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第七章
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「さっきの返答だが……やはり、薔薇は受け取らない。そのナイフも、俺には必要ない」
「そんなっ――」
それは、リースにとってフィルは最愛の人ではないということだろうか。フィルを殺しても、契約の破棄には繋がらないと――
「フィル、聞いてくれ。俺はおまえに生きてほしい。生きて、アイルを幸せにしてやってほしいんだ。俺はおまえのことも、アイルのことも、同じくらい大切に思っている。その二人を葬り去ってまで、生き残りたいとは思えない」
リースの言葉は、的確にフィルの痛いところをついていた。
契約を破棄するということは、当たり前だがアイルの魂も消滅するということだ。その事実を理解したうえで、フィルはアイルについて一切触れることなく殺してくれとリースに頼んだ。
この卑怯さに、リースは気づいている。気づいたうえで、こうして優しい口調でフィルを思い改めさせようとしているのだ。
フィルはいつも、リースの優しさに懐柔されてきた。そうあることに、居心地のよさを感じていたからだ。でも今は違う。彼の優しさが、思い遣りが、痛い。
「フィル……おまえもアイルを好いてくれているだろう?」
そんな訊き方はずるい。もちろん、フィルだってアイルのことは大切に思っている。しかし、その想いがリースへと向ける想い以上かというと――そもそも想いの種類が違いすぎて答えようがなかった。
黙り込むフィルを見て、リースはふと、寂しそうに眉尻を下げる。そんな表情はずるい。……痛い。
「……私は坊ちゃまを愛しております」
「ありがとう」
即答され、唇を噛んだ。優しくも断固とした拒絶だった。
幾ばくかの時が流れ、そっとナイフを持つ手に手を重ねられた。そうしてやっと、フィルは自分の指先に異常なまでの力がこもっていたことに気がついた。
「そんな顔をさせたくなかった」
そう言うリースの表情があまりにも苦しげで、ふと、激しい脱力感に見舞われた。
なぜ――。ただ、愛する人と生きることを望んだだけなのに。一体なぜ、こんなことになってしまったのか。
一緒に赤い満月を見ようと約束した日。フィルはこの世の全ての幸せを手に入れた気がしていた。しかしそんなのは一時の幻想に過ぎず、実際にはその夜、リースは何者かに命を狙われて瀕死の状態となってしまった。何とか一命を取り留められたと安堵したそばから一日三十分という謎の制約を課され、満足に会って話すこともできなくなってしまった。
それでもフィルは、たとえ三十分でもリースと会って話せるなら、日々そのために頑張って生きようと思うことができた。全てに納得がいったわけではなくとも、起きてしまった現実に折り合いをつけて、今できる範囲でリースを愛し、支えていこうと、ようやくそう思えてきた頃だった。
本当なら今ごろ、フィルは一輪の薔薇を手にリースに愛を伝えていたはずなのに。手に持っているのは一丁のナイフで、自分を殺してほしいと頼んでいる。
月も、薔薇も、ナイフも――リースは何一つ受け取ってはくれない。彼はただ、フィルに生きて、アイルを幸せにしてやってほしいという。それがフィルにとって、どれだけ残酷な頼みなのかを知っていながら。
夜空に浮かぶ月が、ここまで空虚に見えたのは初めてだった。昨晩のリースの目には、この月が一体どんなふうに映っていたのだろう。
「そんなっ――」
それは、リースにとってフィルは最愛の人ではないということだろうか。フィルを殺しても、契約の破棄には繋がらないと――
「フィル、聞いてくれ。俺はおまえに生きてほしい。生きて、アイルを幸せにしてやってほしいんだ。俺はおまえのことも、アイルのことも、同じくらい大切に思っている。その二人を葬り去ってまで、生き残りたいとは思えない」
リースの言葉は、的確にフィルの痛いところをついていた。
契約を破棄するということは、当たり前だがアイルの魂も消滅するということだ。その事実を理解したうえで、フィルはアイルについて一切触れることなく殺してくれとリースに頼んだ。
この卑怯さに、リースは気づいている。気づいたうえで、こうして優しい口調でフィルを思い改めさせようとしているのだ。
フィルはいつも、リースの優しさに懐柔されてきた。そうあることに、居心地のよさを感じていたからだ。でも今は違う。彼の優しさが、思い遣りが、痛い。
「フィル……おまえもアイルを好いてくれているだろう?」
そんな訊き方はずるい。もちろん、フィルだってアイルのことは大切に思っている。しかし、その想いがリースへと向ける想い以上かというと――そもそも想いの種類が違いすぎて答えようがなかった。
黙り込むフィルを見て、リースはふと、寂しそうに眉尻を下げる。そんな表情はずるい。……痛い。
「……私は坊ちゃまを愛しております」
「ありがとう」
即答され、唇を噛んだ。優しくも断固とした拒絶だった。
幾ばくかの時が流れ、そっとナイフを持つ手に手を重ねられた。そうしてやっと、フィルは自分の指先に異常なまでの力がこもっていたことに気がついた。
「そんな顔をさせたくなかった」
そう言うリースの表情があまりにも苦しげで、ふと、激しい脱力感に見舞われた。
なぜ――。ただ、愛する人と生きることを望んだだけなのに。一体なぜ、こんなことになってしまったのか。
一緒に赤い満月を見ようと約束した日。フィルはこの世の全ての幸せを手に入れた気がしていた。しかしそんなのは一時の幻想に過ぎず、実際にはその夜、リースは何者かに命を狙われて瀕死の状態となってしまった。何とか一命を取り留められたと安堵したそばから一日三十分という謎の制約を課され、満足に会って話すこともできなくなってしまった。
それでもフィルは、たとえ三十分でもリースと会って話せるなら、日々そのために頑張って生きようと思うことができた。全てに納得がいったわけではなくとも、起きてしまった現実に折り合いをつけて、今できる範囲でリースを愛し、支えていこうと、ようやくそう思えてきた頃だった。
本当なら今ごろ、フィルは一輪の薔薇を手にリースに愛を伝えていたはずなのに。手に持っているのは一丁のナイフで、自分を殺してほしいと頼んでいる。
月も、薔薇も、ナイフも――リースは何一つ受け取ってはくれない。彼はただ、フィルに生きて、アイルを幸せにしてやってほしいという。それがフィルにとって、どれだけ残酷な頼みなのかを知っていながら。
夜空に浮かぶ月が、ここまで空虚に見えたのは初めてだった。昨晩のリースの目には、この月が一体どんなふうに映っていたのだろう。
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