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第7章 確執
第11話~悋気(りんき)~
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「すみません。食事代出して頂いた上に、送ってもらっちゃって」
「いや。――それにしてもカナコは細いくせにマジで良く食うな。金が足りるか心配になった」
「そ、それは言いすぎですよ! あのお店、凄く美味しかったんで仕方無いです!」
「だろ?」
部屋の前まで送ってくれた口の悪い紳士との戯れが、だんだん心地良いものに変わっていく。最初の印象こそあまり良くは無かったが、やはりそこはジャックと血の繋がった兄弟。根っから悪い人では無いのだろう。お気に入りのお店を褒められて得意気にしているブランドンは、何処か可愛いとさえ思えた。
「あの、明日のパーティーは彼も出るんですよね?」
「ああ。何だ? カナコも一緒に行きたいのか? 別にいいぞ?」
「あ、いや、そんなんじゃないです! ちょっと彼と話ししたいなと思っただけですので……。また違う日にでも聞いてみます」
「ふーん。ま、明日あいつにカナコがんな事言ってたって言っておいてやるよ」
「あ、じゃあ、お願いします」
「りょーかい。――んじゃ、また」
ブランドンが顔を寄せてきて、叶子も自然と左頬を差し出した。ジャックと付き合いだしてから外国人と会う機会が増え、こういった挨拶にも随分慣れてしまった。
ただ困った事に、彼の前で他の男性に同じことをされると、彼が急に大声を出して相手の気を逸らそうとしたり、彼よりも目上の人であれば、こっちがヒヤヒヤするくらい物凄い目つきでじーっと見られている気配を感じたりする。その事を後で咎めると必ずと言っていいほど、
『だってさ、僕の恋人だって紹介してるのに、あんな事するなんて失礼だよ! あれ絶対わざと僕に見せ付けるためにしてるんだ! ほんっと、みんな意地が悪いよ』
と被害妄想全開で捲くし立てていたのを思い出し、不意に目尻が下がった。
「有難う御座いました」
近づいてきていたブランドンの唇が頬に触れる間際に、今日一日のお礼の意を込めてそう言うと、ピタッと動きを止めた。
「?」
「――言うな」
「ひやっ、」
不意に、耳元で低音の声で囁かれ、思わず身体が反応して肩を竦めた。首を竦めている状態でブランドンがくっと笑う声が聞こえたと思ったら、頬にチュッとサヨナラのキスが振ってきた。
「お前、感度良すぎ」
「やっ! また、もうっ!」
またもや耳元で囁かれると、声を出す度に吐かれる息が耳にかかり、耐え切れず両手で耳を押さえながら後退った。
「んじゃあな、ちゃんと歯磨いて寝ろよ」
叶子の頭に手を置くと、憎たらしい顔つきでぐしゃぐしゃっと髪をかき回してからその場を去っていった。
「こっ、子供じゃないんですからっ!」
叶子が投げ掛けた言葉に背を向けたまま、ブランドンは手を振った。
・
・
・
・
・
叶子は部屋に入ると、先程ブランドンが呟いた言葉の意味を考えていた。『言うな』と耳元で言われて肩を竦めた。その直前に言った言葉は、確か……『有難う御座いました』だ。
「――お礼を言っちゃイケナイって事?」
考えてみてもよくわからず、「変なの」とひとりごちると頭を捻った。
◇◆◇
「えっ、もしもし? 私、カナです」
珍しく一発で繋がった電話に、自分から掛けておきながら驚いてしまう。
「カナ? どうしたの? 君がかけて来てくれるなんて珍しいね」
呑気にそう言われて眉間に皺が寄った。
今まで何度も自分から電話をした事があるが、繋がる方が稀だった。彼はメールもあまり好きでは無いと言うのに、良く電源を切っているか電波の届かない所にいる事が多い。だから、自分から電話を掛けてイライラを募らせるよりもいっその事すっぱり諦め、彼からの連絡を待つ方が精神的にいいと思っているなどジャックは知らないのだろう。悪気はないとは言え、素直に喜ぶことは出来なかった。
「あのね、今晩少し時間ある?」
「え? 電話ですら嬉しいのに、君から誘ってくれてるの? もう盆と正月がいっぺんに来たみたいだよ!」
「そんな言葉、良く知ってるのね……」
アメリカでの生活の方が長いくせに、そんな年寄り染みた言葉を知ってるだなんてなんだか笑える。時折垣間見えるそのギャップに叶子はムッとしていたのも忘れ、いつの間にか笑みが零れていた。
「んー、でも今日はうちの社が主催のパーティーがあるからなぁ」
「あ、らしいね。ブランドンさんに聞いた」
「……ブランドンに?」
一気に声の波長が変わって、思わずギョッとした。
ああ、きっと彼は今までの経験から、ブランドンと自分の事を疑っているのだと咄嗟に思った叶子は、後ろめたい事なんてこれっぽっちもないんだよと言わんばかりに、聞かれても無い事をペラペラと話し始めてしまった。
「あ、うん。昨日リッチホテルに行ったらね、偶然出くわしちゃって!で、焼き鳥ご馳走になっちゃったの。あんなとこ行った事無かったから、凄くおもしろかったよー。しかも、滅茶苦茶おいしいの! お店の人もね――」
「……」
気付けば一人だけはしゃいでいて、ジャックはただ静かに叶子の話を聞いていた。
「も、もしもし?」
「何?」
(な、なんか怖い! 怒ってる!?)
電話越しでもわかる絶対零度の低い声を聞き、一気に背筋がピンと伸びる。今までこれ程あからさまに妬いている、と言うかキレている彼を見た事は無く、どう対処すればいいのかすらわからない。健人の時でも、まるで相手にしていない様な素振りで余裕綽々だった。だから、健人も対等に見られていない事が鼻につくのか一層ムキになり、ジャックに食って掛かっていた。
相手が違えば、こうも違うものなのかと、思わず納得してしまった。
「――で?」
「え?」
「カナは何でリッチに行ったのかな?」
電話だから顔はうかがい知れないが、目が据わってると思わざるを得ない程の冷ややかな声。何も悪い事をしているわけではないと言うのに恐怖で目が泳いでしまい、心の底から電話で良かったとホッと胸を撫で下ろした。
「あ、えーっとね。今度会社の創立記念パーティーの幹事をやらされる事になっちゃって。それで会場探しでリッチに行ったのよ?」
「ふーん。……誰と?」
「えっ?」
「……」
ジャックはまたもやだんまりを決め込んでいる。彼の会社に招待状を出すと決まっている時点で、健人が幹事なのは後々わかることだ。ここで嘘を吐けば余計に話がこじれてしまうと思った叶子は、正直に言うことにした。
「あっの、健人と……」
「っ!?」
一瞬、電話の向こうから大きく息を吸い込む音が聞こえて、受話器を思わず離してしまった。構えていたものの何も聞こえてこないとわかり、そっともう耳を近付ける。
「あっ、そう」
戦慄き声でポツリと呟くと、再びジャックは黙り込んでしまった。
「あのぅ……?」
「……」
「それで、ね?」
「……」
「今日の夜なんだけど」
「――無理」
それだけ言うと、プツリと電話が切られてしまった。
「……ええぇーーっ?? 何なのよっ!?」
ツーッ、ツーッ、ツーッ、としか聞こえない電話に目を丸くすると、携帯電話をソファーに向かって放り投げた。
◇◆◇
翌日、腹立たしい気持ちをなんとか落ち着かせ、相手の立場にたってじっくり考えてみた。彼の気持ちを考えてみると、ああいった態度に出たのも仕方がないのかも知れないと思い直した叶子は、仲直りするために何度かかけなおしてみるが、既に電源が切られてしまってどうにも出来ないでいた。彼とこんな状態のまま電話も繋がらないなんて不安で不安でしょうがない。
「――」
部屋に置いてある時計を見上げると、時刻はまだ二十二時を過ぎた所。確か、あのパーティーは二十三時迄だった筈だから、今から行けば間に合うかもしれない。
そう思うや否や、急いで身支度をしてコートを引っ掴んだ。
「――。……?」
こんな時間に突然部屋のチャイムが鳴り、思わず笑みが零れ落ちた。きっと、彼も大人気ないと反省して会いにきてくれたのだろうと、掴んでいたコートを放り投げると急いで玄関の扉を開けた。
「ジャッ――! ……っ、――」
そこには、今ここにいるはずの無い人物が薄笑いを浮かべていた。
「いや。――それにしてもカナコは細いくせにマジで良く食うな。金が足りるか心配になった」
「そ、それは言いすぎですよ! あのお店、凄く美味しかったんで仕方無いです!」
「だろ?」
部屋の前まで送ってくれた口の悪い紳士との戯れが、だんだん心地良いものに変わっていく。最初の印象こそあまり良くは無かったが、やはりそこはジャックと血の繋がった兄弟。根っから悪い人では無いのだろう。お気に入りのお店を褒められて得意気にしているブランドンは、何処か可愛いとさえ思えた。
「あの、明日のパーティーは彼も出るんですよね?」
「ああ。何だ? カナコも一緒に行きたいのか? 別にいいぞ?」
「あ、いや、そんなんじゃないです! ちょっと彼と話ししたいなと思っただけですので……。また違う日にでも聞いてみます」
「ふーん。ま、明日あいつにカナコがんな事言ってたって言っておいてやるよ」
「あ、じゃあ、お願いします」
「りょーかい。――んじゃ、また」
ブランドンが顔を寄せてきて、叶子も自然と左頬を差し出した。ジャックと付き合いだしてから外国人と会う機会が増え、こういった挨拶にも随分慣れてしまった。
ただ困った事に、彼の前で他の男性に同じことをされると、彼が急に大声を出して相手の気を逸らそうとしたり、彼よりも目上の人であれば、こっちがヒヤヒヤするくらい物凄い目つきでじーっと見られている気配を感じたりする。その事を後で咎めると必ずと言っていいほど、
『だってさ、僕の恋人だって紹介してるのに、あんな事するなんて失礼だよ! あれ絶対わざと僕に見せ付けるためにしてるんだ! ほんっと、みんな意地が悪いよ』
と被害妄想全開で捲くし立てていたのを思い出し、不意に目尻が下がった。
「有難う御座いました」
近づいてきていたブランドンの唇が頬に触れる間際に、今日一日のお礼の意を込めてそう言うと、ピタッと動きを止めた。
「?」
「――言うな」
「ひやっ、」
不意に、耳元で低音の声で囁かれ、思わず身体が反応して肩を竦めた。首を竦めている状態でブランドンがくっと笑う声が聞こえたと思ったら、頬にチュッとサヨナラのキスが振ってきた。
「お前、感度良すぎ」
「やっ! また、もうっ!」
またもや耳元で囁かれると、声を出す度に吐かれる息が耳にかかり、耐え切れず両手で耳を押さえながら後退った。
「んじゃあな、ちゃんと歯磨いて寝ろよ」
叶子の頭に手を置くと、憎たらしい顔つきでぐしゃぐしゃっと髪をかき回してからその場を去っていった。
「こっ、子供じゃないんですからっ!」
叶子が投げ掛けた言葉に背を向けたまま、ブランドンは手を振った。
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叶子は部屋に入ると、先程ブランドンが呟いた言葉の意味を考えていた。『言うな』と耳元で言われて肩を竦めた。その直前に言った言葉は、確か……『有難う御座いました』だ。
「――お礼を言っちゃイケナイって事?」
考えてみてもよくわからず、「変なの」とひとりごちると頭を捻った。
◇◆◇
「えっ、もしもし? 私、カナです」
珍しく一発で繋がった電話に、自分から掛けておきながら驚いてしまう。
「カナ? どうしたの? 君がかけて来てくれるなんて珍しいね」
呑気にそう言われて眉間に皺が寄った。
今まで何度も自分から電話をした事があるが、繋がる方が稀だった。彼はメールもあまり好きでは無いと言うのに、良く電源を切っているか電波の届かない所にいる事が多い。だから、自分から電話を掛けてイライラを募らせるよりもいっその事すっぱり諦め、彼からの連絡を待つ方が精神的にいいと思っているなどジャックは知らないのだろう。悪気はないとは言え、素直に喜ぶことは出来なかった。
「あのね、今晩少し時間ある?」
「え? 電話ですら嬉しいのに、君から誘ってくれてるの? もう盆と正月がいっぺんに来たみたいだよ!」
「そんな言葉、良く知ってるのね……」
アメリカでの生活の方が長いくせに、そんな年寄り染みた言葉を知ってるだなんてなんだか笑える。時折垣間見えるそのギャップに叶子はムッとしていたのも忘れ、いつの間にか笑みが零れていた。
「んー、でも今日はうちの社が主催のパーティーがあるからなぁ」
「あ、らしいね。ブランドンさんに聞いた」
「……ブランドンに?」
一気に声の波長が変わって、思わずギョッとした。
ああ、きっと彼は今までの経験から、ブランドンと自分の事を疑っているのだと咄嗟に思った叶子は、後ろめたい事なんてこれっぽっちもないんだよと言わんばかりに、聞かれても無い事をペラペラと話し始めてしまった。
「あ、うん。昨日リッチホテルに行ったらね、偶然出くわしちゃって!で、焼き鳥ご馳走になっちゃったの。あんなとこ行った事無かったから、凄くおもしろかったよー。しかも、滅茶苦茶おいしいの! お店の人もね――」
「……」
気付けば一人だけはしゃいでいて、ジャックはただ静かに叶子の話を聞いていた。
「も、もしもし?」
「何?」
(な、なんか怖い! 怒ってる!?)
電話越しでもわかる絶対零度の低い声を聞き、一気に背筋がピンと伸びる。今までこれ程あからさまに妬いている、と言うかキレている彼を見た事は無く、どう対処すればいいのかすらわからない。健人の時でも、まるで相手にしていない様な素振りで余裕綽々だった。だから、健人も対等に見られていない事が鼻につくのか一層ムキになり、ジャックに食って掛かっていた。
相手が違えば、こうも違うものなのかと、思わず納得してしまった。
「――で?」
「え?」
「カナは何でリッチに行ったのかな?」
電話だから顔はうかがい知れないが、目が据わってると思わざるを得ない程の冷ややかな声。何も悪い事をしているわけではないと言うのに恐怖で目が泳いでしまい、心の底から電話で良かったとホッと胸を撫で下ろした。
「あ、えーっとね。今度会社の創立記念パーティーの幹事をやらされる事になっちゃって。それで会場探しでリッチに行ったのよ?」
「ふーん。……誰と?」
「えっ?」
「……」
ジャックはまたもやだんまりを決め込んでいる。彼の会社に招待状を出すと決まっている時点で、健人が幹事なのは後々わかることだ。ここで嘘を吐けば余計に話がこじれてしまうと思った叶子は、正直に言うことにした。
「あっの、健人と……」
「っ!?」
一瞬、電話の向こうから大きく息を吸い込む音が聞こえて、受話器を思わず離してしまった。構えていたものの何も聞こえてこないとわかり、そっともう耳を近付ける。
「あっ、そう」
戦慄き声でポツリと呟くと、再びジャックは黙り込んでしまった。
「あのぅ……?」
「……」
「それで、ね?」
「……」
「今日の夜なんだけど」
「――無理」
それだけ言うと、プツリと電話が切られてしまった。
「……ええぇーーっ?? 何なのよっ!?」
ツーッ、ツーッ、ツーッ、としか聞こえない電話に目を丸くすると、携帯電話をソファーに向かって放り投げた。
◇◆◇
翌日、腹立たしい気持ちをなんとか落ち着かせ、相手の立場にたってじっくり考えてみた。彼の気持ちを考えてみると、ああいった態度に出たのも仕方がないのかも知れないと思い直した叶子は、仲直りするために何度かかけなおしてみるが、既に電源が切られてしまってどうにも出来ないでいた。彼とこんな状態のまま電話も繋がらないなんて不安で不安でしょうがない。
「――」
部屋に置いてある時計を見上げると、時刻はまだ二十二時を過ぎた所。確か、あのパーティーは二十三時迄だった筈だから、今から行けば間に合うかもしれない。
そう思うや否や、急いで身支度をしてコートを引っ掴んだ。
「――。……?」
こんな時間に突然部屋のチャイムが鳴り、思わず笑みが零れ落ちた。きっと、彼も大人気ないと反省して会いにきてくれたのだろうと、掴んでいたコートを放り投げると急いで玄関の扉を開けた。
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