B級彼女とS級彼氏

まる。

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第二部 第1章 時を経て再び出会う

第7話〜一男去ってまた一男〜

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「――? んん゛ーっ!?」

 何の迷いもなく重ねられた唇。まさか、公衆の面前で小田桐がこんな暴挙に出るなどとは思ってもいなかった私は、完全に油断していた。
 逃れようとして身を捩ると、それに合わせ一気に体重をかけて来る。そのままソファーの上に押し倒される格好となり、片方の手首は小田桐の手によって封じ込められ、指で掬われた顎はいつしか下から包み込む様にしてがっしりと固定されていた。
 首を振って唇から逃げようとするものの、男女の力の差をまざまざと見せつけられてしまい、どうする事も出来なかった。

「んぁっ、……やめ――、……っ!」

 拒絶の言葉を発するために僅かに開いた隙間を狙い、小田桐の舌がぬるりと滑り込んでくる。奥深い所へ辿りつくために幾度となく顔の角度を変え、その度に身体の芯が火照っていくのがわかった。上顎をなぞられ、時折舌に触れられては背中を仰け反らせる。振り解く為に掴んでいた手は、まるで離れたくないかのように弱々しく小田桐のジャケットの袖を掴んでいた。
 ジタバタとみっともなく宙に浮いていた足は観念したかのように徐々に落ち着きを取り戻し、力の抜けた掌からお札がパラパラと零れ落ちる。大勢の人が見ているのだとわかっているのに、私は完全に小田桐に翻弄されてしまっていた。

「――、……はぁっ」
「今日はここまで」

 やっと唇が解放された時、満足そうに笑みを浮かべている小田桐の顔が真上にあった。

「……」
 
 何が起こったのかわからないでいると、小田桐が上体を起こすと同時に私も引っ張り上げられる。再び膝の上に座らされた格好になった事でやっと我に返り、慌てて立ち上がった。

「なっ、なんで……、こんなっ」
「なんでって。子供じゃあるまいし、“たかがキス”しただけでそんな大騒ぎすることじゃないだろ」
「――っ!」

 恥ずかしさと悔しさでカッと頭に血が上ってしまう。ほぼ無意識に手を振り上げると、まだソファーで座っている小田桐の頬にめがけて勢いよくその手を振り下ろした。

「……っ、痛ぇ」

 ――「たかがキス」
 その言葉を聞き、気付いた時には小田桐の頬を思いっきり引っ叩いていた。小田桐にとっては面白半分でした“たかがキス”なのかも知れないが、私にとって“たかがキス”なんてものはこの世に存在しない。
 何の意味もないキスなど、したくはなかった。

 大勢の人の前、しかも仕事関係の人達の前で引っ叩かれたと言うのに、バツが悪そうにするどころか小田桐は何故か面白そうに笑っている。呆然としている私に目を向けることもなく床に散らばったお金を拾い集めると、転がっていたバッグの中へ無造作にそれを突っ込みながら再び近づいてきた。

「――!」
「……」

 また何かされるのではと身構えた身体は、自然と後退りする。小田桐は一瞬動きを止めたが、すぐに私の手を掬いあげるとその手にバックの持ち手をぶら下げた。

「悪いが、これからランチミーティングだから」

 そう言って踵を返すと、まるで何も無かったかのように自分を待っている人たちの元へと歩き始める。反論の言葉も言えずギュッと下唇を噛みしめ、私はただ小田桐の背中を睨み付けることしか出来なかった。

「――っ! ……?」

 引っ叩いた左の頬を右手で撫でながら歩く小田桐の歩調が、徐々に緩やかになる。小田桐の視線がある方向に向けられているのに気付き、私はつられるようにしてその視線の先へと目を向けると、そこには背の高い白髪の白人男性が何も言わずただじっと小田桐を見つめていた。
 小田桐はすぐにその視線を切ると、足早に先ほどの人達の元へと歩みを進める。そして、完全に立ち去ったのをその白人男性が見届けた後、次にその視線は私へと向けられた。

「……。――!」

 人を見下すようなその冷たい目が、私の中の古い記憶を呼び覚ます。その人が誰なのかを思い出した途端、身体が凍り付いた。

 ――小田桐のお父さんだ。
 央を諦める代わりに、小田桐の存在自体までをも記憶から抹消しろと私に約束させた張本人。あの頃に比べると随分年老いてはいるものの、人を蔑むようなその目は相変わらずであった。
 まるで蛇に睨まれた蛙の如く、身体が硬直した。小田桐との接触を禁じられていて、私はそれに同意もしている。いつからそこにいたのかはわからないが、約束を破った事で私の大切な存在を失ってしまうのではないかという不安が、頭の中をぐるぐると駆け巡っていた。

「あ、あの!」

 事の成り行きを説明しようと足を一歩踏み出すと、トレス氏は踵を返し私から遠ざかって行った。


 ◇◆◇

「はぁー。もう……、どうしたらいいんだろう」

 家に帰り、ソファーの上に横たわりながらひとりごちた。
 二十年近く平穏に過ごしていたが、ここ数日の急激な変化に頭も身体もついていかない。何がどうしてこうなったのか、急に現れた小田桐にもう一度口説くと言われ、その数日後には大勢の人が見ている中で強引にキスをされてしまった。

「――」

 昼間の事を思い出し、触れられた唇に指を這わせる。
 央が生まれてからは育児に、仕事にと追われる日々を過ごしてきた私は、新しい恋愛をする暇など勿論なく、相変わらず男慣れしていない。とはいうものの、一瞬とはいえ小田桐のキスを受け入れてしまった事に動揺を隠せなかった。
 既に私の頭の中は小田桐で一杯になっている。この事が一体何を意味するのかと考えを巡らせるが、これといった答えは出せずにいた。
 嫌悪からくるものなのか、それとも――。

「……っ、いい歳して私は一体何を」

 自分の感情があられもない方向に向かって行きそうになるのを抑えるように、深く考えるのを止めた。


 ◇◆◇

「……ん、――? ――っ!!」
「歩、大丈夫か?」

 昼間の気疲れのせいか、いつの間にかそのままソファーの上で眠ってしまっていた様だった。目を覚ませば目の前には心配そうに私の顔を覗き込む桑山さんがいる。昔と変わらず身体の大きな桑山さんは暗闇という相乗効果も伴ってか、山の中で突然出くわしてしまった熊そのものに見えた。

「へ!? だ、大丈夫ですよ!?」

 驚きの余り心臓がバクバクと大きく脈を打っている。そのことを態度に出してはいけないと堪える私の身体は、死んだふりをするかのようにカチンコチンに強張っていた。
 妊娠しているのが判明して日本に帰って来たが、当然住むところが無く、そのまま桑山さんのマンションに居座り続けていた。桑山さんが帰国した時は桑山さんが下の階にある仕事場で寝泊まりし、食事の時は私が住む部屋で一緒に食べるといった状況だった。
 今は私が住んでいるとはいえ、もともとは桑山さんの家でもあるから当然鍵も持っている。普段はインターホンを鳴らすが、私が出なかった事で心配になったのだろう。めったなことで使う事の無い合鍵を使って部屋の中に入って見れば、暗闇の中で横たわる私を見つけ、何かあったのかとどうやら慌てていた様子だった。

「良かった……」

 私が無事だとういう事がわかったのか、桑山さんはホッと安堵の表情を浮かべた。ちょっとうたた寝をしていただけだというのに、そんな大袈裟な。そう言うよりも先に、桑山さんから矢継ぎ早に質問が飛んできた。

「――ところでお前、今日あいつのところに行って来たんだろ?」
「え? あ、はい」
「で? どうだったんだ?」
「どう、って」

 とりあえず顔の距離が近すぎて話辛い。寝ころんだまま話す事でもないし。

「えーっとですね。――え?」

 何て言えば桑山さんを傷つけずに離れることが出来るのだろうと考えていると、何の前触れもなく桑山さんの顔がぼすんと私の肩に埋まった。




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