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監獄塔編
40. 奪取
しおりを挟む「とっくに脱獄してるもんだと思ってたが、案外行儀が良いもんだ」
自分たちの方に意識が向いていると気付いたテイザは、咄嗟に攻撃を仕掛けようと動いた。しかしガヴェラの魔法の方が到達が早く、視線が絡んだ瞬間膝を付くような形になる。
「くそっ……っ」
魔法に耐性のないテイザが意識を保てたのは、ほんの僅かな時間のみ。結局悪態をつきながら地面へ倒れ込み、そのまま動かなくなった。駆け寄ろうとしたキサラをイヴァラディジが制止し、寝ているだけだと諫める。
「小細工の通用する相手ってのは、まだ可愛げがあって良いもんだ」
テイザだけでなく、傭兵たちやラーミェルのことも含めて言っているのだろう。頭痛が酷いせいで眠りに落ちないキサラと、ほんの少しの揺らぎもなく平然としているイヴァラディジを見て、ガヴェラは肩を竦めた。
「魔術か? 周到なことだな」
倒れた者たちの周辺を見れば、その四方に杭のようなものが突き刺さっている。バルセルゲンやキサラが気を失わなかったのは、術式の範囲外に居るからなのだろう。テイザは攻撃を仕掛けようと動いたので、ガヴェラが直々に魔法をかけたようだ。
気が逸れたのを確認し、バルセルゲンは藻掻くように体を揺らした。足が思うように動かないことを悟ると、腕だけで体を起こそうと試みる。
しかし血管が浮き出る程力を込めても、やや上体が上がる程度だ。見ればガヴェラは右手の掌を下に向けており、まるで地面へ押し付けるかのような動作をしていた。
「戦闘階級は……七級ってところか。人族にしてはやけに抵抗力がある」
〔ガヴェラ、いつまで遊んでいるの〕
「チッ、口うるさいのが呼び戻しに来たか」
〔いくら貴方と言えども“天使の遺産”が相手では多少制限がかかるようね? 人間界への介入方法から考えると、そうねぇ、活動可能な時間はほとんど残っていないんじゃないかしら。シュシャシャ、魔導具を使うだなんて、らしくないじゃない?〕
「わかったわかった。ちょうど今帰るとこだ」
いつの間に現れたのか、一匹の魔獣がガヴェラの足元に座っている。不思議な響きで広がる声は女性のものだが、どう見ても魔獣の声帯から発せられたものではない。
「なるほど、遠隔で喋ってんのか。魔獣を魔導具代わりにするたぁ随分景気が良いな」
魔獣は地面に突き刺さっているものと同じ杭を咥えている。キサラには不規則に輝いているように見えるが、魔術術式発動直前の兆候らしい。
〔dR,au──我は──貴方と共に──なれば──“繋げ”〕
魔獣越しに詠唱が紡がれると、上空に巨大な魔法陣が出現した。只人であっても目視可能なそれに、遠くから悲鳴のような声が複数上がる。実際間近で見るキサラも、何の魔法陣かまではわからないが本能的な恐怖で嫌な汗が滲み出した。
〔“天使の遺産”の媒体が塔そのものであるのなら、こちらはこの通り、空に描けば良いでしょう?〕
「違いない。しかしよく魔法陣の領域で魔法陣なんざ描いたもんだ」
〔シュシャシャ、これが格の違いというものよ〕
魔獣はその場の杭を全て回収すると、上空の魔法陣に向かって飛び去った。
「派手好き女はやることが違うな。あんな馬鹿デカい魔法陣なんざ必要ねぇだろうに」
イヴァラディジはボヤキながら魔獣を見上げていたが、視線に気が付いた魔獣もまた、チラとイヴァラディジを見た。そしてやや口角を上げると、魔法陣へ飛び込んだ魔獣は姿を消す。
攻撃型の術式を警戒していたキサラだったが、転移用のものらしいと知ってほんの少しだけ緊張が緩んだ。しかし魔法陣からは絶え間なく瘴気が溢れ出しており、空気よりも重たいそれが地面に向かって降りて来ている。
「お、まだ抵抗する気か。さすが騎士様、粘るねぇ」
ガヴェラはニヤリと笑い、更に低い位置へ手を下ろした。バルセルゲンが力を込めていた手足が、呆気なく地面に投げ出される。
「大人しくしてりゃ痛い目見ないで済むぞ。au,dR,Uxkyz,Msh──我は──貴方に従おう──故に──“増せ”“縛れ”“這え”“静止せよ”」
ズンという音と共に、バルセルゲンの体が地面に沈み込む。彼の身に着けている鎧には大きくヒビが入って行き、それに合わせてガヴェラの方にも変化が見え始めた。
〔変化か。また一段と高等な術式を持ってきたもんだ〕
(え、もしかして人間に化けてた?)
〔人族は魔力を感知出来ねぇからなァ。案外馴染んだんだろうぜ〕
(アレで?)
〔アレで〕
キサラやテイザはガヴェラが魔族であることを知り得たが、他の人間はそうではない。なのでわざわざ人に化けて監獄塔を出入りする必要があったようだ。
ガヴェラの腕から鎧のような鱗が浮き上がり、顔の一部も覆われて行く。額の皮膚を突き破るようにして角が出ると、遠巻きに様子を窺っていた傭兵たちから悲鳴が上がった。
彼らは攻撃の機会を狙っていたはずなのだが、ガヴェラが明確に魔族の姿を現したことで退却して行く。“魔族”は兵士が束になっても敵わない相手だとわかっているからだ。
「っと、やり過ぎたな。悪かったって、そう睨むなよ。こちらとしてもアンタを殺すつもりはない」
「召喚された魔物ではないな、っ、何者だ」
「人間界の小物よか余程頑丈だな。安心したよ」
「もしや、リオラード、山を、吹き飛ばしたという、魔王では、」
「面白い冗談だが二度と言うなよ。アリファスの耳にでも入ったらこんなもんじゃ済まないからな」
用は済んだとばかりにガヴェラは踵を返し、その後バルセルゲンが何を言っても応えなくなった。倒れ込んでいる傭兵たちの間を抜け、中心で気絶している魔人の前に立つ。
どこか冷徹な目で全身を一瞥し、顔を覗き込んだ。
「これが噂の“魔人”か。案外見てくれは普通だな」
「ガヴェラ様、もしや魔人なるモノを知っていたのですか!」
「……バゲルか」
バゲル騎士は幾度となくガヴェラと顔を合わせていたが、勿論その正体が魔族だなどとは一度も思わなかった。明らかに魔族とわかる容貌を前に、顔面蒼白のまま瞳を揺らしている。
「良い働きこそなかったが、努力くらいは認めてやる。だから特別だ。au,GA,dR──我は──貴方に届けよう──故に──“貫け”“刺され”“固定せよ”」
先程からガヴェラは独特の詠唱を繰り返している。サーヴェアスと呼ばれた魔物と同じ形式を取っているようだが、シュヒアルが普段唱える詠唱とは種類が違うようだ。
ガヴェラの詠唱が終わると、空間から何かが射出されバゲル騎士の肩に刺さった。衝撃で体が大きく揺れ、それでも何とか持ち直す。
浅い呼吸を繰り返しながらガヴェラを睨み付けたバゲル騎士には、明確に敵対の意思が宿っていた。
「肩のそれがオマエへの“罰”だ」
「何、を! ぐぅう、あああ、貴方が! 貴方が天使を! カレディナを追うと言うから、私はっ」
「カレディナなら死んだよ」
「なっ、」
ガヴェラから表情がズルリと抜け落ちた。同時にそれまでの気安い雰囲気が鳴りを潜め、瞳が淀んでいく。
バキ、と指が鳴った瞬間、辺りの地面に大きな亀裂が走って行った。立っていた木々はなぎ倒され、まるでガヴェラの苛立ちを表すかのような有様である。
「カレディナを探そうってとき『若い男の姿』に限定しただろう。その時点で間違いだ。知らなかったんだろう? バゲル。カレディナはそもそも女の姿をしていたんだ」
「そ、そ、が、があ、」
「悪いな、どうにも人間相手の加減がわからない。だが安心してもらって良い、潰れた内臓くらいは元通りにしてやる」
「刺され」という詠唱でもう一本、大きな棘のようなものがバゲル騎士の肩に深く突き刺さった。削られた体力で衝撃に耐えられるはずもなく、バゲル騎士は後ろへ仰け反るようにして倒れ込む。
やがて地面に、鉄の匂いを纏った赤が染み渡った。
「は、は、ひゅ、」
魔物の生成物及び体の一部からは、瘴気や毒が分泌されている場合がある。バゲル騎士は反射的に刺さった棘に手をかけたのだが、引き抜く前に掌の皮膚が一瞬で溶けてしまった。
驚きと痛みによってか、断続的な悲鳴が上がる。
「人族は殊の外脆い生き物だ。魔族と同じ感覚で痛め付けてたら死ぬぜ」
「……アンタか。忠告ありがとうよ」
「忠告? 俺が魔界の作法を知らねぇとでも?」
「おい止してくれ。俺だってアンタとぶつかんのは御免だ」
「俺の縄張りに入ったのはお前だぞ、混血の小僧」
「サーヴェアスといい、アンタらは本当に規格外だな。だが俺も引き際は見極められる質でね。dR──我は──貴方に従おう──故に──“来たれ”」
詠唱に応え、空中へ魔法陣が現れた。中から召喚されたのは、皮膜の前肢を持った飛竜である。一般的に中型の個体しか存在しないはずの飛竜だが、その体躯は通常よりも二回り程大きい。
「コレは俺がもらっていく」
意識のない魔人はガヴェラの魔法に吸い寄せられた。ガヴェラの目的は、最初から魔人だったのだ。
(イヴァみたいに気配を読んだりすれば、すぐに魔人と遭遇出来そうだけど)
〔見たところ、奴は正式な手順を踏んで人間界に来たわけじゃねぇな。感覚が鈍ってる上に魔力の感知機能が著しく低下、魔法の大部分が制限されたってところか〕
(手順さえ守ったら人間界でも魔族が力を揮えるってこと?)
〔マァそんなとこだ。強引な介入には代償が伴う。それが“秩序”ってもんだろ? 現に、奴は単純な魔法にも詠唱を必要としてたしな〕
(いやどれがどう簡単なのか僕には全くわからないんだけど)
〔人族と手を組んだ理由は恐らくこれだな。高度な偽装魔法の術式は展開出来ても、肝心の探索術式がどうにもならなかったんだろうぜ。何せ“魔人”なんてのは前例のねぇ生物だからな、対象指定の難易度は馬鹿みてぇに跳ね上がる〕
とはいえ“穢れ”なる個体を四体も生み出している。これは戦闘訓練を積んだであろう騎士を圧倒し、高度な呪いを揮った証左だ。
(これで、『制限がかかった』状態……?)
〔死者が一人も出てねぇのは、奴が加減してるからだ。俺たち魔物側からすりゃ、人族ってのは心臓さえ一つ突けば確実に仕留められるんだぜ?〕
打ち込める棘の本数も一本ではない。地面に倒れている全員に打ち込むことも可能なのだ。恐らくガヴェラは、目的である魔人以外に何の興味も無いのだろう。
キサラとイヴァラディジが念話で言葉を交わしている間に、ガヴェラは一通り魔人の探知……体内に罠が仕掛けられていないか、また展開中の術式はないか確認を終えたようだ。
そのままピクリとも動かない魔人を肩に抱え、ガヴェラは飛竜に飛び乗った。
「待て……、その子は、置いて行け」
掠れた声に視線が集中する。バルセルゲンはその場でゆらりと立ち上がったのだが、魔法に対し肉体一つで抗ったため全身から血が噴き出していた。彼は今、気力だけで立っている。
「無理矢理起きるからそうなるんだ。俺がこの場から去れば魔法の効力も勝手に切れる。そこでジッとしていろ」
「ラヴァ、ヌを、息子を、返せ」
一歩。ずず、と片足を引きずりながらバルセルゲンが前へ歩を進める。時折鎧に新たなヒビが入り、破片が散った。
「……気の毒だがな、よぅくコイツを見てみろ。絶え間なく溢れ出る瘴気が、只人のお前にも見えているはずだ。“理”から外れたもんはな、必然的にこうなるもんなんだよ」
確かに、魔人の周囲の空気は恐ろしく変質している。長くこの場に留まっていたわけでもないのに、「ラヴァヌ」の身体を中心に瘴気が広がり始めていた。
それは魔法陣から降りて来た瘴気よりもずっと足が速く、近くに転がっている傭兵たちは苦しそうである。
「魔核が呪いとして作用している。わかるな? 適当に押し込んだまま長いこと放置したせいで、異物としてコイツに癒着したんだ。……この際ハッキリ言うぜ、『手遅れ』だとな。万が一この魔核を取り出してみろ、コイツは確実に死ぬ」
魔物は、人に嘘を吐く。甘い毒を振り撒いて対象を惑わせ、意のままに操るのだ。
しかしガヴェラは誠実だった。訴えかけるように、真っ直ぐバルセルゲンを見ている。苦いだけの真実を撒かれた父親は、再会の抱擁すら交わせないのだと突きつけられた。
痛みですら止められなかった彼の歩みは、完全に止まった。
「もうコイツは人間界には居られねぇんだよ」
言うが早いか、飛竜は飛び立った。上空の魔法陣と飛竜の姿が、背に乗せたガヴェラや魔人と共に掻き消える。
瞬間、辛うじてその足を支えていたバルセルゲンは崩れ落ちた。地面を何度も何度も殴り付け、悲痛の声を上げる。
「ラヴァヌ、ラヴァヌ……っ!」
上空、魔法陣が消えたその場所に、中央塔から青白い光が放たれた。地面に向かって膜のように垂れ下がって行くこれが、キサラたちの求めた結界である。
これでもう、監獄塔の敷地内に野良が入り込むことはない。瘴気の気配も完全に断たれ、周辺の魔物たちが引き寄せられることもないだろう。
地面に横たわっている傭兵たちには、幸い怪我はない。しかし同時に意識もないので、ガヴェラやバゲル騎士、そしてバルセルゲンの間で交わされたやり取りを知る者は、キサラとイヴァラディジしか居ないのだ。
やがて監獄塔の人々は、咆哮のような叫びを上げるバルセルゲンが「見事に魔を祓った」のだと口々に彼を讃え出した。それが英雄の、勝利の雄叫びであると信じて。
こうして夕焼けが空を覆う中、魔人による襲撃事件は終息した。
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