上 下
74 / 141
第九章 とわに君のそばにいたい

② 運命の別れ

しおりを挟む
 その夜更け、ユウナギは女王の部屋に来ていた。

「私は絶対に生きて帰ってきます。安心してください」

 女王の面前に座する彼女は深々と頭を下げた。彼女にはこの機にかこつけて、改めて母に伝えたい言葉があった。

「ただ万が一にでも、人の運命とは分からないものだから、一言だけ言わせてください」

 女王はいつものように、穏やかな微笑みをたたえている。

「実母を亡くし天涯孤独となった私に、御母様と呼ばせてくださって、ありがとうございました」
「母親らしいことは何もしていませんよ」
「そんな……舞いを教えてくださったし、それに、この女王の住処にいるだけで、私はいつも守られていると思います」

「私がそなたを生んだわけではないけれど、私たちには同じ血が流れています。神に愛された血が……」

 改めて言葉にされ、ユウナギは目頭が熱くなった。

「私を見つけてくださって、ありがとうございました」
「一言では終わりませんね」
「御母様とは、ほんとは話したい事が山ほどあるんです。でもそれはまたにします。私は必ず生きて帰るので!」

 翌朝に備え彼女は、まもなく自室に戻った。




 ここは戦場いくさば。国の東南を出てすぐの平野だ。ユウナギは本営のいちばん奥に座らされている。
 いや、座らされていた。今は立ち上がっている。軽く足を広げ背筋を伸ばし、そして両手をめいっぱい掲げた彼女が、その手に持つものは。

「ユウナギ様。何を広げて、見せつけておられるのですか?」
 見れば分かるのだが、隣の軍事官長はあえて尋ねた。

「あ、王女の証です。女王から発行された」
 先日あの館で使用した王女の証明書を、伸ばした両手で掲げている彼女であった。

「軍隊のみんな、私のこと知らない人も多いと思って。自己紹介ということで!」
「心配御無用です。あなた様が真の王女であると、ここにいる者全員に知らしめてあります」
「そう?」
 ユウナギは安心してその文書を細く畳み、髪の結び目に被せて結んだ。

 軍事官長に緊張感をもって尋ねる。
「戦は始まっているの?」
「始まってはいますが、まだ睨み合いの状況です。幕が上がればそう時もたたず、決着は付きます。しかしこの睨み合いが長い」
「そうなの……」

「訓練された兵ですら、戦場では恐怖に耐えかね逃げ出すのもありふれた事。両軍からそういった者が離脱しきって合戦は始まる。さて、そろそろでしょうかね」

 すると遠くの方から続々と雄たけびが聞こえてくる。幕が切って落とされたことはユウナギにも分かった。そんな中、奥でただ祈っているだけの己に肩を落とす。今までの鍛錬は何だったのだろうと。せめて声を張り上げようにも、とても表までは届かない。

 それから2刻もたたない頃、前線からの、兵士の通達が届いた。
 官長は誇らしげに言う。
「大体片が付いたようです。我々の勝利だ。こちらも負傷者は多いものの、現状死者は確認されていない。これもあなた様の、神の加護の賜物ですぞ」
「私は何もしてないわ……」
「あなた様はそこにおわすだけで。勝利の女神だ」

 気鬱になっているのだろうか、ユウナギは今そのようなことを言われても、次の戦では我が身が、ここにいるみなが滅びると、思い出してしまう。

 この戦が始まる前、決して場は見ない方がいいと言われ、また兵らより目に入らないよう徹底されている彼女は、そこで彼に申し出た。

「戦はほぼ終わっているのでしょ。私、合戦の有り様というものを、一瞬でもこの目で見ておきたい。少しだけ、前に出ることを許して」

 官長は考えた。兄、丞相じょうしょうであるならそのようなことは絶対に許さないだろう。争いが確実に終わり、すべての敵兵が去ったのを確信した後、万全な手立てで王女をこの場から退かせるだろう。
 しかし彼は、王女自ら見たいと言っているものを断る道理はないのではないか、と考える性分だ。この国はかつてこういった戦の末に成り立った。流れた血の重みを、王となる者が知らずにいるよりはと。
 彼はもう一度、戦の状況を念入りに確認した。どうやら終わったと言って差し支えないようだ。
「僅かの間だけです。必ず私の後ろにおいでください」


 ユウナギが立ち上がり歩み始めた時、本営内前衛の兵士たちがひどくざわめいた。官長も何事かと訝しむと、ちょうどそちらの方から兵が通達にやってきた。

 その内容は、巫女衣装をまとう女王が丞相を携え、壮麗な黒馬に跨り、ここへ駆けてきたということだ。

「御母様が……!?」
 それを耳にしたユウナギは脇目も振らず表に出ていった。陣営の前衛を出たら、ちょうど母が軽やかに馬から飛び降り、自分の元へと走り寄る。

「どうしてここへ……」
と彼女が聞くや否や、女王は彼女を真っ向から抱きしめた。母の抱擁は温かいものなのに、ユウナギの心は不安で急激に冷えゆくのだった。

 そこに、近くに倒れていた、死んだと思われていた敵兵の撃ち放った矢が飛んできた。兵士らの驚愕の叫び声が続々と上がる。ユウナギの視界には、矢の羽しか存在しない。

「なん、で……」

 母に正面から覆われた彼女は、その場で膝から崩れ落ちる。が、すぐに意識を取り戻し、力を失いつつある母を両手で強く抱きしめ、声を上げた。

「誰か、医師を……誰か!! 誰か……」

 血の臭いにむせ返る戦場で、その身を切り刻まれたかのような悲鳴が響き渡る。


「助けて──────!!!」



 母にはすべて視えていた。母を庇うつもりで戦場に向かうという娘を受容して。
 娘がどこにいても矢の飛んでくることも、それを自らが庇い死ぬことも、運命をすべて予知して。

────国と私、両方を生かす道を……。



 女王の遺体は中央でもっとも空気の冷たい地下の洞穴に安置され、ユウナギはその傍らで涙を流し続けた。どうして気付けなかったのだろう、どうすれば良かったのだろう、とそればかり。丞相を一度責めた、どうして母を戦場に出したのかと。すると彼も大粒の涙を流しながら、「神が女王に憑依していた。ただの人である私が、どうして神に抗えようか」と悔いるのだった。誰よりも母の近くにいたのは彼なのだ、これ以上何が言えよう。

 戦場から引き上げるにも日を要したので、早く埋葬せねばならない。その前にいち早く即位の礼を行うと、ユウナギはこの日トバリから伝えられる。

「両方の儀を明日執り行うことになりました。この度はこういう事情ですので、即位式は最低限のものとなります。今夜は必ず寝てくださいね」

 涙も枯れ果てた頃、彼に付き添われ自室に戻る。それからは久しぶりに、深い眠りへと沈んでいったのだった。




 朝早いうちから、ユウナギは侍女らの手により特別な巫女装束に着せ替えられ、化粧も念入りに施された。そこにトバリがやってくる。

「非常に美しい。まるで天女だ」
「兄様」
 彼は綺麗に着飾られても肩を落としたままの、ユウナギの手を取った。

「世辞はやめて」
「世辞ではないですよ」
「じゃあ、馬子にも衣装?」
「とんでもない。そうだ、あなたはもう16なのですね。強く美しい、大人の女性だ」
 彼に見つめられ、彼女の虚ろな瞳に光が差した。


 ユウナギは彼に連れられ、式堂手前の控えの間へ。そこで丞相に彼女を引き渡したトバリは、堂の中へ入って行った。
 丞相は彼女に言い聞かせる。即位礼が始まり、女王は神に祝詞のりとを奏上する。そして丞相の手より戴冠する。後はみなに顔を見せれば、参列者が各々女王の即位を寿ことほぐ。その喝采を浴びたら退場して良いと。

 ユウナギは無言で頷き、丞相と共に式堂へと向かうのだった。

しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

【R15】お金で買われてほどかれて~社長と事務員のじれ甘婚約~【完結】

双真満月
恋愛
都雪生(みやこ ゆきな)の父が抱えた借金を肩代わり―― そんな救世主・広宮美土里(ひろみや みどり)が出した条件は、雪生との婚約だった。 お香の老舗の一人息子、美土里はどうやら両親にせっつかれ、偽りの婚約者として雪生に目をつけたらしい。 弟の氷雨(ひさめ)を守るため、条件を受け入れ、美土里が出すマッサージ店『プロタゴニスタ』で働くことになった雪生。 働いて約一年。 雪生には、人には言えぬ淫靡な夢を見ることがあった。それは、美土里と交わる夢。 意識をすることはあれど仕事をこなし、スタッフたちと接する内に、マッサージに興味も出てきたある日―― 施術を教えてもらうという名目で、美土里と一夜を共にしてしまう。 好きなのか嫌いなのか、はっきりわからないまま、偽りの立場に苦しむ雪生だったが……。 ※エブリスタにも掲載中 2022/01/29 完結しました!

ニンジャマスター・ダイヤ

竹井ゴールド
キャラ文芸
 沖縄県の手塚島で育った母子家庭の手塚大也は実母の死によって、東京の遠縁の大鳥家に引き取られる事となった。  大鳥家は大鳥コンツェルンの創業一族で、裏では日本を陰から守る政府機関・大鳥忍軍を率いる忍者一族だった。  沖縄県の手塚島で忍者の修行をして育った大也は東京に出て、忍者の争いに否応なく巻き込まれるのだった。

母が田舎の実家に戻りますので、私もついて行くことになりました―鎮魂歌(レクイエム)は誰の為に―

吉野屋
キャラ文芸
 14歳の夏休みに、母が父と別れて田舎の実家に帰ると言ったのでついて帰った。見えなくてもいいものが見える主人公、麻美が体験する様々なお話。    完結しました。長い間読んで頂き、ありがとうございます。

時戻りのカノン

臣桜
恋愛
将来有望なピアニストだった花音は、世界的なコンクールを前にして事故に遭い、ピアニストとしての人生を諦めてしまった。地元で平凡な会社員として働いていた彼女は、事故からすれ違ってしまった祖母をも喪ってしまう。後悔にさいなまれる花音のもとに、祖母からの手紙が届く。手紙には、自宅にある練習室室Cのピアノを弾けば、女の子の霊が力を貸してくれるかもしれないとあった。やり直したいと思った花音は、トラウマを克服してピアノを弾き過去に戻る。やり直しの人生で秀真という男性に会い、恋をするが――。 ※ 表紙はニジジャーニーで生成しました

雇われ側妃は邪魔者のいなくなった後宮で高らかに笑う

ちゃっぷ
キャラ文芸
多少嫁ぎ遅れてはいるものの、宰相をしている父親のもとで平和に暮らしていた女性。 煌(ファン)国の皇帝は大変な女好きで、政治は宰相と皇弟に丸投げして後宮に入り浸り、お気に入りの側妃/上級妃たちに囲まれて過ごしていたが……彼女には関係ないこと。 そう思っていたのに父親から「皇帝に上級妃を排除したいと相談された。お前に後宮に入って邪魔者を排除してもらいたい」と頼まれる。 彼女は『上級妃を排除した後の後宮を自分にくれること』を条件に、雇われ側妃として後宮に入る。 そして、皇帝から自分を楽しませる女/遊姫(ヨウチェン)という名を与えられる。 しかし突然上級妃として後宮に入る遊姫のことを上級妃たちが良く思うはずもなく、彼女に幼稚な嫌がらせをしてきた。 自分を害する人間が大嫌いで、やられたらやり返す主義の遊姫は……必ず邪魔者を惨めに、後宮から追放することを決意する。

大工スキルを授かった貧乏貴族の養子の四男だけど、どうやら大工スキルは伝説の全能スキルだったようです

飼猫タマ
ファンタジー
田舎貴族の四男のヨナン・グラスホッパーは、貧乏貴族の養子。義理の兄弟達は、全員戦闘系のレアスキル持ちなのに、ヨナンだけ貴族では有り得ない生産スキルの大工スキル。まあ、養子だから仕方が無いんだけど。 だがしかし、タダの生産スキルだと思ってた大工スキルは、じつは超絶物凄いスキルだったのだ。その物凄スキルで、生産しまくって超絶金持ちに。そして、婚約者も出来て幸せ絶頂の時に嵌められて、人生ドン底に。だが、ヨナンは、有り得ない逆転の一手を持っていたのだ。しかも、その有り得ない一手を、本人が全く覚えてなかったのはお約束。 勿論、ヨナンを嵌めた奴らは、全員、ザマー百裂拳で100倍返し! そんなお話です。

【12/29にて公開終了】愛するつもりなぞないんでしょうから

真朱
恋愛
この国の姫は公爵令息と婚約していたが、隣国との和睦のため、一転して隣国の王子の許へ嫁ぐことになった。余計ないざこざを防ぐべく、姫の元婚約者の公爵令息は王命でさくっと婚姻させられることになり、その相手として白羽の矢が立ったのは辺境伯家の二女・ディアナだった。「可憐な姫の後が、脳筋な辺境伯んとこの娘って、公爵令息かわいそうに…。これはあれでしょ?『お前を愛するつもりはない!』ってやつでしょ?」  期待も遠慮も捨ててる新妻ディアナと、好青年の仮面をひっ剥がされていく旦那様ラキルスの、『明日はどっちだ』な夫婦のお話。    ※なんちゃって異世界です。なんでもあり、ご都合主義をご容赦ください。  ※新婚夫婦のお話ですが色っぽさゼロです。Rは物騒な方です。  ※ざまあのお話ではありません。軽い読み物とご理解いただけると幸いです。 ※コミカライズにより12/29にて公開を終了させていただきます。

女だけど生活のために男装して陰陽師してますー続・只今、陰陽師修行中!ー

イトカワジンカイ
ホラー
「妖の調伏には因果と真名が必要」 時は平安。 養父である叔父の家の跡取りとして養子となり男装をして暮らしていた少女―暁。 散財癖のある叔父の代わりに生活を支えるため、女であることを隠したまま陰陽師見習いとして陰陽寮で働くことになる。 働き始めてしばらくたったある日、暁にの元にある事件が舞い込む。 人体自然発火焼死事件― 発見されたのは身元不明の焼死体。不思議なことに体は身元が分からないほど黒く焼けているのに 着衣は全く燃えていないというものだった。 この事件を解決するよう命が下り事件解決のため動き出す暁。 この怪異は妖の仕業か…それとも人為的なものか… 妖が生まれる心の因果を暁の推理と陰陽師の力で紐解いていく。 ※「女だけど男装して陰陽師してます!―只今、陰陽師修行中‼―」 (https://www.alphapolis.co.jp/mypage/content/detail/892377141) の第2弾となります。 ※単品でも楽しんでいただけますが、お時間と興味がありましたら第1作も読んでいただけると嬉しいです ※ノベルアップ+でも掲載しています ※表紙イラスト:雨神あきら様

処理中です...