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第28話~幸せ~
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「スージー! もういい加減、先に寝るよ!?」
「あ、ダメ! 待って、すぐ行くから!」
僕は彼女にそう言うと、さっさと寝室へと続く階段を登りだした。そんな僕に、スージーは慌ててテレビの電源を切りソファーの上に向かってリモコンを雑に放り投げると、急いで僕に駆け寄ってきた。そのまま僕の背中に飛びつかれ、階段の途中で僕はバランスを崩す。
「わわっ、あ、危ないよ!」
「待ってって言ったのに!」
まるで母親にお菓子をねだる子供のように、僕の腰に手を巻きつけながら頬を膨らませている。そんな彼女の表情を見ると、顰めていた眉も自然と緩み、思わず微笑んでしまうのだ。
スージーはその時の僕の表情の変化が好きだと、以前言っていた。僕が彼女の頭をポンポンと軽く叩くとそれがまるで許しを得た合図の様に、スージーの膨らんだ頬はみるみる笑顔に変わっていく。
僕も彼女と同じく、その時のスージーの表情の変化が好きだった。
越してきた時は、あんなに一緒に寝るのを躊躇っていたのが嘘のように、今では一緒でないと眠る事も出来なくなっていた。
「愛してるよ、スージー」
「私も……先生」
髪を撫で、唇に触れるのをもったいぶるかのように頬や額に口付けていく。唇に触れると思わせてすぐ横に口づけを落とすと、スージーはエサを欲しがる雛のように顎を上げ、そして、望みのものを得られ無いとわかった途端、決まって伏せていた目を見開き眉間に皺を寄せた。言葉に出しては言わないが、その表情から「焦らさないでよ」と言いた気なのが良くわかる。だからいつも、その顔を見た後は焦らした分、たくさん唇に触れた。
軽く触れたり、深く絡ませたり。
焦らずゆっくりと、甘い口付けを味わうかのように。
二人で同じベッドの中、乱れた息を整えながら互いの温もりを感じていると、普段僕が聞きたくても中々聞けない事を、彼女は自ら口に出して言ってくれる。
「先生? 私、凄く幸せよ?」
僕はいつもその言葉に救われていた。
◇◆◇
「スージー、先に車に乗ってるよ」
今日はいつもの町への買出し日だ。
今回はスージーも一緒に行くと言う。もしまた、彼女のお母さんにあってしまったら――。
一抹の不安を抱えながら家から出ると、何処からともなく小さな子供の泣き声が聞えて来た。
「?」
その声のする方を見てみると、パニック状態で泣き喚いている小さな男の子がいる。一体全体何事かと、僕はその男の子に近寄り土に膝をつけた。
「どうしたの? 何があったの?」
「あれー!! あれー!! 届かないのっ!!」
何かを掴む様に、ぴょんぴょんと飛び跳ねては顔をぐしゃぐしゃにして涙を流している。その子が指した先を見ると、僕の家の前にある大きな木の枝には、恐らく誤って手を離してしまったのだろう風船が引っかかっているのが見えた。
「ああ、あれかー。ちょっと待ってて、僕が取ってあげるから」
僕は慣れた様子で早々と一気に登り、枝分かれした所に引っかかっている風船に手を伸ばした。
「うーん、……もうちょっ、と……」
下で僕の様子を見つめているその子は、まるでヒーローを見ている様な顔をしている。
僕はそんな彼の期待に応えようと、細くなっている枝へ思い切って体重を乗せた。
「うーん……よしっ! 取れたっ――っと? ……わぁっ!!」
次の瞬間、体中を激しい痛みが駆け巡り、頬に地面がついているのが感じられた。せっかく手にしていた風船も僕の手から離れ、運悪くそのまま真っ青な空へと消えて行く。
次第に薄れ行く景色の中、風船を逃したショックで更に激しく泣いている子供の声が聞こえている。
“ああ、ごめん。今度、代わりの風船買ってあげるから、そんなに泣かないで”
そう伝えたいのに、声に出す事が出来なかった。
◇◆◇
「……先生! 先生!」
真っ白な明かりの中で、僕を呼ぶ声が聞こえる。ぼんやりしていた影がやがてはっきりとした輪郭を現し、徐々にその声の主がスージーだったのだとわかった。
「……あれ? 僕……? ――っつ!」
「先生! 気がついたのね!」
全身に激しい痛みを感じる。
“何だ? 僕は一体どうしたんだ?”
失っていた記憶を取り戻そうと、必死で記憶を辿っていった。
“ああ、そうか。枝が折れて、僕は地面に落ちたんだな”
病院のベッドの上で僕の手を握り締めながら、スージーは大粒の涙をポロポロと流していた。
「先生、嫌よ。私を一人にしないで……」
「スージー……大袈裟だよ。ほら、大丈夫。ちゃんと息はしているよ?」
声にならない声でそう言うと、スージーは少し落ち着いてきた様だった。
「そうですよ、大丈夫。すぐに良くなりますから」
聞き覚えの無い声がし、その声の主が白衣を着ていたことから、医者なのだと容易に推測出来た。
「ほら――ね?」
心配かけさせまいと必死で笑顔を作ると、うん、うんと何度も頷き、スージーは指先で涙を拭いた。
「でも、頭も打ってる様ですから、念の為しばらく検査入院しましょう」
「……は、――い……」
急に胸が苦しくなり、息もし辛くなった。規則正しくリズムを刻んでいた電子音が、急に乱れ出したのが自分でも聞こえてくる。
「奥さん、ちょっと後ろへ下がっていてくださいね」
看護士にそう言われて遠ざけられたスージーは又心配そうな顔つきになり、まるで祈りを捧げるかのように胸の前で手を組んでいた。
“又、奥さんって言われちゃったなぁ。スージーなんて思っただろう? 退院したら真剣に考えないとな、――結婚の事”
息が苦しくて意識が飛んで行きそうな中、僕は悠長にそんな事を考えていた。
「今から呼吸を助ける為に管を入れますからねー。その間、話す事が出来なくなりますが、いいですか?」
僕は首を横に振り、スージーを側に呼び寄せた。
「先生っ! 先生っ!」
又、スージーの大きな瞳から、大粒の涙が零れ始める。その涙を僕の指で拭うと、彼女の耳元で精一杯、声を振り絞った。
「も……し……もしも――だけど」
僕がそう言うと、もう何を言わんとしているのがわかったかのように、スージーは頭を左右に振りながら両手で耳を押さえた。
「イヤ! 聞かない!」
僕の言葉を聞き入れてくれない彼女に、看護士が僕の話を聞いて上げるように促してくれた。スージーは諦めたかのように、両手で僕の手を握り締めると、涙を流しながら何度も甲に口付けてくれる。
「僕に、もし……も、の事があったら……君の……ドレッサーの引き出しが……二重底になってる……から、そこを捲ってみて? 君への心臓移植……の同意書が入っ……てるか、ら」
スージーは何も言わず、ただ涙を流しながら頭を振っている。すぐ側で僕の話を聞いていた医者は、
「大丈夫ですよ。その同意書が必要になる事はありませんから」
そう言いながら、笑い飛ばしていた。
「せん……せい。もしそうなった……時は、よろしく……お願いしま……す……ね?」
“はいはい、もういいでしょ?”と言わんばかりに、管を入れようとする。
僕はもう一度それを拒むと、彼女の頬に手を触れさせた。スージーは僕の手を、両手でいとおしそうに包み込んでいる。
「心から……愛しているよ――スージー」
このまま一生声を失ってもいいと思う位、気持ちを込めて彼女に伝えた。
「あ、ダメ! 待って、すぐ行くから!」
僕は彼女にそう言うと、さっさと寝室へと続く階段を登りだした。そんな僕に、スージーは慌ててテレビの電源を切りソファーの上に向かってリモコンを雑に放り投げると、急いで僕に駆け寄ってきた。そのまま僕の背中に飛びつかれ、階段の途中で僕はバランスを崩す。
「わわっ、あ、危ないよ!」
「待ってって言ったのに!」
まるで母親にお菓子をねだる子供のように、僕の腰に手を巻きつけながら頬を膨らませている。そんな彼女の表情を見ると、顰めていた眉も自然と緩み、思わず微笑んでしまうのだ。
スージーはその時の僕の表情の変化が好きだと、以前言っていた。僕が彼女の頭をポンポンと軽く叩くとそれがまるで許しを得た合図の様に、スージーの膨らんだ頬はみるみる笑顔に変わっていく。
僕も彼女と同じく、その時のスージーの表情の変化が好きだった。
越してきた時は、あんなに一緒に寝るのを躊躇っていたのが嘘のように、今では一緒でないと眠る事も出来なくなっていた。
「愛してるよ、スージー」
「私も……先生」
髪を撫で、唇に触れるのをもったいぶるかのように頬や額に口付けていく。唇に触れると思わせてすぐ横に口づけを落とすと、スージーはエサを欲しがる雛のように顎を上げ、そして、望みのものを得られ無いとわかった途端、決まって伏せていた目を見開き眉間に皺を寄せた。言葉に出しては言わないが、その表情から「焦らさないでよ」と言いた気なのが良くわかる。だからいつも、その顔を見た後は焦らした分、たくさん唇に触れた。
軽く触れたり、深く絡ませたり。
焦らずゆっくりと、甘い口付けを味わうかのように。
二人で同じベッドの中、乱れた息を整えながら互いの温もりを感じていると、普段僕が聞きたくても中々聞けない事を、彼女は自ら口に出して言ってくれる。
「先生? 私、凄く幸せよ?」
僕はいつもその言葉に救われていた。
◇◆◇
「スージー、先に車に乗ってるよ」
今日はいつもの町への買出し日だ。
今回はスージーも一緒に行くと言う。もしまた、彼女のお母さんにあってしまったら――。
一抹の不安を抱えながら家から出ると、何処からともなく小さな子供の泣き声が聞えて来た。
「?」
その声のする方を見てみると、パニック状態で泣き喚いている小さな男の子がいる。一体全体何事かと、僕はその男の子に近寄り土に膝をつけた。
「どうしたの? 何があったの?」
「あれー!! あれー!! 届かないのっ!!」
何かを掴む様に、ぴょんぴょんと飛び跳ねては顔をぐしゃぐしゃにして涙を流している。その子が指した先を見ると、僕の家の前にある大きな木の枝には、恐らく誤って手を離してしまったのだろう風船が引っかかっているのが見えた。
「ああ、あれかー。ちょっと待ってて、僕が取ってあげるから」
僕は慣れた様子で早々と一気に登り、枝分かれした所に引っかかっている風船に手を伸ばした。
「うーん、……もうちょっ、と……」
下で僕の様子を見つめているその子は、まるでヒーローを見ている様な顔をしている。
僕はそんな彼の期待に応えようと、細くなっている枝へ思い切って体重を乗せた。
「うーん……よしっ! 取れたっ――っと? ……わぁっ!!」
次の瞬間、体中を激しい痛みが駆け巡り、頬に地面がついているのが感じられた。せっかく手にしていた風船も僕の手から離れ、運悪くそのまま真っ青な空へと消えて行く。
次第に薄れ行く景色の中、風船を逃したショックで更に激しく泣いている子供の声が聞こえている。
“ああ、ごめん。今度、代わりの風船買ってあげるから、そんなに泣かないで”
そう伝えたいのに、声に出す事が出来なかった。
◇◆◇
「……先生! 先生!」
真っ白な明かりの中で、僕を呼ぶ声が聞こえる。ぼんやりしていた影がやがてはっきりとした輪郭を現し、徐々にその声の主がスージーだったのだとわかった。
「……あれ? 僕……? ――っつ!」
「先生! 気がついたのね!」
全身に激しい痛みを感じる。
“何だ? 僕は一体どうしたんだ?”
失っていた記憶を取り戻そうと、必死で記憶を辿っていった。
“ああ、そうか。枝が折れて、僕は地面に落ちたんだな”
病院のベッドの上で僕の手を握り締めながら、スージーは大粒の涙をポロポロと流していた。
「先生、嫌よ。私を一人にしないで……」
「スージー……大袈裟だよ。ほら、大丈夫。ちゃんと息はしているよ?」
声にならない声でそう言うと、スージーは少し落ち着いてきた様だった。
「そうですよ、大丈夫。すぐに良くなりますから」
聞き覚えの無い声がし、その声の主が白衣を着ていたことから、医者なのだと容易に推測出来た。
「ほら――ね?」
心配かけさせまいと必死で笑顔を作ると、うん、うんと何度も頷き、スージーは指先で涙を拭いた。
「でも、頭も打ってる様ですから、念の為しばらく検査入院しましょう」
「……は、――い……」
急に胸が苦しくなり、息もし辛くなった。規則正しくリズムを刻んでいた電子音が、急に乱れ出したのが自分でも聞こえてくる。
「奥さん、ちょっと後ろへ下がっていてくださいね」
看護士にそう言われて遠ざけられたスージーは又心配そうな顔つきになり、まるで祈りを捧げるかのように胸の前で手を組んでいた。
“又、奥さんって言われちゃったなぁ。スージーなんて思っただろう? 退院したら真剣に考えないとな、――結婚の事”
息が苦しくて意識が飛んで行きそうな中、僕は悠長にそんな事を考えていた。
「今から呼吸を助ける為に管を入れますからねー。その間、話す事が出来なくなりますが、いいですか?」
僕は首を横に振り、スージーを側に呼び寄せた。
「先生っ! 先生っ!」
又、スージーの大きな瞳から、大粒の涙が零れ始める。その涙を僕の指で拭うと、彼女の耳元で精一杯、声を振り絞った。
「も……し……もしも――だけど」
僕がそう言うと、もう何を言わんとしているのがわかったかのように、スージーは頭を左右に振りながら両手で耳を押さえた。
「イヤ! 聞かない!」
僕の言葉を聞き入れてくれない彼女に、看護士が僕の話を聞いて上げるように促してくれた。スージーは諦めたかのように、両手で僕の手を握り締めると、涙を流しながら何度も甲に口付けてくれる。
「僕に、もし……も、の事があったら……君の……ドレッサーの引き出しが……二重底になってる……から、そこを捲ってみて? 君への心臓移植……の同意書が入っ……てるか、ら」
スージーは何も言わず、ただ涙を流しながら頭を振っている。すぐ側で僕の話を聞いていた医者は、
「大丈夫ですよ。その同意書が必要になる事はありませんから」
そう言いながら、笑い飛ばしていた。
「せん……せい。もしそうなった……時は、よろしく……お願いしま……す……ね?」
“はいはい、もういいでしょ?”と言わんばかりに、管を入れようとする。
僕はもう一度それを拒むと、彼女の頬に手を触れさせた。スージーは僕の手を、両手でいとおしそうに包み込んでいる。
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