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第7章 確執
第13話~ヒーロー~
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まだ幼い頃、友達と喧嘩して帰ると決まって『相手を信じなければ自分の事も信じてもらえないよ?』と、両親に言われていたのを思い出した。自分の話に賛同して欲しかっただけなのに逆の事を言われ、少し悲しかったのを良く覚えている。
大人になってからはその言葉の意味が少しわかった様な気がしたものの、平気で嘘やデマがあちらこちらで飛び交う今の世の中、全てを信じてしまうと身の破滅をもしかねない様なこの現実に震えながらも、根っからの悪人なんていないんだ、皆、何か理由があって仕方なくしている事なのだと思う様にしていた。
周りからは『危機管理が全然なってない』と良く言われる。突然家にやって来た見知らぬ人から何万もするガラス細工を買ったり、知り合いのそのまた知り合いの友人という人からウン十万もする浄水器を買ったりしても、それでこの人達が満足するならいいじゃないか、と思うようにしていた。
(本当にそれで良かったのかな?)
心の中で問いかけても返事は返ってこない。
そんな事を考えながら、普段見慣れないダイニングの白い天井をボーっと眺めていた。
顔を横に向けるとテーブルと椅子の足がすぐ側にあって、それらが酷く汚れていた事に気付く。ああ、起き上がったら掃除しなきゃなと思った次に、何故、今は出来ないんだったかなとふと冷静になる。
(……ああ、そうか。今、正博の両手が私の首を絞めてるからか)
――なるほど。
予想もつかない事が今まさに起こり、どうしてこうなっているのかすら考える事を止めてしまった叶子は一人納得し、徐々に苦しくなってくる呼吸に眉を寄せた。
(死ぬのかな? 私――)
心なしか首を絞める力は緩んだと思えば、また強くなるを繰り返している。致命傷を与えるほどの圧迫感はあまり無いが、目前にある正博の歪んだ顔が叶子の心を苦しめた。
きっと、正博はこんな事をしたい訳ではないのだろう。きっと今は、そうせざるを得ない何らかの感情が彼を突き動かしているのだと、首を絞められていてもまだ正博と言う人間を信じていた。
このままずっとこんな事を繰り返していると、きっともう元の生活を送ることは出来ないだろう。
薄れ行く意識の中で、最期に彼に会いたかったなと後悔しながらゆっくりと目を閉じた。
――ピンッ、シュボッ……カチンッ
「……ぅ、っく…、――? ゴホッ、ゴホッ――」
近くで金属音が聞こえてきて、閉じていた瞼をゆっくりと開いた。と、同時に首が急に楽になり、突然入ってきた酸素に思いっきりむせてしまう。叶子の上に跨っていた正博が弾かれるように離れたかと思うと、直ぐに床に額をつけ土下座をした。
やっと身体が開放され、首と胸を押さえながら横向きになる。ゲホッゲホッとむせながら正博が頭を下げる先にぼんやり目をやると、大きな瞳がこちらをじーっと見つめているのがわかった。
「ジ、ジャックさん! すみません!! あ、あの……これは!!」
「……ジャッ……? ……ケホッ、ゴホッ」
ふぅーっとタバコの煙を吐き出し、高みの見物をしているその人物は素っ頓狂な声を出した。
「あれ? もう終りか? 俺に遠慮せず続きやれよ?」
「いや、そんな……、これには深い事情があって……。僕、本気でそんな事するつもりは全然無くって」
正博が「ジャック」と呼んだその人物は、紛れも無くブランドンだった。
パーティー帰りなのが良くわかる三つ揃えの細身のダークスーツに幅広のアスコットタイをピンで留め、携帯灰皿にトントンと灰を落としている。ニヤリと笑うその姿に、背筋をゾワリとさせられた。
「なんだ、もう本当に止めるのか? つまらんな」
「っ、」
タバコを携帯灰皿に押し付けながら蓋を閉めると、それを内ポケットにしまいこんだ。
「じゃあ、仕方ない。ちょっと俺と話しでもするか?」
「……。――ぐぁっ!!」
額を床につけている頭めがけ、ブランドンの足が容赦なく振り下ろされた。ゴリッと鈍い音が聞こえると、叶子は直視することが出来ずに目を瞑った。
「ブ、ラ……ん、――めて……」
まだ声が上手く出なければ身体も自由が利かない。訴えかけるように視線をやると、背後に真っ黒なオーラを纏い薄ら笑いを浮かべているブランドンに、叶子の方が縮み上がってしまった。
「お前、誰だ?」
「う、ぅう、……え?」
「ジャックと顔見知りみたいだな」
「……? ――!! あ、も、もしかしてブランドンさんですかっ!?」
「俺が先に聞いている」
「ぐぁっ!!」
ゴリッとまた、頭を踏みつける音がした。
「ぼ、僕はラ・トゥールの中村です!」
「ラ・トゥール? ああ、カレンのお気に入りの店か」
「そ、そうです」
「ブラ……ドンさん、も……止めて」
床を這いながらブランドンに手を伸ばす叶子をチラッと見下ろすと、「チッ」っと舌打ちをしてゆっくりと足を下ろし、そのまま正博の目の前にしゃがみ込んだ。
「おい、顔を上げろ」
「っ、」
正座をして少しうつむき加減になった正博は、己のしてしまった事が怖くなったのかガクガクと小刻みに震え出した。
「で? そのお前が、何でここにいる?」
「そ、それは、あの。……ぼっ、僕の荷物を取りに来まして」
「荷物? 単なるギャルソンが何でカナコの家に自分の荷物を置いてるんだ? あ?」
「その……昔、ちょっと……ありまして」
どこまで話すべきかを悩んでいるのか、正博は言葉を濁した。勘のいいブランドンはその様子を見て、「ああ」と呟いた。
「――なんだ、お前カナコと付き合ってたのか」
「は、い」
みるみる薄ら笑いが消えていく。と思えば、どこか遠くを見る様に焦点の合わない目で正博を睨み付けた。
「お前、自分がやった事わかってんだろうな?」
「す、すみませんっ!!」
ブランドンの問い掛けに恐怖心がわいたのか、再び額を床につけた。床にひれ伏す正博を見下ろすブランドンの三白眼の目が、ギリッとつり上がって行った。
ブランドンはゆっくりと立ち上がると、一旦正博に対して背中を見せ大きく肩を上下させる。そして次の瞬間、急に振り返ると、
「……『すみません』で済むと思ってんのか!?」
ボゴンッと鈍い音と共に人間が出すような声とは思えないうめき声を上げながら、ヨロヨロと正博が床に崩れ落ちた。それでも尚、蹴るのを止めないブランドンに叶子は怖くなり、なんとか止めさせようとして自身がマサヒロに覆い被さる。寸前でブランドンの蹴りが止められたと同時に、頭上から怒号が聞こえた。
「っ、カナコ! どけっ! こいつ、お前を殺そうとしてやがったんだぞ、情けなんかいらんだろっ!?」
「だ、駄目です! それじゃあ、ブランドンさんが悪者になっちゃう!」
咳き込みながらも正博から決して離れようとしないのを見て、ブランドンの様子が変わった。
「お、前――」
「もう、行って――正博」
叶子にそう促されると、力なく立ち上がった正博は二人にもう一度頭を下げた。
唇の端をギリッと噛み締めながら正博を睨みつけるブランドンの横を通り、正博は自分の荷物を持って部屋から出て行った。
「――」
まだ立ち上がることが出来ない叶子の前にブランドンは跪くと、顎をすくわれる。彼女の喉の左右を何度も見比べては、「チッ」っと舌打ちをした。
「赤くなってるな」
「あの、ブランドンさん、どうしてここに?」
「ああ、お前に伝えなきゃならん事があってな。よく考えたらお前の電話番号を知らなかったから直接来て見たら、部屋のドアがあの男のスニーカーが挟まってて開いてたんだ。で、中からお前の悲鳴が聞こえたから入ってみたら案の定――」
そこまで言うと、「はぁっ」と大きく溜息をついた。
「お前って、正真正銘の馬鹿だな」
あきれながらもその場に胡坐をかいて座り込むと、内ポケットからタバコを取り出し火をつけた。
「あの」
「あ?」
「うちの家、禁煙なんです。……それと、靴――」
「ん? ……あ、ああ、悪い、悪い」
ブランドンはほんのりと顔を赤くしながらタバコを携帯灰皿に押し付けると、ピカピカに磨き上げた革靴をカポッと脱いだ。
靴を履いたまま家に上がってしまった事で、冷静に対応している様に見えて実は結構慌てていたのだと知った。
大人になってからはその言葉の意味が少しわかった様な気がしたものの、平気で嘘やデマがあちらこちらで飛び交う今の世の中、全てを信じてしまうと身の破滅をもしかねない様なこの現実に震えながらも、根っからの悪人なんていないんだ、皆、何か理由があって仕方なくしている事なのだと思う様にしていた。
周りからは『危機管理が全然なってない』と良く言われる。突然家にやって来た見知らぬ人から何万もするガラス細工を買ったり、知り合いのそのまた知り合いの友人という人からウン十万もする浄水器を買ったりしても、それでこの人達が満足するならいいじゃないか、と思うようにしていた。
(本当にそれで良かったのかな?)
心の中で問いかけても返事は返ってこない。
そんな事を考えながら、普段見慣れないダイニングの白い天井をボーっと眺めていた。
顔を横に向けるとテーブルと椅子の足がすぐ側にあって、それらが酷く汚れていた事に気付く。ああ、起き上がったら掃除しなきゃなと思った次に、何故、今は出来ないんだったかなとふと冷静になる。
(……ああ、そうか。今、正博の両手が私の首を絞めてるからか)
――なるほど。
予想もつかない事が今まさに起こり、どうしてこうなっているのかすら考える事を止めてしまった叶子は一人納得し、徐々に苦しくなってくる呼吸に眉を寄せた。
(死ぬのかな? 私――)
心なしか首を絞める力は緩んだと思えば、また強くなるを繰り返している。致命傷を与えるほどの圧迫感はあまり無いが、目前にある正博の歪んだ顔が叶子の心を苦しめた。
きっと、正博はこんな事をしたい訳ではないのだろう。きっと今は、そうせざるを得ない何らかの感情が彼を突き動かしているのだと、首を絞められていてもまだ正博と言う人間を信じていた。
このままずっとこんな事を繰り返していると、きっともう元の生活を送ることは出来ないだろう。
薄れ行く意識の中で、最期に彼に会いたかったなと後悔しながらゆっくりと目を閉じた。
――ピンッ、シュボッ……カチンッ
「……ぅ、っく…、――? ゴホッ、ゴホッ――」
近くで金属音が聞こえてきて、閉じていた瞼をゆっくりと開いた。と、同時に首が急に楽になり、突然入ってきた酸素に思いっきりむせてしまう。叶子の上に跨っていた正博が弾かれるように離れたかと思うと、直ぐに床に額をつけ土下座をした。
やっと身体が開放され、首と胸を押さえながら横向きになる。ゲホッゲホッとむせながら正博が頭を下げる先にぼんやり目をやると、大きな瞳がこちらをじーっと見つめているのがわかった。
「ジ、ジャックさん! すみません!! あ、あの……これは!!」
「……ジャッ……? ……ケホッ、ゴホッ」
ふぅーっとタバコの煙を吐き出し、高みの見物をしているその人物は素っ頓狂な声を出した。
「あれ? もう終りか? 俺に遠慮せず続きやれよ?」
「いや、そんな……、これには深い事情があって……。僕、本気でそんな事するつもりは全然無くって」
正博が「ジャック」と呼んだその人物は、紛れも無くブランドンだった。
パーティー帰りなのが良くわかる三つ揃えの細身のダークスーツに幅広のアスコットタイをピンで留め、携帯灰皿にトントンと灰を落としている。ニヤリと笑うその姿に、背筋をゾワリとさせられた。
「なんだ、もう本当に止めるのか? つまらんな」
「っ、」
タバコを携帯灰皿に押し付けながら蓋を閉めると、それを内ポケットにしまいこんだ。
「じゃあ、仕方ない。ちょっと俺と話しでもするか?」
「……。――ぐぁっ!!」
額を床につけている頭めがけ、ブランドンの足が容赦なく振り下ろされた。ゴリッと鈍い音が聞こえると、叶子は直視することが出来ずに目を瞑った。
「ブ、ラ……ん、――めて……」
まだ声が上手く出なければ身体も自由が利かない。訴えかけるように視線をやると、背後に真っ黒なオーラを纏い薄ら笑いを浮かべているブランドンに、叶子の方が縮み上がってしまった。
「お前、誰だ?」
「う、ぅう、……え?」
「ジャックと顔見知りみたいだな」
「……? ――!! あ、も、もしかしてブランドンさんですかっ!?」
「俺が先に聞いている」
「ぐぁっ!!」
ゴリッとまた、頭を踏みつける音がした。
「ぼ、僕はラ・トゥールの中村です!」
「ラ・トゥール? ああ、カレンのお気に入りの店か」
「そ、そうです」
「ブラ……ドンさん、も……止めて」
床を這いながらブランドンに手を伸ばす叶子をチラッと見下ろすと、「チッ」っと舌打ちをしてゆっくりと足を下ろし、そのまま正博の目の前にしゃがみ込んだ。
「おい、顔を上げろ」
「っ、」
正座をして少しうつむき加減になった正博は、己のしてしまった事が怖くなったのかガクガクと小刻みに震え出した。
「で? そのお前が、何でここにいる?」
「そ、それは、あの。……ぼっ、僕の荷物を取りに来まして」
「荷物? 単なるギャルソンが何でカナコの家に自分の荷物を置いてるんだ? あ?」
「その……昔、ちょっと……ありまして」
どこまで話すべきかを悩んでいるのか、正博は言葉を濁した。勘のいいブランドンはその様子を見て、「ああ」と呟いた。
「――なんだ、お前カナコと付き合ってたのか」
「は、い」
みるみる薄ら笑いが消えていく。と思えば、どこか遠くを見る様に焦点の合わない目で正博を睨み付けた。
「お前、自分がやった事わかってんだろうな?」
「す、すみませんっ!!」
ブランドンの問い掛けに恐怖心がわいたのか、再び額を床につけた。床にひれ伏す正博を見下ろすブランドンの三白眼の目が、ギリッとつり上がって行った。
ブランドンはゆっくりと立ち上がると、一旦正博に対して背中を見せ大きく肩を上下させる。そして次の瞬間、急に振り返ると、
「……『すみません』で済むと思ってんのか!?」
ボゴンッと鈍い音と共に人間が出すような声とは思えないうめき声を上げながら、ヨロヨロと正博が床に崩れ落ちた。それでも尚、蹴るのを止めないブランドンに叶子は怖くなり、なんとか止めさせようとして自身がマサヒロに覆い被さる。寸前でブランドンの蹴りが止められたと同時に、頭上から怒号が聞こえた。
「っ、カナコ! どけっ! こいつ、お前を殺そうとしてやがったんだぞ、情けなんかいらんだろっ!?」
「だ、駄目です! それじゃあ、ブランドンさんが悪者になっちゃう!」
咳き込みながらも正博から決して離れようとしないのを見て、ブランドンの様子が変わった。
「お、前――」
「もう、行って――正博」
叶子にそう促されると、力なく立ち上がった正博は二人にもう一度頭を下げた。
唇の端をギリッと噛み締めながら正博を睨みつけるブランドンの横を通り、正博は自分の荷物を持って部屋から出て行った。
「――」
まだ立ち上がることが出来ない叶子の前にブランドンは跪くと、顎をすくわれる。彼女の喉の左右を何度も見比べては、「チッ」っと舌打ちをした。
「赤くなってるな」
「あの、ブランドンさん、どうしてここに?」
「ああ、お前に伝えなきゃならん事があってな。よく考えたらお前の電話番号を知らなかったから直接来て見たら、部屋のドアがあの男のスニーカーが挟まってて開いてたんだ。で、中からお前の悲鳴が聞こえたから入ってみたら案の定――」
そこまで言うと、「はぁっ」と大きく溜息をついた。
「お前って、正真正銘の馬鹿だな」
あきれながらもその場に胡坐をかいて座り込むと、内ポケットからタバコを取り出し火をつけた。
「あの」
「あ?」
「うちの家、禁煙なんです。……それと、靴――」
「ん? ……あ、ああ、悪い、悪い」
ブランドンはほんのりと顔を赤くしながらタバコを携帯灰皿に押し付けると、ピカピカに磨き上げた革靴をカポッと脱いだ。
靴を履いたまま家に上がってしまった事で、冷静に対応している様に見えて実は結構慌てていたのだと知った。
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