B級彼女とS級彼氏

まる。

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第2章 真実

第3話〜振りほどけない手〜

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「おい、芳野!」
「……」

 耳元で騒ぎ立てる小田桐の声が聞こえる。少しこもって聞こえるのはきっと、彼の胸元から声が聞こえてくるせいだろう。必死な面持ちで小田桐が私の顔を覗き込みながら何度も声をかけてくる事に対して、『大丈夫だよ、私はなんとも無いよ』と言いたいのに何故か声が出せなくてもどかしい。
 ああ、私このまま死んじゃうのかな。そんな風に思いながら徐々に意識を手放していった。


 ◇◆◇

「……」

 ――ん? 生きてる?
 次に目を覚ましたときは、私はふかふかのベッドの上に横たわっていた。部屋の雰囲気からして自分の家ではないことだけはわかる。ここがどこなのかはすぐにはわからなかったけれど、どことなく懐かしさを感じるものがあった。

「……?」

 少し開いた扉の向こうから微かに人の声が漏れだしている。その声の主が小田桐だとわかったと同時に、この部屋に感じていた懐かしさの原因がやっとわかった。
 ここは以前、小田桐が梨乃さんと一緒に住んでいたマンションだ。大きなベッド、クローゼットに備え付けられた姿見、そして黒を基調にした小田桐らしい殺風景なこの部屋。二十年程経っていると言うのに全くと言っていいほど変化のないこの部屋にいると、まるであの頃に戻ったかのような気分にさせられた。
 でも何で私はここに居るんだろう。まだ、夢でも見ているのだろうか。確か、小田桐から逃げる様にしてビルから出て、横断歩道を渡ろうとしたら小田桐に見つかって……。

「――痛っ」

 身体を起こそうとして手をつくと、ビリッと腕に軽い痛みが走る。痛みを感じる場所を見てみると、何故か包帯が巻かれていて、その事から自分の身に何が起こったのかが何となくわかった。

 私の記憶が途切れてから一体何時間ほど経過しているんだろう。立ち上がり部屋を出ると、ダイニングテーブルの上で書類を広げ、英語で電話をしている小田桐を見つけた。やがて私の存在に気付いた小田桐はペンを持つ手でそこのソファーに座れと合図を送る。私は素直にソファーへと腰を沈めると小田桐の口元がわずかに緩んだ。



「すまん、待たせたな。調子はどうだ? 痛むところは?」
「ううん。仕事中……だよね? ごめん、迷惑かけちゃって。すぐ帰るから」
「いや、別に問題ない」

 電話を終えた小田桐はそう言うとキッチンへと向かった。

「何か飲むか?」
「いい。それより――」

 何がどうなったのか教えて欲しい。なかばは? 私の携帯はどこ? 央から電話がかかってきてるかも知れないのに。
 冷蔵庫がバタンと閉じられる音と共に小田桐が戻ってきた。

「央は――」
「お前の娘の居場所はもうじきちゃんと教える。別に犯罪に巻き込まれたとかそんなんじゃないから安心しろ。はっきりわかったらちゃんと言うから」
「何それ、一体どういう――」
「俺もまだちゃんと把握できてないんだ。隠してるとかそんなんじゃない」

 そういう風に言いきられてしまえば、これ以上問いただすことは出来なかった。それにあまりしつこく言うと、何故トレス氏に央の居場所を聞いていたのかを問い詰められるだろうし、あまり自分が不利になるような事は言わない方がいいとさえ思った。
 本人の声も一度聞いているし、変な事に巻き込まれているのではないという事がわかっただけでも、とりあえず安心することが出来た。何の手がかりもない今よりかはずっといい。

「……私の携帯は」

 小田桐は一旦離れると私の荷物を持って再び戻って来た。すぐに荷物の中から携帯電話を取り出すと着信履歴を確認する。が、やはり央からの着信は無かった。その事に落胆しつつ携帯電話を閉じると、小田桐は水の入ったペットボトルを差し出しながら私の隣に腰を沈めた。

「ありが、と」
「ああ」

 横に座ったものの、小田桐は何も話そうとはしない。と言うか、ずっと何かを考えているような様子だった。

 しんとした部屋がやけに緊張感を煽る。水が喉を通り過ぎる音がやけに大きく聞こえた。

「――水を」
「へ?」

 ――水? え、これのこと? 飲んでいいよって意味で渡したんじゃないの!?
 暗い表情でそんな事を言うもんだからそう思ってしまったが、それはどうやら私の早とちりの様だった。

「さっき、お前が昔働いてたコンビニに買いに行ったんだが、あそこオーナーが代わったんだな」
「え? あ、そうなんだ。この辺来ないから全然知らなかった」

 ――何で今こんな話するんだろう。
 漠然とそう思った。

「……? 最近あの店行ってないの?」
「ああ、そうだな。一昨年位まではずっとアメリカに居たし、こっちに戻って来てからもあの店は一度も行ってないな」
「へぇ、珍し。あのからあげちゃん大好きなあんたが」
「そもそも……、――今となればアレを食いたくて毎日あの店に通ってたかどうかも怪しいけどな」
「……ふ、うん」

 ずっと前を向いて話していたのに小田桐が急にこっちを振り向いた。至近距離で目が合ってしまい私は思わず目を逸らしてしまう。毎日毎日飽きもせずに通い続けていた理由がからあげちゃんではないのであれば、じゃあ一体何が目的だったのかなんて聞く事は出来ない。返答によっちゃ自分を辱める事になるのかも知れないのだから。
 小田桐が言わんとしている言葉の意味に私は気付かない振りをし、手持無沙汰にペットボトルの水を口に含んだ。

「芳野」
「――? ……っ」

 僅かに小田桐が近づいたのがわかり、どくんと心臓が大きく音を立てた。と同時に、もう一度口説くと言われたり、公衆の面前で無理やりキスをされたことが瞬時に頭の中に思い浮かび、カーッと顔に熱が集まりだしたのがわかる。さらに、今二人はきっと誰にも邪魔されることのない密室に居るのだということに改めて気付くと、脈がどんどん速く刻み始めたのがわかった。

「――っ、……じ、じゃ! わ、わわわわかったら連絡頂だ……、――っ」

 どことなく身の危険を感じた私は慌てて立ち上がる。そして、その場から離れようとした時、そっと右手に温かいものが添えられたのがわかった。その温もりを感じる所に視線を落とせば、ソファーに座ったままの小田桐の手が私の手を軽く握りしめている。もう一方の手は自身の顔を塞いでいた。

「あの、手離し――」
「頼む。……もう俺から逃げないでくれ」

 聞こえるか聞こえないか位の掠れた声。強引でいつも命令口調、常に自信に満ち溢れている彼からそんな言葉が吐き出されるとは半ば信じられない。現に、私が意識を失うまではそうだったのだから。
 聞き間違えではないのかと私は自分の耳を疑った。
 軽く握られたこの手はきっと、ほんの少し力をいれるだけで簡単に逃れる事が出来るだろう。だが、こんな風に弱々しく握られてしまえば自分から振りほどくことなんて出来る筈もなかった。
 たった一言、彼らしからぬ気弱な台詞を言っただけだと言うのに、今までが今までだっただけにその言葉の重みは何倍、何十倍にも値する。そう思えば思う程、どうしても振りほどくことが出来なかった。

「……」

 気付けば、指先だけで力なく握られたその手を、私は自然と優しく握り返していた。




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