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第三章 あなたの役に立ちたい

⑪ ふたりの暗証番号

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 ふたりはひとまず誰にも見つからないところ、ということで、昨日入っていた牢の前まで走ってきた。

 一度侍女と鉢合わせしそうになったが、隠れて事なきを得た。もちろん侍女が騒いだところで、主人らは機能不全なのだが。
 ただ屋敷外に控えている兵隊が出張ってきても面倒だ。

「っ……ああああ~~!!」
 そこに着くなりユウナギは叫び散らした。

 ナツヒはその青筋立てた、王女が口にするにはお下品な言葉使いの彼女に、目を見張る。こいつにこんな語彙もあったのか、と。
 それで逆に彼は、冷静になれたのだった。

「悔しい……悔しい!!」

 伏して歯を食いしばる彼女を前に、何が起きたのかは想像でしかないが、男に歯が立たない現実に直面したのだろうとナツヒはおもんぱかった。

 彼は今朝、目覚めたらユウナギが腕の中から消えていた事実をかんがみて、1年後の自分らが介入していることは多分に実感したが、川に落ちたユウナギはどちらだったのか、確信が持てずにいた。

 しかし実際こう隣にいると、妙に納得するのだ。このユウナギが川に落ちた、かつ今の彼女だということを。

 1年後のユウナギに多少かつがれた事実にも気が回る。

「どこも怪我してないな? ならここを出て森に潜んでいよう。そのうち元に戻れるだろ」

 ナツヒは、これ以上この屋敷にいても仕方なしと考えているようだ。

 不本意でここに辿り着いてしまったのだから。

 それをユウナギは、承服しかねるといった表情で目を逸らす。

「……ねぇ。この錠前、うちでも作れないかな?」
「さぁ、作れるんじゃねえ? でも必要あるのか?」
「警備兵の数が減らせるよ」

 そうしたら職にあぶれる者が出てくるのでは、とナツヒは思った。

「ナツヒなら左から何番目を正解にする?」
「うーん……」

 そのとき彼は見つけた。ユウナギの左胸の上、普段は衣服に隠れ見えないところだが、はだけているせいで、そこに入った墨の文様が目に飛び込んできたのだ。

「お前の文様のそこ、数の五に見えないか?」
「え? そう?」

 ユウナギも顎を引いて自分の文様を確認する。

 そこで気持ちが落ち着いてきたせいか、急に意識したようだ。

「あんまり、見ないで……」
と顔を少し赤らめて、手で隠すのだった。

「えっ」
 まさかそんな反応をされるとは思わず、ナツヒも狼狽うろたえる。

 おたおたついでに、「でも昨夜はそれどころか……。文様がどこにあるかなんてさっぱり覚えてないぐらい必死だったけどな!」と心の中、早口な独り言をつぶやいた。

 そんな彼の衣服を引っ張って、剥がそうとする現在のユウナギ。

「何するんっ……」
「ナツヒはどこにあるのー? 身分のある男の割りに、普段見えるとこにないよね」
「右肩の後ろっ。ほら」

 無駄に脱がされるのもしゃくなので、すぐに白状して見せた。

「うーん、ここが七みたいかなぁ。じゃあ、錠前ひとつなら私は五、ナツヒは七。錠前ふたつは五七、みっつは五七五!」
「どこで使うんだよそれ」

 いつもの調子が彼女に戻ったことでナツヒは安堵し、早いところ他へ移動することを提案した。
 ここは密室だからやはり長居は良くないと。

 とにかく彼はユウナギの衣服を何とかしたかったので、何を考えてか腰の重い彼女の手を引っ張り衣類庫に向かった。

 そこも人の出入りがある場所だ。用が済んだらふたりでしっかり話すために、川屋の奥、屋敷の角を曲がったところに移動した。


 ナツヒはいちばん知りたいことから聞いた。なぜユウナギは朝一であの男と敵対していたのか、ひいては、なぜこの館から一刻も早く出ようとしないのか、だ。

 もう和議どころではない。いくさも辞さず、という状況だ。あちらは使者である王女の殺害を企てたのだから。

 ユウナギは絶対に反対されることが分かっているので、目線を合わせようとせず、伏し目がちに答える。

「アヅミを国に連れて帰りたい……」
「はあああ? お前を騙して殺そうとした奴だろ!? ありえねえ!」

 ほらきた、と彼女は口を尖らせる。

 実の所ユウナギは、彼がどこまで知っているのか分からない。

 確かあの時アヅミが、ナツヒにこの出来事を見せるために牢から出したと言っていた。

 誰でもない、ナツヒが目撃者であるなら、実際に起きた事故だと祖国に言い張るのに説得力があるわけで。

 でも彼はあれが事故でないことぐらい勘づくだろう。

 彼はアヅミの裏切りを実感している。と、ユウナギは踏んでいた。

「とりあえず一度ちゃんと話をしたい。連れて帰るかどうかはそれから……」

「連れて帰っても、それこそ魚の餌になるだけだ。裏切り者に未来はない」

「彼女が裏切った理由、気にならない?」

「ならない。ここまでしでかした事がでかすぎたら、正当化できる理由なんてこれっぽっちもないからな」

 ナツヒの言うことはもっともである。ユウナギは溜め息をついた。

「彼女ね、あるじを愛してしまったって。私に言ったわ。だから、彼の役に立ちたくてやったことなんだと……」

 ナツヒは眉間にしわを寄せる。

「はあ!? ……もうここで処刑してから帰るか」
「あ、待って。早まらないでっ」

 ユウナギは馬を止まらせるように、どうどうとナツヒをなだめた。

「でも、彼女があんな男に執着するようになってしまったのは、もっと前からの……因果じゃないのかな。国の課した任務があまりに……苦しいものだったんじゃ」

 ユウナギは彼女がナツヒの妹だと聞いた時に、心の片隅で自らの立ち位置を回顧した。

 トバリから妹のように可愛がられ、望めばいつでも相手してくれる友達きょうだいがナツヒで、それがずっと当たり前のこととしてここまできた。

 でもその位置にいるのは、本来なら彼女だったのだ。今なら彼女に思いを寄せることができる、気がする……。

「誰だって任務は時に過酷だよ。それで命を落とすことはいくらでもある」

「ナツヒも過酷な任務に従事してることは知ってるわ。でもあなたは父君も兄様もそばにいる……家族との暮らしの中で、それにあたっているのでしょう? 彼女が何年も寂しさや虚しさを募らせ、背信の道を選んだとしたら……それは、幼い彼女をゆかりない土地に送り、両親から引き離した国の咎よ」

 ナツヒは言葉に詰まる。そのとき彼は遠目に、白い何かがひらひらと空を舞っているのに気付いた。

「どうしたの?」
 その様子を見てユウナギも、彼の視線の先を追う。
 すると、崖の方で何か白いものが降っているのだった。

 それは川に着いても消えず、そのまま流されゆく。

 天から? とふたりが見上げ辿ると、それは殿の西側の壁から吹き出ていた。

「あそこに窓があるな。そこから手が出てる」
「ナツヒよく見えるね?」
「お前見えねえの?」
「あんな先はきつい。書の読み過ぎかな?」
「それ射手としては致命的だぞ」
「あれ、紙だよね?」

 ユウナギはその、はらはら落ちてゆく白い紙きれを、まるで涙のようだと感じた。

「あそこにいるの、アヅミじゃないかな……」

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