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ボリジの章

㉒ 離れていても

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『で、でも、衣服の色と髪の色はまた別の話です。この国でも、大陸をふたつに分けた、忌まわしい逸話は語り継がれているのでしょう?』

 ダインスレイヴ様から僅かに目を逸らし、私は口早にまくし立てる。

『国境の中心部、ディースの土地で暮らしていた乙女ノルンは、こんな髪色に変わってしまって……それをきっかけに、人々の日々の営みに混沌が』

 いつになく言葉が止まらない私の唇。

 しかし、それを彼はごつごつした親指で撫でながら、そっと塞ぐのだった。

『国民ひとりひとりがどう思うか、それは私にも定かではない。しかし私は君に、この命の終わる時まで、伴侶として共にいて欲しい。どうか何事にも屈しない勇気を、この私に』

『あ、頬ずり、くすぐったいですっ……』

 なんだかもう、本当に犬みたい!

『ありったけのマドンナの加護をくれ』

 戸惑う私を目を細めて見つめてくる。この髪に大きな手で触れながら。

『私なんかが、あなたに勇気を与えることができるのですか……?』

『もちろん。古来から戦士は、出陣前にルリジサの花をワインに浮かべ、勇気を奮い立たせたと伝わる。ゲン担ぎなんだと』

『へえ……。え、ワイン!?』

 はっと気付いた私に、彼はにっと笑って白い歯を見せた。

『これから出陣前夜は君とワイン風呂で過ごす。衣装も髪飾りも君が求めるものを用意する。月見が必要なら外に浴場を作ろう。なんでも言ってくれ』

『こんな私が……、あなたの役に、立つというのですか……』

 私があなたの、心の支えに……?

『立つ立つ!』

 また満面の笑顔を見せてくれた。

 もう、触れてもいないところがくすぐったい。胸の鼓動が落ち着かない。

 心なんてどこにあるのか分からないところがこそばゆくて、

 彼の目が見られなくて……モゾモゾしてしまう。

『だからさ、たまにはこの髪を下ろしてくれ。出会って初めての夜に見せてくれたような、君の流れる長い髪が好みなんだ』

『あ……』

 言いながら彼は私の髪留めを外し、ワインの湯船に放り投げた。すかさず髪がするりと下りる。

『「え……?」』

 信じられない光景が私たちの目に映る。

 ワインに浸かる、腰より下の髪が、みるみるうちに桃色に染まってゆく──。

「どうして……」

 輝く白ワインの湖面に浮かぶ、私の髪の先がストロベリーブロンドの艶めきを放ち、ゆらゆら揺れる。震える両手でこの髪をすくってみた。

『今まで、どんなに染めようとしても不可能だったのに……』

『ははっ、これはすごい』

 彼を振り向いたら、長い睫毛の奥の澄んだ瞳を、まん丸くしている。

『君は本当にルリジサの花の精だったか』
『え?』

『ルリジサの花はワインに浮かべると桃色に変化するんだ』
『そうなんですか?』

『昔話ではたしか、ふたりの風の精が美しい乙女を取り合って、冷たい威嚇の風を吹かせたら、それを受けた彼女は髪も肌も真っ青に変わってしまった。嘆く乙女は傷心のあまり花に姿を変えた。ということだが』

 考えるそぶりの彼は、虚空を眺めている。

『その先の物語は、そうだな。通りすがりの戦士が、その花の美しさに惹かれ持ち帰り、ワインに浸けた。それが桃のように色を変えたのだからまあ驚いた!』

『まぁ、なんですそれ』

 私は小さく噴き出してしまった。

『以後、花の精のおかげで戦士は連戦連勝。武功を立て富と名声を得、ふたり幸せに暮らしていったとさ。どうだ?』

『それはなんとも……漁夫の利、ですね……』
『ユニヴェール?』

 そんなふうに応えた私は、どうしてだろう、涙があふれて止まらなくなった。

 この涙をぬぐいながら、次に彼が言うのは。

『でも私は青髪のが好きだな。だから私とワイン風呂に入る時以外は、そのままでいてくれ』

『はい……はいっ……』

 返事をする以外、どうにも言い表せないの。今のこの気持ちを。

 ひとつわかるのは、私は心から、あなたの妻になりたいです。

『じゃあそろそろ君の部屋で、「キョリカンバグテル」しよう!』

『んっ?』

 またずいぶん屈託のないお顔で、なんですかそれは……。

『ん、不服なのか? では私の部屋ならどうだ?』

『…………』
 いえ、場所がどうとかではなく、キョリカンバグテルが分かりません。




『あ、あのっ……』
 浴場から出て侍女らに着替えを手伝ってもらったら、ダインスレイヴ様はほぼ無言で私の腰を抱き、寝室へ向かっている。

 そのエスコートはいつにも増して強引で、入浴後の火照った身体には……。


 早歩きのせいでもう私の部屋に戻ってきてしまった。室内だというのに、留まることを知らない勢いで彼は……。

「あっ……」
 ふたりしてベッドにどさっと飛び込んだら、彼は私を優しく枕元に寄せ、自身もベッドに横たわり、
『…………』
「…………」
頬を染めて、見てくる。

「…………」
 ただひたすら見つめられてる私……。

 あ、キョリカンバグテルの答えが分かった。

 それは彼の中で“添い寝”のことであった。

 そして、私の乾ききらない髪を少しのあいだ撫でていたら、彼はすぐに寝息を立て寝てしまったのだった。


 私はふぅと息を抜いた。
「寝つきのいい、子どもみたい」

 夜明けから出立だものね。かりそめの休息。

 想像できるわ。これからもこの方は、王子という立場で果敢に戦場に立つのだろう。争いの起こる限り。

「必ず無事に帰ってきてください……」

 まだ知り合って日も浅く、その間も何かと離ればなれでいたのに、もうずっと長く一緒にいるような気がする。この方の存在感の大きさかしら。

 だから……やっぱり寂しい。
 戦地に行く夫を思いやり、ただ祈りを捧げるべき立場で「寂しい」だなんて……妻失格だわ。
 失格だけど、それが私の真心ほんねなの。

「ちゃんと無事に帰ってきて、登校してください」

 私、あなたの言いつけ通り、両国の架け橋を育むことに力を尽くすわ。部活の顧問もしっかり果たす。だから、

「早く帰ってきて、部活にも出席してくださいね」

 私、こんなに甘えただったかしら。出会ったことのない、知らない自分が今ここにいる。

「明日からも、頑張りましょう……」

 身体の火照りが完全にはおさまらないまま、彼の低い寝息に、心地よい眠りの世界へ誘われる。

 このようにして、嫁入りによる私の新しい人生は幕を開けたのだった。




                    ~ to be continued...



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第一章、お読みくださいましてありがとうございました。


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