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奪還編
Lv.84 計画終了。
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「っう、」
体が浮いたと思ったら、直後に落ちた。落下した高さはほんの僅かだったにも関わらず痛みに悶え、呻く。
剣を初めて握った余韻が今も血を熱くしていて、頭がうまく回らない。
全身に血が巡るような興奮も、滾るような熱さもこれまで体験したことがなかった。浮遊感を感じたのだって、単に宙を駆けるイヴァの背に乗っていたからというだけではないだろう。魔石を砕くときの衝撃が腕にビリビリと痺れを残し、同時に言い知れぬ恐怖が渦巻いた。力同士の衝突に飲み込まれてしまいそうな、未知の領域へ踏み込んだせいだろう。
皮膚は文字通り焼けた。腕のそれはまるで剥がれたように跡形もなくなり、魔力を纏った炎と風の中に身を置いていただけに他も無事ではすまない…はずだった。
「兄さん」
後ろ姿が遠くに見える。
一体兄さんは何をしたのだろう。気が付けば焼け爛れた皮膚が瞬く間に再生し、怪我なんてどこにもなかったかのように消え失せた。
痛みさえなければ、あれは夢だったと思う程に。
『私はここに残る』
耳の奥でシーラの言葉が反響する。ああ、今が夢じゃないなら、あの後どうなったのだろう。
目を閉じると今度はイヴァの声がした。
『魔導具を破壊しただけなら魔術は解けねぇだろう』
魔導具には動力源として魔石が必要なんだそうだ。
例えば魔物たちが魔力を貯める魔核のように、魔石に魔素を溜め込んで魔力に変換、活用するのである。
望遠鏡型の魔導具は複数立ち並んでいるが、魔石が組み込まれているのは一つで、他は連動していると言っていた。
そんな状況の中で残ると言い出したシーラに当然、僕とイヴァは反対した。タスラは首輪の強制力に飲み込まれてしまっているのだ。手加減などするはずがなかった。
けれどシーラも引かず、それが最善だと自ら囮を買って出る。覚悟を決めた目に見据えられてしまえばイヴァですら圧倒された。
『どうやって魔導具を破壊するつもりなの?』
魔法も使えないのに。
…シーラの言っていることは正しかった。
イヴァは魔法を使えない上、コルラスは攻撃魔法を扱えず、爆発力はない。魔導具の破壊は規模から見て絶望的だったのだ。
シーラはそこまで細かい事情を知らないが、この空間の魔封じについてはわかっていた。だからタスラへ下された命令を逆手に取ろうと考えたのだろう。
『タスラは半成を殺す為にここへ来る。私を目指して』
火の手もそうだが、タスラには時間が残されていない。取り込んだ妖精が弱っているせいで生命維持が難しくなる頃合いだ。疑似空間内に居る誰よりもタスラに死が迫っていることを知っていて、シーラが逃げ出せるはずもなかった。
魔導具の破壊がシーラを殺す手段として行われる。そう確信していたのだろう。
だが仮に破壊されたからといって終わる話でもない。
魔導具自体に術式が組まれているため、外枠が壊れれば効力は薄まるのだ。薄まる、という点でわかる通り効力が無くなるわけでもない。
本来なら魔石を魔導具から取り出した時点、または魔導具の外枠が壊れた時点で動作は停止するのだが、今回は魔術展開する場所が悪かった。
疑似空間に組み込まれた魔導具の術式が、疑似空間構成の術式とまで繋がっていたからである。
つまり魔石が魔導具から取り出されても空間自体が術式として展開されている以上、魔石の中に込められた魔力が枯渇するまで魔術は解けないということだ。「望遠鏡型の魔導具が破壊出来ても今度は“箱庭”全体が魔導具と化す」、要約すればそういうことなのだろう。
『魔導具がアイツに壊されたら、俺たちは魔石を狙うぞ』
タスラが命を落とさないようシーラを危険に晒す。矛盾を孕んだそれに目を閉じるしかなかった。機会を逃せば脱出すら遠のいてしまう。そして何より、それ以上の名案は浮かばなかった。
『コルラス、お前に頼みてぇことがある』
魔法陣、術式を用いてイヴァが準備している間にタスラの攻撃は始まった。土の属性色を纏っているおかげで位置・動きの把握がしやすい。
コルラスの結界が妨害の役割を果たし、一つ一つ魔導具を破壊しなければシーラの下へ到達出来ないようになっている。これが第一段階だ。
『これを持て』
『これは?』
『せいぜい一回限りの使い捨てってところか。これ自体は大したことねぇが、属性付加してなんとかする。魔石を砕くぞ』
魔法陣の真ん中に置かれたそれを持つと、片手で軽々持ち上げることが出来た。本物の剣ではありえないだろうが、それに呆けている間もなく、イヴァから手短に詠唱の説明があった。
『攻撃魔法は他の魔法より詠唱が短い。当然だな、延々唱えてる間にやられちまう』
攻撃魔法の詠唱が必要な理由は、コルラス自身が扱える精霊魔法に攻撃を司るものがなかったこと、疑似空間内に魔封じが施されているためだった。
剣を媒体と見立てて属性付加を成せば離散せずに癒着し、魔石に当てることが出来るのだろう。
見ればタスラは、既に最後の魔導具を破壊し始めていた。
『タスラ』
叫びが。耳から入って来たそれが喉や鼻を痛めつけた。目を逸らしてはいけない。魔石を見つけなければ
『あったぞ!』
そこからはハッキリと覚えてはいない。イヴァに飛び乗って、詠唱を…それから、それから……? 炎の中に身を置いていたところから先を、僕は知らない。
タスラは、シーラは、無事だろうか。
「キサラ」
コルラスが心配そうに僕の名前を呼んだのを最後に、意識が遠のいた。
◇◆◇◆◇
「まだ消えないのか」
パシャンと水が跳ねる音がするが、まだまだ足りたものではない。
溢れてきた汗を拭うことも出来ないまま炎に向き合う。
子爵邸へ戻ってすぐ、パドギリア子爵は執事に説明を任せどこかへ出かけて行ってしまった。
キサラは協会の幹部に連れて行かれ既に居なかったのだが、話を聞けば魔女・シュヒアルすら調査に出たまま戻ってきていないというではないか。執事からの簡単な説明が終わった瞬間、俺たちは子爵邸を飛び出していた。
事情に一番詳しいだろうキサラと合流するためまずファリオンが魔術でキサラを追った。
やっと開けた場所に出たと思えば建物が燃えていて、さらに大火傷を負っているキサラを見つけた。一瞬生きた心地がしなかったのはここだけの話だ。
癒しの笛を持っていたことや、妖精に出会いその扱いを知ったことは幸運としか言いようがない。すぐさま癒しの力を使えば酷い傷は見る間に消え失せた。
過去に瀕死の傷をこれで治されたことは知っていたが、力を目の当たりにすればその効果に驚くしかない。あの妖精なんてものを軽々しく持たせたんだ。感謝はするが、こんなものを渡された父の心境を思えば少し微妙な気持ちになった。
傷が治ったとはいえ、危険な場所から早くキサラを遠ざけなければならない。しかし今度は屋敷内にタスラとシーラが残っているというではないか。ここまで来て置いて行くわけにはいかないと、あの変な女から授かった力を振るい始めた。
「本当に水の精霊魔法が使えるようになったんですね」
「授かったのが中級の精霊魔法ならもっと上手く立ち回れると思うんだが、下級じゃ回しきれないな…燃え過ぎだろこれは」
「…時間切れです」
水を操る魔導具で魔術師・ファリオンが補助をしていたのだが、それも魔石内に溜め込んだ魔力が尽きたらしくこれ以上は望めない。イヴァという魔物は炎を食べるが、キサラと離れるわけにはいかない以上動けない。
俺が一人で立ち向かうしかないのだ。
「それにしても半成が思ったよりも居ますね。彼らは逃げないんでしょうか」
「逃げたくても、だろ。さっきの見たら気持ちもわかるがな」
「まぁ、仕方ありませんね」
先程鳥の半成が助けを呼んでくると上空に飛び立ったのだが、燃え盛る屋敷から黒い何かが飛んでいき地面にその半成を引きずり落とした。悲鳴を上げて逃げようとした半成たちだったが、離れようとしたらまたしてもそれが現れたのだ。炎の中から現れるそれに捕まれば、火の中へ引きずり込まれるかもしれない。誰も動けなくなってしまった。
「あれは」
ファリオンの声に釣られ上を見ると、高く上がった炎が風に煽られたかのように離散した。中から何かが飛び出し、ちょうど真正面に着地する。
「エルフ…?」
その光景を目撃していた全員が呆然とする。妖精なんぞほとんどお目にかかれるものではない。しかもその両脇にはタスラとシーラが抱えられているではないか。なんだ、アイツら無事だったのか。
思わず力が抜けそうになった体を叱咤し、火の進行を押し留める。
「これはまた、とんでもないですね」
炎から飛び出たエルフはキサラの横へタスラとシーラを降ろした。
駆け寄ったファリオンが状態を確認しているが、パッと見ただけでもタスラは腕や足がズタズタで血まみれだった。どう見ても重症だ。
「クソ、何が起こったんだ」
すぐにでも癒しをかけに向かいたいが、少しでも目を離したら大参事になる。徐々に火の手が俺たちを囲み始めたために身動きも出来ない
「水の加護か。ちょうどいい」
先程のエルフが横に立ち俺の精霊魔法を補助し始めた。といっても、それはすぐに補助なんて生温いものではなくなるんだが。
「水を纏え、風の民よ。この無粋な炎を排除せよ。これは森を焼くものである。これは森を喰らうものである。これは侵略である。守れ、勇士たちよ。水の加護は我らと共に在る」
ゴウ、と風が起き俺が展開した精霊魔法が広がっていく。小規模だった水の展開は雨のように広範囲へ行き届き始め、炎を周りから覆うようにして風が水を巻き込んでいく。一部は滝のように水が上から下へ。地面へ水が落ちる前に風がまた上に押し上げ、グルグルと回っている。
循環一つで相乗効果が現れたのか、内側に火が煽られ規模が縮小されたように見えた。
せいぜい被害を抑える程度にとどまると思っていただけに、鎮静の兆しは興奮を煽った。いけるかもしれない
「“現界せよ”」
弓を構えたエルフが次々に矢を放ち、脆くなった建物を崩し始めた。どうやら燃えるものを失くすことで消火を早めようとしているらしい。
炎はもちろんのことだが、風や水が分厚く層を作っている中でよく矢が当たるもんだ。それどころか詠唱を唱えて俺の精霊魔法の効果を高めていく。嘘だろ、一体幾つ同時に魔法を操ってるんだ
「アンタ、一体…」
言い切る前に後方が騒がしくなってきた。なんだ、今度は。
「見ろ、騎士団だ!」
「! 前方火災につき、この場に居る者を避難させる。第一班は誘導、第二班は怪我人の保護、第三班は私に続き消火へ移れ」
「「「はっ!」」」
騎士団!? 半成の事件に出張って来るなんてあり得ないだろ。思ってたより大事なのか、これ。
大量の足音で騎士たちが一斉に動き出したのがわかる。が、問題は炎の中から伸びる、あの黒い何かだ。
騎士たちからも驚きの声が上がるが、どうやら果敢に立ち向かっているらしい。怒号と共に指示が飛んでいるのが聞こえる。消火に加わるはずだった第三班とやらは得体の知れない黒い何かとの戦いに臨んでしまったため誰もこちらにやって来ない。
「人族、あの部分に水を落とせ。他は気にせず全力を注いで当てろ」
「あぁ!? どこだよ」
「上だ」
「…あれか」
色々気に入らないが後回しだ。
「増せ、溢れろ、恵みよ巡り、押し流せ!」
風に指示を出しているのも、なんらかの精霊魔法を展開しているのも横のエルフだ。
水は徐々に球体になり、小さかったそれはやがて炎すら巻き込んで膨れ上がって行った。
「な、」
驚きのどよめきがわずかに聞こえたが、風と水の音でほとんどかき消されたようだ。俺も正直現状には驚いているが、つまらないことに気を散らして大参事を招くのは遠慮したい。水を呼び続け必要なら流れを生むように念じた。
そうしていると水と風を纏った球体は屋敷と思われるそれを覆う大きさになり、黒の何すら飲み込んだ。
水の奥には炎が揺らめいているのが見える。
エルフが前に躍り出て、手を水の動きとは反対にぐるりと回す。かと思えば両手を何かを潰す様に素早く、力強く握り込んだ。
風がその動きを再現するかのように大きく膨れ上がった水の球体を圧縮し、炎を押し潰す。瞬間水が勢いよく弾け飛び、大雨のように辺り一帯に降り注いだ。
水が地面を叩くのが終わり、やっと顔を上げれば炎はどこにも残っていない。
辺りは水浸しで、建物があった場所には真っ黒に燃え焦げた炭のような残骸。その場にいた全員がずぶ濡れで立ち尽くすという光景。
ずる、と足から力が抜けた俺は水溜りの中にバシャンと音を立て後ろに倒れた。
「人族、いいか」
「何もよくないんだが」
「妖精と契約していない者とは話が出来ないのだ。通訳をしてくれないか」
「通訳ぅ?」
複数の精霊魔法を操っていたのに俺よりもピンピンしている。これが妖精と人間の違いってやつか。
脱力した体を無理矢理引き上げられ、騎士とエルフの仲介を任された。いや任されたくないんだが。
知ったことは、あの魔女が行方知れずになり、騎士団へ要請が行ったこと。騎士団が急の要請にも関わらずそれなりの数を引きつれてやって来たのは、消えたのが伯爵令嬢だったからだという。それも誘拐が絡んでいるといったら、まぁ妥当なんだろう。…この場に居ないならアイツらどこへ行ったんだ?
それよりもこのエルフが協会幹部のワガヌ・ロッドだというのに驚いた。
非公式な話し合いだったが、協会と騎士団は対立関係にあると聞く。だからなのかわからないが、半成関係の処理は全て騎士団がロッドに押し付けていた。調査ならまだしも、居合わせた以上事後処理くらい請け負っても良さそうなもんなんだが。
協会が半成関係の事後処理を、騎士団は伯爵令嬢・シュヒアルの捜索を引き続き請け負うことが決まった。魔女であるうえ協会の人間なんだが、余計なことは言わない方がいいだろう。
「焼け跡の調査は我々が。そちらはお任せします」
火がなくなった今、第一班とやらは誘導の任を解かれ、騎士団全てが焼け跡の調査を始めた。
後は自分たちでやれということらしい。変に言いがかりをつけられなかっただけマシだと思うべきだろうか。
「少年は私が。意識がなければ運べないだろう」
「おう、悪いな」
全く悪びれていないイヴァが、小さな姿に変化するとロッドの背中へ張り付いた。
もう一つ、小動物がふよふよと浮かびながらキサラをジッと見ている。何だアレ。
「その持ち方なんとかならないのか」
「行きもこれだったのだが」
「意識がないからもう少し丁重に頼む」
「…なるほど」
小脇に抱えたことにギョッとして、せめて頭が揺れないようにと提案したら担ぎ上げた。…わざとやってるのか? 表情が一向に変わらないので全く思考が読めない。表情に変化があったとしても理解出来るかどうかは別だが。
「ほら、貴方はタスラくんを頼みますよ」
ファリオンは意識の無いシーラを背負いながらキビキビ動き出した。
俺は簡単に処置を施されたタスラの前に跪いて傷を覗き込んだ。思わず顔を顰めてしまうくらい、ズタズタになっている。
「“癒しを”」
治ることは治るんだが、治癒は痛みまで消してはくれない。意識がないはずのタスラが痛みに叫んで暴れ出すくらいには。
「がぁあああっうあぁっ!!!」
腕と足の傷ばかり気にしていたが、シーラを庇ったのか背中部分が焦げていた。
「…本当に、何があったんだよ」
絶叫を上げ暴れるタスラを、これ以上傷が付かないよう抑え込みながら問いかける。当然答えは返って来ない。
体が浮いたと思ったら、直後に落ちた。落下した高さはほんの僅かだったにも関わらず痛みに悶え、呻く。
剣を初めて握った余韻が今も血を熱くしていて、頭がうまく回らない。
全身に血が巡るような興奮も、滾るような熱さもこれまで体験したことがなかった。浮遊感を感じたのだって、単に宙を駆けるイヴァの背に乗っていたからというだけではないだろう。魔石を砕くときの衝撃が腕にビリビリと痺れを残し、同時に言い知れぬ恐怖が渦巻いた。力同士の衝突に飲み込まれてしまいそうな、未知の領域へ踏み込んだせいだろう。
皮膚は文字通り焼けた。腕のそれはまるで剥がれたように跡形もなくなり、魔力を纏った炎と風の中に身を置いていただけに他も無事ではすまない…はずだった。
「兄さん」
後ろ姿が遠くに見える。
一体兄さんは何をしたのだろう。気が付けば焼け爛れた皮膚が瞬く間に再生し、怪我なんてどこにもなかったかのように消え失せた。
痛みさえなければ、あれは夢だったと思う程に。
『私はここに残る』
耳の奥でシーラの言葉が反響する。ああ、今が夢じゃないなら、あの後どうなったのだろう。
目を閉じると今度はイヴァの声がした。
『魔導具を破壊しただけなら魔術は解けねぇだろう』
魔導具には動力源として魔石が必要なんだそうだ。
例えば魔物たちが魔力を貯める魔核のように、魔石に魔素を溜め込んで魔力に変換、活用するのである。
望遠鏡型の魔導具は複数立ち並んでいるが、魔石が組み込まれているのは一つで、他は連動していると言っていた。
そんな状況の中で残ると言い出したシーラに当然、僕とイヴァは反対した。タスラは首輪の強制力に飲み込まれてしまっているのだ。手加減などするはずがなかった。
けれどシーラも引かず、それが最善だと自ら囮を買って出る。覚悟を決めた目に見据えられてしまえばイヴァですら圧倒された。
『どうやって魔導具を破壊するつもりなの?』
魔法も使えないのに。
…シーラの言っていることは正しかった。
イヴァは魔法を使えない上、コルラスは攻撃魔法を扱えず、爆発力はない。魔導具の破壊は規模から見て絶望的だったのだ。
シーラはそこまで細かい事情を知らないが、この空間の魔封じについてはわかっていた。だからタスラへ下された命令を逆手に取ろうと考えたのだろう。
『タスラは半成を殺す為にここへ来る。私を目指して』
火の手もそうだが、タスラには時間が残されていない。取り込んだ妖精が弱っているせいで生命維持が難しくなる頃合いだ。疑似空間内に居る誰よりもタスラに死が迫っていることを知っていて、シーラが逃げ出せるはずもなかった。
魔導具の破壊がシーラを殺す手段として行われる。そう確信していたのだろう。
だが仮に破壊されたからといって終わる話でもない。
魔導具自体に術式が組まれているため、外枠が壊れれば効力は薄まるのだ。薄まる、という点でわかる通り効力が無くなるわけでもない。
本来なら魔石を魔導具から取り出した時点、または魔導具の外枠が壊れた時点で動作は停止するのだが、今回は魔術展開する場所が悪かった。
疑似空間に組み込まれた魔導具の術式が、疑似空間構成の術式とまで繋がっていたからである。
つまり魔石が魔導具から取り出されても空間自体が術式として展開されている以上、魔石の中に込められた魔力が枯渇するまで魔術は解けないということだ。「望遠鏡型の魔導具が破壊出来ても今度は“箱庭”全体が魔導具と化す」、要約すればそういうことなのだろう。
『魔導具がアイツに壊されたら、俺たちは魔石を狙うぞ』
タスラが命を落とさないようシーラを危険に晒す。矛盾を孕んだそれに目を閉じるしかなかった。機会を逃せば脱出すら遠のいてしまう。そして何より、それ以上の名案は浮かばなかった。
『コルラス、お前に頼みてぇことがある』
魔法陣、術式を用いてイヴァが準備している間にタスラの攻撃は始まった。土の属性色を纏っているおかげで位置・動きの把握がしやすい。
コルラスの結界が妨害の役割を果たし、一つ一つ魔導具を破壊しなければシーラの下へ到達出来ないようになっている。これが第一段階だ。
『これを持て』
『これは?』
『せいぜい一回限りの使い捨てってところか。これ自体は大したことねぇが、属性付加してなんとかする。魔石を砕くぞ』
魔法陣の真ん中に置かれたそれを持つと、片手で軽々持ち上げることが出来た。本物の剣ではありえないだろうが、それに呆けている間もなく、イヴァから手短に詠唱の説明があった。
『攻撃魔法は他の魔法より詠唱が短い。当然だな、延々唱えてる間にやられちまう』
攻撃魔法の詠唱が必要な理由は、コルラス自身が扱える精霊魔法に攻撃を司るものがなかったこと、疑似空間内に魔封じが施されているためだった。
剣を媒体と見立てて属性付加を成せば離散せずに癒着し、魔石に当てることが出来るのだろう。
見ればタスラは、既に最後の魔導具を破壊し始めていた。
『タスラ』
叫びが。耳から入って来たそれが喉や鼻を痛めつけた。目を逸らしてはいけない。魔石を見つけなければ
『あったぞ!』
そこからはハッキリと覚えてはいない。イヴァに飛び乗って、詠唱を…それから、それから……? 炎の中に身を置いていたところから先を、僕は知らない。
タスラは、シーラは、無事だろうか。
「キサラ」
コルラスが心配そうに僕の名前を呼んだのを最後に、意識が遠のいた。
◇◆◇◆◇
「まだ消えないのか」
パシャンと水が跳ねる音がするが、まだまだ足りたものではない。
溢れてきた汗を拭うことも出来ないまま炎に向き合う。
子爵邸へ戻ってすぐ、パドギリア子爵は執事に説明を任せどこかへ出かけて行ってしまった。
キサラは協会の幹部に連れて行かれ既に居なかったのだが、話を聞けば魔女・シュヒアルすら調査に出たまま戻ってきていないというではないか。執事からの簡単な説明が終わった瞬間、俺たちは子爵邸を飛び出していた。
事情に一番詳しいだろうキサラと合流するためまずファリオンが魔術でキサラを追った。
やっと開けた場所に出たと思えば建物が燃えていて、さらに大火傷を負っているキサラを見つけた。一瞬生きた心地がしなかったのはここだけの話だ。
癒しの笛を持っていたことや、妖精に出会いその扱いを知ったことは幸運としか言いようがない。すぐさま癒しの力を使えば酷い傷は見る間に消え失せた。
過去に瀕死の傷をこれで治されたことは知っていたが、力を目の当たりにすればその効果に驚くしかない。あの妖精なんてものを軽々しく持たせたんだ。感謝はするが、こんなものを渡された父の心境を思えば少し微妙な気持ちになった。
傷が治ったとはいえ、危険な場所から早くキサラを遠ざけなければならない。しかし今度は屋敷内にタスラとシーラが残っているというではないか。ここまで来て置いて行くわけにはいかないと、あの変な女から授かった力を振るい始めた。
「本当に水の精霊魔法が使えるようになったんですね」
「授かったのが中級の精霊魔法ならもっと上手く立ち回れると思うんだが、下級じゃ回しきれないな…燃え過ぎだろこれは」
「…時間切れです」
水を操る魔導具で魔術師・ファリオンが補助をしていたのだが、それも魔石内に溜め込んだ魔力が尽きたらしくこれ以上は望めない。イヴァという魔物は炎を食べるが、キサラと離れるわけにはいかない以上動けない。
俺が一人で立ち向かうしかないのだ。
「それにしても半成が思ったよりも居ますね。彼らは逃げないんでしょうか」
「逃げたくても、だろ。さっきの見たら気持ちもわかるがな」
「まぁ、仕方ありませんね」
先程鳥の半成が助けを呼んでくると上空に飛び立ったのだが、燃え盛る屋敷から黒い何かが飛んでいき地面にその半成を引きずり落とした。悲鳴を上げて逃げようとした半成たちだったが、離れようとしたらまたしてもそれが現れたのだ。炎の中から現れるそれに捕まれば、火の中へ引きずり込まれるかもしれない。誰も動けなくなってしまった。
「あれは」
ファリオンの声に釣られ上を見ると、高く上がった炎が風に煽られたかのように離散した。中から何かが飛び出し、ちょうど真正面に着地する。
「エルフ…?」
その光景を目撃していた全員が呆然とする。妖精なんぞほとんどお目にかかれるものではない。しかもその両脇にはタスラとシーラが抱えられているではないか。なんだ、アイツら無事だったのか。
思わず力が抜けそうになった体を叱咤し、火の進行を押し留める。
「これはまた、とんでもないですね」
炎から飛び出たエルフはキサラの横へタスラとシーラを降ろした。
駆け寄ったファリオンが状態を確認しているが、パッと見ただけでもタスラは腕や足がズタズタで血まみれだった。どう見ても重症だ。
「クソ、何が起こったんだ」
すぐにでも癒しをかけに向かいたいが、少しでも目を離したら大参事になる。徐々に火の手が俺たちを囲み始めたために身動きも出来ない
「水の加護か。ちょうどいい」
先程のエルフが横に立ち俺の精霊魔法を補助し始めた。といっても、それはすぐに補助なんて生温いものではなくなるんだが。
「水を纏え、風の民よ。この無粋な炎を排除せよ。これは森を焼くものである。これは森を喰らうものである。これは侵略である。守れ、勇士たちよ。水の加護は我らと共に在る」
ゴウ、と風が起き俺が展開した精霊魔法が広がっていく。小規模だった水の展開は雨のように広範囲へ行き届き始め、炎を周りから覆うようにして風が水を巻き込んでいく。一部は滝のように水が上から下へ。地面へ水が落ちる前に風がまた上に押し上げ、グルグルと回っている。
循環一つで相乗効果が現れたのか、内側に火が煽られ規模が縮小されたように見えた。
せいぜい被害を抑える程度にとどまると思っていただけに、鎮静の兆しは興奮を煽った。いけるかもしれない
「“現界せよ”」
弓を構えたエルフが次々に矢を放ち、脆くなった建物を崩し始めた。どうやら燃えるものを失くすことで消火を早めようとしているらしい。
炎はもちろんのことだが、風や水が分厚く層を作っている中でよく矢が当たるもんだ。それどころか詠唱を唱えて俺の精霊魔法の効果を高めていく。嘘だろ、一体幾つ同時に魔法を操ってるんだ
「アンタ、一体…」
言い切る前に後方が騒がしくなってきた。なんだ、今度は。
「見ろ、騎士団だ!」
「! 前方火災につき、この場に居る者を避難させる。第一班は誘導、第二班は怪我人の保護、第三班は私に続き消火へ移れ」
「「「はっ!」」」
騎士団!? 半成の事件に出張って来るなんてあり得ないだろ。思ってたより大事なのか、これ。
大量の足音で騎士たちが一斉に動き出したのがわかる。が、問題は炎の中から伸びる、あの黒い何かだ。
騎士たちからも驚きの声が上がるが、どうやら果敢に立ち向かっているらしい。怒号と共に指示が飛んでいるのが聞こえる。消火に加わるはずだった第三班とやらは得体の知れない黒い何かとの戦いに臨んでしまったため誰もこちらにやって来ない。
「人族、あの部分に水を落とせ。他は気にせず全力を注いで当てろ」
「あぁ!? どこだよ」
「上だ」
「…あれか」
色々気に入らないが後回しだ。
「増せ、溢れろ、恵みよ巡り、押し流せ!」
風に指示を出しているのも、なんらかの精霊魔法を展開しているのも横のエルフだ。
水は徐々に球体になり、小さかったそれはやがて炎すら巻き込んで膨れ上がって行った。
「な、」
驚きのどよめきがわずかに聞こえたが、風と水の音でほとんどかき消されたようだ。俺も正直現状には驚いているが、つまらないことに気を散らして大参事を招くのは遠慮したい。水を呼び続け必要なら流れを生むように念じた。
そうしていると水と風を纏った球体は屋敷と思われるそれを覆う大きさになり、黒の何すら飲み込んだ。
水の奥には炎が揺らめいているのが見える。
エルフが前に躍り出て、手を水の動きとは反対にぐるりと回す。かと思えば両手を何かを潰す様に素早く、力強く握り込んだ。
風がその動きを再現するかのように大きく膨れ上がった水の球体を圧縮し、炎を押し潰す。瞬間水が勢いよく弾け飛び、大雨のように辺り一帯に降り注いだ。
水が地面を叩くのが終わり、やっと顔を上げれば炎はどこにも残っていない。
辺りは水浸しで、建物があった場所には真っ黒に燃え焦げた炭のような残骸。その場にいた全員がずぶ濡れで立ち尽くすという光景。
ずる、と足から力が抜けた俺は水溜りの中にバシャンと音を立て後ろに倒れた。
「人族、いいか」
「何もよくないんだが」
「妖精と契約していない者とは話が出来ないのだ。通訳をしてくれないか」
「通訳ぅ?」
複数の精霊魔法を操っていたのに俺よりもピンピンしている。これが妖精と人間の違いってやつか。
脱力した体を無理矢理引き上げられ、騎士とエルフの仲介を任された。いや任されたくないんだが。
知ったことは、あの魔女が行方知れずになり、騎士団へ要請が行ったこと。騎士団が急の要請にも関わらずそれなりの数を引きつれてやって来たのは、消えたのが伯爵令嬢だったからだという。それも誘拐が絡んでいるといったら、まぁ妥当なんだろう。…この場に居ないならアイツらどこへ行ったんだ?
それよりもこのエルフが協会幹部のワガヌ・ロッドだというのに驚いた。
非公式な話し合いだったが、協会と騎士団は対立関係にあると聞く。だからなのかわからないが、半成関係の処理は全て騎士団がロッドに押し付けていた。調査ならまだしも、居合わせた以上事後処理くらい請け負っても良さそうなもんなんだが。
協会が半成関係の事後処理を、騎士団は伯爵令嬢・シュヒアルの捜索を引き続き請け負うことが決まった。魔女であるうえ協会の人間なんだが、余計なことは言わない方がいいだろう。
「焼け跡の調査は我々が。そちらはお任せします」
火がなくなった今、第一班とやらは誘導の任を解かれ、騎士団全てが焼け跡の調査を始めた。
後は自分たちでやれということらしい。変に言いがかりをつけられなかっただけマシだと思うべきだろうか。
「少年は私が。意識がなければ運べないだろう」
「おう、悪いな」
全く悪びれていないイヴァが、小さな姿に変化するとロッドの背中へ張り付いた。
もう一つ、小動物がふよふよと浮かびながらキサラをジッと見ている。何だアレ。
「その持ち方なんとかならないのか」
「行きもこれだったのだが」
「意識がないからもう少し丁重に頼む」
「…なるほど」
小脇に抱えたことにギョッとして、せめて頭が揺れないようにと提案したら担ぎ上げた。…わざとやってるのか? 表情が一向に変わらないので全く思考が読めない。表情に変化があったとしても理解出来るかどうかは別だが。
「ほら、貴方はタスラくんを頼みますよ」
ファリオンは意識の無いシーラを背負いながらキビキビ動き出した。
俺は簡単に処置を施されたタスラの前に跪いて傷を覗き込んだ。思わず顔を顰めてしまうくらい、ズタズタになっている。
「“癒しを”」
治ることは治るんだが、治癒は痛みまで消してはくれない。意識がないはずのタスラが痛みに叫んで暴れ出すくらいには。
「がぁあああっうあぁっ!!!」
腕と足の傷ばかり気にしていたが、シーラを庇ったのか背中部分が焦げていた。
「…本当に、何があったんだよ」
絶叫を上げ暴れるタスラを、これ以上傷が付かないよう抑え込みながら問いかける。当然答えは返って来ない。
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