運命の人

まる。

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番外編

運命な二人

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 ――私は一体何をしているんだろう。彼と結婚するという事がどういう事かなんてわかっていたはずじゃない。

 叶子との逢瀬を楽しもうとしたが為にジャックの会社の存続が危ぶまれたとき、その手助けを交換条件にしてまで彼を手に入れようとしたカレン。それに、記者達に追いかけられたあの記憶でさえも忘れてしまったのだろうか。
 ジャックは今まで付き合ってきた過去の男性達とはわけが違う。彼と結婚するという事はそれ相応の覚悟が無いと出来ないのだと、プロポーズを受けたあの時納得していたはずだった。

「覚悟が、――足りなかった」

 会場を逃げ出した叶子は、気持ちが安らぐどころかガクガクと身体の震えが止まらず、不安が増すばかりだった。

「――。……っ、」

 控室の扉を叩く音が聞こえ、扉に背を向けていた叶子の肩が大きく揺れた。

「カナ? 入るよ?」

 その声に僅かながらに安堵の表情を浮かべる。どうやら、控え室に逃げ込んだ叶子の元へジャックがやって来た様だった。
 叶子の返事を待たずして扉は開かれる。衣擦れの音が叶子のすぐ傍まで近づいて来た時、部屋の中央にドレスを掴んだまま立ち竦んでいる叶子の背中が、一瞬にしてジャックの温もりに包まれた。
 長い腕を巻きつけるようにして抱き締め、右肩の上に彼の顎がそっと置かれる。何も言わずジャックはただ黙り込み、何も咎めない事がかえって自分の我儘さを露呈しているかの様にも思えた。

「あのっ、ご、ごめんなさい! その……いざとなったら凄く緊張しちゃって」
「うん」
「貴方と結婚したくないとかじゃないの、本当よ?」
「うん」
「結婚するって事は、自分達だけじゃなくてお互いの家も関係してくるんだって改めて実感したというか」
「うん」
「――も、勿論! そんなの最初からわかってたし、それでも貴方と結婚したいって思ったんだけど……。でも現実を目の前にしたら――急に足が竦んじゃったの」
「……うん」

 ジャックは叶子の話に対して何も言わず、ただ何度も優しく頷いてくれる。先程バージンロードを前にして叶子が感じた事と今感じている事。そして、恐らくこれから彼女が感じるであろう不安を全部吐き出すのを邪魔しないように、彼女の言葉に耳を傾けていた。

「少し、……待って欲しいの。時間を、頂戴」
「いいよ? ――僕は何年も君を待たせてしまったんだから」

 柔らかい声で耳元に語りかける彼の声に救われる。決して答えを急かす様な事は言わず、彼女の気持ちが追いつくのを彼はその場で立ち止まり手を差し伸べてくれる。
 ジャックと出会ってからというもの、不安に押しつぶされ、不信で動揺し、不毛な恋をしているのだと叶子は自覚していながら、どうしようもなく彼が好きだと言う感情を消し去る事は出来なかった。必死に足掻いているそんな自分を、ジャックは捨てるどころか淀み無い真っ直ぐな瞳でいつも見つめていてくれる。その瞳を見るたび自分が自分でいられる場所を見つけた様な、そんな気がしていた。

 ・
 ・
 ・
 ・
 ・

 ひとしきり叶子が自分の気持ちを吐き出したのがわかると、彼女を包み込みながら彼がやっと口を開いた。

「どうする? もう、皆に帰ってもらう?」
「え?」
「何なら僕は“トレス”の名前を捨ててもいいよ? 代わりに野嶋家に入れてくれる?」
「なっ、何言って……」
「本気だよ? 結婚式は中止、トレスの名前はいらない。仕事は失うけど、君と子供達くらいは養っていける自信はあるよ」
「ばかっ! そんな事、誰も望んでない!」

 身体に巻き付いた腕を振り解くと、叶子はジャックに向き直った。
 自分がジャックを困らせてしまっている。一度は自分で決めたことだと言うのに、この期に及んで尻込みしてしまうなんて。
 自らが起こした行動に後悔の念が押し寄せる。大きな目に薄っすらと涙を溜めながら下唇を噛んだ。

「ああ、ほら。泣いたら駄目だよ? 唇も噛まないで」
「だって……、私の所為で貴方を困らせちゃって……」
「困ってなんか無いよ? 結構本気で言ってるんだけどな。だって、そうしたら煩わしいしがらみからも逃れる事が出来るし、君や子供達と一緒に居られる時間が増える。――そうだ、いっその事このまま駆け落ちなんてどうかな?」

 そう言って悪戯に笑いながらジャックの大きな掌が叶子の頬をすっぽりと包み込んだ。出会った時と同じく彼の手は温かく、心が次第に落ち着き始めるのがわかる。それが伝わったのかジャックはにっこりと微笑みかけると、口元を引きつらせながらも叶子も笑みを返した。
 ゆっくりとジャックの顔が近づき始める。それを阻む様に彼の胸元に手を置き叶子が距離を取ると、ジャックは不思議そうに首を傾げた。

「?」
「まだ誓いの言葉も言ってないのに、フライングしちゃダメだよ?」
「……カナ」

 落ち着きを取り戻したその様子にジャックは満面の笑みを浮かべると、耐え切れずぎゅっと叶子を抱き締めた。

「ごめんね? 変なこと言って」
「ううん。――結局こうなるってわかってたし」
「そうなの?」
「うん。君をハンドル出来るのは僕だけだって自信があったからね」

 その言葉を聞き、ジャックの両腕を掴んで一気に自分から引き剥がした。訝しげな表情の叶子とは相反して、彼はご満悦といった感じだ。

「――結婚式を中止にするとか、名前を捨てるとか……。もしかして、あれ全部嘘?」
「うーん、嘘じゃないけどそう言ったからと言ってそっちに転ぶとは思わなかったかな」
「酷いっ! なんか騙された気分!」
「まぁまぁ、そう言わずに」

「“終わりよければ全て良し”って言うだろ?」相変わらず古臭い言葉を知っている彼は得意気にそう言うと、ふくれっ面になっている叶子をもう一度自身の腕の中に閉じ込めた。
 ――彼には敵わない。叶子は素直にそう感じた。

「――あのさ、両親が参列してくれたのって実は初めてなんだ。だから大丈夫、心配しないで? ちゃんとカナの事は認めて貰えてるって事だから」
「そ、うなの? ――でも、お義父様はそんな風に見えなかったけど……」

 笑顔を向けてくれる彼の母に対し、彼の父はあからさまに叶子と視線を切った。それが意図するものの要因が一杯あり過ぎて、つい自分を卑下してしまう。

「父はねブランドンに似てるのさ。――ああ、正確には逆だけど」
「……かわいくない?」
「そ」

 二人は抱き合いながら感情を上手く表現する事が出来ない不器用な兄を思い浮かべて、クスクスと笑い合っていた。

「そう言えばブランドンさんは? さっき見えなかったけど」
「……うん、実はね。急遽“大事な人”に逢いに行ったんだ」
「へぇー、そんな人いたんだ。弟の晴れ姿を見るよりよっぽどその人の方が大事なんだね」
「うん……。比べ物にならないくらいにね」

 何処と無く声のトーンが落ちた気がして、腕の中でジャックを見上げる。視線を向けられている事に気付いたジャックは、いつも通りの穏やかな表情を浮かべていた。


 ◇◆◇

「さて、お手をどうぞ? レディ?」
「もう!」

 再び流れ出した結婚行進曲と共に、ジャックと叶子がアーチをくぐって赤い絨毯に足を踏み入れた。出番を失った彼女の父親にジャックは頭を下げると、そのまま腕を組んで二人は祭壇へとゆっくりと歩き出す。
 先程まではあんなに怖かったこの場所が、彼が隣にいるだけで全然別のものに感じてしまう。参列者の表情も叶子が気に病んでいたのが嘘の様に皆笑顔で溢れていた。

 この先どんな困難が待ち受けようとも、こうして互いに手を取り合い進んでいけると確信する。時には立ち止まる事もあるかも知れないが、それでも後退する事無くいずれは前に向かって進んで行けるはず。

 盛大に沸き起こる拍手の渦の中、しっかりと手を取り合った二人は前を向き、これからの“二人の運命”に向かって、その一歩を共に踏み出した。



 ~番外編・THE END~





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