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三章 動乱の気配

第30話 失言と進展と

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 「手紙……差出人は、書いてないか」

 宛先すら書いていない白い封筒だ。中身は薄く、紙一枚のみだろう。

 「封すらしてないな」

 何故か直観が開けろと言っている。手紙を開き、その中には。

 『 学園に行けなくてごめんね、ホムラちゃん久しぶり。ちょっとバタバタしてるから
   長い間離れる事になるかも。また昔行ったレストランでお話できたら嬉しいな。リオ君
   は元気? 無理してないか心配してあげてねー。
   て言ってもこれから大変になるかもしれないから、身の回りには気を付けてね。
   きっといつか戻るから、それまで待っていてくれると嬉しいな』

 「ティフォ先輩!?」

 少し違和感のある文章だが、それより手紙の内容からして差出人はティフォ先輩だ。

 「待てっ!!」

 扉を開け、外を見回す。もしかしたらさっき気配がしたのは……!

 「誰もいない……! でも、やっぱりティフォ先輩は近くにいるはず!」

 通りから外れた住宅街。夜の暗闇に人の気配は無く、手掛かりはこの手紙だけだと悟った。

 「先生には明日また話そう――待ってろよティフォ先輩」

 寝入るソージア先生にブランケットを掛け、枕元に送られてきた封筒と、今しがたの事情を書いた置き手紙を忍ばせた。扉の外を見つめ、俺は寮に帰るのだった。


■□■□


 「ねえリオ、昨日先生と何かあった?」

 翌日、授業の合間にイレアがそう尋ねてきた。有無の質問ではなく、確信を持った問いだ。

 「ちょっと昨日相談を聞いてもらってね。その後飲み過ぎた先生を家まで送ったんだよ」

 「ふーん、家までね。ねえリオ、先生に聞いたんだけどさ」

 「何か言ってたのか? 悪いけど昨日の事なら俺が文句言いたいくらいだぞ」

 「ううん、違うの。その……」

 言い淀んでいるが、また何か問題でもあったのか?

 「こ、婚約者なら、他の女の人の家に行くのはちょっとね?」

 「へ?」

 「あ、ううん、責めてる訳じゃないんだけど……やっぱり何でも無い!」

 「お、おう……」

 顔を赤くして走り去ってしまった。見た事も無いようなイレアの表情に、クラスメイトも何事かと顔を覗かせている。あれ? イレアってこの話知ってたんだっけ? いや、先生に聞いたって……

 「マジかー」

 どうやら話してしまったようだ。



 「リオ君、二つほど謝る事があります」

 「二つですね。どうぞ」

 昼休み。午後から来る視察への準備で慌ただしい職員室を俺は訪れていた。勿論、用事があるのはソージア先生だ。ちょっとやつれた目からは申し訳なさが滲み出ている。まあその二つとも予想が付くからな。

 「まずは昨日の事……家まで送ってもらってありがとうございました。その、私何か変な事言ってませんでしたか?」

 「特には。いつも通りでしたよ」

 「それはそれで少しショックなのですが……いえ、それなら良かったです。あの手紙の件は一旦保留にしましょう。気になる事も多いので調べてからまた話します」

 「了解です。で、二つ目というのは?」

 少し真面目に取り繕った先生に倣って話を促す。俺が気になるのは恐らく二つ目の事だからだ。

 「ええと……実は今日の朝、イレアさんと話をしていたんですけど……」

 「婚約の事、話しちゃったんですよね? イレアに聞きましたよ」

 「……はい。もう知ってましたか……」

 先生はがっくりと項垂れるが、まさか本当にうっかり言ってしまったとは。ここに来るまで、ウンディーノ家の指示でイレアに伝える事になった可能性も考えてはいたのだ。疲れてるんじゃないかな?

 「先生、リギスティアさん……巫女様からは何か言われていないんですか?」

 「えっ、あっ……ど、どどどどうしましょう、ご当主様に何と伝えれば」

 「せ、先生?」

 「リオ君、何かあった時はお願いします。大丈夫です。ご当主様はリオ君には甘いですから大丈夫です」

 全てを諦めたような顔をしているが、それを先生が言って良いのだろうか?

 「さて、午後の演習授業は例の視察が来ますからね。私は半休の申請が通ったので帰ります」

 「……しっかり休んで下さいね。それではまた」

 そそくさと支度をする先生を横目に俺は職員室を出て行った。マテリアル・オーダーの披露はまた今度になりそうだな。


■□■□


 クラスメイトに少し遅れて演習棟に着くと、そこには既に見慣れない大人達が何人かいた。

 「リオ、遅かったけど何かあった?」

 「悪いトーヤ、ちょっと職員室に用があってな」

 忙しいケルヤ先生に代わってクラスメイトを纏めているトーヤだが、その表情は緊張気味である。イレアはやや離れた所で様子を伺っているようだ。

 「えー皆さん、これより演習授業を始めますのでいつものようにペアを作って下さい」

 ノーミオ家の視察団と話が終わった先生が集合をかけた。俺はいつも通りイレアとペアを組むのだが、表情がすこぶる硬い。

 「よ、よろしくお願いします」

 「……緊張してるのか?」

 「ぜ、全然。……ふう。今日は勝つよ」

 慌てるイレアだが、一つ深呼吸をすると空気が変わった。それと同時にいつもと同じく周囲の視線を感じる。しかしその数はいつもより多い。

 「ああ。今日も俺が勝つ」

 最近の戦績は五分。前回は俺が勝ったが、その前はイレアの圧勝だった。互いに作戦を練り、一瞬の攻防は苛烈を極めるのだ。

 「――ふむ、……あれが――、極東の――」

 何やら視察団が俺を見て話しているな……

 「リオ、気が散ってたら私が勝つよ」

 「っ、そうだな。始めよう」

 気を取り直し、暫しの静寂。俺とイレアは息を合わせ、

 「「精霊スピリットよ――!!」」

 何度目かの、戦いが始まる。



 「貫け、アイシクルランス!」

 「水流壁!」

 初動。イレアの十八番おはこである氷柱の一撃。俺はいつも通りこれを防ぐが、

 「クリスタルバレット……! 固い!」

 いつもよりも壁を作る水量を増やしたのだ。イレアによって凍らされたそれは分厚い障壁と化す。少し体力を消耗したが、時間稼ぎには十分だ。

 「土、風――次は火、水……!」

 イレアが浴びせる弾丸で氷壁に亀裂が入る。俺の頭もキリキリと痛む。だがまだ耐えられる!

 「マテリアル・オーダー!」

 バリン! と音を立てて壁が割れた瞬間、漆黒の盾が現れる。

 「早くなったねリオ。でも私はそれの弱点も分かってる! 精霊よ――縛めよ、フロストプリズン!」

 「そう来ると思ってた!」

 冷気に包まれる黒い盾。だが俺は一瞬で身を屈め、凍てつく霧から抜け出す。ギリギリの姿勢だ。その場から動いたら負けというルールが脳裏にひりつく。

 「精霊よ――」

 イレアから見えない内にをする。俺を捉えられないと見切ったイレアが霧を解除した瞬間、

 「せいっ!」

 盾から再び元の球状に戻した物体マテリアル

 「なっ!?」

 これにはイレアも驚いた様子だ。そう、俺が最近できるようになった事の一つ、マテリアルを体から離すことに成功したのだ。離している間は事前に念じた通りにしか形を変えられないというデメリットはあるが、今だけは十分。

 「――三、二、一、ゼロ。今だ!」

 カウントがゼロになった時、黒球は中心から割れる。中には先ほど仕込んだ水。それを精霊術で発射する!

 「撃ち抜け、アクアショット!」

 飛距離はせいぜい一メートル。しかし足元からの急襲にイレアは身構えて――

 「――残念、私の勝ちって言いたいけど……」

 無防備な俺の眼前で氷の弾丸が停止している。そして防御を捨てて弾丸を放ったイレアはずぶ濡れだ。実戦ならおおよそ相打ちといった格好だろう。

 「……今日は引き分けだな。タオルいるか?」

 「うん、着替えたい」

 鞄からタオルを取り出して渡す。受け取って歩き出すイレアは長い髪をパタパタと拭きながら振り返った。

 「……私以外の子にこんな事しちゃダメだからね」

 「してない、してないから。ちょっと濡らし過ぎたのはごめんって」

 「ホントに? ……ふふ、冗談冗談。次は勝つからね」

 「お、おう」

 少し膨れた顔は笑顔になり、何やら上機嫌で更衣室へと去って行った。分からん。女心は分からんものだ。

 この時の俺は、視察団の男――後にノーミオ家現巫女の兄と知るのだが――がこちらを見ているのに気づかなかった。というか視察の事なんか完全に忘れていたのだ。


■□■□


 「おはようございますホムラ先生。えっと、ちゃんと休んでますか?」

 「ああイレアさん、おはようございます……」

 それは今朝の事。私はげっそりとした顔で教員棟に入っていくホムラ先生に会った。

 「髪も整ってませんし、隈もあるじゃないですか。仕事、大変なんですか?」

 「ええ、まあ……お恥ずかしながら昨日はちょっと飲み過ぎて……仕事は大変です。はい」

 鞄から取り出した櫛で勝手に髪を梳き、重そうな荷物も預かる。護衛として、先生としていつもは頼りになる姉のような彼女だが、たまにこういう時があるのだ。ウンディーノ家の内情にも関わりが薄い私なんかよりよっぽど大変なのだろう。

 「今日は演習授業が急に入ったって聞きましたけど、ノーミオの視察が来るんですね。もしかしてリオと関係が?」

 「鋭いですね……リオ君の事、よく見てますね」

 そう言われてちょっと顔が熱くなる。恥ずかしい? いや、リオは仲が良いだけで……

 「あはは、顔が真っ赤ねイレアさん。もう婚約者なんだから恥ずかしがらなくていいのに」

 婚約者なんだから。

 ――ぽろりと口から出た言葉は、理解するのに時間がかかった。えっと、婚約、者?

 「何をそんなに驚いているんですか? この話はもうとっくに……あっ」

 「待って、何その話! 婚約者ってリオですか? 私とって事ですか!? お婆様は何と仰っていたんですか!?」

 先生の肩に掴みかかって揺さぶりながら質問を畳みかける。周りの目も気にしない程、お互いに混乱していたのだ。

 「い、イレアさん……ちょっと、あんまり揺らすと、うっ、ぷ……」

 「あっ、ごめんなさい!」

 「あとは、リオ君に聞いて、下さい……私はちょっと、行く所が、できましたので……」

 そう言うと荷物を私に預けたまま先生は……トイレに向かって行った。困った私はとりあえず職員室に荷物を預けて教室に向かう。そしてリオとのやり取りがあったのだ。



 「……っくしゅん!」

 夏が近づいてきたとはいえ、自分の精霊術で冷えた水を被るのは堪える。しかし更衣室に急いで来たのは寒さだけが理由ではない。なんとなくリオから離れたかった。

 「ど、どうしよう……」

 鏡に映る自分の顔がやけに赤い。今朝ホムラ先生やリオと話した時もこんな顔をしてたんだろうか? 婚約の話を聞いてからずっと?

 「婚約……け、結婚、かあ」

 今までそんな事は考えもしなかった。でも不思議と現実感があるのは何故だろうか。リオに対する想いは変わらないような気がする。家族のような、ずっと一緒にいられるような……

 「~~~っ!!」

 駄目。リオの事を頭に浮かべるとまた顔が熱くなる。特に最近のリオは……格好いいのだ。いつもは大人しく人見知りな彼だが、私と模擬戦をする時には目を輝かせて笑うのだ。私にだけ見せる表情。そしてそれは私も同じ。リオもそう思ってくれてるのかな――

 「どうしよう、ホムラせんせぇ……」

 もしこの光景をクラスメイトが見たらギョッとするだろう。あの氷の姫が顔を赤らめて床にへたり込んでいるのだ。しかし更衣室に近づく足音を聞いた瞬間、彼女はいつものキリっとした表情で立ち上がり、何事もなかったかのように戻るのだった。無論、彼女が助けを求めるホムラ・ソージアはこんな甘酸っぱい悩みを聞かされても困るだけだろう。


■□■□


 「リオ、タオルありがと」

 「おう。ノーミオ家の人達は帰ったみたいだぞ」

 「そう……ねえ、リオはどれくらい知ってるの?」

 戻って来たイレアはまたいつもの調子だった。質問は視察団が来た理由――ティフォ先輩の事だろう。イレアもそれくらいは聞いているはずだ。

 「上の独断で秘密裏に話が進んでるって事はな。俺も色々聞かれたし」

 「リオ自身は、どう思ってる?」

 「急過ぎて驚いたし、まだはっきりとは言えないけど……俺は信じてる。なんだかんだずっと一緒にいたからな」

 「! 信じてるかあ。ふふ……」

 「イレア?」

 あれ、何か違うぞ。今の質問と答えは周りに聞かれないように名前を省いていた。俺はティフォ先輩の話かと思ったが、もしかしてイレアが聞いてたのって?

 「うん、リオ。私もびっくりしたけど、嫌じゃないから……ううん、嬉しい。だから、その……」

 「あのー、えーと、イレアさん、その……周りの人が……」

 勘違いしていた俺に構わずイレアはぼそぼそと想いを口走る。まずい、こんな衆人環視の中で告白とかちょっとハードル高すぎだ!

 「えっ? あっ……! か、帰ろうかリオ! ほら私用事あるから、お先に失礼!」

 そして俺の言葉で我に返ったイレアは……信じられないスピードで走り去って行った。うん、イレアは足速いなー。

 「り、リオ、今のって……?」

 ざわつくクラスメイトの中からトーヤが話しかけてくるが、

 「すまん、俺も用事あったわ! じゃあな!」

 クラスメイトからすればこの上ないデジャヴの如く、俺は走り去った。ウンディーノ家が正式な発表をするまで俺はこの話を絶対にしないと決意するのだった。


■□■□


 その日の放課後。放送室で通常業務に当たっていたヒナを訪れる者がいた。

 「失礼します。中等部二年、セレナーデ・ラバック・シルフィオです。お姉さ……ミヅカ・ヒナさんに用があって参りました」

 「どうぞお入り下さい。ヒナさん、ご来客ですわよ?」

 部屋にはヒナの他に委員長のエスメラルダ・ヴィエント、委員のルーがいた。二人もヒナと同じくいつもの仕事である。

 「何の用、セレナ?」

 「言伝ことづてを預かっておりまして。今週末は空いておりますの?」

 「うん。場所は?」

 「詳しくはこちらに。……あら、そちらは放送委員長のエスメラルダ・ヴィエント様ではありませんか?」

 ヒナに手紙を渡したセレナはわざとらしく委員長に話しかける。こちらがメインだろう、とヒナは思った。

 「ええ、そうですわ。シルフィオ家の巫女様におかれましてはご機嫌麗しゅう」

 「セレナ、で宜しいですのよ。ところでエスメラルダ様にお伺いしたい事がありまして……ティフォ・ベントのご様子はいかがですの?」

 委員長はぴくりと眉を動かす。奥に座るルーにも緊張が走った。

 「わたくし、あの男とはもう何年も関係がありませんでしてよ。お生憎様ですわ」

 「それは残念です。もし連絡などございましたら、セレナーデまでお伝え下さいまし。それでは失礼いたしました」

 流れるように部屋を出たセレナを横目に、ヒナは手紙の内容を確認した。

 「合同対策会議のお知らせ……参加者はセレナ、セレナのお母さん、リギスティアさん、ソージア先生、イレアちゃん……お兄ぃと、わたしも?」

 お兄ぃが前に言っていた。お兄ぃとわたしもウンディーノ家の一員だとリギスティアさんが言った事。でもこんなすぐに巫女家の会議に呼ばれるなんて早すぎる。事態が急進しているのだ。

 「ヒナさん、彼女にはお気をつけなさい。最年少の巫女……そこらの少女とは違いましてよ」

 自分の事を棚に上げて忠告するエスメラルダ。そんな言葉を聞いて、ヒナもまた自身を棚に上げて溜息を吐くのであった。
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