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第十四章 価値

⑤ 好きだよ その一言が言えなくて

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 役人の彼は普段、むらの建設の仕事に携わっているという。言われてみればその邑の建設物は、他の邑のものより礎から良く練られて造られていた。
 遊びで造ったというその壕も、ただの洞穴ではなく十分な補強までされている。しかし約2日間も百数十名が光の届かない場に籠るのは難儀であっただろう。統率も請け負った彼の指示があってこそだ。

「神を信じて助けを待ちました。私はかつて、神の使いにお会いしたことがあるのですが、それからというもの苦境に立つと、そのお方の声が聴こえてくるのです。このたびも伸びやかなお声で、“必ず守るから”と……」

 彼はそう話したという。ユウナギはその報告をすべて聞き、胸が震えた。あの時の少年は機会に恵まれ努力を重ね、その力で人々を助けたのだ。彼が遠いあの日切望したように、人の役に立つ立派な大人になったのだ。そして彼をそのように育ててくれた、あの高官とその家族への、感謝の気持ちでいっぱいになった。

 晴れ晴れした顔でユウナギは一息ついて、その時、大事なことを思い出す。

「兄様、アヅミに礼の言葉を届けたいのだけど、通信手段はまだ?」
「向こうから着たのだから、問題ないはずですが。……本人が無事であれば」
「無事であれば、ね……」
 ユウナギは少し考えた。

「なら、今回の乗っ取りはしくじった、という報を即刻得て、そこからその主犯をさくっと捕える行動力のある人に、一か八かでふみを送ってみようと思うわ!」
「?」



 中央から派遣された隊は引き続き、むらを元に戻す作業を行う。そこはいったん元に戻るが、これは敵国との、継続的な小競り合いの幕開けだった。
 多くの兵が東の国境に待機することの必要に迫られ――。

 今やユウナギは、命の期限が迫るのをひしひしと感じている。
 そんな中、ナツヒが戻ったとの報告が入る。一の隊が他の隊と任務を交代したようだ。

「それだけ疲弊しているということですが」
「ナツヒは? ナツヒは無事なの!?」
「無事ですよ」
 ユウナギはそれだけ聞いて飛び出した。全力で駆け、彼の自宅に訪ねた。


「女王がまたここまで走ってきたのか」
 それはもう今更だ。
「良かった、ナツヒが無事で」
 傷を負った兵も大勢いるのだが、今ユウナギはそのようなことまで考えるに至らない。

 そこでナツヒは、彼女を彼の小さな家の内には入れなかった。

「どこへ?」
「……またどこか飛んでいくと面倒だから、林からは出ておこう」
「ああ、そうね」


 ナツヒは言う。敵軍は半年程度の長期戦を目論んでいると。小競り合いを繰り返し、こちらの兵も国の機構も疲弊させ、機を見て一気に畳みかけるのではということだ。

「サダヨシに話すわ」
「兵からもう通達してるはずだけどな」

 伏し目がちになるユウナギだった。
「私は本当に役立たずな女王ね。こういう時、神の言葉を聴けないなんて」
「国の取り合いでどうすればいいかなんて、神が教えてくれるわけないだろ」
「まぁそうだけど……。じゃあ、私は私にできることをする」

 そう言って彼女はナツヒの背に回った。一度両腕を屈伸してから、彼の肩を力いっぱい揉みしだいてみせる。
「どう?」
「ああ、割といい」

 しばらく侍女がやってくれるようにしてみたのだが。
「はぁ。けっこう疲れるこれ」
「なら交代するか?」
 すぐにも交代してもらった。帰ってきた彼を全力で労うはずだったのに。

「あああ~~いい~~」
 これではすっかりユウナギが接待される側だ。
「ずいぶん凝ってるな」

 そこで彼女の肩を軽く叩き、再び揉みだした時、彼は気付いた。彼女の首にかかる、白珠の連なる飾りに。

「これ……」
 手を止め、まじまじと見るナツヒに、ユウナギもやっと思い起こした。

「ああ! そう、ずっとナツヒに礼を言いそびれてた!」
 彼女はさっと彼の方に振り向き、そして衣服の中に入っていたその首飾りを表に出した。

「これ、ほんとは私への土産だったんでしょ?」
 ナツヒは目を丸くしていて、すぐに返事をしなかった。

「あれ? 違うの……?」
「いや、そうだけど……どうして」
「シュイが渡してくれたのよ。私にくれるつもりでいたのに、ナツヒは恥ずかしくて渡せなかったからって。そういえば私たち、あの頃ちょっと、あれだったもんね」

 ユウナギがなんだか照れくさそうに、指先でその白い珠に触れる。

「ナツヒからくれれば良かったのに……。でもとにかく、ありがとう! とてもきれい、気に入った! この白い珠、見つめてると、碧い海の景色が頭に浮かんでくるの。想像の海だけど」

「あ、ああ。……でもお前、兄上からもらったんだろ、首飾り」
「え? あぁ、うん。だけど、首飾りはいくつ着けていてもおかしくないでしょ」

 とはいえ、いま彼女が着けているのは、その白珠の、ひとつだけだ。

「どうして……その、兄上からもらった方じゃなくて……」
 ナツヒの話しぶりは、何やらまごついている様子。

「それが、ずっとふたつとも着けてたんだけど。水晶の方は旅先で、人に差し出したの」
 ナツヒが訝しげなのでユウナギは説明した。人に重大な頼みごとをした際、その水晶の首飾りを僅かな礼として提供したのだと。ナツヒはそれを聞いて一時考え、こう尋ねた。

「なんで兄上からもらった方を差し出したんだ? 白珠より水晶のが価値があるのか?」

 彼は一般的な石の価値についてはよく知らないが、彼女にとっての価値なら、自分の贈った白珠より、兄と出かけた先で手に入れた水晶の方が高いに決まっているのだ。彼女が手元に残しておくべきは水晶だろう。

「……兄様に買ってもらったのはもちろんすごく大事で、身に着けていたらいつも嬉しいものだったけど」
 ユウナギは指の腹でいっそう白珠を撫で、言葉を続ける。

「シュイから聞いたの。これ、ナツヒが私のために、自分で珠を採って自分で繋げたって。そんなの、これ以上嬉しくて大事なものはないよ」
 そんなふうに言って、そして、はにかんだ。

「…………あ――」

 おそらく顔を見られたくなくて、ナツヒは彼女の肩に額を乗せた。普段、ナツヒからユウナギに引っ付いていくことはないので、彼女は少し驚いたよう。

「戦場に戻らないで、しばらく家で寝てたいな……」
「そうよね……」

 彼はそういうわけにもいかない。ユウナギでもそれくらいは分かるので。
「十分休んでいって……」
 こう言うしかなかった。



 それから数日後、ナツヒは兵と共に東へ戻った。

 その頃、ユウナギの送ったふみが隣国に届いていた。
「隣の女王からか」
 
 家臣からそれを受け取った大王おおきみは、一通りそれに目を通す。そして。

「あの女をここに連れてこい」
 家来にこう命じた。即刻そこまで引きずられ入室したのは。

「お前に祖国の王からふみだ」
 密告行為が露見し捕えられたアヅミだった。

「文……女王から……?」
 酷い暴力は今のところ受けていないが、非常にやつれた彼女はいったん後ろ手の縄を解かれ、すぐに前で両手首を縛られた。それでも渡された文は何とか読める。

“ありがとうアヅミ
あなたの仕事が国の多くの民を救いました
これを誇ってこれからも生きてください”

 この一筆に彼女は、片目から涙をぽろりとこぼした。

「そのふみな、お前に渡せって俺宛なんだよ。お前が早速捕えられてること、なんで知ってるんだ?」
「私は何も……知りません……」
「そうか、まぁそうだろうな」

 大王は彼宛の一筆箋に目をやった。
「間者にふみ渡せ以外のことが何も書いてないんだが。何なんだこれは」
 彼は憤っているような声で話すが、表情は笑っているようにも見える。

「隣を取り込む前に、一度この女王と話してみてえな」
「そこの女王は神がかりで人心を掌握する巫女の系譜でしたね。あなたが手に入れれば、使えることもありましょうが」
 最側近の男が彼に話しかけた。

「それも多少考えたんだけどな」
「すでに神の力を失くしたあなたにとっては、生かしておけば脅威ともなり得ますね……」
「ああ残念だ。まぁコマルの代わりにはならねえだろうしな。これは到底従順な女と思えん」

 王は笑ったが、その顔にふと、寂しげな色も浮かばせるのだった。





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第十四章、お読みくださいましてありがとうございました。

夏目漱石の「I love youの和訳」が「月がきれいですね」なら
ナツヒの「好きだよの和訳」は「家で寝ていたい」です。(謎)

終章にて、彼らの運命をどうぞお見守りください。
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