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監獄塔編
27. いつか醒める夢
しおりを挟むキサラの体感で言えば、疑似空間へ降りてからかなりの時間が過ぎている。夢から覚める気配はなく、前兆らしきものも見られない。
この空間における欠点らしい欠点を、強いて一つ挙げるのであれば「一人で放り出されると暇すぎる」ことくらいか。魔法を使用したことで空間の維持に使われる魔力は減っていないだろうか、なんて冷汗を掻いたのでさえ遠い昔のことのようである。
「窓は小さすぎて逃走経路には使用出来ない」
記憶によって再現された窓に指を向ける。頭すら通らないのだから出て行けるはずもない。
とすると労働の時間とやらを狙うのが確実だ。檻の外へ出られたら内部の構造も多少見られるはずである。ただ、あの偉そうな騎士が果たしてそれを許すかという問題はあるが。
やはり騎士たちが特定の悪魔に拘る「理由」を知るのが早いか。悪魔から見てその分類に入らないという変質した「何か」。情報を交渉材料にするもの手ではある。
ちなみにこの時点でキサラは魔族・ガヴェラが騎士たちに追われている可能性を完全に否定した。牢に現れた時点でいつでも騎士たちを襲撃可能だと理解したからだ。単身塔へ乗り込んだとしても正面から簡単に蹴散らせるだろう。
「魔法は万能ではない」
不意にそんな言葉を思い出した。この疑似空間について今一度考えてみる。
恐らく、この空間滞在には時間制限か、何かしらの条件がついているはずだ。キサラの精神体を拘束する力は然程強くない。
その条件というのも、ナキアの口振りからして「夢が終わるまで」だろうと予想出来る。肉体の目覚めが空間から出て行くきっかけになるのだ。
今で言うと、“声”が交代したまま眠り、現実のキサラの体が目覚めるときに疑似空間から解放されるのかもしれない。問題はどうやってその時間を測るかだが、ナキアは『そろそろ目覚めるようだ』と言っていた。だとすれば把握する術があるに違いない。
そういえばあの時ナキアは上を見上げていたな、と同じように顔を上げてみた。
キサラの頭上には何かが浮いている。
「なんだあれ」
見たところ、大きな砂時計だ。キサラの頭上に一つ、少し離れた場所にもう一つ砂時計が浮かんでいる。
キサラの頭上の砂時計は砂がさらさらと落ち続けているが、正面に見える方は砂が下に落ち切っている。
もう一度頭上の砂時計を見れば、何故か歯車が剥き出しの時計が付いており、耳を澄ませば小さくカチリカチリと音が聞こえて来た。なんだかシュヒアルの屋敷で見たものに似ているような、そうでないような。「時計」というものはとんでもなく高価で、滅多に見られるものではない。だから全部同じに見えてしまうだけなのかもしれない。
とはいえ、砂時計の上に更に時計を取り付ける意味とは。
「変なの」
「確かにな」
「!!? うわっ」
突然背後から聞こえた声に驚き、キサラは反射的に立ち上がろうとしたのだが片足が縺れ、背中から倒れ込んだ。呆然と転がるキサラを見下ろし、ナキアは驚いたように目を丸くした。
「ええと、ナキアが今居るってことはもう夜?」
「夜だな。キサラは随分早く眠りについたのだな、手を貸そう」
「ありがとう」
キサラが倒れたまま手を伸ばすと、ナキアが膝を折ってその手を握る。そのまま腕一本でグインと持ち上げてしまった。
思わずキサラは「わっ」と叫んだが、さすが夢。超人的な力も得られるようだ。嫌な跳ね方をする胸を抑え、あの浮遊感は心臓に悪いと息を逃がす。
少し落ち着いてナキアに向き直れば、頭の上に例の砂時計が見えた。キサラの方が自然と見上げる形になるため、立って話す場合視界に入るようである。
あちらの砂時計は先程まで砂が落ち切っていたのだが、いつの間にか上下が反転している。さらさらと流れ始めた砂を見て、キサラは自然と口を開いていた。
「もしかしてアレって疑似空間内での滞在時間ですか?」
「そうだ。覚醒までの凡その時間を計り、表している。キサラの砂時計は砂が尽きたところで無限に回転しているようだ」
「じゃあ、あそこに重ねて着けられている時計は?」
「眠りに干渉された証だな」
干渉。ガヴェラから逃がすようにして“声”が表へ出てくれたが、強制的に意識を落とされたという判定なのかもしれない。
「今後同様に干渉されるようなことがあればアレが付く。主に魔力的干渉を表すもので、針が魔力の残量を示している」
「魔力の残量。あ、じゃああの時計の針が頂点に行けば、干渉の効果が切れるということですか」
「そういうことになる。現実世界での現在の状況はわかるだろうか」
「“声”、ああっと、僕の呪い? で繋がっている悪魔に体を明け渡している形なんですが」
「体の権限を譲ったのか? 確かに一時的なものだろうが、中々思い切ったことをする」
「あ、でもこれまで度々あったみたいで。僕も最近知らされたんですけど」
「なるほど、悪魔の気質であればそれも不思議ではないな。意識の交代を行ったのが意図的だったとして、通常通り戻れないのであれば何らかの妨害要素があるはずだ。魔法陣の領域にでも入ったのだろう」
「魔法陣なんてあったかな……?」
「あの悪魔がキサラの体を使用することもまた、魔法なのだ」
魔法によって意識の交代が可能になっているので、時計の針が示す魔力残量とは「ナキアが譲渡した分の魔力」だと解説が入った。
「魔法に魔法を重ねるのは本来とても難しい行為だ。勿論実現こそ不可能ではないが、魔法陣を利用して何らかの魔法が行使されている場合、『魔法陣によって展開された魔法』の方が『普通に詠唱して放たれる魔法』より効果として優先される。魔法陣は魔法に比べ、物体や空気に癒着する分魔素吸収の優位性が上なのだ」
「なる……ほど?」
「魔法陣というのは地面や紙に書くだけでも効力を上げる。空に描いても展開自体は出来るが、空気を媒体と捉えるのは少々乱暴な理屈のようだ。いや、術者の腕に寄るか。こうして断言出来ないのも魔法の奥深さと言えよう」
まるでシュヒアルが魔法を語るときのように、ナキアは早口になった。魔法を使える者は共通で探求心が強く、魔法という分野にのめり込みがちな傾向にあるのかもしれない。
「あの塔のどこかに魔法陣が」
「あるだろうな。魔法陣の領域へ入れば通常通りの魔法使用は極めて困難だ。といっても、魔導具による魔術であればあまり関係ないのだが。何にせよ、直ちに離脱するのが望ましい。塔とは一体何のことだ?」
キサラは思わず体を揺らし、うっと呻いた。監獄塔に居るなんて気軽に言えるわけもないが、ここまで詳しい情報を得ておいてありがとうございましたで逃げることは出来ないだろう。
まさかとは思うが、惜しみなく知識を披露したのはこれが目的で……?
「あー、えっと、牢屋? みたいなところにちょっとお邪魔しています」
「牢に……? まさかとは思うが、何かしたのか」
「えっ、いやいや何もそんな。馬車で逃げている最中に起きたから、あまり詳しい経緯とかは知らないんですけど……でも、騎士たちは悪魔を捕まえたがっていました」
「悪魔。其方で当たりではないか」
「ヴッ、違うんです。捜索されているのは僕や彼ではなくてですね」
面白がるようにこちらを見ながら、ナキアは紅茶を淹れ始めた。いつの間にかお菓子も出ており、手でどうぞと促される。ありがたくいただきますとも。
「羨ましい限りだ。旅の同行者は毎日退屈しないだろう」
「笑うことないじゃないですか」
「ああ、すまない。笑っていたか」
「今も笑ってます」
「いや愉快だ、実に」
くっくっとナキアの喉が鳴る度に体が揺れる。何が愉快なものかと思ったが、お菓子もお茶も美味しくてその内気にならなくなった。
「疑似空間ってやっぱりすごいですね。出て来るお菓子は全部美味しいし。あ、そうだ。記憶を客観的な視点から見ることが出来たんですが」
「この空間では魔力の有無に左右されず魔法を展開することが出来る。まぁ、夢魔の魔法が構築基盤の一部を担っている故、記憶にまつわる魔法が容易に引き出されたのもおかしな話ではない」
「僕でも魔法が使えるのは、空間自体が魔力に満ちているから、ですか?」
「そうだな、加えて“夢”という定義が状況を後押ししている。夢魔は“明晰夢”などと呼んでいたが、魔法など介在しなくとも夢を操れる者は一定数居るものだ」
夢という特異な定義が基盤に関わるため、魔力の消費を抑えた上でかなり高度な魔法まで再現可能。ナキアは僅かに声を弾ませながら淀みなく語っていく。
現実世界に反映しないとはいえ、すごい話だとキサラは頷いた。
「ある程度の制限はあるが、ここは小さな異世界とでも考えればいい。しかし夢魔の力を借りているとはいえ、術式展開そのものは私がしている。つまり、この世界は私の思うままということだ」
ナキアはこれまで見たどの表情よりもイキイキと、しかし悪戯っぽくニヤリと笑った。支配権こそあれ、その効力は眠りを離れれば関係ない。中々に良心的な強制力である。
「この力を持っているのがナキアで良かった」
「それは何故だ」
「悪いことはしなさそうだから。あ、です」
「言葉を飾らなくとも良い。気楽にしていろ」
「え、でも」
「少しずつ慣れれば良い。我々はあくまで対等な協力関係だ」
以前は利害関係だと言っていたが、何ともふんわりとした同盟になってしまった。キサラにとっては命の恩人である上に魔力譲渡などによる支援や、手厚い助言までしてもらっている。
ほんの一瞬、キサラの中に些細な迷いが浮かんだ。信頼し、心を開き、親しくなっても良いのだろうかと。
これは条件付きの契約のような関係だ。それも古代の呪いを解く方法を見つけるまでという限定的なもの。まるでこの結び付き自体が、呪いや夢や、魔法であるかのような。
呪いが解けたその瞬間、キサラとナキアを結び付けるものは何もない。もしもナキアと出会っていたのが人間界であったのなら、この戸惑いはなかっただろう。出会った場所は妖精界で、これから先顔を合わせるのは疑似空間だ。
脳裏に浮かぶのは“声”である。本当に“ナキア”という誰かはこの世に存在しているのだろうか?
「話を戻して悪いが、キサラの居る牢というのが少し気にかかる。魔法陣がある前提で話をしたが、只人であれば魔法陣を刻むことは到底出来ないだろう。何かおかしな点はなかったか」
「おかしな……うーん、敢えて言うなら、不思議な立地だと思います」
ナキアは自由に外出が出来ない身だと言っていた。だから疑似空間、夢の間に現れるのだと。
そのせいか、彼は見たことがないもの、聞いたことが無いものに興味を示し、知りたがる。
「──それで、中央の塔に各階牢が設置されているみたいで、僕はその中に居ます。ええと、窓には鉄格子がついていて、僕が居るのは一階だから土の匂いが強いです。床の一部が剝がれているからかも」
「キサラの居る牢は私が知っているものとあまり変わりないようだな」
意外だ、とキサラは目を瞬いた。あまり外を出歩かないと言っていたのに牢を見たことはあるらしい。一瞬牢に住んでいるのだろうか、などと失礼なことを考えて首を振る。馬鹿馬鹿しい話だ、ナキアは大罪人のようには見えない。
例えば知識や力はとても秀でているように感じる。それに疎いキサラでさえ察せられるほどだ。
だから何かから警戒され閉じ込められている、なんて考えれば幾分か辻褄も合うが、そんなことになれば自力で逃げ出せそうだ。
この“違和感”を不審な点と言えばそれまでだが、不思議とそこに拘る気は起きなかった。頼もしい協力者であることに変わりはないのだから、一つや二つは目を瞑ろう。
耳慣れない分野の話を聞くのも、この現実離れした景色の中でする他愛のない話も、キサラにとっては心地の良い時間だった。
「ナキアと一緒に旅が出来れば、きっと楽しいのに」
それは不意に転がり出た言葉だった。
「そうだな」
それでも、ナキアは当然のように頷き返すのだ。
夢が終わるまで。魔力が枯渇するまで。砂が落ち切るまで。時計の針がその時を示すまで。
退屈で早く覚めろと願っていたが、こうなっては最早離れ難い。聞きたいことも知りたいこともまだ山ほどある。
「ナキア、」
魔王って知っている? そう問おうとした瞬間だった。
時計はまだその時を示していなかったにも関わらず、キサラは現実世界で目を開く。そこにナキアの姿は当然無い。
最早見慣れた鉄格子、湿った土の匂い。そして。
「おはようございますー」
見知らぬ誰か。
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