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ボリジの章
⑬ 新出単語とお給料
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「わぁ……!」
私のこの目に、暗黒を潜り抜けて飛び出した、幾千の光の粒がきらきら映る。
ぱぁっと、瞬時に訪れたそれらが、私の頬を青白く照らす。
それは終わらない夜の世界に散らばる、満天の星。
すぐ手の届くところに煌めく星粒が“ボクを掴んで”と瞬くから、私は恐る恐る指先を伸ばした。
「!? ……あら?」
闇が一瞬にして消え去った。
今にも星を掠めとれる、そんな期待の先に私を待っていたのは、夢から醒めた現実の空間だった。
「壁も天井も布で覆われている……」
その布をめくってみると、目前には木棚にぎっしりと詰まった書籍。そういえば部室は、理科実験室が移転した後の空き部屋を使っているとマルグレット先生が言っていた。
『先生が新しい顧問ですか?』
唐突に話しかけられ、ひやりとして振り返った。
布の向こうの、奥の扉から入ってきたのは、パッと見、性別不明のお人形のような子……制服から男子学生と分かったが。
『せっかくですが、この部活はいつ消滅するか……』
『すごいわ! 今の星空はあなたが作ったの!?』
私は感動のあまり彼にぐっと詰め寄っていた。
『え、ええ……』
『“天文部”ってすごいわね!』
私の配属された《天文部》──天体の動きを観察し、未知の世界を探求する──
この世で最も尊い学問の一つ。それを授業時間外にすら求める有志の集まり。
『でもこの部活の余命は、およそ3ヶ月です』
『よ、余命?』
ん──??
*
こちらの、ガラス細工のように透明感ある顔立ちの少年は、私の担当するクラスの子であった。無機質な表情に多少のシンパシーを抱いたことで、挨拶を交わした中でもとりわけ印象に残っている。
シェル侯爵家の末子、シアルヴィ君。確か13歳だったか。……まだ成長前の細さで可愛い。ラス、アンジュが家に来た頃、こんな可愛らしさだったわ。
『他の部員は?』
『他に……いなくはないですが、ほぼ幽霊部員のようなものです』
彼は私と会話しながら、壁にかかる布を取り外している。
『じゃあ、あなたがリーダーなの?』
『幽霊部員とは聞き捨てならないわね!』
バァン! と扉が激しく開いた。
『生徒会活動で遅れました。私が副部長のアンドレアンです』
イリーナ・アンドレアンさん……。また高潔な態度での登場だ。
『忙しいのに無理することないよ、イリーナ』
『この程度の忙しさなんて、私の処理能力にかかれば!』
仲良しなのかな……と尋ねてみたら、幼馴染だそう。
『今、私が生徒会役員権限でここの存続について掛け合っているから、シアルヴィは心配しなくていいのよ』
『あの、部活の余命とか、存続とかって……』
何か問題のある部活なのかしら。
ふたりは目をぱちくりした。顧問なら事情くらい聞いてこいよ、という意味だろうか。何から何まで後手後手に事情を知る羽目になっているのだけど……。
『部活動は最低5人集まっていないと、存続できない決まりなのです』
『最近ふたり、退部してしまいましたの。やる気ない子たちだったから仕方ないけど、数合わせでもいて欲しかったですわね』
『じゃあ、あとひとりは?』
『それが……今朝の……』
まさか……朝倒れた、彼が……。
『惜しい人を亡くしましたわ!』
泣き崩れるイリーナさん。いえ、亡くなってはないはず!
でも、一命は取り留めてももう学院には戻ってこないだろうという話だった。
『今、この部活はイエローカードを突きつけられているわけです。3ヶ月以内にあと3人集めないと』
言いながらシアルヴィ君は床に大きな星図を広げた。あまり切羽詰まった雰囲気はない。
『仕方ないでしょう。せめてあと3ヶ月の間は研究にめいっぱい部費を使わせてもらいます』
諦めてしまっているの……。
『あと三月でこの惑星運行儀の精度をどこまで上げられるというの?』
『いいんだ、イリーナ。どこでだって何年かかったって、これの開発を諦めることはないから』
『あなたの悲願だものね。だから卒業までの数年間は部費をもらうのがいいわ。私が何とかするから!』
部費で食いつなぐことを隠さないのねイリーナさん。
でもそうね、なんでもそうだけど研究には莫大な資金が必要。いくら上流貴族の子女とはいえ、財政的にはいろんな事情があるだろうし。それなら……。
『集めましょう。あと3人、ちゃんとやる気のある部員を』
こんな宣言がこの口からぽろっと出てしまった。こうなると止まらない。
『私も勧誘の方法を考えてみる。そうだ、さっき私に見せてくれた宇宙の幻想をみんなにも見せることができたら、きっと……ん? なに?』
シアルヴィ君が訝しげな顔をしている。私、本人たちの意思を無視して盛り上がってしまったかしら。
『あの』
『ん?』
『先生にとってはこんな押し付けられた部活、なくなったほうがいいんじゃないですか。大変でしょう、サービス残業で』
うん? どういう意味?
『今の言葉、もう1回言って』
『? 先生にとっては押し付けられ……』
『そこじゃなくて、最後』
『サービス残業で?』
『それ。どういう意味?』
そうだ、私、一般的なスクルド語会話ができるというだけで、専門的に勉強したわけじゃない。標準語ですら、まだ知らない語彙が山ほどある。言葉は空の星のように無数に存在するのだから、一刻も無駄にせず学び続けないと。
『タダ働き、という意味ですよ。略してサビ残です』
『メモするから待って!』
サビザン、サビザン……っと。よし、しっかり記帳したわ。
そういえば私、お給金の話なんて一切されてない……。まぁいいか。王子妃として城内に暮らす限りは生活費を稼ぐ必要もないし。
『よければ私もあなたたちと一緒に活動させて。不勉強だから教えて欲しいの、天文のこと』
私の申し出に、ふたりは目を見合わせた。
『先生……』
シアルヴィ君が、たぶん仲間に引き入れようとしてくれたのだと思う、握手の手を私に向かって差し伸べた。その時──
『ユニヴェール!!』
ダァン!! と扉が開いた。騒がしい入室者ばかりね、ここは。
『いや、ルリ! なんで君がっ痛てえっ!』
『『『あ……』』』
背が高すぎて、扉の上枠に額をぶつけた彼。
『ダイン……あ、レイ君だったわね』
『身長6.2フィートある人は気を付けてくぐってください』
気を取り直した彼はズカズカとここまで前進し、私の両肩をわしっと掴んだ。
『顧問をやるなんて、俺は聞いてない!』
? 業務のすべてがダインスレイヴ様の計らいというわけではないのね?
『ルリ、部活の顧問なんかになってしまったら……』
やっぱり“サビザン”ですか? 生活費に困りさえしなければ、私としては特に……
『ダメだ、帰宅が遅くなってしまう!!』
『は、はい!』
初夜と同じあの感じで迫られたので、つい返事をしてしまった。
そこにすっと顔を出してきたイリーナ嬢。
『あなた、レイ=ヒルドとおっしゃいましたっけ。教師は学生の健やかな成長と輝かしい躍進のため、授業時間外ですら細心の心配りをするべきなのです。先生はそれをご承知で、放課後の時までこの天文部のために、心血を注ぐと』
『うるさい、小娘』
『まっ!』
小娘って、あなたは何歳の設定なのですか。
あ、そうだ。
『レイ君。この天文部に入部してください』
『はぁ!?』
『一緒に惑星運行儀とやらを開発しましょう?』
『むっ?』
『ダメですか?』
『ぐっ……』
お願いです。3ヶ月であと3人はたぶん難しいことなのです。
『ぐぐっ……』
彼はすっくと立ち上がった。そしてまっすぐに机に向かい、用紙と羽ペンを取り出して……
『これでいいんだろう!』
しゃしゃっと書き込んだ入部届を突きつけたのだった。
『まったく、男子はミステリアスな女教師に弱いですわね』
『レイ君だっけ……よろしく』
シアルヴィ君も落ち着いた対応だけど、ほのかに嬉しそう。そんな彼が、ここで私をやや上目で窺いながら。
『先生、僕らのことは呼び捨てで呼んでください』
『そうですわ! いくら若くて新米でも、教師は私たち学生を導く立場ですもの』
『え……』
私はつい、ダインスレイヴ様を振り向いた。それを受け、彼はうすく笑みを浮かべ頷く。
「…………」
もう、照れくさくて仕方ないのだけど、今日から私は《導く立場》────。
私のこの目に、暗黒を潜り抜けて飛び出した、幾千の光の粒がきらきら映る。
ぱぁっと、瞬時に訪れたそれらが、私の頬を青白く照らす。
それは終わらない夜の世界に散らばる、満天の星。
すぐ手の届くところに煌めく星粒が“ボクを掴んで”と瞬くから、私は恐る恐る指先を伸ばした。
「!? ……あら?」
闇が一瞬にして消え去った。
今にも星を掠めとれる、そんな期待の先に私を待っていたのは、夢から醒めた現実の空間だった。
「壁も天井も布で覆われている……」
その布をめくってみると、目前には木棚にぎっしりと詰まった書籍。そういえば部室は、理科実験室が移転した後の空き部屋を使っているとマルグレット先生が言っていた。
『先生が新しい顧問ですか?』
唐突に話しかけられ、ひやりとして振り返った。
布の向こうの、奥の扉から入ってきたのは、パッと見、性別不明のお人形のような子……制服から男子学生と分かったが。
『せっかくですが、この部活はいつ消滅するか……』
『すごいわ! 今の星空はあなたが作ったの!?』
私は感動のあまり彼にぐっと詰め寄っていた。
『え、ええ……』
『“天文部”ってすごいわね!』
私の配属された《天文部》──天体の動きを観察し、未知の世界を探求する──
この世で最も尊い学問の一つ。それを授業時間外にすら求める有志の集まり。
『でもこの部活の余命は、およそ3ヶ月です』
『よ、余命?』
ん──??
*
こちらの、ガラス細工のように透明感ある顔立ちの少年は、私の担当するクラスの子であった。無機質な表情に多少のシンパシーを抱いたことで、挨拶を交わした中でもとりわけ印象に残っている。
シェル侯爵家の末子、シアルヴィ君。確か13歳だったか。……まだ成長前の細さで可愛い。ラス、アンジュが家に来た頃、こんな可愛らしさだったわ。
『他の部員は?』
『他に……いなくはないですが、ほぼ幽霊部員のようなものです』
彼は私と会話しながら、壁にかかる布を取り外している。
『じゃあ、あなたがリーダーなの?』
『幽霊部員とは聞き捨てならないわね!』
バァン! と扉が激しく開いた。
『生徒会活動で遅れました。私が副部長のアンドレアンです』
イリーナ・アンドレアンさん……。また高潔な態度での登場だ。
『忙しいのに無理することないよ、イリーナ』
『この程度の忙しさなんて、私の処理能力にかかれば!』
仲良しなのかな……と尋ねてみたら、幼馴染だそう。
『今、私が生徒会役員権限でここの存続について掛け合っているから、シアルヴィは心配しなくていいのよ』
『あの、部活の余命とか、存続とかって……』
何か問題のある部活なのかしら。
ふたりは目をぱちくりした。顧問なら事情くらい聞いてこいよ、という意味だろうか。何から何まで後手後手に事情を知る羽目になっているのだけど……。
『部活動は最低5人集まっていないと、存続できない決まりなのです』
『最近ふたり、退部してしまいましたの。やる気ない子たちだったから仕方ないけど、数合わせでもいて欲しかったですわね』
『じゃあ、あとひとりは?』
『それが……今朝の……』
まさか……朝倒れた、彼が……。
『惜しい人を亡くしましたわ!』
泣き崩れるイリーナさん。いえ、亡くなってはないはず!
でも、一命は取り留めてももう学院には戻ってこないだろうという話だった。
『今、この部活はイエローカードを突きつけられているわけです。3ヶ月以内にあと3人集めないと』
言いながらシアルヴィ君は床に大きな星図を広げた。あまり切羽詰まった雰囲気はない。
『仕方ないでしょう。せめてあと3ヶ月の間は研究にめいっぱい部費を使わせてもらいます』
諦めてしまっているの……。
『あと三月でこの惑星運行儀の精度をどこまで上げられるというの?』
『いいんだ、イリーナ。どこでだって何年かかったって、これの開発を諦めることはないから』
『あなたの悲願だものね。だから卒業までの数年間は部費をもらうのがいいわ。私が何とかするから!』
部費で食いつなぐことを隠さないのねイリーナさん。
でもそうね、なんでもそうだけど研究には莫大な資金が必要。いくら上流貴族の子女とはいえ、財政的にはいろんな事情があるだろうし。それなら……。
『集めましょう。あと3人、ちゃんとやる気のある部員を』
こんな宣言がこの口からぽろっと出てしまった。こうなると止まらない。
『私も勧誘の方法を考えてみる。そうだ、さっき私に見せてくれた宇宙の幻想をみんなにも見せることができたら、きっと……ん? なに?』
シアルヴィ君が訝しげな顔をしている。私、本人たちの意思を無視して盛り上がってしまったかしら。
『あの』
『ん?』
『先生にとってはこんな押し付けられた部活、なくなったほうがいいんじゃないですか。大変でしょう、サービス残業で』
うん? どういう意味?
『今の言葉、もう1回言って』
『? 先生にとっては押し付けられ……』
『そこじゃなくて、最後』
『サービス残業で?』
『それ。どういう意味?』
そうだ、私、一般的なスクルド語会話ができるというだけで、専門的に勉強したわけじゃない。標準語ですら、まだ知らない語彙が山ほどある。言葉は空の星のように無数に存在するのだから、一刻も無駄にせず学び続けないと。
『タダ働き、という意味ですよ。略してサビ残です』
『メモするから待って!』
サビザン、サビザン……っと。よし、しっかり記帳したわ。
そういえば私、お給金の話なんて一切されてない……。まぁいいか。王子妃として城内に暮らす限りは生活費を稼ぐ必要もないし。
『よければ私もあなたたちと一緒に活動させて。不勉強だから教えて欲しいの、天文のこと』
私の申し出に、ふたりは目を見合わせた。
『先生……』
シアルヴィ君が、たぶん仲間に引き入れようとしてくれたのだと思う、握手の手を私に向かって差し伸べた。その時──
『ユニヴェール!!』
ダァン!! と扉が開いた。騒がしい入室者ばかりね、ここは。
『いや、ルリ! なんで君がっ痛てえっ!』
『『『あ……』』』
背が高すぎて、扉の上枠に額をぶつけた彼。
『ダイン……あ、レイ君だったわね』
『身長6.2フィートある人は気を付けてくぐってください』
気を取り直した彼はズカズカとここまで前進し、私の両肩をわしっと掴んだ。
『顧問をやるなんて、俺は聞いてない!』
? 業務のすべてがダインスレイヴ様の計らいというわけではないのね?
『ルリ、部活の顧問なんかになってしまったら……』
やっぱり“サビザン”ですか? 生活費に困りさえしなければ、私としては特に……
『ダメだ、帰宅が遅くなってしまう!!』
『は、はい!』
初夜と同じあの感じで迫られたので、つい返事をしてしまった。
そこにすっと顔を出してきたイリーナ嬢。
『あなた、レイ=ヒルドとおっしゃいましたっけ。教師は学生の健やかな成長と輝かしい躍進のため、授業時間外ですら細心の心配りをするべきなのです。先生はそれをご承知で、放課後の時までこの天文部のために、心血を注ぐと』
『うるさい、小娘』
『まっ!』
小娘って、あなたは何歳の設定なのですか。
あ、そうだ。
『レイ君。この天文部に入部してください』
『はぁ!?』
『一緒に惑星運行儀とやらを開発しましょう?』
『むっ?』
『ダメですか?』
『ぐっ……』
お願いです。3ヶ月であと3人はたぶん難しいことなのです。
『ぐぐっ……』
彼はすっくと立ち上がった。そしてまっすぐに机に向かい、用紙と羽ペンを取り出して……
『これでいいんだろう!』
しゃしゃっと書き込んだ入部届を突きつけたのだった。
『まったく、男子はミステリアスな女教師に弱いですわね』
『レイ君だっけ……よろしく』
シアルヴィ君も落ち着いた対応だけど、ほのかに嬉しそう。そんな彼が、ここで私をやや上目で窺いながら。
『先生、僕らのことは呼び捨てで呼んでください』
『そうですわ! いくら若くて新米でも、教師は私たち学生を導く立場ですもの』
『え……』
私はつい、ダインスレイヴ様を振り向いた。それを受け、彼はうすく笑みを浮かべ頷く。
「…………」
もう、照れくさくて仕方ないのだけど、今日から私は《導く立場》────。
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