ロルスの鍵

ふゆのこみち

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転移陣編

56. 三匹の毛玉

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「呪いが解ければ俺は、全てを思い出す」

 そう語ったイヴァラディジの姿は、瞬きの間に掻き消えた。

「──疑似空間」

 パッと砂時計を見上げれば、そこには例の歯車時計が付いていた。「眠りへの魔力的干渉」の証。現実世界は今、一体どうなっているのか。

(イヴァが魔法の展開を許すなんて)

 話に集中していたから、なのだろうか。どことなく違和感を覚えたキサラは、その場に座り口元に手をやる。……果たして彼が、魔法の予兆を見逃すだろうか?

 意識が疑似空間へ飛ぶ直前、近くにはタスラしか居なかった。ということは遠隔での術式展開か、予めあの場所に何らかの仕掛けがあったと考えられる。

 だとすると狙いはパドギリア子爵か、それとも。

 考えに没頭している頭上で、対の砂時計がクルリと回った。

「久しいなキサラ。息災か」

 ナキアは座り込んだキサラを見て「ふむ」と一つ頷き、その隣へふわりと腰を下ろした。今日は椅子や机がないからか、どことなく距離が近い。

「久しぶり、ナキア」
「そちらは今どうしている?」
「牢からは無事に脱出出来たよ。誤解も綺麗に解けたし」
「切り抜けたか。……顔色も、以前ほど悪くないと見える」
「コルも元気!」
「うわっ!!?」

 やぴー! と機嫌よさげに声を上げたのは、間違いなくコルラスだ。キサラの首元から頭へとよじ登り、満足そうにむふん、と鼻を鳴らす。
 それは感触があり、はっきりとした輪郭を持っている。「疑似空間の生み出した」幻影などではなく本物のコルラスだと確信したキサラは、驚きに目を瞬かせた。

「え、ど、どうやって」
「これは……小妖精か」
「コル小妖精違う!」
「わかってる、わかってるよ。でも、コルラスの分の砂時計はどこにもないし……もしかして、起きた状態のままここに?」
「キサラひゅーんしたから付いて来るした」
「本来、外部からの侵入は不可能なのだが」
「えっ」
「術者である私からの招待がない限り、この空間を認識することは出来ない」

 「夢魔であれば別だが」と言いながら、ナキアはジトリとコルラスを見た。
するとそれに対抗するようにして、コルラスが果敢に睨み返す。

「ええと、この子はコルラス。ナキアの言う通り妖精で、僕と契約してくれた子だよ」
「コル、キサラだけの妖精!」

 コルラスはててーんと誇らしげに腹部を披露した。刻まれた契約印を見たナキアは器用に片眉を上げ、今度はキサラを見る。
そうだと頷きを返すと、ナキアはもう一度コルラスを見た。

 ……余談だが、コルラスは屋敷ですれ違う人間全てに契約印を見せびらかしている。けれど只人である彼らは妖精の姿を見ることが出来ないので、誰も気付いてはいない。

「契約に伴う強固な結びつき、か。知識はあったが想定以上の効果があるようだ。契約内容はどうなっている?」
「契約内容?」
「その様子では対価の要求などなかったようだな。妖精族であればそれもあり得る話だ」
「へへん」
「しかしコレの侵入が契約に関係しているのか、上級の精霊魔法という特異な存在が由来しているのか。実に不可思議だ」
「コルわかるした。賢い」
「当事者の理解が及ばない方が問題だ。そう偉ぶるものではない」
「もしかして妖精との相性が悪い」

 キサラとしては、コルラスが疑似空間へ来ることが出来た理由よりも、眠った際に疑似空間へ降りられなかったことの方が気にかかる。二人(一人と一匹)の気を逸らす狙いもあり、素直に聞いてみることにした。

「悪魔の真名を引き出しただろう」
「もしかしてそれが原因で?」
「いいや、名を引き出すだけならば然程苦労はない。が、仮初とはいえ肉体を与えたことで空間を正常に維持するための魔力が残らなかったのだ」

 早い話が疑似空間の基盤自体は存在していたものの、再構築と形成に時間を要した、ということらしい。

「あの悪魔には予測出来たはずだが」
「イヴァが? 何も言ってなかったよ」
「必要ないと判じたのだろう。奴にしてみればたかが夢だ。それに、通常の条件下であればこの規模の魔法を二度も三度も展開しようとは思わないからな」

 単に「もう会うことはないだろう」と思われていたらしい。イヴァラディジにとって「共有すべき情報」ではなかったのだ。

「あ、でも結構文句を言ってたよ。どうして動物の姿にしたのかって」
「アレは元々人型のはずだが」
「イヴァもそう言ってた。でも、なんでか人型に戻れないって。あれ? ナキアが動物の身体をくれたわけじゃないの?」
「いいや? 生物はどれも見かけほど単純な造りではない。一から肉体組織を構築するには、必ず引用元が必要になる。アレの場合は私の肉体を転写し、基礎及び基盤として引用した。……造型が他の種に寄る要素などないはずだが」

 確かに、ナキアの肉体はどう見ても人型のそれである。では呪いの作用だろうか?
キサラとナキア、それにつられるようにしてコルラスが首を傾げた。

「原因はこちらで調査しよう。『中途半端な魔法術式を構築した』などと侮られるのは耐えがたい」

 キサラは以前、疑似空間で行った「記憶の再現」を用いてイヴァラディジの姿を映し出すことにした。右側には狼のような生き物、左側には兎のような動物が浮かび上がる。
どちらも半透明で、大きさは同じ。立体物としての質量に再現性はなかった。

「二種の形態か。見たところ獣人というわけでもなさそうだ。もしも自在に肉体の形状を変化させるのであれば『元来の特性或いは性質』が『発現』したとも考えられるが……そうでなければ外的要因によるものだろう」

 例えば、呪いの作用。例えば、何らかの形での干渉。

 ナキアは用紙を取り出し、キサラから「人間界の文字」を教わりながら要項をまとめていった。思考に則って書き取ることが、特に言語習得と結びつくためである。

「呪いの一部が解けたことで解呪は自然と進行しているはずだ。だがその効果がどの程度続くのかは不明、呪いが瓦解し完全に消失するのか、或いは都度溶かし、解き、解呪を促す必要があるのか否か」
「確か解呪のきっかけって、妖精界の海、だったよね。もし都度解呪を促す必要があるってなったとき、また行く、なんて無理……だよね?」
「知っての通り、妖精界自体が意図して到達出来る領域ではない。手段として数えない判断は支持しよう」
「他の方法を探す必要がある……妖精界に並ぶような」
「既に綻びのある呪いだ、そう深刻に考えずとも良いだろう。それよりも、何か経過に問題はないか」
「問題、って言われると微妙なんだけど、イヴァの方に少し影響があるみたい。解呪が進むにつれて、記憶が戻って来てるって」
「記憶が戻る。ふむ。とすると、封印を目的として呪いが用いられた可能性もあるか」
「封印……?」
「あくまで予測、確定的な事項ではない。ただ、『封印として呪いが用いられた』場合、現状予想出来る可能性は二つだ。何者かにとってイヴァとやらの存在が邪魔だったか、もしくは」



「キサラ自身に『何かが封じられている』か」



 長い指が真っ直ぐに伸び、キサラの心臓を指す。イヴァラディジの記憶や、呪いに紐づけられて起きている現象が、単なる副産物でしかないとしたら。

 キサラの背筋がぞわりと粟立った。

「──と、脅すようなことを言ったが、深読みはし過ぎるくらいでちょうど良いだろう。万全に備え、杞憂で終わる。それを最善と呼ぶのだ」
「常に最悪の事態を想定する?」
「そういうことだ。何かあればこの小妖精を盾にでもすれば良い」
「コル、盾ないしても守る出来る」
「ところでコレとはいつ契約を交わした?」
「さっき」
「ッハ」

 鼻で笑われたコルラスが果敢に攻撃を仕掛けたが、ナキアには届きもしない。人差し指一本を額に置かれ、腕をがむしゃらに振り回したところで全て空振りである。

「攻撃・防御、共に役立つとは到底思えぬが」
「失礼なー!! コルは有能!」
「それを判断するのはお前ではない。キサラ、ここはひとつ贈り物をしようではないか」
「やだー! 要らないー!!」
「貴様宛ではない。控えていろ小妖精」

 ぴこん、と額を指で弾かれ、コルラスは後ろへコロコロと転がって行ってしまった。

「そろそろ時間のようだ」

 見れば歯車の時計は間もなく頂点を示す。キサラはコルラスを掌に乗せ、またしても攻撃を仕掛けようとする体を優しく抑え込んだ。

「妖精に悪魔、ここに動物が一匹加わったところで何も変わるまい」

 紫の瞳は満足そうに笑みを浮かべ、眠りから覚める少年を見送った。



◆◇◆



「う、重い」

 キサラは息苦しさに呻きながら目を開いた。胸には何かが乗っている。

「ナキア……?」

 しなやかな黒い体躯、そして紫の瞳。考える間もなく零れ落ちた名に、キサラ自身も驚いた。目の前の黒猫はキサラの言葉を肯定するように頷きを返したが、さてこれは変身術か、はたまたこちらが本当の姿なのか。

 寝起きのぼんやりとした頭、重い瞼を持ち上げながら、キサラはマジマジとその姿を見た。
人型の時と変わらない、高貴とも呼ぶべき理性的な瞳の輝き。毛並みはつややかで、丁寧に手入れされているのが窺える。
堂々とした姿は凛々しく見え、ピンと尻尾を立て優雅な歩きだ。

 問題はキサラの胸の上を歩いているため、動く度に「ぐえ」と声が上がるぐらいだろう。

「ナァゴ」
「あ、鳴き声は猫なんだ」
〔普段は猫として振舞うが、この通り念話での意思疎通も可能だ〕
「すごいにゃむにゃむ言ってる……」
「そこ退く、コルの場所―!」
〔契約を交わしたばかりで付き合いの浅い其方にはわからぬだろう。ここは私の場所だ〕
「嘘吐く良いない。契約する、コルだけ!」

 何やら言い争いが始まったが、キサラはもう慣れてしまった。それよりも、見れば見る程綺麗な毛並みである。つい無意識に手を伸ばすと、ひょいと避けられてしまった。

「げふ、」

 避けたはずみで胸を足蹴にされ、軽く咳き込むキサラを見てナキアは髭をぴくりと動かした。キサラの腕を尻尾で撫でつけながら、するりと寝台を降りる。やや気まずそうな後ろ姿である。

「ッチ、そよ風がぴぃぴぃとやかましいな。俺の眠りを妨げるなんざ良い度胸……おい、なんだありゃ。野良猫が入り込んでんぞ。警備はどうしたんだ警備は」
〔人族如きに私の歩みが止められるものか〕
「ンぁー?? なんだコイツ、ただの猫じゃあねぇな」
「イヴァ、ナキアだよ。疑似空間で会ったの覚えてない?」
「言われてみりゃ色は同じだな。にしてもなんでこんなとこに居る」
「人型になれない理由を調べてくれるって」
「本当か!?」

 イヴァラディジは途端に目を輝かせ、キサラの腕をぐいぐいと引っ張りながらナキアに接近した。動物の姿で過ごすのは中々に不便なようで、日常的にぶちぶちと文句を言っていたのだ。
変身が見たいとナキアが言えば従順に指示をこなし、どうだどうだと身を乗り出している。

〔幾つか制限がかかっているな。心当たりはあるか〕
「そんなもんがあんなら自分で何とかしてるぜ。まァ俺の気付かねぇうちに術式を組み込めるとすりゃァ、一番疑わしいのは目の前に居るドス黒ぇ猫しかいねぇがな。鏡でも見ておくか?」
〔ふむ。どうせならば兎もどきなどではなく虫にでもなってしまえば良かったものを〕
「なんだやんのか」
〔『呪い』が術式の在り方を歪めた、と考えるのが妥当だが。形状を構築する上での引用元は何なのか。謎は多いな〕

 イヴァラディジにとって変身可能と呼べる形態は、狼のような姿と兎のような姿の二種に留まる。他は変身出来なくもないが、不安定だ。
たとえ完璧に変身しようとしても、変形が成功するのはいずれも体の一部に留まり、腕だけ、足だけ、尻尾だけが変身成功といった結果に終わった。

〔実に興味深い現象と言える。経過を観察する必要があると提言しよう〕
「それってつまり?」
〔しばらくここに滞在させてもらうということだ〕
「流石に無理があんじゃねぇのか? どうやって誤魔化すんだよ」
「あー、えっと、シュヒの使い魔ってことにしたらどうかな」
〔魔女が居るのか。好都合だな〕
「そんなに上手く行くか~~~~~?」

 朝食前、キサラが身支度を整えてからシュヒアルに「黒猫を使い魔として扱って欲しい」と頼めばあっさりと了承された。ちなみに事情の説明は全くしていない。二つ返事というやつだった。

 ただ、話をしている最中ラギスは盛大に顔を引きつらせ、ナキアから必死で顔を背けていた。滝のような汗である。
ジッと見つめる黒猫、耐える執事。年若い侍女たちが「猫さんが苦手なのかしら」などと首を傾げながら通り過ぎて行く。そんな交渉の場であった。

「そうだ、ナキア。魔導具の探知って出来るかな? 例えば、組み込まれた魔石の方の魔力を感知する、とか」
〔可能だ。目的は?〕
「調べたいことがあって」

 コルラスは基本的に人の目に映らないため、隠密行動に適している。けれど肝心の、魔導具とそうでない物の違いはわからないようだった。そのため集団の拠点に忍び込ませ、魔導具の有無を確認することは出来ない。
 また、魔導具の探知をするだけならイヴァラディジでも可能だが、主にキサラとの距離を離せないため、実行には至らなかった。

〔手を貸すが、仮に魔導具を発見した場合はその場で私が解析を行う。良いだろうか〕
「その方が助かるよ」


 手早く朝食を済ませたキサラたちは、そのまま屋敷を飛び出した。


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