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監獄塔編
33. 穢れ
しおりを挟む「ナーナーナゴーナー ナァナァナーゴ」
「そうなの?」
「ナゴフシャナァ」
「ミィミィ」
「それは大変」
「ナミシャナァナァゴロゴロ」
シーラは集められた猫たちの話を聞きながら、相槌を打っている。場所は潜伏拠点を離れた森の外で、近くには村がある。
当初は森の中に猫を連れて来させる予定だったのだが、森に歓迎された立場である以上「使い魔が動物を攫って来る」様を見せるわけにはいかなかった。
なお、村の近くにこうして出向いている理由としては「人間の住む場所が近ければ近い程餌には困らない」といった事情で、犬や猫が集まりやすいためである。
基本的に拠点を離れる際は二人一組で。残り一人は野営地に残り拠点を守るという取り決めをした。勿論森の中に危険はほとんどないのだが、全員が離れると動物たちが寝床を荒らしてしまう懸念があるためだ。
シュヒアルは一応、シーラの護衛を兼ねて同行している。しかし猫たちが何を話しているのかは全くわからない。
「お話してくれてありがとう。またね」
ラギスは人間慣れした猫を選び、言葉巧みにシーラのもとへと誘導した。そのため猫たちの警戒心はほとんど無い。
しかし野生の動物たちに比べれば喋りやすいものの、相手は動物とあって必要なことだけ聞き出すのは困難である。ただの世間話だけで一日が終わってしまうことすらあった。
「監獄塔の辺りについて聞いてみたんだけど、壁が高すぎて猫でも中に入ろうとは思わないんだって」
「そうなの。では中の様子はわからないのね」
「うん、でも気になることがあるの。あの子たち、森の方が変だって言ってたよ」
「森? 私たちの居る場所の事よね」
「そう。今外に居る子たちは皆近付かないみたい。“穢れ”が現れたって怯えてた」
「それ、まさかとは思うけどワタクシたちのことではないわよね」
「うーん、シュヒアルちゃんのことはちゃんと魔女だと認識していたみたいだから、違うと思う。『よくわからないもの』だって言ってた」
「よくわからない、ね。最近そればかりだわ」
シュヒアルは使い魔に「よくわからないもの」が近くに居ると警告されたばかりだった。魔族にすらわからないものを、動物たちに理解出来るとは思えない。それ以上の情報は望めそうになかった。
「一応気にかけておきましょう」
「うん、それが良いと思う。警戒しているのは猫たちだけじゃないみたいだよ。最近は森から逃げて来る鳥が多くて美味しそうだって言ってたから」
小動物の一部は既に避難を始めている。猫たちの「怯えてはいるが危機感に欠ける」部分は恐らく人間と共存しているからだろう。魔の生き物は人間たちが勝手に対処するので「此処に居れば安全」という認識のようだ。
用心のため簡易的な魔導具でも取り寄せるべきだろうか? シュヒアルはどう動くべきか思案した。
と、そこへ拠点で待っているはずのタスラがやって来た。どうやら急いで来たらしく、頭や体に葉っぱがたくさんついている。
「また鹿が無茶を言ったのかしら。木の実を食べ過ぎると体に良くないのだから、ちゃんと言って聞かせたらどう?」
「それもあるけど、違うんだ。皆すごく怯えていて、様子が変なんだよ」
“穢れ”とはどうやら森にとっても異物であるようだ。シーラとシュヒアルは顔を見合わせてからタスラの後を追った。
「着いたよ」
ぽっかりと開いた空間には草花こそ生えているが、木々はそこをぐるりと囲うようにして生えている。まるで何かの意思でそうなっているかのような、綺麗な円だった。
移動した距離からして、拠点からそう離れてはいない。こんな場所があればすぐに気が付きそうなものなのに、とシュヒアルが思ったのは一瞬だった。「森」から歓迎こそされたが、信用まではされていなかったということだ。
青色に輝く木漏れ日は、明らかに他の場所と一線を画している。澄み渡る空気にいっそ居心地の悪ささえ覚えながら、シュヒアルはそこが「特別な場所」なのだと理解した。
不意に吹いた風を合図にしてか、木漏れ日は青から金色へと変貌する。そして、木々の間から何かが現れた。
「フロム……?」
あり得ない。フロムとは、掌の上にすっぽりと収まる小鳥のはずだ。だというのに三人の目の前に現れたフロムは、見上げる程に大きな体をしている。
大人が一人程度であれば、背に跨ることも出来るだろう。
フロム特有の色彩を宿した鳥は、到底他の品種には見えない。その異質な存在にシュヒアルは混乱した。
自身を見上げる三人に向け、フロムは鈴のような鳴き声を響かせた。同時にタスラが神妙な面持ちになり、何かを語りかけているのだと悟る。
「『我らが客人、他の種族と語る術を持たぬ故、そこの少年を介し言葉を交わしたい。しばし時間をくれないか』だって」
構わないと頷けば、フロムはこのように続けた。
〔少し前、得体の知れないナニカが森に放たれてしまった。それだけでも我々にとっては脅威であったが、大事には至らず。ナニカとは魔に属する者。ここは精霊の訪れる森であるため、加護により魔は悪さが出来ない。しかし問題が起きたのである〕
「“穢れ”と何か関係が?」
〔既に聞き及んでいたか。ナニカと違い“穢れ”は呪いを孕んだ存在であり、元は人間だ。精霊や妖精の加護は魔に対し働きかけるが、人間はその対象に含まれていない。そのため森の護りは万全ではなくなった。我々森に棲まう者では“穢れ”に対抗する術がない〕
「精霊様に浄化を頼んではいかがかしら」
〔確かに、精霊様であれば浄化も可能である。しかし此度の“穢れ”、個体が四つも存在するのだ。術を持っておられるとはいえ、それに特化してはいらっしゃらない〕
“穢れ”とは、呪いを受けた存在を指すのだという。呪い自体そう軽々しく扱えるものでは決してないのだが、同時に四体も現れた。呪いの発生源は一体何なのか。
(ラギスは監獄塔の中で魔法は使えないと言っていた)
監獄塔付近や森の中で本領を発揮出来ないのは、魔物である以上同じはず。だというのに、強い呪いで人間を四人も変質させる力を持っている。それは本当に魔物の仕業なのか。
〔客人たちよ。このようなことを頼むのは筋違いであると承知の上だ。魔女であれば呪いに対する心得の一つもあるだろう。どうか、知恵を貸してはくれまいか〕
「あら、知恵だけと言わず手も貸して差し上げてよ。話を聞く限り、“穢れ”をこの森から出せば良いのでしょう?」
〔……我々は何の報酬も用意出来ない〕
なるほど、この鳥は賢い。魔女を働かせるには対価が要ることを知っている。
目を伏せたフロムからは、己の無力に対するやるせなさや森を守りたいという気持ち、そして妖精や動物の問題に対し魔女を頼らなければならないということへの葛藤が見受けられた。
「森への滞在をお許しいただけたのだもの、これを以て対価とさせていただくわ。動物にこういった作法はないのでしょうけど、人間同士の場合は寝床の提供だけで金銭が発生するものよ」
「じゃあ僕は労働力を提供するよ。リスたちから木の実の場所を教えてもらったし、情報料だね」
「私は、うーん、この森が好きだから。理由は後で考えるね」
フロムはタスラとシーラに目をやった。魔女に協力を仰いだものの、この二人まで手を貸してくれるとは思わなかったのだ。
〔見たところ半成であるな〕
「うん、そうだよ」
〔妖精を、動物を、森を、憎んではいないのか〕
半分妖精で半分人間の二人は、本来の妖精と扱いがかけ離れている。タスラの「挨拶」があって初めて「歓迎」されたこともそうだ。妖精とは無条件に動物たちから愛される存在であるにも関わらず、半分流れる人間の血のせいで警戒され、距離を置かれる。中には牙を剥く者すら居るのだ。
「でも追い出されなかったし、憎む必要なんてないよ」
「私たち、半成であることを時々酷く言われることもあるけど、繋がりが多くて素敵だと思ってるよ。だって、どんな相手ともお話出来るから」
〔だとしてもあまり良い態度は取られないだろう〕
「仲良くなれる子とは仲良くなれるし、そうなれない子は仕方がないと思う。こういうのって相性って言うんだって」
「相性は人間同士でも動物同士でも、妖精同士でも植物同士でもあるでしょう? そんなに特別なことじゃないと思うの」
ただ分かり合えないことなどいくらでもある。血が繋がっていても、親子でも、兄弟でも、家族でも起こり得ることだ。取り立てて問題にするほどのことではない。
フロムは驚きに口を閉ざした。過剰に違いを意識しているのは、周囲の者たちだけなのだ。
〔愚問であった。どうか忘れて欲しい〕
「──話はまとまったわね。“穢れ”を取り除くのなら早い方が良いわ」
「今から出来るの?」
「そうね、今すぐ対処可能かなんてワタクシにもわからないわ。けれど状況の把握をしておけば、対策ぐらい立てられるでしょう?」
〔では、案内を『まるふさ』に任せよう〕
「キュ!」
フロムの背中からリスが飛び出した。妙な名前だが、名付けたのはなんとタスラである。
欠点らしい欠点はないと思っていたが、まさかここに来て。とシュヒアルは遠くを見た。
まるふさとタスラはそのまま楽し気に移動を始め、その後ろにシーラとシュヒアルが続く。
「この辺り、近いみたい」
シュル、とシュヒアルの足元から影が伸びる。フロムから正式に許可が下りたので、使い魔は堂々と影から出て来た。
「精霊の恩恵に満ち、妖精の支配する領域でここまで自由に動けるとは。いやはや世の中何が起こるかわからないものだ」
ラギスは優雅な動きで口元に手を置き、ヒヒ、と揺れながら笑みを隠した。人型のためか一見すると上品な佇まいだが、言動が見た目にそぐわない。
そうしてどれだけ進んだだろうか。まるふさは突然足を止めた。視線の先には何かが丸まって震えているのがわかる。シュヒアルはまるふさとタスラを追い越して接近し、ソレが人の形をしていることに驚いた。
「嘘でしょう」
間違いない。キサラを連れて行ったあの騎士だ。
男はラギスを見るなり興奮し出し、「悪魔、悪魔、悪魔め!」と喚き始めた。唾を撒き散らしながら目を血走らせ、怒鳴り暴れる男。タスラとシーラはすっかり怯え、まるふさと共に後退した。
馬車を追いかけ回していた際の憎たらしい程の余裕や、威厳ある騎士の風格はもうどこにも無い。
「おのれ、誰のおかげでここに居られると思って」
わけのわからない罵声だったが、ラギスは興味深そうに見下ろした。ふむふむ、などとわざとらしく顎に手を置き、何度も頷く。
「古代の呪いを真似たかな。いや、上手いもんだ」
この先は遠慮してもらおうかと使い魔が指を鳴らすと、タスラ、シーラ、そしてまるふさまでもがゆっくりと地面へ横たわる。ぐっすりと気持ちよさそうに寝入る顔を見て、シュヒアルは肩を竦めた。
「お子様たちにはまだ早い」
「あらお優しいこと。それで、一体なんなの? この方」
「フロムの言う通り呪いがかけられているのは間違いない。でも表現が違うね、コイツは『裁かれた』んだ」
「裁く? 魔物が?」
「そう。君にもわかるように術式基盤の一部を読み上げてあげようか。『日に一度死に、全ての罪が清算されるまで元の生命には戻れない』つまり咎の重さに合わせて何度も死に至る。たとえば」
ヒュ、と使い魔がその場で腕を振るうと男の首が飛んだ。切断面から血が大量に噴き出し、体は無様に倒れ伏す。
「ちょっと」
「まぁご覧よ、再生していくだろ」
びくびくと僅かに跳ね上がる胴体は、よく見れば切断面の端から何かが出てきている。それは首の方も同様で、まるで互いを求めるようにして肉が伸びているようだった。
時間はかかるがやがてピタリと繋がり元通り。あまりにも悍ましい光景を前に、シュヒアルは眉を顰め扇子で口元を隠した。
「コイツは即席の“不死者”ってわけだ。ただし回数制限付き、死に切ったときに人間に戻れるという『裁き』が呪いの正体さ。なるほど、“穢れ”はまだこれで居て人間の領域から出ないらしい」
だから精霊の加護を通り抜けてしまう。クヒヒと喉を鳴らしたラギスは、再生していく男の体を眺めながら楽し気に告げた。
「魔物を退く騎士様ともあろうものが、“悪魔”を召喚したらしい」
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