B級彼女とS級彼氏

まる。

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第二部 第1章 時を経て再び出会う

第2話〜過去の記憶〜

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 制止の声がちゃんと届かなかったのか、カーテンの隙間からなかばがひょっこりと顔を出した。

「歩ちゃん? さっき、桑山さんから電話があって――? ……っ!」

 最近買い換えた新しいスマホを握りしめながら、カーテンの中へ足を一歩踏み入れたものの、私だけではなく小田桐の姿を見つけた央はびくりと肩を竦めた。大きなフレームの黒縁眼鏡のブリッジを中指でグイッと押し上げるその仕草は、私の髪に唇を寄せている男性は一体何者なのだろうかと確めようとしている風にも見えた。

「あ、ああ、なかば? この人は私の……」

 そこまで言って、言い淀んでしまった。
 どうしよう、小田桐の事を何て言って紹介すればいいんだろう。元カレ……とか恥ずかしくて言えない。じゃあ、高校時代のたった数か月だけの同級生? コンビニでバイトしていた時の常連さん?
 どれもこれもしっくりこない。
 でも、小田桐は自分の事を何て言って紹介してくれるのかを待っているみたいだし、央は央で軽く身を乗り出して私が発する言葉を決して聞き逃さまいとしている。

「ああ、その……えーと」

 丁度いい言葉が思い浮かばない私に業を煮やしたのか、軽く首を振りながら溜息混じりに小田桐が助け舟を出してくれた。

「芳野の――、ちょっとした昔の知り合いで小田桐と言います。どうぞ宜しく」

 丸い椅子から立ち上がり、央に握手を求める。極度の人見知りと対人恐怖症の中間位に位置するほど他人と接触するのが苦手な央は、近づいて来る小田桐に対してあからさまに後ずさりした。そんな央の様子に小田桐の眉が僅かにピクリと上がった。

「……っ」
「な、なかば!」

 完全に固まってしまっている央の名前を呼ぶと、まるでしばらく油の差していないロボットの様にカクカクと首を回し、強張った顔を私の方へと向けた。
 私が何を言いたいのかわかったのか、恐る恐る右手を差し出す。先ほどとは全く違い、まるで蚊の鳴くような声で央が自己紹介を始めた。

「……あ、あの、は、初めまして。……な、央と言います。――母がいつもお世話になっています」
「!?」

 恐る恐る出した手を、小田桐の右手にちょんと触れさせてすぐに引っ込めるつもりだったのだろうが、央の言った「母が――」の言葉に反応した小田桐はその手を逃がすまいとがっしりと握りしめた。

「ひっ!」
「芳野が“母”だと? ……それ本気で言ってんのか?」

 さっきはちゃんと大人の対応で挨拶をした小田桐に、流石に二十年近くも時が経つと人間変わるもんだなと感心したのも束の間、一瞬で時が巻き戻されたかの様に豹変した。

「なっ!? ちょっと、小田桐! 止めてよ! この子はなにも悪くないでしょ!」

 急に凄まれた事により、央は顔面蒼白になっている。大きなフレームが鼻先までずり落ち、身体は硬直してはいるものの、特徴のある央のブラウンの瞳は小田桐の目から決して逸らされることは無かった。

「……! ……、――チッ」

 舌打ちをしながら央の手を解放すると、その手はすぐにスマホを握りしめているもう一方の手に重なった。

「なかば」
「――っ」
「なかば!」

 二回目でやっと央が小田桐から私に視線を移す。央はずり落ちた眼鏡をまた中指でくっと押し上げた。

「え? な、何?」
「あんたもういいから帰んなさい」
「……う、うん」

 逃げる様にしてその場を去った央にホッとしつつ、乗り出していた上半身を再び元の位置まで戻した。

「お前」
「え? ……ひぃっ!」

 小田桐を見ると、眉と眉の間に無数の縦皺を深く刻み込み、鬼の形相で私を睨み付けている。一難去ってまた一難。親子そろってこの一人の男に怯えることになろうとは、つい数十分前では考えつくことすら出来なかった。

「あいつ、……さっきのあの女。本当にお前の娘なのか?」
「う、うん。そうだけど?」
「んじゃ、なんでお前の事、名前で呼んだりするんだよ」
「知らないわよ。最近の若い子は親でも友達みたいに接することが多いからじゃないの? 一種の流行みたいなもんでしょ」
「んだそれ」

 返事を聞いた後、小田桐の視線が私の背後に移った。それにつられて後ろを振り返るとそこには『芳野 歩』と書かれたネームプレートがあった。

「お前、……結婚してないよな?」
「し、してないよ! 一度も!」

 窺うようにして問いかける声が後頭部から聞こえ、私はどういうわけかムキになって余計な事まで正直に答えてしまった。それを聞いた小田桐の目は僅かに力が抜けた様な感じがしたものの、すぐに新たな皺が眉間に集まりだす。次は一体何を聞かれるのかと、ごくりと固唾を呑んだ。

「じゃあ、あいつは一体誰との子供だ? 見た感じからして十代後半、って感じではあったが。――となると、俺と別れて数年位してから出来た子供か?」
「そ、そうかな!」

 良かった、感づかれてない。央が童顔で良かったと心から思った。

 ……実をいうと、央の父親はこの小田桐である。
 途上国に行く前から体調を崩していた私は自分が妊娠していたとは全く気付いておらず、現地の医療チームに相談し、そこで初めて最近生理が来ていないことに気付いたのだった。
 小田桐とは既に別れていたから当然その事を本人に告げることも出来ず、苦悩の末、未婚の母になる決意をした。
 妊娠している事を桑山さんに告げると、今すぐ日本に戻る様にと説得された。途上国での外国人の出産は母子共に非常にリスクが高く、万が一を考えての桑山さんなりの配慮であった。
 だが、日本に帰ったとしても私には帰る家などもう無い。万が一が起きたとしても誰も責めたりはしないから、ここに残りたいのだと訴えると、『歩はそれでいいのかもしれんが、腹ン中の赤ん坊はどうなる? 赤ん坊の人生をお前が勝手に決めていいとでも思っているのか!?』と、桑山さんは大粒の涙を流しながら物凄い剣幕で怒鳴り散らし、私達二人は夜通し声をあげて泣いた。
 
 結局、桑山さんの言う通りに、私は一旦帰国する事となった。日本に戻ったら桑山さんが住んでいたマンションを使う様にと言われ、私にでも出来る簡単な仕事まで手配してくれた。出産を間近に控え、思うように働けなくなった期間はなんと仕送りまでしてくれる事もあった。
 他人とは思えぬ桑山さんの優しさに触れる度、私は一人じゃないんだと心から安心させられた。

 央の存在を二十年近くずっとひた隠しにしてきたというのに、今になって央は小田桐の子供だなんて今更言うわけにはいかない。それを言ってしまうことで小田桐の気を引こうとしていると思われたくないという自身のプライドと、央が生まれる直前のとある出来事が私に嘘を吐かせた。

 ある日、臨月でパンパンに膨れ上がったお腹を抱える様にして近所のスーパーから帰る道すがら、マンションの前に見知った男性が立っていることに気が付いた。徐々に近づいていくとやはり相手も私の事を知っている様で、私を見つけた途端ペコリと頭を下げている。
 見覚えはあるが、この男性が一体誰なのかは思い出せない。

「……あ」

 記憶をずっと辿っていると、頭を上げた男性がニッコリとほほ笑んだのを見て、ある一人の男性との記憶が蘇って来た。




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