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魔王降臨編
7. 戸惑い
しおりを挟む「ナァゴ」
猫の鳴き声が聞こえた気がしてハッと目を開いた。
慌てて起き上がれば自分の部屋のベッドに居ることがわかる。わかるのだが、兄と話をしていたはずなのに、とキサラは戸惑った。
「まただ」
理由はわからないが、幼い頃から痛みや恐怖を感じた瞬間意識が飛ぶ。気が付けば次の日になっていた、なんてことも少なくはない。もしや知らぬ間に何かが起きているのかと気にしたこともあるが、誰かにそれを指摘されたことがないため自分から問う勇気もなかった。
それよりも余程気にかかるのは、兄・テイザの態度だ。
普段は特に問題なく接しているのだが、時折恐ろしい眼差しを向けて来ることがある。怒気を孕んだ目と、底冷えするような冷たい表情。嫌悪を覗かせる眉と口元。今にも射殺さんばかりの視線をキサラの背中に投げかけるのだ。
ある雨の日に偶然、窓に映った兄の顔を見ていなければ一生気が付かないままだっただろう。気付いてしまえばその殺気は事あるごとに背後から投げかけられ、何かの間違いだと受け流すことも難しかった。
正面から悪感情をぶつけられた事こそ無いが、自分は兄に嫌われているのだと思っていた。
(てっきり、僕が居なくなったら喜ぶんだと思ってた)
シーラの「お願い」に便乗した形だったが、結局のところ外を見てみたいなんていうのは口実で、キサラ自身はどこか遠くへ逃げてしまいたかったのだ。
だから思い至りもしなかった。あんな風に怒るなんて。
のろのろとベッドから抜け出して顔を洗う。服を着替えて小屋へ向かった。
道中どんなことがあるかわからない以上テイザの同行を拒む理由はない。むしろこちらが頭を下げてでも願い出るべきことであるし、正直申し出は助かる。だというのに素直に喜べないのは少なからず混乱しているからだろう。
いや、今はそんなことを考えている暇はない。
まずはタスラとシーラに状況を伝えて、お世話になった商会の人たちに挨拶を。それから保存食を持ち出して、室内で栽培していた薬草を瓶詰して…。とにかくやることが山積みだ。
キサラは準備が出来次第すぐに出立するつもりだった。何しろ王都へ向かう途中冬を跨ぐので、なるべく早く移動して寒さを凌ぐ場を確保しなければならない。
「――というわけだから、家がどうなるか決まったらすぐにでも行くつもりだよ」
わかった! ありがとう! と喜んで跳ね上がったタスラとシーラはその勢いのまま揃って藁の中に手を入れた。中から出て来たのは少し汚れたぬいぐるみだ。
サッサ、とぬいぐるみに付いてしまった藁を払い、木箱の上に並べる。持って行くものは他に着替えが二、三着で、あっという間に荷造りが終わってしまった。
あまりにも少ない荷物を見て、この小屋では不自由も多かったはずだとキサラは申し訳ない気持ちになる。
けれど当の本人たちは実に満足げだ。
せめて旅装だけは丈夫なものを用意しよう。そう意気込んだキサラが小屋から出て行くと、二人は地図を広げた。
テイザには「王都に行く」と嘘を吐いていることも聞いたので、話を合わせなければならない。
事の発端といえば自分たちなので、立ち寄る王都についてあれやこれやと情報を共有し合う。行きたいと言い出したことになっている手前自分たちが何も知らないのではテイザに怪しまれるからだ。
「王都って言えば人はたくさん居るだろうけど、妖精も居るのかな?」
「獣人なら居るかも。多分外国との行き来があるよ」
「うーん、でもどうやって耳を隠そうかな」
「髪の毛を伸ばしてみるとか?」
「ええ、貴族でもないのにそんなに伸ばしてたら逆に目立つよ」
顔を合わせてクスクスと笑う。目的がなんであれ、旅路に期待がある心に偽りはない。小屋で過ごすことに不満こそないが、外を歩けるというのは格別に素晴らしいことだ。
どんな景色があって、どんな人々が居るのだろう。どんな植物、動物が見られるだろう。ついつい二人の声が弾み普段よりも大きな声が出ていた。
「楽しみだね」
「うん、それにきっと『陛下』ならキサラのことを助けてくれるよ」
「彼」ならば悪魔を追い出す方法を教えてくれるはず。何せ魔を統べる王なのだから。
夢中で話し合っていた二人は小屋の外に佇んでいる人影に気が付かなかった。気配すら遮断して盗み聞きをしていたその影はもう笑いが止まらないといった様子である。
直後トプン、と音がして真っ黒な影が地面を這いまわって行った。
影の行き先はこの村一番の大きなお屋敷だ。村長の住まいよりも遥かに大きいそれは伯爵家の別邸である。
「見た? シュヒアル様ったら今日も影が無かったわ」
「じゃあやっぱり本当に、魔女なのね」
「村人たちは魔女様の館なんて呼んで、このお屋敷に寄り着きもしないわ」
「もうこんなところ嫌よ。早く本邸へ戻りたい」
などとヒソヒソ言葉を交わす使用人の横を抜け、影は主の元へ戻って行った。
「ふぅん、そう。王都へ行くのね」
テイザが家を引き払いこの村を出ると聞き、すぐにでもキサラを屋敷へ迎え入れようと遣いを出した。が、どうやら小屋に匿っている半成も連れて完全にこの村を出る心積もりのようだ。
「見ようによっては絶好の機会だわ」
止むに止まれぬ事情があるのだとすれば、そこに颯爽と現れ手を差し伸べる自分はキサラの目にどう映るだろう。引き払う予定の家も即購入手続きを済ませ、使用人たちに管理させよう。掃除と維持を任せ、彼らが家に帰りたいと願えばすぐに引き渡せば良い。
影が賛同を示すように揺れるのを見やると、魔女は一層笑みを深めた。くるくると人差し指を回し、引き出しから通信用の魔導具を取り出すと恭しく長机の上へ置く。
中央に大きな魔石が埋め込まれたその魔導具は、庶民の手には到底届かない最高級品・ドワーフ製のもので、世に十と存在しないと言われている。意匠は素朴でありながら野暮ったくなく、性能は通常の物より抜きん出ている。といっても通常の通信用魔導具ですら限られた貴族しか持っていないのだが。
「良いわラギス、繋げなさい」
「かしこまりましたお嬢様」
ぬ、と影から現れた執事が魔力を流している間、その主人は長椅子へ優雅に腰かける。
[君か。用件はなんだね]
「お久しぶりですわねお義父様。早速ですがワタクシ、そろそろそちらへ伺おうと思いますの」
[おや随分と思い切ったものだね]
「ええ、実は欲しいものがございますのよ」
[これはこれは。魔女に見初められたのなら必ず手に入ることだろう。健闘を祈るよ]
「あら、魔女にお祈りだなんて。お義父様は相変わらず物好きですのね」
これもまた優雅な所作で紅茶を飲むと、魔女は姿の見えない義父を嗤った。
世界に認知されている“魔女”は、大まかに分けて二種類存在すると言われている。
悪魔と契約し使い魔として使役。魔物から魔力を受け取り魔法を操る「魔女」。
人間でありながら元々魔力をその身に宿す素質が備わっていた「魔女」。
どちらも魔物と契約を交わすが、それぞれ「後天的魔女」「先天的魔女」といった区分がされる。特に先天的魔女は前提として「魔に魅入られた存在」だ。
魔に魅入られたとされる者はその多くが短命で、地上を漂う僅かな魔素に影響されやすい。魔女・シュヒアルは先天的魔女、つまり元々「魔に魅入られた」者であった。
「お祈りであれば召喚士に捧げるのがよろしくてよ。お義父様まで魔女ではないかと疑われてしまうわ」
「魔女」という呼称のせいで勘違いされることも多いが、男であろうとも魔物を召喚し魔法を扱う者たちの総称は「魔女」である。
魔女たちは対価によって魔法を使うため、彼ら彼女らのために祈る者など居ない。示す対価は契約する内容や魔物によって異なり、払えなければ何らかの代償がある。詳しいことはどの魔女も語らないが、ともかく魔女とは未だ差別され迫害を受けている者たちだ。
[常々不思議なのだがね、君たち魔女と召喚士との違いは一体何であろうか]
使い魔召喚を行うのは魔女に限った話ではない。使い魔を召喚しても、召喚者自身が魔法を扱わない場合はその名称が「召喚士」となる。
魔女たちは古くから独自の権利を国から得ており、現代においてその存在は希少だ。
魔女専門の研究学者が居るくらいで、一つの授業として確立されているところもあるらしいと聞き及んでいる。魔法分野の奥深さ、というよりはその物珍しさが売りなのだろうが魔女自体は迫害を受け差別されるというのに学として挙げられた理由は一体何なのか。
一方召喚士は国から騎士として招集される者たちで、人々に尊敬され、憧れの的であった。華々しい役職でありながらその功績も数多く、同じく魔物と契約を交わす魔女とはその待遇も雲泥の差である。召喚士を仮に光とするならば魔女は影だろう。
「世の渡り方、かもしれませんわね」
魔女や召喚士は使用出来る魔法、召喚出来る魔物に差がある。魔女の召喚対象は「悪魔」「魔族」であり召喚士の召喚対象は「魔獣」だ。攻撃・戦闘に特化した魔物であったり、防衛に特化した魔物であったりと性質は様々。
これらは更に種類を細分化し分類出来るのだが、一般的に魔獣は魔族に比べ格下の存在である。格下の生物を使役しているのにあの扱いだ。基本的に魔女たちは召喚士が大嫌いだった。
悪魔と魔族の違いを人間たちは知らないが、魔族の中には「王魔族」という上級魔族の中でも一線を画す存在が居るらしい。召喚した者はこれまで居ないとされているが、これをなし得れば不毛な睨み合いは終わるのかもしれない。
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