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第2章 真実
第12話〜父として〜(小田桐視点)
しおりを挟むマンションへと向かう途中、央と色んな話をした。
あの高級クラブはホテルの常連客の紹介で、以前から厨房の仕事を掛け持ちしていたという事。場所が場所なだけに芳野には黙って勤務していたという事。気になる潜伏先については、クラブお抱えのホステス専用マンションを間借りし、ホテルの方は芳野に見つからない様にと体調不良で休みを取っていたらしく、ホステスの仕事に就いたのもホステスの数が足りず仕方なくやらされただけだという。しかも、どうやら俺が初めて行った日と今日の、たった二日だけしか表には出ていなかったという驚きの事実も知る事となった。
――どうりで、毎日通っても央に会えなかったわけだ。
しかも、二日目には岡本とかいう変態野郎に捕まっちまう、ある意味天才的な“引き”の強さ。もっと他の事にそれを活かせたらいいだろうにと、央の将来をつい悲観してしまった。
しかし、初めてあの店に行った日から“小夜子”と言う源氏名を既に知っていた梨乃。こいつの情報を掴むスピードと正確性に、これが仕事だとは言え改めて感心させられたのだった。
「それはそうと、そもそも家出のきっかけは一体なんだったんだ?」
「そ、それはー、その」
「?」
またもや俺の機嫌を窺うような態度を見せる央だったが、すぐにその理由がわかった。
芳野からはちょっとした親子喧嘩位にしか聞かされていなかったが、まさか桑山と芳野が抱き合っていたのを目撃してしまったのが原因だったとは。
「あの熊野郎……」
次に桑山にあったらどうしてくれようかとイライラを募らせた。
「確かに、歩ちゃんには幸せになって欲しいんですけど、桑山さんはちょっと近すぎちゃって逆にそんな風には見れないっていうか。……矛盾してるかもですが」
「いや、お前は正しい」
ただでさえ、自分の母親が男と抱き合ってるのを見ただけでも引くだろうに、よりによって相手があの熊男ではそりゃ逃げ出したくもなるだろう。
お前は何も間違っちゃいないと言うと、央はホッと胸を撫で下ろした。
「――」
しかし、陰気な見た目とは違ってなんと行動力のある奴だろう。人とコミュニケーションを取るのが苦手なタイプだと芳野からは聞いていたが、本当にそうなのだろうかと疑いたくもなる程だった。
「――? 社長ッ!」
ようやくマンションへと到着すると、大きな荷物を抱えたジュディスがここぞとばかりに俺を待ち構えていた。声の波長からして面倒な事になると踏み、先に部屋へ入っておくようにと央を梨乃に託した。
ずんずんと効果音が聞こえそうな程、俺の元へとジュディスが一直線に向かってくる。そのままの勢いで抱えていた荷物を胸元に押し付けられた。
「ああ、悪かっ――」
「いきなり何なんですか! 『二十代前半の背が高くて華奢な女の子が着るカジュアルな服を何着か用意しろ』って!」
「いや、まぁ。そのままだが?」
「うちのビルのテナントにそんな服を置いてるショップなんて一つもないって事くらい、社長ならわかるでしょう!?」
「うー、うん? ……まぁ、でも、ちゃんと用意出来てるじゃないか」
「急いで外に買いに行ってきたんですよ! 今日は早く帰れると思ったのに、わけのわからない買い物に時間を取られた挙句、こんな時間になるまで待たされるなんて」
「別に待ってなくても管理人室に預けてくれればいいのに」
「管理人さんなんか、もうとっくに……! って」
ジュディスはジャケットの袖を捲って時間を確認すると、更に目を吊り上げた。
「ああーっ! も、もう十二時過ぎてるじゃないですかぁ!」
「ああ、そりゃあ大変だ。急がないと終電に間に合わねーぞ?」
「間に合わなかったらタクシー代請求しますからね!」
ある程度どやされる覚悟はあったが、これほどまでにうっぷんが溜まっていたとは予想だにしておらず、有能な秘書に終始圧倒されっぱなしだった。
「あー、はいはい。……あっ、そうそうジュディス」
「はい!? 何ですか!」
駅へと向かおうとしていた所を呼び止めると、熱くなりすぎていかり肩になっているジュディスが眉間に深い皺を刻みながら振り返った。
「明日、ジャックが帰国するらしいから」
「もうその手には乗りません!」
「え? あ、ちょ……。――まっ、いっか」
怒りで顔を真っ赤にしたジュディスは吐き捨てる様にそう言うと、駅へと続く道を早足で歩き始めた。
◇◆◇
部屋に入り、ジュディスから預かった荷物を央に渡し、一通りこの部屋の案内を始めた。
「バスルームはここで、トイレはこの向かい側。飲み物と食べ物なんかは適当に冷蔵庫のものを。あと――、……なんだ?」
「あ、いや。素敵なおうちでびっくりしちゃって」
築年数で言えば二十年弱だから、感激してもらえる程いい部屋でもない。それでも央の家に比べればいい様に見えるのだろう。
「そりゃ、どうも」
まるで旅行にでも来たかの様にはしゃぐ央に、柄にもなく笑みが零れ落ちた。
「――あと、明日なんだが」
「?」
相当この部屋が気に入ったのだろう。上機嫌になっている央に、芳野を連れて明日もう一度ここへ来ることを承諾させるのは、随分容易いものであった。
こいつの家に比べれば、ここはセキュリティがちゃんとしてはいるものの、このまま央一人残して部屋を出るのは少々気が重い。しかし、俺や梨乃がここに残るわけにもいかず、俺たち二人は長かった一日を終えるべく玄関へと向かった。
「向こうに置いてきた荷物は?」
「メガネとスマホと……お財布も。あと着替えが少し」
「そうか。一通り買い揃えてやってもいいが――」
俺がそう言うと、冷やかすようにピューと梨乃が口笛を吹いた。
「でも、スマホもメガネも買い替えたばかりだし」
「かといって、取りに戻るわけにはいかんだろうが」
散々暴れておいて、たかがそれだけの為に労力を費やすのはばかげていると言い諭すと、央はしゅんと肩を落とした。
――弱ったな。こういう場合、世の父親ならどう対処するんだろうか。
経験もなければ、教科書にも載っていないこの難問に、俺は頭を抱えた。
「なら、私がなんとかしますよ?」
ずっと話を聞いていただけだった梨乃が口を開く。
「……じゃあ、頼んだ」
一寸置いてからそう言うと、梨乃はなんてことは無いとばかりに頷いた。
散々あいつの凄さを見せつけられてきたせいか、それ以上追求する気力は不思議ともうわいてこない。どうせ『企業秘密だ』などと一蹴されるだけだろうという、諦めもあった。
「他に何か必要なものはないか? 言うなら今だぞ」
玄関で靴を履きながらそう言った。
「あの、一つお願いがあるんですが」
「? なんだ?」
上体を起こし、靴ベラを梨乃へ渡す。振り返って央を見ると、何故か照れた様な顔で指をもじもじとさせていた。
「その」
「何だ、早く言え」
上目遣いで、言おうか言わまいかと躊躇している。央が言いやすくするために眉間に皺が集まらない様、極力気を付けた。
言い難そうにしているのを見ると、余程金がかかるものなのかそれとも女特有の必須アイテム的なものだろうか。
「あの」
「なんだ?」
ジュディスも帰ったし、果たして俺で用意が出来るものなのだろうか、などの心配は、全くもって不要な結果となった。
「“パパ”って呼んでいいですか?」
「――っ!?」
「ふがぁっ!!」
思いもよらぬお願いに、ピンっと身体が硬直する。梨乃は奇声を上げると身体を折り曲げ、ここぞとばかりに笑い転げている。当の俺はというと、何も言葉を発する事が出来ず、ただピクピクと顔を強張らせていた。
「いいですか?」
「……却下だ」
「あ! じゃあ“お父さん”でも――」
「めっ、名称の問題じゃない! ――っ! もういい、帰るぞ!」
眦に涙をうっすらと浮かべ、腹を抱えている梨乃の首根っこを掴むと、自分の家だと言うのに逃げ出すようにして玄関から飛び出した。
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