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メテオの章

⑪ もっと僕に囚われて

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 私の乗る速馬の車が学院の正門に到着した。下車時にふと空を見上げると、二日月のお皿にこぼれ落ちそうな金星が輝いている。
 静けさ漂う校舎に足音を響かせ、私は天文部が惑星運行儀を実践しているホールに向かった。

『先生? こんな時間にどうしたんです?』
『ずいぶん息をお切らしになって』

 シアルヴィとイリーナは星図版の調整をしているところだった。

『お願い! 流星群を空に降らせて!』
『いったいどうしたんですか、先生?』

 シアルヴィの両肩を掴み、強く訴える私。普段は動じない彼ですらたじろぎを見せる。

『急にこんなことを言ってごめんなさい。用意が簡単ではないことも分かっているのだけど、どうにか……』

 もうすぐロイエを乗せた馬車がやってくる。このままでは彼女の未来が閉ざされかねない。今は、この子たちだけが頼り。

『シアルヴィ。あなた、流星群の星図を昨日、描いていなかったかしら?』
『よくチェックしてるね、イリーナ』
『八方に目が付いているの、私』

 あら、もしかして好機タイミングに恵まれた? 私は目を見開いて彼らの会話に耳を傾けた。

『ご期待に添えるかどうか分かりませんが、やるだけやってみましょう』

 初めての観客にシアルヴィは気分が乗ってきたようだ。無邪気なアーモンドアイが輝いている。

『ありがとう! 私もワクワクしながらこの宇宙そらを見上げているわね!』



『『ユニ様、お連れしました!』』
 ラスとアンジュに支えられ、ロイエが小さな歩幅でここホールの入り口に到着する。
 さっきよりは顔色が良くなっている。ルーチェは言いつけ通りに、馬車の外を飛んできてくれたようだ。

『こちらも到着だ』
 舎内を闊歩するダインスレイヴ様の周りをルーチェがぐるぐる飛んでいる。

 よし。ふたりのデートの仕切り直しを、今。

『ルーチェ。きっとここに答えがあるから。男を見せなさいね』

 彼は幽霊らしく透きとおる容貌だが、瞳には確固とした意思の光を灯し、真剣な表情で頷いた。

 その瞳を信用しよう。ロイエの手を取らせたら、ホール入り口の向こうへと促す。

『ダイン様』
『ん?』
『この部屋、今、ロマンティックな空間のようですが……あっ』

 私に最後まで言わせないで、彼は性急に私の肩を抱き寄せて。

『さっそく入ろう』
『暗いので足元にお気を付けくださいね』

 もう。この方はいつもいつも、言葉より動作が早いの。


『まぁ……』
『…………』

 突然の異空間。暗黒のキャンバスに降る光のスコール……流星群が、私たちに降り注ぐ。
 光輝く大きなカーテンにふたり、ぎゅっと包まれて、現世の些事から解き放たれるよう。

 ダイン様もなかなか驚いているみたい。言葉なく空を見上げている。

 シアルヴィはこうして、人々を宇宙に連れて行きたいのね。生命のはじまりの場所、永遠に終わらない空間へ。


 いま私たちは、それなりに遠慮して、出入り口付近で巡る天体を眺めている。

 ダイン様が私の腰に腕をまわし、そっと寄り添いあったそのとき、私たちの手前で夜空を見つめるふたりの声が聞こえてきた。

『ルーチェ、まるであの時の流星群ね』

“そうだね。僕はあの時、この星空に誓ったんだ”
『何を?』

“やっと思い出したよ”
『ねぇ、何を?』

“君に対して誠実でいるって”
『あなたはいつだって誠実だったわよ?』

“この世界で、君を襲う様々な悪や不幸から、きっと守り抜くって”
『なんて大きな目標なの』

 彼女は口元に手を寄せて呆れたように笑った。幸せそう。

『私はそのままのあなたで、十分……』

“違うんだ!”

 …………?
 ルーチェの張り上げた声は虚空を伝い、私の立つこの場まで、こもった熱と共に響いた。

“僕は君が思うほど誠実でも、お人好しでも大らかでもない。本当は利己的で卑怯な人間なんだ!”
『ルーチェ?』

 思いがけず、彼の差し迫る告白に、私まで息が詰まる。

 プロポーズの雰囲気にはそぐわない懺悔が始まりそう。でもこれで、ふたりのわだかまりが消えれば……。

“だって僕、死の床でずっと、永遠に君が僕に囚われたらいいな、って思っていた。だから、死ぬ前に君に会いたくて会いたくて仕方なかったけど、必死に抑え込んだんだ”

『…………?』

 ロイエは彼の言葉の意図がつかめず不安げな様子だが、彼の身を切るような告白は続く。

“君のことが大好きだったから。どうやったら僕が死んだ後もずっと僕を想い続けてくれるだろうと、そればかりを考えてしまって……。僕の病気の事実を知らせずに、死んで唐突に君の世界から消えたら、君はこの事実を受け入れられず、ずっと僕の幻影を追ってくれるんじゃないかと、浅知恵を巡らせたんだ”

『だから、私のところに知らせが来なかったの……。せめて最後に、あなたに会いたかったのに!』

 それって遺されたほうが苦しいのよね……。

“もう二度とふれあうことのない僕に囚われて、たとえ君が飲まず食わずでやつれてしまっても構わなかった。だってそれで天に召されることになれば、またあの世で僕と一緒だ! ……そんなふうに願っていた”

 意外だ。素朴な性格で、時にやんちゃな表情をしていた彼だけど、今は真剣な声音で、いっぱしの大人の男性のよう。

“君を呪い殺そうとしていたんだ。こんな僕が君に愛をささやく権利なんてない!”

 確かにそれは、呪いでしかないけれど……。

 ホールの夜空を滴る流星群が、17の若さで生涯を閉じてしまった彼の無念の涙に見える。

 こんな告白を聞かされるロイエの心は大丈夫かしら……。でも私、変ね、なぜか羨ましい。

 もし、私だったら……愛しい人がさみしいというなら、一緒に逝ってあげたい。呪い殺されても、いいのよって許したいわ。そうすることで愛を証明できる。それは「愛してる」って囁くよりよほど確かなもののような気がする。

 確実に伝えることができるなら、本望よ。愛情を伝える幸せを、私たちは本能に組み込まれている。

『なんだ、そんなこと』

 やっと上がったロイエの声色は、それはそれは晴れやかな響きだった。
 やっぱり、彼女もそのように思うわよね……?

『もう苦しまなくていいのよ、ルーチェ。あなたは私がつくった幻影』

 ロイエは形のない彼の頬を両手で包んだ。

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