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四章 それぞれの夏休み

第40話 ミヅカ・リオの夏休み

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 海辺の朝は涼しい。まだ激しい主張をしない日差しに薄っすらと目を開け、その心地よさに再び閉じる。体の感覚が曖昧になるほど柔らかいベッドに寝返りをうち、もう少し微睡もうと――

 「あーさーだーぞー!!!」

 「んのわああビックリしたあ!!」

 突如開け放たれる扉。すわ敵襲かと飛び起きると、ベッドの前には仁王立ちのヒナが。

 「おはようお兄ぃ!」

 「お、おはよう」

 ウンディーノ家での夏休み初日がスタートした。



 「はあっ!」

 「踏み込みが甘いです! もっと前に!」

 横薙ぎに振るう剣は、ギリギリ数センチの差で届かない。だがそれは予想の範疇とばかりの余裕をもった回避だ。

 「やあっ!!」

 「出す足に重心を乗せ、少しでも剣先を伸ばしなさい!」

 またもや届かない。あと少しで、と思った時にはもう遅い。

 「くっ……!」

 風を切る音。瞬きの間に、俺の首筋に剣が添えられていた。

 「隙ありですよ。一旦休憩にしましょう」

 ヒナに起こされて眠い目を擦りながら朝食を頂いた後、まずは稽古の時間となった。精霊術の特訓かと思いきや、剣術だ。リギスティアさんが手配してくれたらしい。師範として紹介されたのは物腰柔らかな壮年の男性だった。

 「しかしリオ殿は珍しいですな。剣を使う者などが巫女家にいるとは」

 「まあ、精霊術があんまり得意じゃなくて……師範は精霊術は使わないんですか?」

 「使わない、ではなく使えないのですよ。全くとは言いませんが、才能が無いのです。あとは趣味ですかな。リオ殿は?」

 「俺も似たようなものです。使える精霊術が剣の間合い程度だから、武器と合わせるのが一番良いんですよ」

 「ふむ、リオ殿は極東の出身でしたな。精霊術を至上とする者とは違って柔軟な考えをお持ちで。あちらの国では一般的なのでしょうか?」

 「分かりませんね。でも……母が教えてくれたので。俺にとっては普通です」

 危ない危ない、「軍人の」と言いそうになってしまった。彼は外部の者なので内情は機密にと言われているのだ。しかしこの師範は話してみると親しみやすく、色々と喋ってしまいそうだ。

 「さて、息は整いましたかな? 次は型の稽古と致しましょう」

 「はい、師範!」

 日が高く昇り、彼が帰る頃には汗でびっしょりになってしまった。彼は三日に一度来てくれるそうなので、夏の間は集中的に修行ができそうだ。

 「ではリオ殿、また」

 「はい、師範。これからよろしくお願いします」

 「こちらこそ良しなに。私がいない間も型の練習は怠らぬように、ですぞ。武術の基本は一眼二足三胆四力。これを忘れぬように!」

 「はい!」

 勢いよく返事をしたが今日はもうクタクタだ。午後は体を休めるとしよう。



 「リオ、ここなんだけど……」

 「教科書だと例が載ってないな。これは前の章の公式の応用で……」

 昼食の後、手持ち無沙汰だった俺は部屋を訪ねて来たイレアに請われて勉強を教えていた。数学だ。彼女も成績は優秀な方だが、数字には弱いらしい。ちなみに極東では数学や科学の教育が特に進んでいるので、今習っている所はヒナでも分かる範囲である。

 「んー……あ、そっか。式の形が同じになるんだ」

 「そうそう」

 「ありがと。リオ教えるの上手いね」

 「そうでもないよ。イレアの理解が早いだけだし。あとはまあ、学園の先生がな」

 「あはは……確かにうちの先生、あんまり教えるの上手くないよね」

 雑談も交えながら教え、キリがついた所で終わりとした。俺の復習にもなって丁度いい。

 「うん、ありがとう。また時間あったらお願いして良い?」

 「もちろん」

 「じゃあさ、お礼ってわけじゃないけど……明日、時間ある?」

 「いつでも空いてるよ」

 剣術の稽古も他の予定も無いはずだ。ぶっちゃけヒマだな。

 「なら、買い物がてら街を案内するよ。いい?」

 「おう。ヒナにも声かけとこうか?」

 「あっ、いや、うん、私から言っとくよ」

 ん? 明らかに狼狽えたが、なんだろうか?

 「じゃあ、明日ね。ありがと」

 「お、おう」

 そう言ってイレアは急ぐように片付けて出て行った。何かあるんだろうか……


■□■□


 翌日。昼前には出発するとのことで、何故か玄関に集合と言われていた。全員部屋も隣なんだし一緒に行けばいいのに。

 「お待たせ、行こっか」

 「あれ、ヒナは――おぉ」

 少し遅れてやって来たイレアに問いかけようとした俺は……思わず感嘆の声が漏れてしまった。彼女の恰好だ。

 「えっと……へ、変じゃない、かな……?」

 「え、いや、変じゃない。似合ってるよ」

 流れるような銀髪が映える白いワンピースに、つばの広い白い帽子。胸元と帽子に揃って付いている水色のリボンがアクセントだ。シンプルだが彼女にとても似合っている。まるで……いや、俺の貧相な語彙では表現するのも無粋だろう。

 「その、あんまり見られると……」

 「ご、ごめん」

 見惚れてた、なんて恥ずかしくて言えないが……それより、かき消されかけた疑問が先だ。

 「そうだ、ヒナは? 声かけてくれたんだろ?」

 「あ、うん。誘ったんだけどね、急用で来れないって」

 「急用?」

 「うん、急用。何かは知らないけど、お婆様からの用事だって」

 ……とってつけたような棒読みでなんとなく予想はついた。たぶんヒナと、今の話からしてリギスティアさんの仕込みだ。まあ、そういう事なら同調しておこう。

 「そっか、なら今日は二人だな」

 「そ、そうね! とりあえず行こう!」

 ややテンパっている彼女も振り回されている側だろうな。
 これはつまり、デートというやつだ。



 「イレアお姉ちゃーん、いるー?」

 「あ、ヒナちゃん。どうぞ、開いてるよ」

 リオとヒナがウンディーノ家に来た日の夜。ヒナはイレアの部屋を訪ねていた。

 「おっじゃまっしまーす」

 「どうぞ。特になんにも無いけどね」

 ソファに座ったヒナはキョロキョロと室内を眺め、しばらくしてぽつりと言った。

 「イレアお姉ちゃんさ、最近お兄ぃとはどう?」

 「どうって……特には、何も……」

 ふわっとした質問だが、意図が分からぬイレアではない。彼との進展はどうかと聞かれているのだ。

 「んー、じゃあデートは?」

 「デート?」

 「えー、何その初めて聞いた言葉みたいな反応ー」

 「べ、別に知ってるよ。知ってるけど……」

 彼と二人で遊びに出掛けた事は無い。どこかに行くにしても、いつも誰かが一緒だった。いや、一度だけ二人で本邸に来たが、あれをデートとは呼べないだろう。そもそも自分にとっては実家に帰っただけだ。

 「おばあちゃんも心配してるよ~? わたし、相談されちゃったんだよねー」

 「お婆様が? 心配なさるのもそうだけど、というかおばあちゃんって」

 「わたしとお兄ぃは孫みたいなもんって言ってたじゃん。だからおばあちゃんだねって。……どうしたの、イレアお姉ちゃん?」

 確かにそう言ってた。以前も呼んでいた気がするが、ヒナの口ぶりから本当に今もそう呼んでいるのだろう。エレメント公国四家、ウンディーノ家の当主をおばあちゃんと呼ぶなど、宰司が聞いたら目を回しそうだ。

 「お姉ちゃん?」

 だがヒナは天然でもなく、頭が悪い訳でもない。むしろ自分の立場や相手の反応を理解した上でやっているのだ。以前から思っていたが、彼女の言動はウンディーノ家で内政を切り盛りして他家と渡り合う、歴戦の文官を思わせるものがある。恐ろしいことに、全て計算しているのだこの少女は!

 「イレアお姉ちゃん……?」

 「な、何でもないよ? えっと、それでなんだっけ?」

 「もー、全然聞いてないじゃん。要するにお兄ぃ誘ってデートでも行ってきなさいって話だよ」

 よく分からない思考に陥ったイレアにヤレヤレと嘆息するヒナ。デートに誘う。言うは易し、だ。自分から誘うなんて到底できっこない――

 「はいはい、誘うなんて無理ーって思ったでしょ。だから発破掛けに来たんだよ、お姉ちゃん」

 思考をぶった切られて目を丸くするイレアを無視してヒナは続ける。

 「街を案内するとか言えばいいでしょ。どーせ鈍感なお兄ぃはわたしも一緒にとか言うだろうからさ、お姉ちゃんから誘っておくけど、わたしが当日に急用で行けないってことにすればいいよ。あ、でも焚き付けられてるってのはお兄ぃには自覚してもらった方が良いかも。じゃあ急用はおばあちゃんの頼みとか言っといてね。流石に察するかな。うん、これで行こう」

 「え、あ、分かった。うん」

 ペラペラと計画を一気に立てるヒナにやや気圧されたイレアは、流されるまま返事をしてしまった。そんな彼女にヒナはさらに追撃を食らわす。

 「もし明日の夜に誘ってなかったらー……」

 「な、なかったら……?」

 ニヤリと笑うヒナ。ごくりと唾を飲むイレア。

 「どーしよっかなー? ……あ、ここってお風呂広いんだよね。二人以上入れるくらい」

 「……っ!」

 ヒナの一言でイレアは全てを悟り、戦慄した。彼女ならやりかねない。例えば自分が風呂に入っている間にリオを向かわせるなど……それこそお婆様の協力があれば容易い事だろう。

 「それじゃ、頑張ってね~。おやすみ~」

 お茶目にウィンクして、彼女は部屋を出て行った。明日、頑張らなければ。誘わねば、ヒナは本当にやりかねない。
 ――もし、誘わなかったら?

 「~~~!!」

 枕に顔を埋め、足をバタバタと蹴る。風呂場に並ぶ二つの影を想像してしまった純情な乙女心は、火照る体をなかなか寝付かせてくれなかった。お嬢様はむっつり気味であった。

 翌日の夜、成果を確認したヒナはデートプランや服装や、色々と指令を出したのだった。無論、「デートなんだから待ち合わせしなきゃダメでしょ!」と主張したのもヒナである。



 「それじゃあ最初は……商店街の方かな」

 「おう、案内頼むよ」

 気を取り直して出発だ。門を出て少し歩くとそこは大通り沿いの住宅街だ。ウンディーノ家は広大な敷地と庭があるが、街の中心にあるのだ。

 「昔はここは人があんまり住んでなかったんだって。ウンディーノ家がここに本邸を置いてから町が発展したってお婆様に聞いたの」

 「へー。なんでウンディーノ家は中央から離れた所に来たんだ?」

 「さあ? 海が近いからかもね」

 他愛もない話をするうちに、活気付いた声が聞こえてきた。商店街だ。

 「えっと……服屋。あんまり夏の服って持ってないでしょ? だからリオの服を見てあげてって……あっ」

 「ヒナに言われたんだな」

 「ごめん……」

 やっぱりだ。今の時点ならまだ、昨日誘った時に計画したとか言い訳もできるだろうが、もう隠す気も無いようだ。

 「まあ、分かってたからいいよ。俺も前から言われてたからなあ」

 かく言う俺もヒナからデートの心得云々を以前から聞かされていた。全ては妹様の掌の上なのだ。

 「ほら、その……行こう」

 だから大人しく従うことにする。すなわち俺は心得云々通り、イレアに手を差し伸べた。

 「……! うんっ」

 一瞬の間をおいて合点がいったイレアは頷き、俺の手を取った。ひんやりとした手を掴み、俺達は並んで歩きだした。


■□■□


 「二人、今頃ごはん食べてるかなー」

 「商店街の方へ向かったのでしょう? この時間は少し混んでいるでしょうね。まあ、何かあれば家の者が陰から付いているので問題ありませんよ」

 「過保護だねー」

 「当家の膝元で手を出す輩がいるとは思えませんが、念のためですよ。それとヒナさん、そちらはスプーンを使って食べるのです」

 「はーい」

 同日、お昼時のウンディーノ家。ヒナはリギスティアと昼食を食べていた。当主手ずからのテーブルマナーの講習付きだ。

 「ねえおばあちゃん」

 「なんでしょうか?」

 ヒナがおばあちゃんと呼ぶ度に今日初めてそれを聞く使用人は背筋が凍ったのだが、当の二人は気にもしていない。

 「お兄ぃとイレアお姉ちゃんの婚約さ、反対してる人っている?」

 「いえ。彼の素性は発言権のある者には明かしていますから」

 「んー、じゃあ問題があるとしたらお兄ぃ達の方だね」

 「リオさんは奥手が過ぎますからね。近頃の若者は、草食系と言うのでしたか?」

 「いやー、単に友達とか少なかったからじゃないかな。人見知りだよ。それに女の子と喋ったことほとんど無いし」

 「それはイレアも同じですね……ヒナさん、色々とお願いしますよ。そういえばヒナさんの方はどうですの?」

 自分が標的にされて少し狼狽えるヒナ。彼女もウンディーノ家の一員である以上、そのうち婚約の話が来る可能性もあるのだ。

 「あー、わたしはいいや。興味ないし、必要ないでしょ?」

 後半の問いかけは、ウンディーノ家にとってという意味だ。

 「ええ。ですが望むのならお相手を探しますよ。いつでも仰って下さいな」

 「あはは、気が向いたらね」

 適当にはぐらかしたヒナの興味は既に、兄の方にしか向いていなかった。デートは上手くいっているだろうか、と。



 「お、これ美味い。やっぱ海が近いから魚が美味しいのかな」

 「そうね。あとで港まで行ってみる?」

 妹の心配を余所に、デートは滞りなく昼を迎えていた。二人が手に持つのは屋台の串焼きである。お嬢様なイレアには馴染みが薄いかと思いきや、幼い頃はよく両親と食べていたらしい。
 ちなみに今彼女の両手はしっかりと串焼きを握っている。繋いだ手は早くも最初の服屋で離されてしまったのだ。ヒナよ、ヘタレな兄を笑わば笑え。

 「ここは昔から変わってないの。……お父さんとお母さんが、生きてた頃からね」

 「そう、か」

 少し反応に困る。両親の事は、イレアにとって未だに大きなコンプレックスだ。リギスティアさんとの和解で少しは緩和されたが、それでも代わりのいない人を失った穴は埋められない――それは俺にとっても同じだ。

 「あ、ごめん。そんなに暗い話じゃないから。それにぼんやりとしか覚えてないし。家族で出掛けるなんてたまにしかしなかったわ」

 「次期巫女だから忙しかったんだな」

 次期巫女というと思い浮かぶのはセレナだ。中等部ながらも家の事でいつも忙しそうな彼女とイレアの母は同じ立場だったのだろう。

 「うん。お父さんも大変だったって聞いてる。地方の出身らしくてね。あちこち飛び回ってたんだって」

 「やっぱ大変なんだなあ……ひょっとしなくても俺も、いや、俺達もそうなるのか?」

 忙しいのは嫌だな、と思って言ったのだがイレアは別の意味で捉えたらしい。

 「え!? そ、そうね。巫女の夫……あ、妻か。仕事も多いかもしれないし……」

 「た、確かにそうだな」

 なんか最近こんな事ばっかりな気がする。もしかしてイレアって、俺が思ってる以上に婚約について真面目に考えてるのか? ともすれば俺が真剣に考えていないだけなのだろうか。またリギスティアさんにお説教されるな……

 「アツアツだなぁお二人さん! 他の客が来ねえから行った行った!」

 「ご、ごめんなさい!」

 屋台の前で話していたら、威勢の良い店主にどやされてしまった。

 「ガハハ、冗談だっつの! お前さんらみたいなのは向こうの公園でも散歩しとけ! 向日葵畑が見ごろだぜ?」

 「へー、行ってみる、イレア?」

 「うん、行こうか。ありがとうございます、店主さん」

 「さっき通った若えあんちゃんの受け売りだから気にすんなっての。また来いよ!」

 そう大声で言って、店主のオヤジは常連らしき次の客の相手を始めていた。この感じ、ちょっと学長を思い出すな。



 「おおー、すっげえ」

 夕陽に照らされる一面の向日葵。最後の目的地にしたせいで来るのが遅くなってしまった。花は揃えて首を傾けているが、それでも圧巻の景色だ。

 「綺麗……」

 横に立つイレアもその絶景に見入っている。この向日葵畑は最近できたものらしく、彼女も来るのは初めてのようだ。

 「ありがとな、今日は誘ってくれて」

 こんな景色を見せられては礼も素直に口から出るものだ。それくらいの名勝である。

 「ううん、こちらこそ。ヒナちゃんにもお礼言わなきゃね」

 「そうだな。今度は皆で来ようか」

 向日葵の旬は短いという。この景色を見れるうちに皆にも見せたいな。
 しばらく堪能した後、他の観光客もちらほらと帰っていった。俺達の足も一日の疲れを訴えている。

 「さて、遅くなる前に帰ろうか。馬車乗り場も向こうにあるみたいだし」

 「うん……どうしたの、リオ?」

 そう言いつつ俺は乗り場とは反対方向に向かう。建物の陰になった所だ。もちろん人はいない。

 「最後にちょっとね……おーい、いるんでしょー! せんぱーい!」

 天に向かって声をあげる。突然の行動にびっくりするイレア。遠くの客も何事かとこちらを向く。すると、


 「――ちょっ、大声出すなっつの! こちとらお忍びで来てるんだからさぁ!」

 ――まるで今まで透明だったかのように。俺達のすぐ側。人影が慌てた声と共に突然現れた。

 「ったく。出歯亀が何ほざいてるんですか、怪人・変態野郎ティフォ先輩

 すらりとした長身に金髪碧眼、誰もが振り返る美男子。だが、ややおどけた仕草は親しみすら覚える好青年。
 そう、ティフォ・ベントその人である。

 「待って今俺の呼び方おかしくなかったリオ君? ねえ、音は普通に聞こえたんだけどさ、なんかおかしくなかった? リオ君!?」
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