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③ 芽生えた恋心
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ベッドに座する患者がギロリと私を見た。そう、あごを引いて横から頭を回すように眺めるその視線は、まさに獲物を探す虎。
ずいぶん美しい虎だこと。頭に巻いた包帯から髪の毛が逆立って妙に荒々しいのに、碧の瞳は少しも混じり気のない、まるで可憐な少年のよう。矛盾した、ふしぎな生きものだ。
「私は“リーン”と申します。あなたのお世話をしに……」
彼は何も返事をしなかった。いかにも苛立っている様子でいる。
「お水を持ってきましょうか? ……きゃぁっ!」
彼は私の持つ水瓶を突然振り払った。そして枕元のテーブルに置いてあった小物や花瓶も投げつける。彼がそうやって鬱憤を晴らすために、わざわざ置いてあるかのようだった。
ただ、私に向けてそういうことをするでもない。これは虎の威嚇行動だ。
私は跳びかかるように、彼の頭を胸に抱きしめた。ただの威嚇だとは分かっていても、やっぱりこういうのは恐ろしいから、胸が張り裂けそうになってしまっているけれど。熱がその目に届くように。
私はただ祈った。
「一秒でも長く、あなたの瞳に光の届からんことを」
「……あ……」
「ん?」
「頭が痛い……目の奥が痛い……」
「医師を呼びましょうか!?」
「……水が欲しい」
「……お持ちします」
私は急いで井戸へ向かった。
「会話がなんだか噛み合わない? 本当に虎の化身なのかしら?」
それから私は一般病床の患者も見つつ、できるだけ彼、ギィ様の病室にまわった。彼はしばしば癇癪を起こす。どうにも不安に耐えられない時。真夜中など特に。
しかし私は初日に知った。この手負いの虎は、ただ抱きしめられたいのだ。きっとすべての患者がそうなのだろうが、職員の数は限られている。それもすべての職員が、いつも笑顔を向けられるとは限らない。
「戦場に戻れないなら、あの場で死んだほうがましだった」
そう嘆く彼の担当婦として私は、ただこの人を抱きしめていた。
「命ある限り、希望は溢れています」
消えゆく命の多くある病院で、私はそれを感じたから。何度でも彼の耳元で囁いた。
そしてしばらくすると、私は実感した。彼の癇癪の頻度が落ち、心持ちが安定してきたことに。
「だいぶ、穏やかになられましたね」
そう本人の前でつぶいたら、彼はばつが悪そうに笑う。その微笑みを目にして私は、ふと。
癇癪が減り、宥めるために抱きしめることももうあまりないことに、一抹の寂しさを思ったのだった。
自分の中に、輪郭のぼんやりした感情が芽生えたのは、きっとこの頃。
ひとりでこっそり、自問してみた。
「そんなの不謹慎よ。喜ばしいことなのに……」
***
ある夜のこと、彼から夜語りに少し付き合ってほしいと願い入れられた。
「少しですよ?」
「ごめんよ、君の睡眠時間を削ってしまって」
「仕事ですから」
「仕事か……」
彼が寂しげな顔をしたのを、私は気付かないふりした。
「では、急いで何か話さなくてはな。そうだ」
「?」
「君はいい御家のお嬢様なのだろう?」
「えっ?」
急にそのようなことを言われたじろいだ。看護婦長しかそれは知らないことで、もはや特別な扱いもされていない。自分でもこのところ忘れていたほどだ。もう自分としては、貴族でも平民でもなく、ここの一看護婦なのだ。
「違うかい?」
「あ、えっと。ごめんなさい、それは明かせません……」
「そうか」
ずいぶん美しい虎だこと。頭に巻いた包帯から髪の毛が逆立って妙に荒々しいのに、碧の瞳は少しも混じり気のない、まるで可憐な少年のよう。矛盾した、ふしぎな生きものだ。
「私は“リーン”と申します。あなたのお世話をしに……」
彼は何も返事をしなかった。いかにも苛立っている様子でいる。
「お水を持ってきましょうか? ……きゃぁっ!」
彼は私の持つ水瓶を突然振り払った。そして枕元のテーブルに置いてあった小物や花瓶も投げつける。彼がそうやって鬱憤を晴らすために、わざわざ置いてあるかのようだった。
ただ、私に向けてそういうことをするでもない。これは虎の威嚇行動だ。
私は跳びかかるように、彼の頭を胸に抱きしめた。ただの威嚇だとは分かっていても、やっぱりこういうのは恐ろしいから、胸が張り裂けそうになってしまっているけれど。熱がその目に届くように。
私はただ祈った。
「一秒でも長く、あなたの瞳に光の届からんことを」
「……あ……」
「ん?」
「頭が痛い……目の奥が痛い……」
「医師を呼びましょうか!?」
「……水が欲しい」
「……お持ちします」
私は急いで井戸へ向かった。
「会話がなんだか噛み合わない? 本当に虎の化身なのかしら?」
それから私は一般病床の患者も見つつ、できるだけ彼、ギィ様の病室にまわった。彼はしばしば癇癪を起こす。どうにも不安に耐えられない時。真夜中など特に。
しかし私は初日に知った。この手負いの虎は、ただ抱きしめられたいのだ。きっとすべての患者がそうなのだろうが、職員の数は限られている。それもすべての職員が、いつも笑顔を向けられるとは限らない。
「戦場に戻れないなら、あの場で死んだほうがましだった」
そう嘆く彼の担当婦として私は、ただこの人を抱きしめていた。
「命ある限り、希望は溢れています」
消えゆく命の多くある病院で、私はそれを感じたから。何度でも彼の耳元で囁いた。
そしてしばらくすると、私は実感した。彼の癇癪の頻度が落ち、心持ちが安定してきたことに。
「だいぶ、穏やかになられましたね」
そう本人の前でつぶいたら、彼はばつが悪そうに笑う。その微笑みを目にして私は、ふと。
癇癪が減り、宥めるために抱きしめることももうあまりないことに、一抹の寂しさを思ったのだった。
自分の中に、輪郭のぼんやりした感情が芽生えたのは、きっとこの頃。
ひとりでこっそり、自問してみた。
「そんなの不謹慎よ。喜ばしいことなのに……」
***
ある夜のこと、彼から夜語りに少し付き合ってほしいと願い入れられた。
「少しですよ?」
「ごめんよ、君の睡眠時間を削ってしまって」
「仕事ですから」
「仕事か……」
彼が寂しげな顔をしたのを、私は気付かないふりした。
「では、急いで何か話さなくてはな。そうだ」
「?」
「君はいい御家のお嬢様なのだろう?」
「えっ?」
急にそのようなことを言われたじろいだ。看護婦長しかそれは知らないことで、もはや特別な扱いもされていない。自分でもこのところ忘れていたほどだ。もう自分としては、貴族でも平民でもなく、ここの一看護婦なのだ。
「違うかい?」
「あ、えっと。ごめんなさい、それは明かせません……」
「そうか」
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