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第1章 導き
第25話~行動~
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冷えた空気が漂う冬の朝。叶子は冷たくなった自分の腕に気付き目を覚ました。その手には携帯電話がしっかりと握られていて、昨晩、彼からの電話を待ちつつベッドにもぐりこんだまま、気が付けば朝を迎えていた事を思い返した。
急いで着信履歴を確認してみるも結局昨晩も彼からの着信は無かった。その事実が寝起きの頭を無理に起こし、いかに自分にとって彼の存在が大きいものなのか、今やっと気付かされたのだった。
(仕事、忙しいのかな。――夜にもう一度かけ直そう)
会えないと思うと会いたくなる。
声を聞けないと思うと、途端に声を聞きたくなる。
奇しくも、繋がらない電話が叶子の今の気持ちを明確にさせた。
◇◆◇
「ジャック? ――グレース、ジャックはどこ?」
「ほ? 坊ちゃんなら血相変えてバルコニーに飛び出して行きましたよ」
グレースが片手で腰を叩きながら指差した方を見ると、携帯電話片手にバルコニーの手すりに肘をつき話をしているジャックを見つけた。カレンはバルコニーにそっと近づき窓を少し開けて彼の様子を伺った。
「あ、うん。ごめんちょっと忙しくて。――僕も、……話があるんだ」
会話の内容でカナと話をしているのだと悟ったカレンは、思い切り窓を開け放つと、ジャックの背後から両腕を巻きつけて抱きつき、空々しく彼に話しかけた。
「ジャック? 食事の準備が出来たわよ。今日は貴方の好きなものばかり作ったわ」
電話の向こうから『チュッ』と言うリップ音が聞こえ、鈍感な叶子でもただならぬ雰囲気を察して、体中から血の気が引いていくのが良くわかった。電話の向こうにカレンが居る。そして、カレンはきっと彼の事が……。
「わかった。後で行くから先に行ってて」
受話器を手で押さえながら話していたようだが、会話は全て筒抜けだった。
「あ、ごめん。えっと……今日、もし良かったら今から行ってもいいかな?」
ジャックからそう言われて叶子は部屋の時計に目をやると、もうすぐ今日という日が終わりを告げる程の時間になっていた。明日は朝早くから大事な会議がある。脳裏にすぐ浮かんだが、叶子はジャックに会いたいが故にその申し出を断る事が出来なかった。
ジャックは電話を切ると急いで部屋の中へ戻り、コートハンガーから上着を剥ぎ取るようにしてリビングを後にした。
「ちょっと出てくるよ。食事は帰ったら食べるからね」
カレンが後を追ってきた事に気付きそう告げると、カレンは血相を変えてジャックに噛み付いた。
「あの娘の所に行くのね!? そうなんでしょ、ジャック!」
カレンの問いかけに即答出来ずしばらく無言になる。そして、何処か割り切れた様な態度に変わると、
「ごめん」
ただ、一言だけそう言って、長い廊下を走り出した。
夜の闇を切り裂くように無我夢中で車を走らせた。ハンドルを握る手が少し汗ばみ、これから起こりうる事態に少し戸惑いを感じている。カレンの気持ちを思うと、己の感情の赴くままに決めてしまって本当に良いのだろうかと思い悩む。
「……」
彼女の方も話があると言っていた。きっと返事をくれるのだろう。遅かれ早かれ、今夜、何かしらの決着が着くのだと感じた。
◇◆◇
部屋のチャイムが鳴り、ゆっくりと玄関の扉を開ける。そこには少し疲れた様に見える彼が申し訳なさそうに立っていた。
「ごめんね、こんな夜遅くに」
彼のソフトな声が耳に染み渡る。
「いえ、こちらこそ。――あの、どうぞ」
叶子は体を斜めにして部屋の中に彼を招き入れようとした。あんなに家に入れるのを拒絶していた事を思うと、今、自分が言っている事ががなんだか信じられない。しかし、この寒い中こんな時間に玄関先で話し込むのもどうかと思い、電話を切った後、急いで部屋の片づけをしたのだった。
だが、彼のびっくりした様な表情を見て、いらぬ気遣いだったのかもと後悔した。
「いや。……ここでいいよ」
その表情が示す通り、案の定拒絶されてしまった。
「でも、ここだと寒いし」
いつもの様な叶子を慌てさせてそれを楽しむ彼はそこにはいない。先程の電話でのカレンとのやりとりからして、もしかすると今から聞きたくない様な台詞を言われるんじゃないかと珍しく動物的感が働き、なんとかしてそれを食い止めようと躍起になっている自分がなんだか惨めだった。
ジャックもそんな叶子の気持ちを察したのか、グッと苦しそうに顔を歪めている。
首を垂れ足元を見下ろし彼が言葉を捜して居る。おもむろに顔を上げたかと思うと、肩を大きく上下して大きな溜息をついた。
上目遣いに彼女に視線を向けると、
「理性が……。保てなくなるのが怖いんだ」
そんな大胆な台詞を言っている割には何故か悲しそうな目をしている。長居をする気はさらさら無いのだなと感じ、斜めにしていた体勢を元に戻しジャックに向き直った。
「話って?」
「うん……。あ、君の方は?」
「私は後でもいいんです」
叶子の作られた笑顔の裏には、先に様子を伺ってからにしよう――。そんなずるい感情がいつの間にか湧き出していた。
「もしかして、この間の返事?」
小さく頷くとそのまま俯いた。やはり先に言った方がいいのかと思い悩んだが、すぐにジャックが話し出した事によって、その悩みに対する答えを探す必要が無くなった。
「その事なんだけど」
「――」
「忘れて欲しいんだ」
彼の言葉を聞いて身体がピクリと震えた。俯いていた顔をゆっくりと上げて彼を見上げると、叶子の表情を見た彼が辛そうに顔を歪ませていた。
「忘れる、……って?」
「無かった事にして欲しい」
尚も、容赦なく切り捨てる様な言葉に愕然とする。その言葉を聞いた時の叶子の表情が、まるで何を言っているのかわからないのだという事を物語っていた。
「な、どうし、て?」
たった一言、震える声で尋ねるだけで精一杯だった。そんな叶子の作り笑顔が更にジャックを追い詰めた。
「僕は、君の言った通り君に釣り合う男じゃないんだ」
「それはっ」
「これ以上、誰も傷つけたくはないんだよ」
「誰もっ……て。――カレンさん?」
「――」
ジャックは断定こそしなかったが、押し黙る事が“イエス”の言葉の代わりだと言う事を知る。
「ずるいよ」
その一言でジャックの顔が更に歪んでいくのがわかる。目の前にいる叶子の目から次々と涙があふれ出て、両手を伸ばして思い切り彼女を抱きしめてやりたい衝動に駆られた。耳元で『違うんだ、本当はこんな事を言いたいわけじゃないんだ』と伝えたい。でも、そんな事をしてしまうと今言った話が嘘になり、ただ彼女を傷つけたという事実しか残らなくなる。
ジャックは彼女から視線を逸らし、やるせなさでグッと握りこぶしを作った。
「本当に、ごめんね」
そういい残して、逃げ去る様にその場を去った。
背中に彼女の視線をいつまでも感じながら。
急いで着信履歴を確認してみるも結局昨晩も彼からの着信は無かった。その事実が寝起きの頭を無理に起こし、いかに自分にとって彼の存在が大きいものなのか、今やっと気付かされたのだった。
(仕事、忙しいのかな。――夜にもう一度かけ直そう)
会えないと思うと会いたくなる。
声を聞けないと思うと、途端に声を聞きたくなる。
奇しくも、繋がらない電話が叶子の今の気持ちを明確にさせた。
◇◆◇
「ジャック? ――グレース、ジャックはどこ?」
「ほ? 坊ちゃんなら血相変えてバルコニーに飛び出して行きましたよ」
グレースが片手で腰を叩きながら指差した方を見ると、携帯電話片手にバルコニーの手すりに肘をつき話をしているジャックを見つけた。カレンはバルコニーにそっと近づき窓を少し開けて彼の様子を伺った。
「あ、うん。ごめんちょっと忙しくて。――僕も、……話があるんだ」
会話の内容でカナと話をしているのだと悟ったカレンは、思い切り窓を開け放つと、ジャックの背後から両腕を巻きつけて抱きつき、空々しく彼に話しかけた。
「ジャック? 食事の準備が出来たわよ。今日は貴方の好きなものばかり作ったわ」
電話の向こうから『チュッ』と言うリップ音が聞こえ、鈍感な叶子でもただならぬ雰囲気を察して、体中から血の気が引いていくのが良くわかった。電話の向こうにカレンが居る。そして、カレンはきっと彼の事が……。
「わかった。後で行くから先に行ってて」
受話器を手で押さえながら話していたようだが、会話は全て筒抜けだった。
「あ、ごめん。えっと……今日、もし良かったら今から行ってもいいかな?」
ジャックからそう言われて叶子は部屋の時計に目をやると、もうすぐ今日という日が終わりを告げる程の時間になっていた。明日は朝早くから大事な会議がある。脳裏にすぐ浮かんだが、叶子はジャックに会いたいが故にその申し出を断る事が出来なかった。
ジャックは電話を切ると急いで部屋の中へ戻り、コートハンガーから上着を剥ぎ取るようにしてリビングを後にした。
「ちょっと出てくるよ。食事は帰ったら食べるからね」
カレンが後を追ってきた事に気付きそう告げると、カレンは血相を変えてジャックに噛み付いた。
「あの娘の所に行くのね!? そうなんでしょ、ジャック!」
カレンの問いかけに即答出来ずしばらく無言になる。そして、何処か割り切れた様な態度に変わると、
「ごめん」
ただ、一言だけそう言って、長い廊下を走り出した。
夜の闇を切り裂くように無我夢中で車を走らせた。ハンドルを握る手が少し汗ばみ、これから起こりうる事態に少し戸惑いを感じている。カレンの気持ちを思うと、己の感情の赴くままに決めてしまって本当に良いのだろうかと思い悩む。
「……」
彼女の方も話があると言っていた。きっと返事をくれるのだろう。遅かれ早かれ、今夜、何かしらの決着が着くのだと感じた。
◇◆◇
部屋のチャイムが鳴り、ゆっくりと玄関の扉を開ける。そこには少し疲れた様に見える彼が申し訳なさそうに立っていた。
「ごめんね、こんな夜遅くに」
彼のソフトな声が耳に染み渡る。
「いえ、こちらこそ。――あの、どうぞ」
叶子は体を斜めにして部屋の中に彼を招き入れようとした。あんなに家に入れるのを拒絶していた事を思うと、今、自分が言っている事ががなんだか信じられない。しかし、この寒い中こんな時間に玄関先で話し込むのもどうかと思い、電話を切った後、急いで部屋の片づけをしたのだった。
だが、彼のびっくりした様な表情を見て、いらぬ気遣いだったのかもと後悔した。
「いや。……ここでいいよ」
その表情が示す通り、案の定拒絶されてしまった。
「でも、ここだと寒いし」
いつもの様な叶子を慌てさせてそれを楽しむ彼はそこにはいない。先程の電話でのカレンとのやりとりからして、もしかすると今から聞きたくない様な台詞を言われるんじゃないかと珍しく動物的感が働き、なんとかしてそれを食い止めようと躍起になっている自分がなんだか惨めだった。
ジャックもそんな叶子の気持ちを察したのか、グッと苦しそうに顔を歪めている。
首を垂れ足元を見下ろし彼が言葉を捜して居る。おもむろに顔を上げたかと思うと、肩を大きく上下して大きな溜息をついた。
上目遣いに彼女に視線を向けると、
「理性が……。保てなくなるのが怖いんだ」
そんな大胆な台詞を言っている割には何故か悲しそうな目をしている。長居をする気はさらさら無いのだなと感じ、斜めにしていた体勢を元に戻しジャックに向き直った。
「話って?」
「うん……。あ、君の方は?」
「私は後でもいいんです」
叶子の作られた笑顔の裏には、先に様子を伺ってからにしよう――。そんなずるい感情がいつの間にか湧き出していた。
「もしかして、この間の返事?」
小さく頷くとそのまま俯いた。やはり先に言った方がいいのかと思い悩んだが、すぐにジャックが話し出した事によって、その悩みに対する答えを探す必要が無くなった。
「その事なんだけど」
「――」
「忘れて欲しいんだ」
彼の言葉を聞いて身体がピクリと震えた。俯いていた顔をゆっくりと上げて彼を見上げると、叶子の表情を見た彼が辛そうに顔を歪ませていた。
「忘れる、……って?」
「無かった事にして欲しい」
尚も、容赦なく切り捨てる様な言葉に愕然とする。その言葉を聞いた時の叶子の表情が、まるで何を言っているのかわからないのだという事を物語っていた。
「な、どうし、て?」
たった一言、震える声で尋ねるだけで精一杯だった。そんな叶子の作り笑顔が更にジャックを追い詰めた。
「僕は、君の言った通り君に釣り合う男じゃないんだ」
「それはっ」
「これ以上、誰も傷つけたくはないんだよ」
「誰もっ……て。――カレンさん?」
「――」
ジャックは断定こそしなかったが、押し黙る事が“イエス”の言葉の代わりだと言う事を知る。
「ずるいよ」
その一言でジャックの顔が更に歪んでいくのがわかる。目の前にいる叶子の目から次々と涙があふれ出て、両手を伸ばして思い切り彼女を抱きしめてやりたい衝動に駆られた。耳元で『違うんだ、本当はこんな事を言いたいわけじゃないんだ』と伝えたい。でも、そんな事をしてしまうと今言った話が嘘になり、ただ彼女を傷つけたという事実しか残らなくなる。
ジャックは彼女から視線を逸らし、やるせなさでグッと握りこぶしを作った。
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そういい残して、逃げ去る様にその場を去った。
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