ロルスの鍵

ふゆのこみち

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監獄塔編

24. 耳奥の悲鳴

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 キサラは牢屋の中を改めて観察した。中は薄暗く快適とは言い難い。
窓こそあるものの頭すら出せないような大きさで、窓枠には鉄格子がはめ込まれている。石畳の床は一部剥がれており、剥き出しの地面からは湿った土の匂いがした。
晴れた日には太陽の光も入って来るだろうが、今見える夜空が狭く遠い。居るだけで気が滅入るような空間だった。

「地面を掘って外に出ようにも使えそうなものが何もないな」
「兄さん一体脱出に何年かけるつもりなの」
「魔女を待った方が早いか」
「皆逃げきれたかな」
「仮に捕まっていたとしても俺たちにそれを伝えはしないだろうな」

 シュヒアルには高位と思われる使い魔も付いている上、自身も魔法が使える。対抗手段は充分取れるだろうがタスラやシーラはどうだろう。特にファリオンはどんな手段を使って逃げたのか想像も付かず、余計気にかかる。

 キサラは少し高い位置にある窓へ寄り、端に指をかけて背伸びをした。そうすれば空以外にも何か見えるだろうと思っていたのだが、離れた場所に壁が見えるばかり。
備え付けられた灯りが揺らめいて、時折巡回の騎士と思われる火が遠くに揺れている。
 右を見ても左を見ても似たようなものだ。どちらへ行けば外に出られるのか見当も付かない。ぐぐぐ、と爪先に力を込めたところで限界が来た。

「はぁ、ふぅ、かなり広そうだね、ここは」
「俺たちが自主的にこの牢から出て行くんであれば地図が必要だな。騎士が馬鹿正直に地図見て歩くとは思えないが、保管くらいはしているだろう」

 キサラの横からひょいと外を見回し、テイザが言った。踵までピタリと床に付いている足を見て、兄を見上げ、窓の位置を確認し、また足を見る。長い。

「キサラ。俺たちがお前を見つけるまでの間、一体何があった?」
「何がって? 気が付いたら馬車の中に居たよ」
「“妖精界”で誰かに会わなかったか」

 兄の足の長さと自分のそれを比べていたキサラは「んん」と一つ唸ってから目を閉じる。
蘇る光景と言えば広がる海に頭上の世界樹、沈んだ星々や精霊王、幻獣が息づく美しい世界だった。その中でも異質だったのは実体のない掌だろう。紫の瞳を持った「ナキア」である。

 言葉を唯一交わしたのはナキアだが、誰かに会ったかという問いにはどう答えるべきか悩んだ。こうしてわざわざ確信を持って問いかけたということは、キサラを探し当てたというファリオンから「何か」言われたのかもしれない。

「もしも誰かに会ったのなら、そいつは」

 不意にテイザの声が途切れた。キサラが目を開いて見上げると、テイザが素早くその腕を掴み後ろへ庇う。

 その行動の意味を問う前に、見知らぬ男が立っていることに気が付いた。キサラや、キサラよりも幾分背の高いテイザですら見下ろす程の長身。そして威圧感のある立ち姿。キサラはその顔を見た途端頭が強烈に痛くなった。

「ガヴェラ」

 威嚇するような低い声。これはテイザのものだ。
キサラは最早体が硬直し身動きが取れなくなっていた。周囲には嫌な空気が漂い、体に何かが纏わりついているような感覚もする。頬を撫でるような生暖かい風が吹き、じっとりとした重みを全身に感じた。

〔良質にして凶悪な魔力。オイ、キサラ。こいつはお前らが捕まった時近くに居た魔族だぞ〕
(じゃあ、騎士たちが追っていたのはこの……?)
〔サァな。あのとき付近にあった魔物の気配はだ。どっち追ってたかなんざ礼儀知らずの騎士にでも聞きな〕
(二つ? なんでそんな大事なことを黙っていたの)
〔アァ? 今目の前に居るこいつは純粋に魔族だが、もう一つの気配はうすぼんやりして掴み切れねぇんだよ。今だってそうだ。あんのかねぇのかわかりゃしねぇ〕

 お前にだってわかる感覚のはずだぜ? と御者台に見た異変に付いて指摘する。確かに透明の塊がぼんやりと浮いていて、ただ漠然と「ある」ことだけがわかった。確かにあの感覚に近いのであれば、緊急の時に話題には上げないだろう。

〔一応魔力みてぇな気配こそ感じたが、ただの魔物が宿す力にしては随分妙だったぜ。魔力が変質してるといえばわかるか? 特殊な個体だってんなら騎士たちが拘る理由もマァわからねぇでもねぇな。召喚士っつー役職があんだろ?〕
(特殊な個体って一体どんな)
〔分析しろってんならある程度近くに寄らねぇとな。お前ら人族にも都合よく仔細垂れ流して生きてる奴なんて居ねぇだろ? 魔物にとっちゃ遠隔で解析出来る個体なんて弱点叫んで歩き回ってるようなもんだ。放っといてもすぐに狩られる〕

 テイザと魔族は睨み合うようにして動かない。ただ大声で何事か揉めているのに、誰一人騎士が駆け付ける様子は無い。

〔はっきり言えるのは、俺たちはあんなもんを“悪魔”とは呼ばねぇってことだ〕

 騎士たちが悪魔と固持する理由がはっきりあるのだろう。民間に比べ遥かに魔物の知識を有する集団が、その分類を間違うはずもない。

「片田舎でシクシク泣いて暮らしているもんだと思っていたが、巡り合わせというのは恐ろしいな」
「わざわざ監獄塔こんなところに侵入した理由はなんだ」
「そんなもんご挨拶だろうが。ごきげんよう? 愉快な隣人」

 魔族はテイザの背後に庇われたキサラへ視線を移すと、ニヤリと笑った。

「随分大きくなったなァ、キサラ」

 キサラは最早魔族から目が離せなくなっていた。頭痛が酷くなっていく上、耳の奥からグワングワンと響くような音までする。

「耳を塞げ」

 指示を受け腕を僅かに上げるがそれ以上動かせない。魔族と目が合っている状態で動くことなど不可能だった。

「こっちへ来い。久しぶりの再会を喜ぼうぜ、キサラ」
「ど……して、ぼくの名前」

『家族の元へ返してやろうな』

 耳鳴りのようなものが急に収まりはっきりとそれだけ聞こえた。それは目の前の魔族の声だが、今発した言葉ではない。
手を差し伸べる魔族に向け、意思とは関係なく足が進む。

〔オイ、耳を貸すな〕
「どうして、ぼく、ぼくの」
〔奴の目を見るな。振り切れ〕
「おとうさん、おかあさんは」
〔キサラ!!〕
「どこに、どこへ」
「そうか、忘れたのか」

 横から両手で耳を塞がれた。キサラにはもう魔族の声は聞こえないが、ぐらぐらと足元が揺れる感覚に酔いそうになる。
ざわざわと鳥肌が立ち呼吸が浅くなるその様子に、テイザが強く舌打ちした。

「俺がレイルとミレアを……てやったのによ」
「お前が父と母の名を呼ぶな!」
「そう怒るな、そんなんじゃあ目が曇るぞ。いや、今も見えちゃいないようだが」
「思えば全部あの日からだ。お前が父を訪ねて来たあの日から全てが狂い始めた! 悪魔が現れたのも、キサラが何かに怯えるようになったのも! お前、キサラに一体何をしたんだ」
「何だお前今更兄貴面してるのか。父親の言いつけを破ってキサラを連れ出さなかったのはお前だろう」

 テイザは歯ぎしりで答える。確かにガヴェラという魔族が父を訪ねて来た日、「キサラを連れて出かけておいで」と頼まれていた。けれどテイザは足の遅いキサラを連れて遊ぶのを嫌がり、弟を残して家を出たのだ。
その後何が起きるかも知らずに。

「寂しかったというのであれば謝るが、代わりに可哀想な半成を置いて行ってやったろう。アイツは……まぁここには居ないようだが。名前は確か、ああ、そうだ。シーラ、シーラだったな。愛されなかった哀れな半人、追い出された忌み子」
「黙れ」

 取り巻く空気は張り詰めキサラは肌すら痛かった。こんな異常が起きているというのに、近くの牢はひたすら沈黙している。

〔仕方のねぇ野郎どもだ。全く手のかかる〕

 キサラの目の前にチカッと赤い光が弾けた。入れ替わりの合図である。
変化を悟った魔族・ガヴェラの片頬が緩く上がり、満足気にそれを見送る。

「またな キサラ」

 声こそ聞こえなかったが、口はそう動いているように見えた。
背後へ引っ張られるようにしてそれまで立っていた景色が遠退いていく。夢に落ちるキサラを、それでもガヴェラの目は追いかけていた。

◇◆◇

 ぼふ。

 呆然と落下していると、何かに受け止められた。その場に数回弾んだところで辺りを見回す。見たところ、ナキアが創り上げた疑似空間のようだ。

「何だろこれ。雲かな」

 もっもっ、と右手で押し込むと柔らかな反発があった。真っ白でふわふわとしたその物体は、辺り一面に敷き詰められている。
羽毛や羊毛とは違う手触りで、手のひらで撫ぜれば若干ひんやりしているのを感じた。

 今度はぐっぐっ、と強く押し込み強度を確認。落ち着かない気持ちを振り払うべく一度立ち上がってからぱたんと倒れ込んだ。むいん、と軽やかな振動が辺りに広がり、キサラ自身の体も少しだけ跳ねる。うーうーと唸りながら一心不乱に顔を擦り付けた。

 情けない。兄は相手が魔族であろうとも勇敢に立ち向かっていたのに、自分は一人後ろに隠れて震えていた。バフバフと殴ればぽよぽよと手が跳ね、つい夢中になって全身を転がした。

「ん?」

 そういえばナキアはどこだ。と名残惜しい気持ちを押し込んで立ち上がる。右にも左にも前にも後ろにも上にも下にも姿は見えない。

 前に過ごしたときの印象とは微妙に違うが、ここがナキアの疑似空間であることは間違いない。どうやら「声」と入れ替わった状態でも眠っている、夢を見ているという扱いになるようだ。肉体的に起きていてもそうだと判断される理由はわからないが、体の主導権を返してもらうまでキサラはここに居ることになるだろう。

 弾んだり転んだりの末思い切り跳ね上がって進むのが良いと学習したキサラは、離れた場所に机と椅子がそのまま置いてあるのを発見した。
カップは片付けられており、寂しいものである。

 椅子に着き机の上を撫でてはみたものの、ナキアのようにカップを取り出すことは出来なかった。
今度は座ったままより遠くへ目を向ける。疑似空間は境界線や果てが見えず、一体どこまで空間が広がっているのか、そして行き止まりはあるのか全くの未知数だ。
気にならないわけではないが下手に動いて帰り道がわからない、なんてこともあり得る。

 「“妖精界”から帰って来られたこと自体が奇跡だった」という事実はキサラを慎重にさせた。

 しかし正直言って、暇である。すぐに戻れるものだと思っていたが目覚めの気配はない。そして自分の意思で体を入れ替える方法もわからないので、行儀は悪いが机にペタリと体を預けた。

 夢の中ではあるが、机を枕代わりに目を閉じてみる。当然眠りは訪れない。

(夢の中で寝たら醒めるかと思ったんだけど)

 酷い頭痛を悪魔に押し付ける形になってしまった。それも気がかりといえば気がかりだ。
牢に現れた魔族は男性体、人型の魔族だった。魔力の有無やその質、大きさなど全くわからないキサラですら圧倒されてしまう存在。とんでもなく強いに決まっている。

 一方キサラの悪魔は強気だが、どれだけの実力を持つのかキサラには測れない。兄を含め逃げられない状況なのに魔族の方は自由に行き来出来ている。数は勝っても圧倒的に不利だろう。

 そして仮にその場を凌げたとして、騎士のあの頑なな態度。対話や交渉なんて望めない。それに例の農夫の話にもおかしな点がいくつもあった。
キサラがその当時のやり取りを思い返していると、目の前の机の上、薄く透き通った何かが現れた。

「えっ」

 小人のような人影に顔を寄せると、そのうちの一人がキサラの顔をしていた。半透明の人影をよく見れば、もう一人はテイザである。
着ている服装を見比べても同じだ。半透明のキサラの後ろには壁や床もあって、監獄塔の牢内に居ることが一目でわかる。ちなみに牢屋もキサラやテイザと同じく半透明だ。

『もしかしてアンタらも突然捕まったのか?』

 ああそうだ、これは監獄塔へ入れられたときの会話だ。

「なんだこれ」

 記憶を客観的に見ているのだとすればこれも魔法だ。この空間自体が魔法で出来ているからこそ何が起こってもおかしくはないのかもしれない。
半透明の小さな兄弟は、今まさにやり取りをしているかのように会話を続ける。恐らくは振る舞いも当時と同じだ。

『あの騎士たちは一体何を隠しているんだろうな』

 テイザがそう言うと、半透明の映像は搔き消えた。
記憶をそのまま再現する魔法など聞いたこともない。何よりキサラの視点でもなくまるで「別の誰か」が見ていたような、なんともおかしな位置からの再現だった。

(僕の中に居る悪魔からの視点?)

 いや、悪魔は体の中に居る。では一体?

「んんんんんん」

 シュヒアルと連絡さえ取れれば、騎士たちが追っているという「悪魔」を捕まえてもらい疑いを晴らすことが出来るだろう。一番平和的な解決だ。
ただ現状助言や助力を得るどころかキサラもシュヒアルも互いにどこに居るかさえ把握出来ていない。

 更に憲兵隊騎士が相手となると、いくらシュヒアルが貴族籍の令嬢とはいえ立ち回りは難しい。何せ相手取らなければならないのは騎士のみならず、あの魔族の男もだ。確かガヴェラと呼ばれていた。

 想定以上にだいぶ悪い状況である。話をすれば簡単に誤解は解けて解放だろうと思っていたし、逃げた件に関しては慣例上二、三日拘束されるだけで終わりだ。悪くても罰金を払えばそれで済む。

 だが目的が「悪魔の確保」である以上その重要性はかなり高いと言える。つまり厳重な調査がいずれ入るということだ。その時点で「声」の存在が発覚すれば即処刑である。
騎士が「いつまで持つか」と言った辺りあちらも長期戦を見越しているはず。もしも魔力の有無で悪魔の是非を見極めるのであればキサラ自身が「悪魔」と断定されるだろう。何せナキアから魔力の譲渡が行われたばかりだ。

「ナキアに相談、いやいやいや」

 望む限り会いに来るとは言っていたが、呪いを解くための協力関係なので今回の件は適用外だ。見捨てられないことを信じて助言を求めるか、そんな状況ならと切り捨てられるのかキサラには判断が付かない。

 生死に関わる悩みなんて呪いだけで手一杯である。村の中で抱えていた悩みとは明らかに規模が違い過ぎた。

 キサラは再び体を起こして辺りを見回した。どこまでも広がる世界に一人ポツンと座っている。さて牢に閉じ込められ自由が利かないのと、自由に動き回れる代わりどこまでも同じ景色が続く空間に一人きりなのとではどちらがマシか。


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