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一章 精霊術士の学園

第11話 崖下の戦い

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 「――リオ君、起きて」

 時刻は皆が寝静まる午前三時。俺はティフォ先輩のその言葉で目を覚ました。こんな時間になんだと思ったが、いつもおちゃらけた先輩の真剣な声音は俺の意識をはっきりさせるのに十分だった。

 「んっ……どうしました、先輩?」

 「邪霊イビルだ」

 少し伸びをして聞く俺に先輩は短く答えた。ぼやけた頭が冴える。邪霊が出現したのだ。なぜ邪霊が? ティフォ先輩はどうしてそれを? 緊急放送は無いのか? 様々な疑問が湧く。しかし今優先すべきは一つだ。

 「場所は?」

 「ギリギリ敷地外。いつもトレーニングしてる所の塀の向こうだよ」

 なるほど、放送が無いのは敷地外は感知しないからか。先輩が気付いたのは何か自分の精霊術だろう。であればやる事は決まっている。

 「行きますか? 敷地内に入れば警報で皆気付くとは思いますけど」

 「うん。敷地の外から攻撃してくるかもしれない。その時警報が鳴っても遅いしねー」

 予想通りだった先輩の返答を待たずに俺は着替えて支度を始めた。起こされた時と比べて随分と軽い、いつもの調子だ。

 「余裕ですね?」

 「まあね。リオ君も強いし、俺は邪霊に負けるとは思ってないからね~」

 自身満々とはまさにこのことである、といった感じだ。しかしこれまでのトレーニングで一度も勝ったことのない相手の言葉には頷かざるを得ない。

 「よし、行こうか。パパっと終わらせて帰って寝るよ」

 「朝起きれなくても知りませんよ?」

 軽口を叩きつつ部屋から出た時だった。


 カンカンカンカンカンカン!!


 「警報!?」

 いつか聞いたのと同じ、激しい鐘の音。邪霊が敷地に侵入したのか!

 「リオ君、俺が気付いたヤツは動いてない! もう一体現れたんだ!」

 「同時にっ……!」

 まずい。もう一体の邪霊を先輩が感知できなかったなら、場所はここから離れた所だ。片方を倒してからでは遅い。でもティフォ先輩と別れて一人ずつ対処するほどの力は俺には……!

 「今出てきた方の邪霊は他の人に任せる。皆が気付いてない方を俺たちが仕留めよう」

 「……分かりました。行きましょう!」

 もう片方には学園の誰かが駆けつけると信じよう。そう思って俺たちは今度こそ部屋を出たのだった。


■□■□


 寮は敷地内では国境の内側の方にある。つまり邪霊は学園よりも国境の内側に出現したということだ。邪霊がどこから来ているのかはこれまで全く分かっていない。一つだけ言えるのは、邪霊が国境を越えるところを目撃した者はいないということだ。

 「国境を越えたならその時に警報が鳴るようになってるんだよねえ。でもそれが無いのは邪霊がポッと湧いて出たのか――それとも国境を誰かがいたのかな?」

 「先輩、それより今は」

 「うんうん。まずは邪霊を止めなきゃね~」

 俺とティフォ先輩は中庭へ走りながらそんな会話をしていた。校門から出て回り込むには遠いため、塀を飛び越えて外に出ようとの算段だ。

 「さあ降りるよ」

 「まさかこのまま飛び降りろとは言いませんよね?」

 エレメント公国の東の地帯は西向きに下がる坂になっている。学園のある土地は平らなので、その西側は崖になっているのだ。高さは寮の五階くらいか? 生身で降りれば、いや落ちれば怪我では済まないだろう。

 「あはは、それは俺もやだなあ。まあ大丈夫だから」

 そう言って先輩は俺の手をとった。

 「精霊よ――」

 ふわり、と二人の体が宙に浮く。同じ風の精霊術を使うヒナと比べてはっきりと分かる、繊細な術だ。

 「下に降りたらまず邪霊を探そう。今は見えないけど近くにいる。崖の陰に隠れてるか草原に紛れてるか、はたまた地面の下か……。ともかく、警戒してね」

 「了解です。……普段からそれくらい真面目になってくれませんかね?」

 「うーん、無理ー」

 色々と言いつつも眼下を警戒しながら慎重に降下する。まだ邪霊の気配は無い。

 「――はい到着。どれどれ、邪霊はいるかな?」

 「っ! 先輩、向こうに――」

 やはり崖の下、上からは見えなかった場所に大きな影が。まだこちらには気付いていないようだ。

 「前衛はリオ君に任せるよ。俺は後ろからサポートするから」

 「分かりました。とりあえず様子見で一発お願いします」

 「あいよ」

 仁王立ちで邪霊に向き合い、呪文のようなものを唱えはじめた。

 「そら穿つ風の砲門よ」

 辺りに風が吹き始めた。

 「汝の前に壁はあれど、退かざるものはあまねく消え失せる」

 ティフォ先輩を中心に風が吹き荒れる。

 「精霊スピリットよ、我が望むは音より疾き颶風の弾丸。今ここに其の力を解き放て」

 ほんの一瞬だけ夜の静けさが戻り、

 「我が敵を討て――『ガーンディーヴァ』!」

 雷鳴のごとき轟音が駆け抜けた。束の間、邪霊の半身が吹き飛ぶ!

 「やったか!?」

 「リオ君、それ言っちゃ駄目なやつ……」

 土煙がもうもうと立ち込める中、ガシャン、ガシャン、と音を立てて邪霊の影が起き上がった。いつもの調子に戻った先輩も構えるが、ふらりと一歩後ろに下がる。

 「ごめん、二日酔いがまだちょっと……」

 「こんな時に……とりあえず下がっててください。サポートは頼みますよ」

 二日酔いとは言ったが、あんな精霊術を使えば普通は立っていられるのが不思議なくらいだ。
 呪文。強力な精霊術を使うための最もポピュラーな手段である。普通の精霊術の場合は言葉を発したり文字を認識してから現象をイメージし、生命力を精霊に送って発動する。その際の言葉は具体的なイメージをするための短い単語や文がほとんどであり、工程は連続して別々に行うのだ。
 しかし長い呪文となると難易度が跳ね上がる。明確なイメージを持ちながら一字一句を紡ぎ、同時に生命力を送り続けなければいけないのである。誰にでもできることではない。要求されるのは精霊術への高い適性、工程を同時にこなすセンス、そして血の滲むような努力である。

 「うわヤバい吐きそう……」

 口元を抑えながら岩場に向かう先輩の足取りはたどたどしい。しかし俺の中には精霊術士としての先輩への畏怖があった。俺が知る中で呪文によってここまで強力な精霊術を扱えた者は、母ただ一人だったからだ。それを十八の若さで成し遂げたのである。

 「まったく。普段からあんな感じならな」

 ぼそりと呟き、目の前に集中する。土煙が晴れて邪霊の全貌が明らかになった。巨大な体躯に鋭い爪と牙を持った獅子のような見た目である。頭の位置がおかしく、先輩が吹き飛ばしたであろう残骸が首の横から垂れ下がっているのを見るに双頭の獅子がモデルだったのだろうか。

 「精霊よ――」

 邪霊に向かって駆け出す。さあ、先輩との特訓の成果を見せる時だ。



 「はああっ!」

 自分の身長の二倍はある邪霊に攻撃をするのは一筋縄ではいかない。まずは足から狙って体制を崩す!

 グオオォォォォォ!!!

 衝撃波を含んだ咆哮。大丈夫だ、まだ耐えられる。続けざまに風の精霊術で威力を上げたナイフで切りつける。ガリガリと音を立てながらも、確実に動きを鈍らせている。

 『いい、リオ君? 君の精霊術は言ってしまえば自分本位のイメージで使っている感じだ。もっと対象を理解しないと』

 先輩とのトレーニングで言われた事を思い出す。初日は何度やっても先輩の風の壁を貫けなかった。それまでの俺の精霊術は術を発動することしか考えていなかったせいで、変化し続ける風壁や鋼鉄より硬い邪霊の体に刃が通らなかったのである。

 『確かに今のやり方なら発動は早いけど、結局その後に時間がかかっちゃ意味が無いよ。これから練習するのはそのやり方。……って言っても、これ全部師匠の受け売りなんだけどね~』

 最後まで締まらない先輩だ。だがその教えは今までの自分からしたら革新的だった。おかげで最近は先輩に少しは対抗できているのだ。

 「こんのっ!」

 風の刃を長く、薄く引き伸ばす。俺の胴ほどもある邪霊の足を切るにはまだ足りない。イメージしろ。鉄塊を切り裂く鋭さを!

 ザンッ、と音を立てて体が横に投げ出された。弾き飛ばされたのではない。足を完全に切り落として支えを失ったのだ。手に持つナイフはまだ風の刃を纏っている。これならいける!

 「リオ君、下がって!」

 ティフォ先輩の声を聞き、後ろに飛び退く。次の瞬間、バランスを崩した邪霊の体がズシンと倒れた。

 「動きを止めるから頭の方を頼むよ! ――『圧空』!」

 藻掻く邪霊の動きが鈍くなる。回り込んで頭の部分を壊すチャンスだ。

 「もう一度……!」

 イメージだ。身の丈程もある鉄塊を真っ二つにする。ナイフを強く握りしめ、精霊術で加速してもう一度接近する!

 グルルルオオォォ!!!

 再びの咆哮。衝撃波で精霊術が不安定になるが、気合で維持する。そして口を開けた今が好機!

 「行けえぇぇぇ!!」

 束ねた風の刃が一本の槍となる。実体の無い槍を、加速の精霊術も込めて思いっきり投擲する!

 グルオオォォォォォォォ……

 口から頭まで貫き、まき散らされる咆哮がフェードアウトしていった。上手くいったみたいだが、念のために頭部を完全に破壊しておく。

 「先輩、終わりました!」

 「やっとかあ。もう押さえないでいいのねー?!」

 今の今まで胴体を精霊術でずっと押さえていた先輩に叫ぶ。本当に戦いに関してだけは頼りになるな。

 「ねえこれほっといていいよね? 俺マジでもう帰りたいんだけど~」

 「まあ後で報告だけしておきましょう。それよりもう一体の方はどうなったんですかね?」

 残骸を前にして警報があった方の心配をする。物音がしないのはもう対処したからだろうか?

 「知らん! 帰って寝るよ俺はー」

 「あーあ、また元に戻っちゃった……でも警報も止まったし、何とかしたんでしょうね。俺達は帰りましょう」

 終わった終わったとばかりにいつもの調子になったティフォ先輩。この人が真面目になるにはずっと戦わせておくしか無いのだろうか。

 「よーし今日の授業はサボるか。こんだけ働いたら許されるっしょ! リオ君、学長か誰かに言っといてくれない? あ、朝は起こさなくていいからね」

 「駄目です。先輩も報告に行きますよ」

 そんなことを言いながらまた先輩の精霊術で崖を上って寮に帰るのだった。この後寝入った先輩を起こすのに大変苦労したことは言うまでもない。


■□■□


 時刻は少し遡り、警報が鳴った時。現場に真っ先に駆け付けたのは当直の教員――ホムラ・ソージアであった。

 「なんです? こんな時間に……」

 邪霊が現れたのは以前と同じ演習棟の裏手。少しも焦る様子を見せずに到着した彼女の前に、ガリガリと地面を引き摺るような音を立てて巨大な影が現れた。闇夜に紛れて判然としないが、一対の車輪を持った不格好な荷車のような姿である。極東から来たリオ達なら稲作に使う農具に似ていると言ったかもしれない。

 「はあ、特別手当とかでるのかしら。学長に報告しておきましょう」

 月明りを受け、暗闇でもぎらりと光る邪霊を前に悠然と佇むホムラ。そして次の瞬間、

 「精霊よ――焼き尽くせ、龍爪花リコリス

 音もなく放射状の炎に包まれる邪霊。ホムラは無言でしばらくそれを見つめるが、やがて鎮まった火の中には灰が残るのみだった。

 やがて何事もなかったかのように教員棟に戻るホムラがもう一体の邪霊に気付いたのは、しばらく後に邪霊の咆哮を聞いた時の事だった。彼女が寮の裏庭から崖下を覗いた時には物音はしなかったという。気のせいかと思った彼女が何があったかを知るのは翌日のことだった。
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