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④ 月下でふたりだけの秘密を
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「どうしてそう思われたのです?」
「だって、君の所作はとても美しい」
「そ、そうですか?」
「ああ。慌てていても、上品で、育ちの良さが滲み出ている。とても大事に育まれてきたようだ。だから気になってしまった。私が尋ねたことは、忘れてくれ」
「いいえ、美しいだなんて……。もったいないお言葉です」
自分でそんなこと、意識したことなかった。本当に貴族の出なのだから、それが集まる場ではそんなこと当たり前で、そうでない場では目立つことも当たり前なのだろう。褒められるのも、当たり前。
でも、「彼に」美しいと言われたことで、心に春風が吹いてきたような心地がした。これは患者に喜ばれ甲斐があったという、看護婦の充実感とは違う。いけない思い、なのだと思う。
「君には本当に感謝している。私は君にとって、ただの患者以外の何物でもないが、君のおかげで私は以前より……」
「あのっ!」
私にとってあなたは、もうただの患者ではない、ううん、そんなこと言えるわけない。
でも止められない、だから、私は――。
「私は、長く灰色の世界にいました。ええ、本当に優しい家族に囲まれ、恵まれた暮らしの中にいて、私はとてつもなくちっぽけな、私の不完全な部分を受け入れることができず――」
この人に知ってもらいたい。私の隠すべき部分、だけれど、私の最大の個性。
私は左の靴を脱いだ。そして不躾にも、彼の前に足を差し出した。
「私の足は生まれながらに“奇形”なんです」
「……そんなふうに言わなくていい」
彼は私の足を手に取った。
「小さな、可愛らしい足だ」
そして、そっとそこにキスをした。
私はどうしようもなく恥ずかしくて、なのにすごく嬉しくて、片方が裸足のまま病室を飛び出した。
この想いは抑えなくてはならない。看護婦になるのだから。いいえ、ここではもうそれなのだ。一患者への想いなど、邪なものだ。
この時はただ、忍ぶものと固く心を決めていた。
それほど月日のたたない頃、病院の職員すべてに伝えられた。とうとう紛争地域間で停戦協定が結ばれ、この施設も近日閉めることになったと。
患者も都会の大きな病院へと移送される。私は元より期限付きの派遣だった。それが早まってしまったが、ここで私の成果を証明してもらい、次への足掛かりとすれば、結果として上々だ。
14の私にとって、ここでの経験は人生の基礎の基礎なのだ。きっと私は、天運に恵まれている――。
**
私がその翌日、馬車で実家に帰るとなった日のこと。
「今夜、病院の庭先へ、少しだけ散歩に出たいんだ。付き添ってくれないか」
「そうですね。患者様が脱走しないように、見張っていなくてはいけませんね」
私はとぼけてみせた。
夕刻からどうにも心が弾んでしまう。職務を終えた私は、すぐにも就寝するように同僚らに見せかけた。そして家から一枚だけ持参したシルクのワンピースをかぶり、そっと寝室を出た。ただ外に出て、夜風に当たるだけなのに。
「ギィ様!」
私はそそくさと駆け寄った。彼の瞳が優しい。もう彼はこれっぽっちも、手負いの獣ではなかった。
この庭の隅は垣根に抜け穴が開いている。私は誘導するようなステップでそこへ向かい、抜け穴を見せつけた。
「脱走しないように見張っているんじゃなかったのかい?」
彼は笑った。
病院の裏手には林があり、さらにそこを抜け、流れる小川にやって来た。
そこからどうしてこうなったのか、月と星々の見守る中、たゆたう川に浸かったままで、彼と口づけを交わしていた。
唇が離れたら、「慕っております」とも言葉に出来ず、ただ「誰にも言わないで」と、それだけを口にした。
勝手なことを言った私に、彼は約束してくれた。そのとき彼は川の水底で、私の左足の小指にきゅっと触れたのだった。
「あっ……」
私はすぐに口を手で押さえた。冷たい水に浸かっているというのに、たちまち顔が熱くなる。
「……申し訳ありません。おかしな声を上げてしまい……」
「可愛いよ」
彼はなんだか嬉しそうだった。それが彼との一部始終だ。
「だって、君の所作はとても美しい」
「そ、そうですか?」
「ああ。慌てていても、上品で、育ちの良さが滲み出ている。とても大事に育まれてきたようだ。だから気になってしまった。私が尋ねたことは、忘れてくれ」
「いいえ、美しいだなんて……。もったいないお言葉です」
自分でそんなこと、意識したことなかった。本当に貴族の出なのだから、それが集まる場ではそんなこと当たり前で、そうでない場では目立つことも当たり前なのだろう。褒められるのも、当たり前。
でも、「彼に」美しいと言われたことで、心に春風が吹いてきたような心地がした。これは患者に喜ばれ甲斐があったという、看護婦の充実感とは違う。いけない思い、なのだと思う。
「君には本当に感謝している。私は君にとって、ただの患者以外の何物でもないが、君のおかげで私は以前より……」
「あのっ!」
私にとってあなたは、もうただの患者ではない、ううん、そんなこと言えるわけない。
でも止められない、だから、私は――。
「私は、長く灰色の世界にいました。ええ、本当に優しい家族に囲まれ、恵まれた暮らしの中にいて、私はとてつもなくちっぽけな、私の不完全な部分を受け入れることができず――」
この人に知ってもらいたい。私の隠すべき部分、だけれど、私の最大の個性。
私は左の靴を脱いだ。そして不躾にも、彼の前に足を差し出した。
「私の足は生まれながらに“奇形”なんです」
「……そんなふうに言わなくていい」
彼は私の足を手に取った。
「小さな、可愛らしい足だ」
そして、そっとそこにキスをした。
私はどうしようもなく恥ずかしくて、なのにすごく嬉しくて、片方が裸足のまま病室を飛び出した。
この想いは抑えなくてはならない。看護婦になるのだから。いいえ、ここではもうそれなのだ。一患者への想いなど、邪なものだ。
この時はただ、忍ぶものと固く心を決めていた。
それほど月日のたたない頃、病院の職員すべてに伝えられた。とうとう紛争地域間で停戦協定が結ばれ、この施設も近日閉めることになったと。
患者も都会の大きな病院へと移送される。私は元より期限付きの派遣だった。それが早まってしまったが、ここで私の成果を証明してもらい、次への足掛かりとすれば、結果として上々だ。
14の私にとって、ここでの経験は人生の基礎の基礎なのだ。きっと私は、天運に恵まれている――。
**
私がその翌日、馬車で実家に帰るとなった日のこと。
「今夜、病院の庭先へ、少しだけ散歩に出たいんだ。付き添ってくれないか」
「そうですね。患者様が脱走しないように、見張っていなくてはいけませんね」
私はとぼけてみせた。
夕刻からどうにも心が弾んでしまう。職務を終えた私は、すぐにも就寝するように同僚らに見せかけた。そして家から一枚だけ持参したシルクのワンピースをかぶり、そっと寝室を出た。ただ外に出て、夜風に当たるだけなのに。
「ギィ様!」
私はそそくさと駆け寄った。彼の瞳が優しい。もう彼はこれっぽっちも、手負いの獣ではなかった。
この庭の隅は垣根に抜け穴が開いている。私は誘導するようなステップでそこへ向かい、抜け穴を見せつけた。
「脱走しないように見張っているんじゃなかったのかい?」
彼は笑った。
病院の裏手には林があり、さらにそこを抜け、流れる小川にやって来た。
そこからどうしてこうなったのか、月と星々の見守る中、たゆたう川に浸かったままで、彼と口づけを交わしていた。
唇が離れたら、「慕っております」とも言葉に出来ず、ただ「誰にも言わないで」と、それだけを口にした。
勝手なことを言った私に、彼は約束してくれた。そのとき彼は川の水底で、私の左足の小指にきゅっと触れたのだった。
「あっ……」
私はすぐに口を手で押さえた。冷たい水に浸かっているというのに、たちまち顔が熱くなる。
「……申し訳ありません。おかしな声を上げてしまい……」
「可愛いよ」
彼はなんだか嬉しそうだった。それが彼との一部始終だ。
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