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③ 不屈

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「……あら……ここは…?」

 うつぶせの彼女が目を開けたらそこはいつものごとく、差し込む日の光で暖かいまどろみの午前。自室に戻ってしまったと自覚した。

 机の上には昨夜書き遺した嘆願書がそのまま置かれている。死ねなかった、そう彼女は頭を抱えた。

 ちょうどその時、王太子からの使いが呼びにきた。
「仰せの通り実家に帰る支度をしているところですが」
 とにかく早々に、謁見の間へ来いとのお達しだ。


 本日も物々しい空気流れるその場に到着し、深く礼をした彼女を待っていたのはこの言葉だった。
「婚約破棄を白紙にしてやらぬこともない」
「……?」

 ただいまフィリベール王太子の周りには煌びやかななりの女性らが囲んでいる。その者らもレヴィーナに対し、優位を誇る心持ちで見下げていた。

「ここで今、お前がいかに私にふさわしい女であるか、訴えてみろ」
「は?」
 珍しく怪訝な表情をあらわにしたレヴィーナだった。

「家臣らは類まれな美貌だの学才だのお前を誉めそやすが、お前など、私の亡き母上の足元にも及ばない。この私がどうしてお前で満足できようか?」

 王座の王太子は肘をついたまま足を組み替えた。

「お前のどこがこの女たちより優れていて、これらを差し置いて妃の座に就けるというのか。いかに私の隣に並ぶのに遜色ない女であるか、私を説き伏せてみろ」
「…………」
「私が納得するのであれば、婚約破棄を取り下げてやろう」

 レヴィーナはここでようやく気が付いた。昨日の婚約破棄は彼の仕込みであったのだ。日を跨いでまで自身を辱めるために敷いた、狂言の舞台なのだこれは。

 己の才や器量のいかに素晴らしいかなど、彼女はてらいのなさを美徳とするよう教育された令嬢だ。切々と語るなどもってのほか。

「おい、お前は何ができるのだったか」
「はい、殿下。私、5か国語を操れます。会話術はどなたにも負けませんわ」
「そこのお前は?」
「私は書が得意でございます。この宮廷にも飾られておりますの」

 令嬢らがそれぞれの特技を鼻にかける。この挑発に乗るわけにはいかなかった。芸術など絶対の基準のないもの。ここで仮にレヴィーナが楽器を歌声をと謳おうものなら、ニタリとこびりついた笑みを浮かべる王太子の、鶴の一声で叩き落される。どう出たところで同じ、ただ弄ばれているだけなのだから。

 目を閉じると、悩めるセドリックの姿が脳裏に浮かぶ。彼女ももう昨日までの彼女とは違っていた。

────今ならあなたの気持ち分かるわ。他者を踏みにじることに忙しい人もいるのね。

 ならば、と彼女は奮い立った。
「私にも、どなたにも負けない技能がございます」
「ほう?」

 王太子の目は輝いた。ここで彼女が物申すなら、しょせん取り巻きの者らと何ら変わらぬ、身分やら金やらに執着隠さぬ浅ましい女だと罵る手札が増える。

「フィリベール様、あなたのような不幸な方を愛することができます」
「……は?」
「だって、あなた様は愛されたくてしかたなくて、私にこのような仕打ちをなさるのでしょう」
「なんだと!?」

 王太子は立ち上がった。彫刻のごとし顔に怒りの筋が浮かんだ。

「そちらにいらっしゃるお方々のどなたにもできないことを、私ならして差し上げられますわ。お可哀そうなあなた様に心から同情し、生涯の終わりまでよしよしと撫でて差し上げます。地位などどうでもよろしいですし、贅沢も好みません。あなた様が私に心を開いてくださるのを楽しみに、余生を生きてまいりますわ」

 壇上の娘たちは震える王太子になすすべもなく、尻込みするばかりだ。

「寂しさに耐えきれず私の愛を欲する時は、いつでも私の部屋にお訪ねください。私はあなた様の婚約者ですから、心から尽くして差し上げましょう!」

 レヴィーナは再びドレスの裾をつまみ、かくも優雅に頭を下げた。そして許しを得るより先に、踵を返し謁見の間を後にしたのだった。


 自室に戻ってからは、書いた嘆願書を手に取り、くしゃくしゃと丸めて棄てていた。

 再び彼女は庭の古井戸へ向かう。死のうとして? いいや、どうせ命運はより力のある者に握られている。それが心底虚しくて、その心を慰め合えるであろうあの彼に。

 また、会えるかもしれないと、その身を井戸へ投げうったのだった。

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