ロルスの鍵

ふゆのこみち

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奪還編

Lv.91 危機

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 何かが焼ける音が耳に届いた。少し遅れて痛みに呻く。焼けているのは両手だ。
すぐに掻き消されたその赤は、瞼の裏に張り付きいつまでも酷い痛みを残した。振り向きざま視界に生まれ育った家が燃え上がり真っ黒な煙を上げている光景が飛び込んでくる。赤と黒だけがやけに鮮明で、目を逸らそうとした瞬間に場面が変わった。

 おおよそ善人とは言い難い仲間たちと悪だくみをしている光景が広がる。結局、最後にはその仲間に裏切られ貴族に捕まってしまうのだ。このときのことはよく覚えている。覚悟していた拷問などは受けず、組織に迎え入れられたことに驚いた。そこから「教育」とやらを施され、別の貴族へと引き渡されて行く場面に変わっていく。

 その後は隠されるように別邸へ追いやられた。血の滲むような努力はどんな成果をもたらしたのか。相変わらず赤と黒が焼き付いていて気分は晴れず、毎朝醜く爛れた両の手に舌打ちをしていた。寝ても覚めても悪夢のような日々。

 また景色が切り替わった。行きついた村には建物は多くない。木々が生い茂り森に囲われていて、まるで緑が横たわっているかのようだ。
空を見上げれば白い雲がゆっくりと流れていき、雲と雲の間から覗く太陽が眩しい。思わず手で光を遮る程に。

(碧だ)

 碧の中に星がある。青空のように、海のように見えるのに、時折夜空のようにも見える瞳。
いつまでも赤と黒に追われていた日常が真逆の色に侵食され始める。
それは昔、一度だけ立った波打ち際にいるようだった。寄せては返す波が足元を濡らしていき、やがてそのまま水かさは増す。すっぽりと頭まで飲み込まれて、漂うわけでもなくやはりそこにジッと立ち尽くし星の煌めきを見つめるのだ。

 あれが欲しい。

 腕を伸ばそうとした瞬間、頬を叩かれた。



「ほら、いい加減起きなよ」
「…ラギス」
「結構寝ていたよ」
「ええ、そのようね」

 ぼんやりとする頭を押さえながらシュヒアルは体を起こした。辺りを見渡すと薄暗く、どうやら檻の中に入れられているようだとわかったが、どうしてこうなったのかが思い出せず記憶を辿る。

 シュヒアルとラギスは滞在している町から北側にある森へ訪れていた。木々の間に不自然な空間があるとラギスが言った為に調査を始めたのだ。違和感を感じる辺りを重点的に調べれば、結界が存在していることがわかった。
 シュヒアルもラギスも、事前に行った会議でこんなところに結界があるとパドギリア子爵からは聞いていない。この辺りを統治しているパドギリア子爵が知らないとなれば理由は一つだ。仮に無関係だったとしても結界を破って問題はない。

「結界の破り方は知っているかい?」
「知らないわよ」
「では、代わりに」

 ラギスが恭しく礼を取ってから前に出た。指を鳴らしてペンを出現させると何かをスラスラと書いていく。

「まずは可視化。隠されているものを浮かび上がらせる術式だ」

 詠唱一つでその魔法陣を浮き上がらせることが出来るラギスだが、シュヒアルの学びのためにわざわざ一から描き始めた。可視化をさせることによってどこかに綻び、弱い部分がないかを調べる。確認出来ればその一点に集中して攻撃を入れればいい。見つからなければそれでよし、別の術式を用いて結界を破ればいいのだ。

 手順を一通り披露しつつ結界を破ると、二人の目の前に魔木が群生している地帯が広がる。その規模はまるで魔界のようでラギスは目を瞬かせた。時折魔木が生えてしまうことはあるが、十を超えれば意図的でない限りありえない。何者かが手を加えていることは明白だった。

「これ、放置してたら駄目よね」
「人間界で言えば有害かな。どうする?」
「決まってるでしょ、駆除よ。それにしても魔木ってどうしてこう、やかましいのかしらね」
「そう?可愛いのにな」
「…貴方ってたまに趣味がおかしいわ」
「魔界では魔木とか魔草は愛玩対象だからね」
「こんなのが?」

 シュヒアルは思い切り顔を顰めた。結界が破られたことを察してか魔木は不快な声で鳴き始めていたのだ。それもやたらと大きい声で。耳を押さえ、魔木を睨んでからラギスに若干咎めるような目を向ける。
趣向は様々あっていいが、まさかこんな騒音を耳当たりの良い音楽か何かだと思ってはいないだろうと。

「一本飼っては駄目かな」
「駄目に決まってるでしょう」
「残念」

 言いながらラギスが魔木を両断し、扇のような形で空間が開かれた。切り口から溢れ出た液体は樹液などではない。辺りに撒き散らされた酸と断末魔、酷い匂いだ。シュヒアルが不快さを隠さず呻くがラギスは対照的に目を輝かせている。

「伐採と行こうか」

 魔木の規模を知ろうとラギスは空中へ跳ね上がり、上空から中心点を探しす。枝葉の間にいかにもな屋敷が見えた。丁度魔木たちの中心に位置しており、そこから円形状に魔木が群生している様子を見れば間違いではないだろう。

〔見つけた。中心に屋敷がある。番犬の代わりのつもりだったのかな?〕
(そう。では屋敷を残して魔木を掃除してくださる? やり方は任せるわ)
〔仰せの通りに、お嬢様〕

 最近めっきりと力を振るうことが減ったラギスは嬉々として魔法を展開し、魔木を即座に制圧・無力化してしまう。物足りなさにもう少し時間をかけたら良かったと溜息を吐くラギスに迎えられ、シュヒアルは屋敷の前に降り立った。

 大きな屋敷だ。規模からすれば貴族が住んでいてもおかしくないが、やはりこんなところに屋敷があるなどという説明は受けていない。立地から見ても不自然だった。追っている事件と無関係だとしても放っておくことは出来ない。

「何か出てきたな」

 屋根の辺りから黒い液体のようなものが現れた。屋敷の守りは魔木だけではないらしいとラギスが頷き他の魔法へ警戒する。試しに攻撃を仕掛けようとするとシュヒアルがそれに待ったをかけた。

「ここで捕まれば半成たちのところへ行けるかもしれないわ」
「殺されて終わりかもよ」
「その前に助けなさい」
「無茶言うよねぇ、時々」

 シュヒアルの影に潜んだラギスごと黒液に捕えられ、今に至るというわけである。経緯を辿ったシュヒアルは半成たちが居ないことを確認し、捕まって損したと溜息を吐いた。

「どうやら私たちは特別席を与えられたようね」
「この部屋、念入りに魔封じが施されてるみたいで魔法が何も使えないんだ。申し訳ないけど使い物にはならない」
「魔封じ…そうね、転移陣に刻んであるくらいですもの、ここに無い方がおかしいわよね」

 檻に放り込まれたとき、影に潜んでいたラギスは弾き出されてしまった。魔法で脱出するつもりだったのだから今は絶体絶命の状況と言えるだろう。生かしている以上何かこちらに用もあるはずだ。機会を伺い脱出を狙おうとラギスは頭を働かせていた。

「どこかに鍵があるはずだからそれの位置を」
「鍵?」

 檻が開いた。
鍵がシュヒアルの手元にあったわけでも、魔法で造ったわけでもない。鉄格子を捻じ曲げたのだ。
ぐにゃりと折り曲がった鉄格子の間からシュヒアルが澄ました顔で出てしまう。

「わぁ、野蛮だなぁ」

 ぺチぺチと適当に拍手をしてからラギスはその後を追った。檻のある部屋には勿論鍵がかかっていたが、シュヒアルは扉ごと蹴り倒してしまったために意味がない。バキンという音で一応あったのだな、とわかる程度だ。
廊下は真っ暗で灯りがなかった。シュヒアルが光魔法をそのままランタンの代わりにすると、廊下を照らした。壁も床も石で覆われており、どこからかピチャンピチャンと水の音が聞こえる。

「地下かな。調べて来ようか?」
「別にいいわよ。こんなところ慣れているし」
「令嬢って言葉がこれほど似合わない瞬間ってあるかな」
「怯えたフリでもしましょうか」
「結構。君が恐れるのはこんな窮屈な暗闇じゃない」

 廊下に立ち左右を確認するがどちらにも道が続いており、壁などは見えない。ラギスが探れるのは生き物の気配だけで建物の構造などは読み取れない。規模はわからないが、もしも迷路のようになっていれば何日もさ迷うことになるだろう。

「悟られないように内部の構造を探るとすれば何が良いかしらね」
「無難なので行こうか。さ、命じてくれないか『ここから出して』ってね」
「はいはいそれでいいわ。命じなくてもやれる癖に」
「雰囲気って大事だろう?」

 ズ、とラギスの足元が崩れ影が伸びる。ぐわ、と伸びた影が左右へ消えていくとラギスが目を閉じ口の端を持ち上げた。

「一通り気配を探ってみたけど半成どころか生物の気配すらないね。侵入者は自動的にここへ転送される仕組みかな……ご苦労なことだ。見張りも居ないとなると、逃げられるなんて思ってないようだよ?」
「あら、あの格子随分柔らかかったわよ。手抜きにも程があるわ」
「少なくとも君にはね。いい加減自覚したらどうかな、通常の身体能力じゃないって」
「わかってるわよ?」
「じゃあ感覚が馬鹿になっているね。普通の人間との差異がほんの少しだと思ってるようだし」

 図星を突かれたシュヒアルは黙ってしまった。檻を振りればこの檻を曲げられないのが正解なのだとよくわかる。この場に居るのがラギスだけで良かったと心底ホッとした。「普通の人間」らしい演技が完全に崩れている状況に冷や汗も流れるが気にしない。長年の訓練でやっと食器類を壊さないようになったことを忘れていたのだ。

「嫌だわ、私ったら」
「それで誤魔化せるほど人族も愚かじゃないと思うけど? こっちだ」

 ラギスからすれば本来従僕でも召喚して内部を探らせたいところだったが、派手に動いて脱走を悟られるのは得策ではないと考えた。相手取るなら準備が必要だ。魔界ならまだしも瘴気のない人間界である。供給源が無限でない以上慎重にならざるを得ない。

 階段を上り通路奥にあった扉を開くとまた階段が現れた。
二つ目の階段の壁は石造りの無機質な雰囲気からガラリと変わって壁紙が貼ってある。階段の先にあった扉をラギスが開くとそこは物置だった。

「外の様子も確認したけどね、ここは魔木の守っていた屋敷とは違う建物みたいだ」
「ここも立派なお屋敷ね」
「貴族が暮らしていてもおかしくないけど、使用人が誰一人いない。でも人が住んでいないにしては手入れが行き届いてるな」
「管理人が別の建物で暮らしてるのでしょう。よくある話だわ」

 シュヒアルとラギスは何か紋章が入ったものが無いかと探し始めた。
貴族の家に養子に入る際、礼儀作法や言葉遣いなどと併行し、貴族の家格などについて徹底的に叩き込まれていたシュヒアルは家同士の相関図、特産、派閥…家を示す紋章などを覚えている。家の数だけ紋章は存在しているため、それさえ見れば誰が所有している屋敷かわかるのだ。

「わざわざ地下の部屋に檻を置いてあるんですもの、無関係なんてことはないわよね」
「それはもちろん」
「今回事態の収束にパドギリア子爵が動いているのだし、領地運営の妨げとして告発して吊し上げましょう」
「貴族様自身が犯人でない場合は? 駒が一つ減る程度のことかもしれないよ」
「あら、一つずつ取り上げればいいじゃない」

 二人は屋敷のあらゆる家具や小物類を見たが、どこにも紋章は見当たらなかった。玄関や建物にもそれらしいものはない。

「貴族のお屋敷ではないのかしら? それとも身に着けられるものにしか刻印していないとか」
「装飾に取り入れてる可能性は大いにあるね。何にせよ一つも見つからないなんてことはないと思うけど。仮に貴族ならね」
「そうよね。…盾があれば一番なのに。あれには必ず入っているから」

 剣や斧、槍や鎧などは見つかったのだが複数の武器に対して一つも盾が見つからなかった。次々に部屋を開け、書斎に入り手紙なども探したが手紙どころか書類、本の類も見られない。本棚はあるものの中身は空、身元どころか身分すら特定出来ないのである。

「ここに誰かが引っ越してくる、なんてことはないかな。ここは空き家のようなものでさ」
「あり得ない話ではないわね。綺麗にしてあるのも頷けるわ」
「空き家だからこそ転移陣が置かれたのかもしれない。一応人目を気にしている節もあったから」

 確かにそうだと納得し、書斎から出ようとした瞬間違和感に気が付いた。

「この本棚、壁から離れてるわ」
「本当だ」
「退かしてみましょう」

 シュヒアルが本棚の端を持ち引きずると、ぽっかりと空いた壁の先に階段が見えた。下の階に続いている。

「また階段だわ」
「好きだねぇ」
「行くわよ」

 階段を下りてみれば壁に寄りかかるようにして脱力している人影があった。光を当てると豪華な装いの死体が横たわっていた。

「身なりがいいね」
「ええ、間違いなく貴族だわ…どうしてこんなところに」
「紋章を身に着けてるんじゃないの」
「そうね、身元の確認はしておきましょ」

 骨になって朽ちてしまっている遺体に向かいシュヒアルは膝をついた。手を合わせ、目を閉じる。魂が正しく死後の世界に導かれるように祈ると目を開いた。これは冥福を願うと共に遺体が不死者アンデッドとして復活しないために民間で行われるものである。

「失礼します。貴方様を尊ぶ者たちに所在を告げなければなりません」

 すなわち、届かぬ地へ旅立ちを迎えたと。ラギスに任せることなく力加減に気を付けながら手を取り、袖の下に隠れた指を覗く。指輪の類はない。
 腕も首も装飾具はなく、やはり身元がわかるものは身に着けていなかった。しかしシュヒアルはふと思い立って靴の裏を見て見ることにした。

 昔はここにも紋章を入れたのだそうだ。人に見られる場所ではないからと廃れてしまったが、歴史ある家の者は未だに靴に紋章を入れていると習った記憶があった。
結論から言えば、紋章はある。靴底に掘られているだけあって多少すり減ってはいるが判別は可能だ。
しかし、掘られている紋章がまずかった。

「コルフェテルト公爵家……!!」

 コルフェテルト公爵家。現王にとって、この国にとって重要な家名だった。
 シュヒアルは息を飲み頭蓋骨のぽっかりと穴の開いた目を凝視した。「そうだ」という答えを期待していたわけではない。むしろそうだったらどうしたらいいのかと鼓動が早まっていく。嫌な汗が掌や背中にジットリと張り付き手が震えたが、もう一度ゆっくりと指を見分する。
 何者か分かった瞬間、シュヒアルはその正体を呟いた。



「宰相様」


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