくつも付いている。
元の姿の面影などない、まるで畏れ敬うべき神話生物のような見た目をしていた。
だけど、間違いなく僕をしっかりと抱きしめ、また命を救ってくれたノヴァなのだ。
「……ありがとう、ノヴァ。僕を助けてくれて」
伝えたかったことが、やっと言えた。
ノヴァが安心できるように、柔らかく微笑みかけ、両手を伸ばして抱きしめる。
「もう、大丈夫だよ」
「……マナト……俺は、感情がぐちゃぐちゃで、力が抑えられないんだ……危険だから――」
不安そうに瞳を揺らめかせ、ノヴァは僕を離して遠ざけようとした。
身を案じて逃げろとでも言うのか、僕は構わずに抱きついて、ノヴァの頭をぎゅうと両腕で包み込んだ。
「……っ……マナト!」
「大丈夫だから、落ち着いて。僕はちゃんと生きてる。ほら、心臓の音を聞いて」
トクン。トクン。トクン。トクン。
穏やかに脈動を繰り返す、確かな心臓の音を聞かせる。
ノヴァも僕が生きているのだと実感できれば、少しは気持ちが落ち着くだろう。
「………………」
トクン。トクン。トクン。トクン。
黙って鼓動を聞いているうちに、強張って微かに震えていたノヴァの体が落ち着いていく。
それと同時に、肥大化していたブラック・ホールも、徐々に小さくなりはじめる。
「一人になんてしない。ずっと一緒にいるから、安心していいよ」
もう怖くないよと、頭を優しく撫でながら宥めていれば、ノヴァは安堵したように吐息をこぼす。
ためらいがちにそろりと手を伸ばし、僕をひしと抱きしめる。
そして、いつもの人姿へと少しずつ戻っていく。
完全に元の姿に戻った頃には、空を覆い尽くすほど肥大化していたブラック・ホールも消えてなくなっていた。
「ほら、大丈夫だったでしょう?」
ノヴァの顔を覗き込み、笑顔で囁きかけた。
僕を見つめるノヴァも微笑み、僕を抱き上げるようにして、おでこをくっつける。
「ああ、そうだな。……ありがとう、マナト」
「うん。どういたしまして」
お礼を言われ、僕達は笑い合う。
そうしていると、遠くから仲間達の声が聞こえてくる。
「――おーい、無事かー? 助けに来たぞー!」
僕達を助けに駆け付けた混ざり者や仲間達、他の魔族達まで続々と姿を現し、周囲に集まってきていた。
周辺の壮絶な状態を見回して、混ざり者達は泣きそうになりながら駆けてきて、声を上げる。
「マナトにノヴァ、アダムも、みんな無事で良かったー、本当に良かったー」
「遠目に見てもとんでもねぇ魔法だったが、聖人教団の大聖堂を丸々消滅させちまうなんて……よく無事でいられたよなぁ」
「人に最も近いエルフだからといって、魔族社会のルールを破ることなど看過できません。我々も助力しに駆けつけましたよ」
混ざり者や仲間達だけではなく、学園の教員や他の魔族達も総出で、僕達を助けに駆けつけてくれたのだった。
「……あっ、僕達は大丈夫なんだけど、エルフ達が倒れてる!」
精気を吸われて倒れていたエルフ達も、命には別状がない様子で一安心し、一連の騒動は終わりを迎えたかに思われたが――
「嘘っ……嘘です!」
――空気を切り裂くような、イブの叫び声が響き渡った。
「そのような恐ろしく醜い化け物を、人間が受け入れられるはずがない! そんなものは、まやかしの欺瞞です! 人の姿を保てぬ魔族など、醜い化け物なのですから!!」
イブはノヴァを指差して、醜い化け物だと罵ったのだ。
僕はそんな言葉を吐くイブに悲しくなり、諭すように訴えかける。
「化け物なんかじゃないよ。酷いことを言わないで……混ざり者も他の魔族達も、みんな醜くなんてない……イブ、君だってそうだ。化け物なんかじゃない」
イブは言葉を詰まらせた。
「っ……偽善です! そのように一時的に繕ったところで、いずれ人間は必ず魔族を裏切る! 最後には見捨てるのですから!!」
そう吐き捨て、イブは否定し続けた。
あまりにも痛々しい、深い傷だ。
イブの心には癒されることのない傷が、深々と刻み込まれてしまっている。
だけど、だからこそ、それだけではない強い想いを、僕は感じるのだ。
「君と王との最後は辛く悲しいものだったけど、とても幸せな思い出だってたくさんあったはずだよ。だからこそ、君は王との約束を守り続けてきたんでしょう? 僕は魔族を服従させたり、虐げたりなんかしない……ただ、みんなと仲良く暮らしたいだけなんだ」
僕の言葉にイブは一瞬狼狽えたように見えた。
「そんな人間がいるはずがない! わたくしが心から愛し仕えた王ですら、完璧だったはずの彼ですら、孤独に耐えられず狂い死んだのですから……あなたが王を上回るほどの、完璧な人間であるはずがない!!」
王への想いが強すぎて、イブは他を受け入れられないのだ。
(わかって欲しい。絶望してイブを傷付けてしまった王だって、そこまでイブを苦しめたかったわけじゃない……きっと、イブと一緒じゃないのが寂しくて、言ってはいけないことを言ってしまったんだと思う)
イブが思っているほど、王は完璧ではなかったはずだから。
間違いも犯してしまう、普通の人間だったと思うから。
「完璧な人間なんていないよ。人間は一人じゃ生きられない、不完全な生き物だから。不完全だからこそ、人は補い合うんだ。力を合わせて、一人じゃ出来ないことも成し遂げられる。それが人間なんだよ」
この気持ちがイブに届けばいいと願いながら、言葉を紡ぐ。
「人間はそうやって、海を渡り、空を飛んで、夢を形にして、とてつもなく大きな社会や文明を築いてきたんだ」
「だが、その文明は滅んだのです!」
イブは声を荒げ叫んだ。
「あなたはこの世界に在っていい存在ではない! 魔族の創造主である人間は、完璧な存在であるべき、全知全能の神であらねばならないのです。魔族にとって、人間は崇拝と信仰の象徴なのですから……不完全な人間など、滅ぶべきなのです!!」
射殺さんばかりの目で僕を睨みつけ、イブは叫び断言した。
ノヴァが僕を庇うようにして間に立つが、僕は構わずに前へと出て、イブを真っすぐに見すえ訴える。
「不完全だからこそ、人間には可能性があるんだ。諦めさえしなければ、出来ないことなんてない。ここにいる魔族達はみんな、姿形は違っていても――人と同じ“心”を持ってる。みんな僕と同じ、僕と何も変わらない――この世界の“人間”なんだよ」
イブは虚を突かれたように、驚いた表情を見せる。
「なっ……何をバカげたことを……あなたはこの醜い化け物達を、この世界の人間だとでも言うのですか?!」
人間とは違う、様々な姿をした魔族達を指差して、イブは喚いた。
僕は頷いて、はっきりと答える。
「みんながこの世界の人間だよ。だから、この世界から本当の意味で人間が滅ぶなんてことはありえないんだ」
静観していた魔族達が、僕とイブの話を聞いて、口々に呟きだす。
「オレ達が人の心を持っている……人間?」
「……マナトと同じ、人間……」
「……この世界の、人間……」
イブは天を仰ぎ声を上げ、高笑いする。
「はっ……ははははは」
それから、鋭利な目で僕を睨みつけ、怒鳴りつける。
「こんな化け物を人間と呼ぶとは、やはり狂っています! 不完全な人間など、秩序のない混沌を招くだけ。そんなことが許されていいはずがないのですから!!」
燃えるような紫紺の瞳が妖しく強い光りを放つ。
「すべての魔族よ、この魔族社会を統べる頂点――わたくしに従いなさい!」
「「「!!」」」
イブは全魔族を服従させる強力な魔眼の力を使い、命令する。
「人間を騙るその狂った使い魔と出来損ないの混ざり者を粛清し、屠りなさい!!」
だが、周囲の魔族達は、まったく動かなかった。
「……そんなことできないよ」
「仲間を傷つけるなんてしたくない」
「その命令に従う気にはなれんな」
周囲にいた魔族達は誰一人として魔眼に魅了されていない。
「……何故、わたくしの魔眼が利かない? そんな……そんな、バカなことがありますか?!」
狼狽え困惑するイブの前に、アダムが姿を現して語る。
「おそらく、エルフは最も人間に近いがゆえに魔族を服従させられていましたが、新たに信じるべき“人間”が現れたことで、魔眼はその効力を失ったのでしょうね」
魔族達の絶対的だった価値観が、変わりはじめていたのだ。
エルフの魔眼に魅了され、操られる者はもういなくなるだろう。
イブはその場に崩れ落ち、失望する。
「そんな……わたくしの築いてきた魔族社会が……この魔族の世界が、終わってしまう……」
悲壮な呟きをこぼし、絶望に打ちひしがれるイブ。
おもむろに視線を向けるその先にはもう、大聖堂も、王の亡骸も、何もない。
「……王よ……守るべきものを失った孤独とは、こういうものなのですね……」
よりどころを失い、イブはただ寂しげに空虚を見つめていた。
そんな姿を見てしまえば、僕は切なさで胸が詰まる。
歩み寄っていき、膝を突いて手を差し出す。
「イブ、君は一人じゃないよ」
イブは顔を上げ、虚ろな目で僕を見つめた。
僕は出来るだけ明るく笑いかけて、思いを伝える。
「今まで魔族の世界を守るために、必死に頑張ってくれていたんだよね。ありがとう、イブ。これからは一人じゃない。僕達も手伝うから、一緒に頑張っていこう」
「……何を?」
僕の言動の意味がわからないようで、イブは訊き返した。
「みんなのためにこんなに頑張ってくれていた君を、一人になんてできないよ。孤独になんかさせない」
地面に突いていたイブの手を取って、両手で優しく包み込む。
「それに、王との幸せな思い出だって、色褪せず君の中に残り続けてる。今までもこれからも、だから、決して無くなりなんてしないよ。思い出は不滅だからね」
虚ろだったイブの目が揺らめいて、その紫紺の瞳に光が宿る。
「……なぜ、そのようなことが言えるのです? わたくしはあなたを粛清し、人間を滅ぼそうとしたのに……」
僕の申し出に思考が追いつかないのか、イブは困惑している様子だった。
「人間って時には間違えるものなんだよ。間違いを犯して、やっと気づけることだってある。それを思うと、僕は君を憎めないし……互いに許し合ったり、支え合ったり、共に成長できる関係になりたいと思うんだ」
許せるよという気持ちで、イブに笑いかけた。
「信じられない……偽善です。信じられません……」
そんなことを言うイブに、僕は満面の笑みを向けて決意表明する。
「じゃあ、信じてもらえるように頑張るね」
「っ……あなたは、おかしいです……」
イブは戸惑い、どうして良いのかわからないといった様子で言葉をこぼした。
それを見ていたアダムが横に立ち、イブに同意する。
「そうですよね、信じられませんよね。私も最初はそうだったので、その気持ちはよくわかります」
アダムはうんうんと頷き、イブに肩をすくめて見せる。
「ですが、こういう奴らなんですよ。諦めてください、イブ様」
唖然として言葉にならないイブに、僕は悪戯っぽく告げる。
「僕達は諦めないよ。なんて言ったって、諦めの悪い人間だからね――ねぇ、ノヴァ?」
「ああ、そうだな。往生際の悪さなら誰にも負けない自信がある」
僕が投げかければ、ノヴァは胸を張って応え、ニヒルに笑って見せた。
成り行きを見守っていた魔族達――この世界の人間達も、皆が明るい笑顔を見せる。
「この世界はみんなで守っていくんだ。イブ様一人にはさせない」
「今度は自分達も手伝うよ。何ができるか、一緒に考えよう」
「これからはみんなが、自由に生きられる世界にしよう」
これまでのカースト制度の社会は終わりを迎え、可能性に満ちた新しい世界が始まっていくのだ。
和やかな空気が流れ、これで一件落着かと思われた――その時だった。
横にいたノヴァの体が、ふらりとよろめくのが目に入る。
「……あ、れ?」
ノヴァは小さく呟き、急に顔色を悪くして後方に倒れ、僕は慌ててノヴァを抱きとめた。
「ノヴァッ!?」
『……嘘だ、マナト……嫌だ、嫌……死ぬな、マナト! ……死ぬな、マナトッ――』
繰り返し僕の名を呼ぶ、あまりにも痛々しく切ない声。
すぐさま飛び起きて、応えてあげなければと焦るのに、僕の体は鉛のように重く、てんで言うことを聞かない。
それでも、悲しむノヴァを早く安心させてあげたくて、懸命に意識を集中させ、必死に動こうとした。
(動け! 動け! 動け! 動けってば!! ノヴァが僕を呼んでるんだから!!!)
ドクンと心臓が脈動したのを感じ、僕は息を吸い込み呼吸する。
「……、……ぅ……はぁ……」
ようやく血が巡りだし、僅かに動けるようになった体で、ゆっくりと瞼を開けた。
「ん…………ノヴァ?」
そこにいたのは、いつもとは姿形の違うノヴァ。
動物の頭に巻き角が生え、大きな黒い翼がいくつも付いている。
元の姿の面影などない、まるで畏れ敬うべき神話生物のような見た目をしていた。
だけど、間違いなく僕をしっかりと抱きしめ、また命を救ってくれたノヴァなのだ。
「……ありがとう、ノヴァ。僕を助けてくれて」
伝えたかったことが、やっと言えた。
ノヴァが安心できるように、柔らかく微笑みかけ、両手を伸ばして抱きしめる。
「もう、大丈夫だよ」
「……マナト……俺は、感情がぐちゃぐちゃで、力が抑えられないんだ……危険だから――」
不安そうに瞳を揺らめかせ、ノヴァは僕を離して遠ざけようとした。
身を案じて逃げろとでも言うのか、僕は構わずに抱きついて、ノヴァの頭をぎゅうと両腕で包み込んだ。
「……っ……マナト!」
「大丈夫だから、落ち着いて。僕はちゃんと生きてる。ほら、心臓の音を聞いて」
トクン。トクン。トクン。トクン。
穏やかに脈動を繰り返す、確かな心臓の音を聞かせる。
ノヴァも僕が生きているのだと実感できれば、少しは気持ちが落ち着くだろう。
「………………」
トクン。トクン。トクン。トクン。
黙って鼓動を聞いているうちに、強張って微かに震えていたノヴァの体が落ち着いていく。
それと同時に、肥大化していたブラック・ホールも、徐々に小さくなりはじめる。
「一人になんてしない。ずっと一緒にいるから、安心していいよ」
もう怖くないよと、頭を優しく撫でながら宥めていれば、ノヴァは安堵したように吐息をこぼす。
ためらいがちにそろりと手を伸ばし、僕をひしと抱きしめる。
そして、いつもの人姿へと少しずつ戻っていく。
完全に元の姿に戻った頃には、空を覆い尽くすほど肥大化していたブラック・ホールも消えてなくなっていた。
「ほら、大丈夫だったでしょう?」
ノヴァの顔を覗き込み、笑顔で囁きかけた。
僕を見つめるノヴァも微笑み、僕を抱き上げるようにして、おでこをくっつける。
「ああ、そうだな。……ありがとう、マナト」
「うん。どういたしまして」
お礼を言われ、僕達は笑い合う。
そうしていると、遠くから仲間達の声が聞こえてくる。
「――おーい、無事かー? 助けに来たぞー!」
僕達を助けに駆け付けた混ざり者や仲間達、他の魔族達まで続々と姿を現し、周囲に集まってきていた。
周辺の壮絶な状態を見回して、混ざり者達は泣きそうになりながら駆けてきて、声を上げる。
「マナトにノヴァ、アダムも、みんな無事で良かったー、本当に良かったー」
「遠目に見てもとんでもねぇ魔法だったが、聖人教団の大聖堂を丸々消滅させちまうなんて……よく無事でいられたよなぁ」
「人に最も近いエルフだからといって、魔族社会のルールを破ることなど看過できません。我々も助力しに駆けつけましたよ」
混ざり者や仲間達だけではなく、学園の教員や他の魔族達も総出で、僕達を助けに駆けつけてくれたのだった。
「……あっ、僕達は大丈夫なんだけど、エルフ達が倒れてる!」
精気を吸われて倒れていたエルフ達も、命には別状がない様子で一安心し、一連の騒動は終わりを迎えたかに思われたが――
「嘘っ……嘘です!」
――空気を切り裂くような、イブの叫び声が響き渡った。
「そのような恐ろしく醜い化け物を、人間が受け入れられるはずがない! そんなものは、まやかしの欺瞞です! 人の姿を保てぬ魔族など、醜い化け物なのですから!!」
イブはノヴァを指差して、醜い化け物だと罵ったのだ。
僕はそんな言葉を吐くイブに悲しくなり、諭すように訴えかける。
「化け物なんかじゃないよ。酷いことを言わないで……混ざり者も他の魔族達も、みんな醜くなんてない……イブ、君だってそうだ。化け物なんかじゃない」
イブは言葉を詰まらせた。
「っ……偽善です! そのように一時的に繕ったところで、いずれ人間は必ず魔族を裏切る! 最後には見捨てるのですから!!」
そう吐き捨て、イブは否定し続けた。
あまりにも痛々しい、深い傷だ。
イブの心には癒されることのない傷が、深々と刻み込まれてしまっている。
だけど、だからこそ、それだけではない強い想いを、僕は感じるのだ。
「君と王との最後は辛く悲しいものだったけど、とても幸せな思い出だってたくさんあったはずだよ。だからこそ、君は王との約束を守り続けてきたんでしょう? 僕は魔族を服従させたり、虐げたりなんかしない……ただ、みんなと仲良く暮らしたいだけなんだ」
僕の言葉にイブは一瞬狼狽えたように見えた。
「そんな人間がいるはずがない! わたくしが心から愛し仕えた王ですら、完璧だったはずの彼ですら、孤独に耐えられず狂い死んだのですから……あなたが王を上回るほどの、完璧な人間であるはずがない!!」
王への想いが強すぎて、イブは他を受け入れられないのだ。
(わかって欲しい。絶望してイブを傷付けてしまった王だって、そこまでイブを苦しめたかったわけじゃない……きっと、イブと一緒じゃないのが寂しくて、言ってはいけないことを言ってしまったんだと思う)
イブが思っているほど、王は完璧ではなかったはずだから。
間違いも犯してしまう、普通の人間だったと思うから。
「完璧な人間なんていないよ。人間は一人じゃ生きられない、不完全な生き物だから。不完全だからこそ、人は補い合うんだ。力を合わせて、一人じゃ出来ないことも成し遂げられる。それが人間なんだよ」
この気持ちがイブに届けばいいと願いながら、言葉を紡ぐ。
「人間はそうやって、海を渡り、空を飛んで、夢を形にして、とてつもなく大きな社会や文明を築いてきたんだ」
「だが、その文明は滅んだのです!」
イブは声を荒げ叫んだ。
「あなたはこの世界に在っていい存在ではない! 魔族の創造主である人間は、完璧な存在であるべき、全知全能の神であらねばならないのです。魔族にとって、人間は崇拝と信仰の象徴なのですから……不完全な人間など、滅ぶべきなのです!!」
射殺さんばかりの目で僕を睨みつけ、イブは叫び断言した。
ノヴァが僕を庇うようにして間に立つが、僕は構わずに前へと出て、イブを真っすぐに見すえ訴える。
「不完全だからこそ、人間には可能性があるんだ。諦めさえしなければ、出来ないことなんてない。ここにいる魔族達はみんな、姿形は違っていても――人と同じ“心”を持ってる。みんな僕と同じ、僕と何も変わらない――この世界の“人間”なんだよ」
イブは虚を突かれたように、驚いた表情を見せる。
「なっ……何をバカげたことを……あなたはこの醜い化け物達を、この世界の人間だとでも言うのですか?!」
人間とは違う、様々な姿をした魔族達を指差して、イブは喚いた。
僕は頷いて、はっきりと答える。
「みんながこの世界の人間だよ。だから、この世界から本当の意味で人間が滅ぶなんてことはありえないんだ」
静観していた魔族達が、僕とイブの話を聞いて、口々に呟きだす。
「オレ達が人の心を持っている……人間?」
「……マナトと同じ、人間……」
「……この世界の、人間……」
イブは天を仰ぎ声を上げ、高笑いする。
「はっ……ははははは」
それから、鋭利な目で僕を睨みつけ、怒鳴りつける。
「こんな化け物を人間と呼ぶとは、やはり狂っています! 不完全な人間など、秩序のない混沌を招くだけ。そんなことが許されていいはずがないのですから!!」
燃えるような紫紺の瞳が妖しく強い光りを放つ。
「すべての魔族よ、この魔族社会を統べる頂点――わたくしに従いなさい!」
「「「!!」」」
イブは全魔族を服従させる強力な魔眼の力を使い、命令する。
「人間を騙るその狂った使い魔と出来損ないの混ざり者を粛清し、屠りなさい!!」
だが、周囲の魔族達は、まったく動かなかった。
「……そんなことできないよ」
「仲間を傷つけるなんてしたくない」
「その命令に従う気にはなれんな」
周囲にいた魔族達は誰一人として魔眼に魅了されていない。
「……何故、わたくしの魔眼が利かない? そんな……そんな、バカなことがありますか?!」
狼狽え困惑するイブの前に、アダムが姿を現して語る。
「おそらく、エルフは最も人間に近いがゆえに魔族を服従させられていましたが、新たに信じるべき“人間”が現れたことで、魔眼はその効力を失ったのでしょうね」
魔族達の絶対的だった価値観が、変わりはじめていたのだ。
エルフの魔眼に魅了され、操られる者はもういなくなるだろう。
イブはその場に崩れ落ち、失望する。
「そんな……わたくしの築いてきた魔族社会が……この魔族の世界が、終わってしまう……」
悲壮な呟きをこぼし、絶望に打ちひしがれるイブ。
おもむろに視線を向けるその先にはもう、大聖堂も、王の亡骸も、何もない。
「……王よ……守るべきものを失った孤独とは、こういうものなのですね……」
よりどころを失い、イブはただ寂しげに空虚を見つめていた。
そんな姿を見てしまえば、僕は切なさで胸が詰まる。
歩み寄っていき、膝を突いて手を差し出す。
「イブ、君は一人じゃないよ」
イブは顔を上げ、虚ろな目で僕を見つめた。
僕は出来るだけ明るく笑いかけて、思いを伝える。
「今まで魔族の世界を守るために、必死に頑張ってくれていたんだよね。ありがとう、イブ。これからは一人じゃない。僕達も手伝うから、一緒に頑張っていこう」
「……何を?」
僕の言動の意味がわからないようで、イブは訊き返した。
「みんなのためにこんなに頑張ってくれていた君を、一人になんてできないよ。孤独になんかさせない」
地面に突いていたイブの手を取って、両手で優しく包み込む。
「それに、王との幸せな思い出だって、色褪せず君の中に残り続けてる。今までもこれからも、だから、決して無くなりなんてしないよ。思い出は不滅だからね」
虚ろだったイブの目が揺らめいて、その紫紺の瞳に光が宿る。
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許せるよという気持ちで、イブに笑いかけた。
「信じられない……偽善です。信じられません……」
そんなことを言うイブに、僕は満面の笑みを向けて決意表明する。
「じゃあ、信じてもらえるように頑張るね」
「っ……あなたは、おかしいです……」
イブは戸惑い、どうして良いのかわからないといった様子で言葉をこぼした。
それを見ていたアダムが横に立ち、イブに同意する。
「そうですよね、信じられませんよね。私も最初はそうだったので、その気持ちはよくわかります」
アダムはうんうんと頷き、イブに肩をすくめて見せる。
「ですが、こういう奴らなんですよ。諦めてください、イブ様」
唖然として言葉にならないイブに、僕は悪戯っぽく告げる。
「僕達は諦めないよ。なんて言ったって、諦めの悪い人間だからね――ねぇ、ノヴァ?」
「ああ、そうだな。往生際の悪さなら誰にも負けない自信がある」
僕が投げかければ、ノヴァは胸を張って応え、ニヒルに笑って見せた。
成り行きを見守っていた魔族達――この世界の人間達も、皆が明るい笑顔を見せる。
「この世界はみんなで守っていくんだ。イブ様一人にはさせない」
「今度は自分達も手伝うよ。何ができるか、一緒に考えよう」
「これからはみんなが、自由に生きられる世界にしよう」
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和やかな空気が流れ、これで一件落着かと思われた――その時だった。
横にいたノヴァの体が、ふらりとよろめくのが目に入る。
「……あ、れ?」
ノヴァは小さく呟き、急に顔色を悪くして後方に倒れ、僕は慌ててノヴァを抱きとめた。
「ノヴァッ!?」
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