ロルスの鍵

ふゆのこみち

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監獄塔編

28. 喰らう火

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 キサラが目覚める少し前。テイザは中々寝付けないまま横になっていた。
夜の監獄塔牢内は暗く、雲間から現れた月や星の明かりだけが辺りを照らしている。キサラが赤目の意識と交代してから、既に二日が経過していた。

 キサラの体は穏やかに寝息を立て眠っている。寝姿まで別人とはどうにも妙な心地だが、普段よりも足や腕が伸びたり蹴ったりと忙しない。悪魔も夜に睡眠を取るのかと聞いたのだが、「器はキサラのものだ」と言われれば納得も行く。肉体的な疲労を回復するためには、眠るしかないのが人間だ。

 夜の風は昼間のものよりもずっと冷たい。塔全体が古びているからか隙間も多く、牢の中もグッと冷え込んだ。かかっていた薄っぺらい毛布すら失ったキサラの体は、ぶるりと震えて丸くなる。
テイザは仕方なく立ち上がり、毛布を掛け直してやった。風邪でも引かれてはたまらない。そして内心なんて寝相が悪いのだと悪態をつく。

「全く」

 呑気に眠っているのがどうにも憎たらしい。鼻を摘まんでやるか頬でも抓ってやろうかと右手を持ち上げ、その気持ち良さそうな寝顔に行き場をなくす。

「眠れないんですかー?」

 語尾の間延びした、気の抜ける声がテイザにかけられた。ガヴェラの介入によりテイザやキサラが「目的の魔物ではない」と理解したのか、他の牢と同じように新たな犠牲者、もとい拘束された人間が連れて来られたのである。

 これが不思議なことに男とも女とも取れない中性的な顔立ちの少年で、どこか冷めた表情をしていた。テイザやキサラが例外だと農夫は言っていたが、この少年も拘束対象と思われる年齢からかけ離れている。

 なんて思っていたのは初対面のその瞬間だけで、兵士のボヤキから実際はそこそこ年を食っているというのがわかった。つまり見た目だけは少年だが、年齢的には農夫たちと同じなのだ。何ならテイザよりも年上である。

 見た目は少年の青年、というややこしい状態だが、挨拶もなくその男は蹴りと共にテイザの懐まで飛び込んで行った。咄嗟に飛び退いてはみたものの、そのまま突っ立っていたら骨の一本でも折られかねない動きである。

「これはどういう部族の挨拶だ」
「地方差別反対ー」
「どちらかと言えばお前の不作法だけを非難している。腕に覚えがある連中はいつも拳ばかりお喋りだ」
「僕も詳しいことは知らないんですが―、牢に入れられた人間は漏れなく『悪魔疑惑』がかけられているって言うじゃないですかー。一応先手必勝のー、戦いこそ最大の防御っていう理論を尊重してですねー? あれー、でも見た感じお兄さんは悪魔本体じゃなさそうですねー」
「ご理解いただけたようで何よりだ、拳を下ろせ」

 チラ、と男は赤目の方を見た。それから小さく「こっちでしたかー」などと呟く。
テイザを見、赤目を見、拳を下ろして一つ頭を下げた。

「すみませんでしたー、なんだかこういう場所って慣れていないんですよねー、人が多いとつい緊張しちゃいますー」
「小うるせぇ野郎と二人っきりなんて冗談じゃねぇと思っちゃいたが、こんなのが増えるんなら前の状態の方がまだ良かったぜ」
「同感だな」
「あー自己紹介が遅れましたねー、僕はジェリエって言いますー。お二人とも気さくにジェリエくん、って呼んでくださいねー」
「「誰が呼ぶか」」

 ジェリエと名乗った男は興味深そうに赤目に寄り、執拗に観察し出した。あっちへ行けと促しても、気にせずグイグイ寄って行く。

「はぁー。ははぁー、これはすごいなー」
「おい、この変態を俺から遠ざけろ」
「悪いな少年、じゃないな、青年……いや、とにかく離れてくれ。俺の弟なんだこれで一応」
「えー、えー? まだ見終わってないんですがー」

 特にコレとかー。と呟いてジェリエが空気を弾いた。正確に言えば、赤目の胸元に何かがあるかのように指で弾く仕草をした。

 途端に赤目の、キサラの体が小刻みに震え出し膝から崩れ落ちる。胸の辺りを抑えつけ、苦しそうに肩も上下していた。見開いた目は焦点が合っていないようで、右へ左へ揺れている。

「カハッ」
「退け! コイツに何をした」
「医師でも呼びますかー? 意味ないと思いますけどー」
「お前、一体どういうつもりだ」

 通路側に目をやるが、こんな時に限って見回りや見張りの兵が居ない。

「テイザ」

 医者なんぞ来たところでどうにもならないと赤目は途切れ途切れに訴えかけた。喉はヒュウヒュウと鳴り、胸元を掴んだまま体を守るように丸めて行く。呼吸はどんどん浅くなり、顔は真っ青だ。
それはまるで病人のような様子なのに、赤い瞳の意思は固い。

 テイザは「それはキサラのモノであってお前のモノではない」と憤った。嫌悪すらあったが、ここで医者を呼んで赤目が悪魔だと露見しても面倒だ。

 咄嗟に口を閉じて、せり上がって来た言葉を喉の奥に引っ掛ける。それをここでぶち撒けないだけの分別はあった。「キサラは死んだのか」「お前が体を意図的に乗っ取ったのか」。たった今飲み下した罵声が腹の奥でジクジクと暴れ回った。

 そんなテイザを押し退け、ジェリエは前に出て来た。無理矢理キサラの目を開かせ覗き込むと、難しいですねーなんて言いながらくるくると指を回していた。まるでで。

「医術の心得が?」
「いえいえ全くですねー。ここに火でもあれば助かるんですがー」
「どうぞ?」

 ボウ、と薄暗かった牢が炎に照らされた。テイザが勢いよく振り向けば、鉄格子の隙間から赤く燃え上がる腕が伸びている。

「ファリオン」

 熱い。テイザが腕を持ち上げ後退するのと同時、赤目が焦点の合わない瞳でファリオンを見上げる。正確には、その視線は燃える腕に向けられていた。
震える足で立ち上がろうとして一度よろけると、ジェリエが肩を貸して赤目を誘導してやる。

「おい!」

 その目の奥には炎が揺らめいている。星々が輝くような煌めきとは改めて全く違うことを認識し、テイザは酷く苛立った。

「ダメだキサラ、そいつらから離れろ」

 「赤目」の名前がわからない以上、いや、この場ではどう足掻いてもキサラと呼ぶしかない。揺らめく炎は距離を取ってすら熱いと感じさせるほどの熱だ。であればキサラの体とて同じはず。
あれ以上近付けさせるわけにはいかないが、あまりの熱風に足が動かない。
 何故ジェリエも平然と前へ進めるのか、テイザには理解出来なかった。その内他の牢からも驚きや困惑、悲鳴が上がる。熱い、熱い。熱い!

 連れ戻そうと一歩踏み出したところで温度が上がる。思わず後ろへよろめいた。キサラの体が燃えてしまうかもしれない。火傷だって負うことになる。熱さよりも怒りで頭に血が上りそうだ。
しかしテイザの叫びは、忠告は一切赤目の耳に届かない。悪魔は炎から目を離さない。

「おや」

 よくぞここまで。などとファリオンは面白がるように言った。つい怖がりもせず向かって来るので出力を上げたが、何かに火種を分けたって良い。本来ここまで燃やす必要はないのだから。
目の前に赤目とジェリエが立ったことで、ファリオンは炎を弱めようとした。その瞬間。

 先程までの弱々しい動きから一変し、赤目の顔が勢いよくファリオンの腕へ向かった。予想外の出来事に身を引こうとするが、腕を掴まれ動けない。

「いつの間に」

 「預言者の弟子」であるファリオンは、世の中に起きる全てに「何らかの前兆」があると信じて生きていたが、さて。久しぶりに起きた「想定外」に驚き目を丸くしているではないか。
この異常な光景を前に、何事もないような顔をしているのはジェリエだけだった。

「離れろキサラ!」

 テイザが強く怒鳴ったが、間に合うはずもない。赤目は躊躇せずそのままファリオンの腕に噛みついた。

「まさか」

 ファリオンが呆然と呟くと同時、赤目の顔と手がゆっくりと離れていく。口元には炎が移り、纏わりつくようにして燃えていた。その一方でファリオンの腕には何の熱も残っていない。

「キサラ」

 口を開けて手を開き、まるで天を仰ぐようにしながら赤目が一歩二歩後退する。咀嚼するように顎を動かし、歯を鳴らし、赤目はその炎を食べていた。
身体は燃えることなく、また素手で炎を掴んだはずの両手すら火傷を負っている様子はない。見る間に真っ白だった頬が赤みを帯びて行く。

「ハァァァア……」

 溜息のような恍惚とした声が上がる。満足気な横顔を見てジェリエも目を細めた。
赤目はじっくりと炎を味わい、最後に残った炎をガチン! と歯を鳴らしながら口へ入れ、漏れ出た火花を舐め取るように舌を動かし飲み下す。

 ごくり。やけに響く音をさせて喉が上下した。

 ファリオンを捉えたのは、獰猛な笑みだった。まだ両の目には赤々とした炎が揺れている。キサラの体からはこれまでにない程怪しい気配を纏い、機嫌良くクッと喉が鳴った。

「こりゃあ良い」

 しかし次の瞬間、頭がガクンと下がり、睨むように赤い目が光る。横目で見ているのはジェリエの顔だ。

「お前、なんなんだ?」

 問いはしたが答えが無いことも知っている。「寝る」とだけ言い捨てると、赤目は硬い寝台へ体を横たえさっさと寝入ってしまった。
それを見たジェリエも「もう夜遅いですしねー」と自分の寝台へ潜り込む。

 こうして残されたのはファリオンと、テイザだけだ。

「……あれはキサラくん、ですよね。普段と随分様子が違うようですが」
「他の何に見える」
「つれないですね。これでも救出のために来たんですよ」
「チビたちはどうした」
「別れてから一度も姿を見ていません。近くの森で様子見でもしているのでは?」

 魔女はキサラの居場所を突き止めたのならすぐに飛んできそうなものだが、その姿は見られない。今ここに居ないということは何かあったか、まだ場所を把握していないのだろう。

「俺たちの所在を掴んだ時点で魔女を探した方が良かったんじゃないのか。使い魔の助力も得られるなら単身乗り込むより確実だろう」
「言うだけなら簡単なのですがね。魔法然り、魔術然り、我々の持つ力はいついかなる時であれ『原理』と『道理』が存在しています。森とは妖精と動物の住処。魔の力よりも妖精たちの力が強いのが常識です。広範囲の森の中を捜索するとなれば、事前の準備無しに渡り合うことは出来ません。それに」

 ファリオンは警戒するように目を細めた。何かを探るように天井や床や壁を見る。

「この辺りには魔法陣が設置されているようです。いずれ合流するにせよ、塔内部で使い魔の活躍に期待するのは難しいでしょう。通常の魔法よりも魔法陣の術式が勝るのが『道理』ですので、魔法の行使など無茶というものです」
「今し方その腕は派手に燃えていたみたいだが?」
「魔術と魔法は違いますので」

 「おや」という声を上げ、ファリオンは何かを見ていた。テイザもつられて後ろを振り返れば、寝ていたはずのジェリエがキサラの前に立っている。

 赤目ではない。あの瞳は、確かにキサラのものだ。

「おはようございますー」

 相変わらず気の抜ける喋り方で、ジェリエがキサラに声をかける。確かに窓枠から僅かに見えた空は白み始めていた。

 キサラが起きた喜びは勿論あるが、驚きと戸惑いがそれを遥かに上回る。あの瞳はキサラのものだが、しかし普段と何かが違う。一言では語れない、どこと具体的に示すことは出来ない違和感に苛まれた。

 何故消えたのか。どうやって戻ったのか。キサラの様子はあまりにもテイザの認識とかけ離れていた。まるでたった今眠り、ただ起きただけというような気軽さだけそこにある。

 テイザは努めて足に力を入れ、キサラの傍に歩み寄った。再度確認しても顔面や掌に火傷は見られない。
慣れ親しんだ口調、表情、仕草。今目の前に居るのは弟なのだと確信を得られる要素たち。

 しかしテイザには予感があった。キサラの変化はこれで終わらないのだという、嫌な予感が。


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