ヒガン

ふゆのこみち

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ヒガン

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 電車なしバスなしで、隣の村から歩いて片道一時間半の村がある。
郵便局員としてこの村にやってきたのは約二年前のことだ。唯一村に居た配達員が入院してしまったため臨時で飛ばされたのだが、一体あと何年したら後任が決まるのやら。電話で上司と話したが向こうも調整が忙しいとかでいつも「もう少しだけ頑張ってくれ」と返される。

 生まれも育ちも東京だったが別にビルが立ち並ぶ街で暮らしていたわけではない。東京にだって山や森はある。それなのに最初の三ヶ月は「都会もんが」と遠巻きにヒソヒソと見られていた。俺だってせっかくなら都会っぽいところで暮らしてみたかったぞ、と内心ボヤキながらこんなものか、と流していた。

 しかし何がきっかけだったのか、四ヶ月目にして一人と打ち解けた途端、住民たちにあっさりと受け入れられた。それには今でも疑問が残る。海に面した小さな村なので、孤立するととことん孤独を感じるから受け入れられることはありがたいことなのだが。 

 制服で自転車に乗り配達をしていると、最近では近所の人達が自身の畑で取れた野菜を分けてくれる。「都会にこんな美味い野菜ないじゃろ」が常套句だ。
都会が嫌いなのかといえばそうでもなく、多少の憧れなどもあるようで、「カフェ」に行ってみたいというご婦人多数。この村ではカフェどころか飲食店すら片手で足りる程しかない。横文字で写真映えする食べ物に興味津々である。

 配達をするごとに増えていく野菜を抱え直してから自転車を下りて、山道を登り始める。この山には老夫婦が住んでいておじいさんの方はまだまだお元気だ。

「すいませーん、郵便です」

 庭先から音がしたので声をかけながら顔を覗かせると、おじいさんが斧で薪を割っていた。こちらに気づくと「郵便局の……」と呟いてついてこいと手招きをした。縁側までついていきいつもの定位置に腰かける。勤務中だがこの村にそんなことを気にする人間はいない。ついでに言えば野菜が増えた。

「ばあさん! ばあさん!」

 家の中へ向け大声で呼びかけるが返事はない。おじいさんの「あの婆どこ行った」という呟きに答える。

「おばあさんなら、船着き場の辺りに居ましたよ」

 返答に驚きはしなかったが、一瞬だけ動きを止めておじいさんは中へ入っていった。
将棋盤を持ってきたおじいさんを、「初心者でもわかる将棋入門」を片手に迎え撃つ。
「そんなもんなくても打てるようになれ」と毎度言われるが生憎と飲み込みが悪いのだ。その辺りは手加減をしてくれるなり、説明をしてくれるなりすればいいと思う。と内心ぼやいた。

 パチパチとスムーズに手が進んでいくと、「性懲りもなく……あの女は」とおじいさんは愚痴をこぼし始めた。

『今年で三十七年目だよ。山のばあさんは三十七年、船着き場に通ってる』

 役所の裏に住んでいる曽根ばあちゃんが言っていた。おばあさんは、漁に出た息子を待っている。

 山のおじいさんとおばあさんの長男である敏夫さんは、おじいさんの跡を継いで漁師になった。おじいさんも現役だったが、敏夫さんの船が修理に出ていた為おじいさんは船を貸した。その間だけ休んでいろというのは敏夫さんの計らいで、長く働き続けたおじいさんへの感謝の気持ちと、自分がしっかりと跡を継ぐということを見せたかったらしい。当時を知る曽根ばあちゃんはそう言っていた。

 敏夫さんが漁に出た次の日のこと。
船だけが、港に戻った。酷い嵐だったらしい。おばあさんはしばらく寝込み、今では口数も少なくぼんやりとしている。曽根ばあちゃんから聞かなければおばあさんが誰より明るく快活に笑う人だなんて知らないままだっただろう。

「誰かが、言ったんだ」

 パチリ。おじいさんの手を見て次を指す。苦しい手を打たれたからか、眉を寄せた。
次の一手で決まるだろう。
 最早本を見る必要もない。静かに本を閉じて横に置いた。

『敏夫が、敏夫が帰ってきた。よかった。よかったでな』

 おばあさんが何度もそう言っていたのをおじいさんは知っている。わずかに肩を震わせながら目元を手で覆ってしまったおじいさんの姿に、不自然な程急に受け入れられた訳を理解した。

「お前は、敏夫にようく似とる」

パチン。

「王手」

 その日始めて、おじいさんは敏夫さんに負けた。


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