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17 帰宅

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「ねえハルハルってさ、好きな人でも出来たの?」
「……はい?」

 林間学校の帰りのバスで、隣の座席に座るクラスメイトが唐突に恋バナを仕掛けてきた。声は潜められていたものの、話題が話題だけに、なんとなく周りが聞き耳を立てている気がする。そんな気配を感じた遥奈は、聞こえなかった振りをした。別に、自分が恋などしているわけではないが、この手の話を続けていると、無いこと無いこと尾ひれがついてしまうものである。
 だが、隣のクラスメイトは、そんな遥奈の気持ちなど一顧だにしなかった。

「だってさー、この林間学校の間、ハルハルってばズーッとボケボケッとしてたじゃん」
「なんだかヒドイ言われようだけど、ウチに残してきた妹が気になっていただけよ。……お母さんが今はいないんだし」

 クラスメイトに対しては、遥奈の母親は長期入院中という事にしてある。実際は失踪して行方知れずなのだが、そのような事を正直に言うつもりも必要も無い。

「そのくせ、野外の調理自習じゃあ、包丁さばきがメチャメチャ凄かったのが腹立つ。調理もテキパキとしてたし、ピーラーの使い方ひとつとっても、全然違って見えたもの」
「家で毎日料理していれば、誰でもあれくらい出来るようになるわよ。遠山さんもやってみたら?」
「そうねー。でも、アタシが包丁を握ると、ジャガイモがサイコロになっちゃうからなー」
「サイコロ」

 恋バナから上手く料理の話へと舵を切った遥奈は、心の中でホッとした。
 遥奈は、自分には恋など出来るわけないと思っている。
 過剰な色恋を奔放に楽しんでいた母親の芙由美は、遥奈にとって忌避したい存在だ。芙由美は、恋愛とは肉体関係であるなどと言いかねない女であったが、そんな母親の行動に反発心を覚えていた遥奈は、普通の恋愛にも同じように忌避感を持ってしまっている。
 それに加えて、遥奈は義理の父親と現在進行形で肉体関係にある。母親に捨てられた自分と妹の居場所を確保する為、義父の那津男に身体を差し出した結果なのだが、今では遥奈自身もそれを愉しんでもいる。
 母親への反発心と、義理の父親との淫らな関係。これらを考えると、遥奈は自分に『普通』の恋愛など楽しむ資格は無いと思ってしまうのだ。
 だから、同年代の少女たちにとっては心躍る恋バナも、遥奈にとっては苦痛でしかない。

「あとさー、前から言ってるでしょ? 『さん』付けなんてよそよそしいよ。アタシの事は千佳で良いってば」
「あはは……」
「で、誰を狙っているの? チャンスの多い林間学校で声をかけなかったんだし、会えない寂しさでボーッとしてたんなら、別の学年かな? 先輩とか? でも、部活をやってないハルハルじゃあ、接点がないなー。誰かな? いったい誰かなー?」

 ――ウザッ!

 どうやら、話題の舵取りは上手くいかなかったようである。遥奈は心の中で盛大に溜息をついた。
 遥奈は別に、この遠山千佳というクラスメイトが苦手というわけではないし、嫌いと言うわけでもない。むしろ、人の細かいところによく気の付く、仲の良い友達だと思っている。好ましい存在だ。
 遥奈が母親の失踪直後で心も身体も崩れかけていた時期に声をかけてくれたり、那津男との関係が良くなった直後に顔色が良くなったと言ってくれたりもした。
 だから、遥奈は正直に言う事にした。

「好きな人なんていないわよ。今は自分と妹の事だけでいっぱいいっぱいなんだから」
「……そうなの?」
「そうよ」
「……」

 何か、納得しがたいといった表情の千佳であったが、それ以上は深く聞いてこなかった。

「まあでも、もしも好きな人が出来たんなら、ちゃんと『好き』って言った方がいいと思うよ」
「とお……千佳、ちゃんは? 好きな人はいるの?」
「いるよー。しかも毎日、好きって言ってるもの」
「毎日! それは凄いのね」
「うん。でも、全然本気にしてくれなくってさー」

 と、千佳の視線が少しバスの天井に泳いだかと思うと、前の方の座席へ向けられた。
 つられて、遥奈も千佳の視線の先を見る。そちらの方には男子生徒はおらず、数人の女子が楽しそうに喋っているだけである。

「……え?」

 その視線の意味を量りかねた遥奈が千佳に問いかけようと振り返ったところで、クラスメイトが先に言葉を継いだ。

「だから、ハルハルにも好きな人が出来たら、『好き』って言いなね。でないと後悔するよ」
「まるで後悔したコトがあるみたいな言い方だけど……。もしも、出来たらね」

 と言いつつも、恋人など作る気のない遥奈に、そのつもりはまったく無かった。

   ***

「ただいま」
「お帰りなさーい、お姉ちゃん!」

 林間学校から帰ってきた遥奈を、妹の亜紀は飛び付きそうな勢いで出迎えた。Tシャツにショートパンツという少女らしい肌面積の多い格好だ。普段の部屋着よりも、心なしか薄手の格好に見える。

「私がいない間、大丈夫だった?」
「だーいじょうぶだよ! ちゃーんと、パパと仲良くしてたから!」
「そう。愉しくできたのね?」
「うん!」
「良かった。ただいま、お義父さん」
「ああ、お帰り」

 亜紀の後ろから、トレーナーにスエットというラフな部屋着姿の那津男も姿を現した。

「いつもはお義父さんの方が帰りが遅いから、こういうのはなんか新鮮ね」
「まーな」

 出迎えてくれた二人の家族へ、遥奈は視線を交互に向けた。
 亜紀は姉の視線の意味に気付いたかのように、隣に立っている那津男の腕に自分の腕を絡ませた。
 そして、那津男は遥奈の視線から目を逸らした。
 ニコニコと笑う妹と、笑みは浮かべているもののどこかぎこちない義父。
 それだけで、自分のいない間に二人に何があったのか、遥奈には分かってしまった。
 それは、不思議な気分だった。人形のように身体を投げ出していた頃、家主である那津男の勘気に触れるのが恐くて目を逸らしていたのは遥奈の方だ。
 だが、那津男を受け入れてから、遥奈は義父の感情がうっすらと分かるようになってきた。
 むしろそれは、当たり前の事だったのかもしれない。一対一で、正面から向き合う。ただそれだけで、言葉を交わさずとも、相手の想いが感じられる。それは、遥奈が身体だけではなく、那津男に対して心も開いていたという事でもあるのだろう。
 身体を重ねていて、那津男の不機嫌を感じた事があった。話を聞いてみれば、無理解な上司と言い合いになったという。
 上機嫌で遥奈にキスを繰り返した事もあった。その日は、ケンカをした上司と美味い酒が飲めたという。
 男は単純だと思い、同時に、那津男の心が感じられる自分の心が嬉しかった。
 これまで遥奈は、悪い意味で母親の感情を慮らなくてはならなかった。不機嫌な母親には声をかけない。上機嫌で遥奈を呼んだときには、少し元気な声で返事をする。男と一緒にいる母親には近付かない。
 だが、そんな少女の気遣いなど関係なく、芙由美が笑顔で男を見送ったかと思ったら、直後に頬を叩かれた事もある。男が最後に、遥奈に声をかけたからである。
 遥奈は母親の顔色を窺うのが癖になってしまっていたが、そんな自分に嫌悪感を覚えてもいた。
 だが、今は違う。那津男を見るのが楽しい。
 朝の食卓で、夜の団欒で、深夜の寝室で、遥奈は那津男を感じ続けた。那津男を想い、那津男に触れ、那津男の心を推し量る。
 自分の心が、那津男と同じ方を向いていると分かった時の愉悦。
 那津男の心が、自分に向いていないと感じた時の寂しさ。
 那津男を見て、那津男を視て、那津男に満たされる。
 文字通り、毎晩のように那津男をその身に受け入れてきたのだから、遥奈の心が那津男に染まってしまうのも当然と言えた。
 だから、『パパ』と仲良くしていたという亜紀の言葉を聞いた那津男が、遥奈から目を逸らした理由もすぐに分かった。
 那津男が、亜紀も受け入れてくれたのだという事を。

 ――今夜は、三人川の字で寝ようかしら。

 『普通』というものを望んでいる遥奈は、普通の家族がする行為に淡い憧れを抱いていた。そしてそれは、実現不可能な難題ではない。望めばすぐに叶う。
 望みが、叶う。
 そんな『普通』を感じられて、遥奈の口元は自然と笑みの形に崩れていった。

   ***

 妹と二人で一緒にお風呂に入るのは久しぶりである。
 那津男の寝室に忍ぶようになって以来、遥奈は夕食から就寝までを効率良く回していた。そのせいで、入浴はカラスの行水よろしく、一人で手早くするものとなっていた。それは、深夜に義理の父親とセックスを愉しんだ後、妹の亜紀にバレないよう、寝る前にもう一度シャワーを浴びる必要があったからという事もある。
 だが、さすがに林間学校から帰ってきた日くらいは、ゆっくりと入浴したい。また、久しぶりに姉妹水入らずでお風呂に入りたいとも考えた遥奈は、夕食後に亜紀を入浴に誘った。
 先に身体を洗った亜紀は、すでにゆったりと湯船に浸かっており、遥奈は洗い場で身体を泡立てている。

「ねえ、お姉ちゃん。あたし、一人部屋が欲しいな」

 シャワーで身体についた泡を洗い流している遥奈に、亜紀は突然、そんな事を言い出した。

「なに言ってるの。この家に余っている部屋なんて無いじゃない。隣の物置になっている部屋を片付けるの? お義父さんのモノばっかりだから、勝手に捨てるわけにもいかないし」
「そうじゃなくて、お姉ちゃんがパパの部屋に行けばいいじゃない」

 遥奈の頭がくらりと傾いた。

「そ……れは……」
「もう隠す意味無いよね? お姉ちゃんが毎晩パパのお部屋に行ってたのは知ってるよ? でもって、あたしが知ってるのを、お姉ちゃんも気付いてたんでしょ? だから林間学校の前の朝に、あんなコトを言ったんだよね?」

 亜紀をお風呂に誘ったのは、まさにこの話をする為であった。
 だが、誘ったのはいいものの、どのように切り出そうかと考えながら遥奈は身体を洗っていたのであるが、正直なところ、妹の方から話題を振ってくれて助かった。

「……亜紀は、いつから気付いてたの? その……私と、お義父さんが……」
「いつからって……アイツがいなくなって一週間くらいしてから、かな? 急にお姉ちゃんがハイになってたでしょ?」
「私が、ハ……ハイになってたって……?」
「うん。鼻歌を歌って朝の用意したり、フツーにパパと朝の挨拶したり」
「あーもー、ウソでしょー……。最初からずっとじゃない……」

 お風呂の中で良かったと遥奈は思う。多分、今の遥奈の顔は、トマトのように赤くなっているに違いない。それを誤魔化す為に、遥奈は熱いめのシャワーを顔に浴びせた。

「最近じゃ亜紀にバレてるかも、なんて思ってたけど……。それでも、必死に隠してたのがバカみたい……。もっと早く言えば良かった」
「ええと、お姉ちゃん?」
「うん?」
「必死に隠してたって言うけど、毎晩あんなにエッチな声を出してたら、隠してるなんて言えないよ?」
「はうわ……」
「それに、お風呂場ってすごく声が響くんだよ?」
「おおお……」
「あと、それから……」
「わーっ! もう、ゴメン! 私が悪かったわよ!」
「……何が悪かったの?」
「え?」

 予想外の返しに、遥奈は亜紀の方へ向き直った。
 思いの外、真面目な顔をした妹が、姉をじっと見つめている。

「謝ってくれるのはいいんだけどさ、何が悪かったって、お姉ちゃんは思うの?」
「ええと……」

 確かに、妹から色々と突っ込まれるのが耐えられなくて謝罪の言葉を口にしたが、では何が悪いと思っているのかと問われれば、すぐには明確な答えが出てこない。

「あたしはパパが好き。親としても好きだし、男の人としても好き。よくマンガとかで小さい子が『パパのお嫁さんになる!』なんてのがあるよね。男のバカ親っぷりがギャグになっているけど、あたしはアレ、結構好きなんだ。だって女の子は本気だから。それに、アイツはもういないんだから、あたしたちは本当にパパのお嫁さんになれる。お姉ちゃんはどうなの? パパと毎日愉しいコトしてたくせに、好きな人が出来たら、パパとあたしを捨てちゃうの?」

 妹の鋭い問いかけに、遥奈は心臓が掴まれる思いがした。熱いシャワーを浴びているはずなのに、身体の芯を冷たいものが走る。
 那津男と亜紀を捨てる。
 想像もしたくないが、それは、芙由美と同じになってしまう行為である。
 遥奈は、これから先の事を考えてこなかったわけではない。ただ漠然と考えていたのは、亜紀が成人して結婚するまで家族三人で過ごすという、ただそれだけの未来である。
 遥奈自身は、恋などしないし、する資格もないと思っている。
 だが、妹の亜紀は違う。自由に生きて良いし、自由に恋愛していいと思っていた。理不尽な母親の呪縛から解放され、『普通』の女の子らしく恋をして、交際して、結婚して、この家を出ていく。
 遥奈はそれを、この家で見届ける。
 そう思っていたのだが、亜紀はそれとは違う、しかし確かな未来を見ているようである。

「私……は……」

 亜紀がまっすぐに遥奈を見つめている。目を逸らさず、ウソや誤魔化しや言い逃れを許さない、強い光を宿した目を姉に向けている。

「私は……ええと、亜紀に隠れて、お義父さんと……えー……」
「セックス」
「はい?」
「セックス、してたんでしょ? パパと、毎晩」

 年端の行かない妹の口から飛び出した生々しい単語に、遥奈は言葉を失ってしまった。
 普通、この年頃の少女であれば、恥ずかしさを覚えてハッキリとは言わず、『エッチ』だとか『やらしいコト』だとか、言葉をオブラートに包んで言う。
 だが、この期に及んでハッキリとは言わない姉を、斧で粉砕するような勢いと言葉で亜紀は問いかけてきた。

「……ゴメンね。亜紀には内緒で、お義父さんとセックスしてた」
「つまり?」
「黙っててゴメンね」
「うん」
「でも、この家にいさせてもらう為の、お仕事みたいなものだから……」
「……うん? お仕事?」

 うんうんと満足そうに頷いていた亜紀の顔が、微妙に戸惑いの色を見せた。

「ええ。お母さんがいなくなってから最初の夜に、お義父さんに身体を求められたのよ。この家に住みたいのならって」
「うううん? ええと、最初は分かったよ。今は?」
「え、今?」
「そう。最初はイヤイヤだったんでしょ? パパからも聞いた。でも、お姉ちゃんは今もイヤイヤなの? 違うでしょ?」

 繰り返し聞いてくる亜紀の意図は分からないが、妹を安心させるために、遥奈はハッキリと答えた。

「そうね。イヤイヤやっているワケじゃないわ。大丈夫。ありがとう亜紀。私はお義父さんのコト、なんとも思ってないから」
「……は?」
「そりゃあ、私もちょっとは愉しんじゃっているけど、お義父さんのコトは私たちの父親として頼りにしてる。でも、それだけよ」
「あー! もうっ! ハッキリしてよ! お姉ちゃんもパパのコト、好きなんでしょ?!」
「……………………どうかしらね。あの人がいなくなってから、お義父さんを頼りにしてるコトはホントだけど、好きっていうのとは違うと思う」

 そう、これは恋愛感情ではないと遥奈は思う。
 林間学校に行っていた二晩、久しぶりに一人で布団に潜っていた遥奈は、身体を持て余していた。ひどく物足りない感じがして、腕の中が空っぽに思えた。こっそりと自分を慰めようかとも思ったが、同じ部屋に五人のクラスメイトが寝ている事を考えると、そんな事は出来るはずもない。
 結局、遥奈は悶々と夜を過ごしてしまい、寝不足気味で林間学校をこなしたのである。
 クラスメイトの千佳が、心ここにあらずと言った遥奈に気付いていたようであるが、恋しているという問いかけの、半分の半分は正解と言えた。

 ――だって、私がお義父さんに恋なんてしてしまったら、亜紀を殺してしまうかも……。せっかく家族になったのに、亜紀もお義父さんと仲良くしているのに、私が必要以上にお義父さんと仲良くなってしまったら……お母さんのように……。

 母親の影を感じて、熱いシャワーを浴びているのに遥奈は身体を悪寒に震わせた。
 男女の色恋を考える時、常に遥奈の背後にいるのが母親の芙由美である。あの母親のようにはなりたくない。しかし、自分は紛れもなくあの女の血を継いでいる。今のところ、亜紀に対する嫉妬心は覚えないし、妹も那津男と身体を重ねて幸せそうだ。それに、那津男も満更ではない様子である。
 今のこの幸せな家族関係を壊したくはない。
 ようやく手に入れた『普通』の家族を手放したくはない。
 だから、遥奈は那津男に恋をしない。
 那津男の事を、好きにはならない。

「私はお義父さんのコト、家族として好きよ」
「お姉ちゃんっ!」
「そろそろ上がりましょ。のぼせちゃうわ」

 自分は湯船にも浸かっていないにもかかわらず、シャワーだけを浴びて、遥奈は浴室を後にした。
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