ロルスの鍵

ふゆのこみち

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魔王降臨編

10. 普通の人

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「いくら何でもおかしいわ。キサラくん自身が指定した場所にも来ていないようだし」
「使い魔に見に行かせたのか」
「ええ。キサラくんの言っていた『もしも』って確実に今よね? きっと何かあったんだわ」
「姿を見えなくしてあるんだろう? キサラに気付いていないってことはないのか」
「ワタクシと契約している魔物が見破れないとでも?」

 生まれついて魔法を使う存在が、魔女のかけた魔法を見破れないなんてことは確かにないだろう。ただ、下等な魔物……所謂「小物」と呼ばれる者たちは知性が乏しいと聞いたことがあった。
御者をこなし、魔女のかけた魔法を見破れる目を持っているとくれば、ある程度の知能はあるだろう。使い魔は複数か、それとも。

「高位の魔物なのか。例えば、魔族」
「さぁ、どうかしら。とにかく人間には見えないけれど使い魔にはわかる。これだけは保証しましょう」
「もう一つ。魔法は消耗するって言ってたよな。集中がどうの、かけ続けるのがどうのと。今はどうなんだ」
「そう、魔法が解けて捕まった可能性を心配しているのね」

 空中に紙が広げられた。羽根で出来たペンを掲げ、その上に光が走り魔法を図解していく。

「キサラくんにかけた魔法の基盤は水属性のものよ。体の周りに薄く膜を張った状態だと思ってちょうだい。その膜のおかげでキサラくんの姿が見えなくなっているのだけれど、この魔法はワタクシが解かない限り、かかりきりなのよ」
「膜なんてあったら目立つだろう」
「それがそうでもないのよ。液体っていうのは濃度によって……いえ、そこまで説明する必要はないわね。とにかく視認出来なくなる角度がある、とだけ理解していただけるかしら」
「理屈はさっぱりだ」
「何となくわかればそれで良いわ。本来この現象はガラスを用いて起きる上、二方向の決められた位置からしか確認出来ないものなの。角度が変われば見えてしまうわけだけど、そこは光属性の魔法を使って……」

 紙にガラスと水槽が書き足された。液体の中にガラスを入れると、ある角度からはガラスが見えなくなるのだという。これには魔法的な力を一切必要としない。

「よくこんなこと思い付いたな」
「大道芸をして世界を回る一座があって、昔教わったのよ。簡単な奇術の仕掛けだから仕組みさえわかればワタクシにも再現出来たわ」
「昔っていつだ。でもそうだとするとキサラ自体が透明じゃなければ成り立たないんじゃないのか?」
「あらよくおわかりになったわね。残念ながら人体を透明にする魔法なんて知らないから、膜を二つ張ったのよ。体を覆う膜には光魔法をかけて、鏡のように反射するようにしたわ。もう一つはそれを包む膜……液体の役割を果たすものが外側にあると思えばわかりやすいかしら」

 鏡と透明では意味が違うが、そこを補うため更に複数の仕掛けを足した。紙面に書き連ねながら延々と語っているが、テイザの理解は途中から追い付かなくなった。

「簡単に膜と言ってしまうと語弊があるのだけれど、まぁ今回の魔法は大体そんな仕組みね。あくまで常態的にある物質として発現させたものだから、出した時点で必要な魔力は付与しきっているのよ」
「カップを出したときの魔法と同じか」
「そう。仕舞わない限りなくならない。大きな音を出さない限りは見つからないはずだわ」
「探知は出来るのか?」
「そうね、仮に魔力を感じ取ってそれを辿るとしましょう。その先で膜の存在に気が付いても、どんな風に魔法が織り込まれているかわからなければ本質は見抜けないわ。分析と攻撃を想定して、その辺りも抜かりなく。自信作よ」

 ここでふとテイザは気が付いた。シュヒアルはこの魔法を村で頻繁に使っていたのではないか。主にキサラ相手の情報収集で。

「本当にちょっとした細工程度だから、仕掛けさえわかってしまえば子供騙しなのだけれどね。ワタクシには高度な術式なんて理解出来ないし」

 高度な術式より今言った魔法を組み立てる方が手間もかかって頭を使うのではないだろうか。実験的に何度か試さなければ効果があるかわからない魔法を、咄嗟にはかけないだろう。
常習犯だ。テイザは確信を持ってシュヒアルを見た。一体どれだけの労力を以てキサラを追いかけ回していたのか。

「何よその顔」
「いや、魔法に問題がないのはよくわかった。戻って来ない理由を俺たちなりに探ろう。魔法に詳しい奴があの中に居たかもしれないしな」
「確かにそうね。もし見破られたのならとても悔しいけれど」
「あの、出来ること、ある?」

 耳を力なく垂らしたタスラが二人に歩み寄った。横にいるシーラは耳どころか尻尾まで下がっている。酷く落ち込み不安そうだが、彼らなりに力になろうとしているらしい。

 今まで気にかけることもなかったが、キサラが居ない状況でこんなに長く過ごすのは当然初めてである。心細いだろう、とテイザは努めて優しく声を出した。

「昨日の騒ぎもあるし、お前たち二人は目立つ。馬車もある意味目印だ。キサラと入れ違いになったら困るから、出迎える準備をしておいてくれ」
「……はい」
「あー、もう少しお前たちのことを気にかけておくべきだったな。悪かった」
「そんなこと」
「もうどこにも引っかけたりしないから……ごめんなさい」
「キサラが戻って来たら紐か何かつけてもらえ。走り回っても取れないように」
「……! うん!」

 勢いよく頷いた二人の耳がぴこりと動いた。キサラが戻った時、もしかしたら怪我をしている可能性もある。手当てに必要なものを用意するように頼めば、揃って馬車の中に走り戻って行った。

 本来半成と呼ばれる彼らを、差別的な意味合いを込めて「半獣」と叫ぶ者たちが居る。主にこの国の人間と獣人族の間に産まれた者たちを指し、タスラやシーラはそれに当たらないのだが、身体的特徴から動物種の半成だと思われたようだ。

 例えばエルフやドワーフなどであれば知識に明るくない者でも「妖精」だと一目でわかる。しかしキャット・シーやフォーンなど、動物的特徴のある妖精をそれと見分けるのは難しい。伝承学者などでなければ思い当たりもしないだろう。

「ああしていれば普通の子供みたいだな」
「みたいじゃなくてそうなのよ。あの子たちにおかしなところなんてないわ」
「……違いない」

 半成は忌み子と呼ばれた時代もあったという。どの種族から見ても半端な生き物だからだ。
ある意味では魔女と同じ境遇だ。彼らは「人間」から生き方を分かたれた。

 ただ半成たちはどちらかに擬態することも出来ず、罪を犯したわけでもないのに身を隠して息を潜め、誰も彼もが寝静まった夜に外へ出て暮らすことが多いのだという。

 タスラは、その足に立派な蹄があるため石の上を歩けばコツリコツリと硬い音が鳴る。手は人間のものだが頭に角が生えていて、一目で半成とわかる容姿だ。
 これが妖精フォーンであればその姿に加え、精霊魔法が使える。音楽を奏でながら森を歩き、動物たちから慕われ自由気ままに生きるのだ。しかし人間の血が混ざったタスラには生まれついて持つ妖精の力も半分である。故に容姿が近しいはずの妖精からも、半端者と見られるだろう。

 シーラは、耳や尻尾が猫であっても半分は妖精である。
キャット・シーが元々精霊魔法の扱いに長けた種族ではないこともあり、妖精としての力はほとんどないに等しかった。獣人族にも妖精にもなれず、また耳や尻尾のせいでこの国の人間にもなれない。

「アイツらを追い詰める『普通』っていうのは、何なんだろうな」

 異種族と交流し子が生まれることも勿論あるが、中にはその系譜に遺伝子が混ざっていたため、先祖返りが起きて生まれた半成も居る。
本人たちからすれば突然降って湧いた災いのようなものだ。

 テイザはぼんやりと景色を眺めながら初めて疑問を抱いた。蔑称を与えられてまで何故、虐げられたのかと。

 そして緩慢な動作でシュヒアルを見やる。
半成とは、半分しか理性の入っていない生き物だとされてきた。だからこそ害される。けれどテイザには普通の子供にしか見えない。初めて見た時から、そして今もずっと。

 事実ではない。彼らは利発で物をよく見ることが出来、聡明で懸命だった。

 であれば、魔女も。

「子供の扱いがお上手だこと」
「これでも兄だからな」
「生まれた順番だけのお話かと思っていたわ」

 確かに、テイザが良い兄であったことは一度もなかった。何なら両親が居なくなるまで弟を鬱陶しく思っていたクチである。今は当然違うが、兄として慕われていたのも自分から進んで面倒を見ていたのも幼少の頃にしか記憶がない。
全く、後悔というやつはどうしてこう取り返しのつかないところに忠告もなく現れるのか。テイザは小さく舌打ちで答えた。

「出立前、また悪魔が出て来た」
「そう。懲りないわね、彼」
「昨晩は片目だけ赤が混ざっていた。何かわからないか」
「いい傾向でないことは確かね。変化の前触れかしら」
「縁起でもない」
「分析と言うのよ。気持ちはわかるわ」

 キサラの中に何かが巣食っていると知ってから、テイザとシュヒアルは協力関係にあった。
密かに結託し兆候を見張った期間は二年にも及ぶ。
 特定の条件下で人が変わったようになる、というのは然程珍しいことではない。ただ、目の色まで変わるとなれば話は別だ。肉体的に明確な変化が現れる事象は只人ではあり得ない。魔女曰くただの悪魔憑きにはない特徴も見られるらしいが、テイザの知ったことではない。悪魔が同意なく体を乗っ取っている時点で契約状態にないため、キサラは「悪魔憑き」だと結論付けられた。

 契約による従属関係を結ばない悪魔は、魔女以上にその存在を危険視される。体を完全に乗っ取られれば魔物と化すため、悪魔憑きは取り憑かれた人間ごと「処刑」されるのだ。
魔術師協会へ依頼をだし、取り憑いた魔物を祓う道もあるが、高額の報酬が必要であるため庶民には到底払えない。

 悪魔憑きと告発されればキサラはまず生き残れないだろう。

「わかるわけがない」

 結局のところ、彼らが身を寄せ合う理由は「同じ境遇」であるからだ。
生まれつきにせよなんにせよ、この世界では生きづらいはみ出し者。だから同調し、共鳴し合い、惹かれ合って離れない。

 半成、魔女に、悪魔憑き。嫌われ者で、疎まれる存在。

 その輪の中に、テイザは居ない。

「ワタクシ、キサラくんが戻って来ない理由にもう一つ思い当たる事があるのよね」
「赤目の魔物だろう。アイツがキサラの体を乗っ取って、自発的にここを離れた可能性がある。そうだよな?」
「それも考慮すべきでしょうね。彼なら私がかけた魔法なんて自力で解いてしまうだろうし」
「で、聞くまでもないが、魔法でキサラの行方は探せないのか」
「専門分野が違うのよ。こういうときのためにもう一人連れて行くつもりだったのに」
「どういうことだ?」

 シュヒアルから詳細を聞き、テイザはやっと納得がいった。わざわざ寄り道をすると言ったことも今となっては賛成である。

「事情はわかった。時間はかかるがここから指定場所までそう遠くはないし、歩いてでも行けるだろう。俺がソイツを連れて来る」
「ええ、そうしてくれると助かるわ。本当は私が飛んで行きたいところだけど、今は使い魔が離れているし。私は私でこの辺りを探るわね」
「頼んだ」
「頼まれなくたってするわ。キサラくんのことだもの」
「キサラのことだから頼んでいるんだ」

 車内を見ればタスラがシーラを庇う様にして座っている。キサラを探すという話は聞こえていたようで、いざというときに備えているのがわかった。戦闘の心得は無いにしても、タスラは出来る限りのことをするのだろう。

 対してシーラは何かを考え込んでいる様子だった。涙をボロボロ零しながらしゃくりあげているが、その表情は真剣そのものだ。能天気に菓子の心配をしているわけではないらしい。

「本来使い魔をここへ戻して私が向かうべきなのだろうけど、魔法を乱用するとキサラくんにかけた魔法にどんな影響が出るかわからないわ。ワタクシが手紙を書くから、それを見せればすぐに応じるでしょう」
「ここから先は全員、身の回りの安全を最低限確保しつつ行動しろ。何かあれば全力で逃げていい、必ず探し出す」

 タスラとシーラは力強く頷き、シュヒアルは手紙を綴る。
車内に執事の姿はない。テイザは「使い魔」が誰なのかを察した。


 やがて一行は、キサラが「精霊の穴」に落ちたことを知る。


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