B級彼女とS級彼氏

まる。

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最終章

〜最終話〜

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「釣りはいい」
「え? ちょっとお客さん、こんなにいいの?」

 声のトーンからして、渡した額に運転手が満足したのがよくわかる。釣銭を受け取る時間すら惜しい俺は、背後で何度も礼を言っている相手を振り返りもせず、総合病院への入口へと向かった。
 今日はジャックの結婚式だというのに、それを放り出してまでわざわざこんな僻地にある病院までやってきたのには、勿論理由がある。
 事の発端は数時間前にまで遡る。


 ◇◆◇

「大変だよ、歩がっ!」
「……ジャック、その名前を出すなと何度言えば気がすむんだ」

 その名前を聞いた時、それまでは冷静だったのが一転して動揺が顕著に表れ、それと同時に自然と浅い呼吸を繰り返す。もう忘れたと思っていたが実はそう思い込もうとしていただけで、俺の中では未だにしっかりと根付いていたのだということを再認識した。
 それでも、もう芳野との事は過去の出来事に過ぎない。終わった事をいつまでも引きずっているなんて俺らしくない、という思いが俺に平静を装わせた。

「そんなこと言ってる場合じゃないんだって! 歩が……、自爆テロに巻き込まれたって!」
「……っ」

 ――自爆テロ。その言葉を聞いて、背中にツーッと一筋の水が流れる様な感覚が俺を襲う。
 二十年前、桑山とNGOの仕事をする為に芳野は俺との別れを選択し、日本を離れた。途上国を中心に活動しているのはわかってはいたが、そんな危険な地域にまで行っていたのかと思わず息を吸い込んだ。と同時に、あの桑山がそんな場所に芳野を一緒に連れて行ったというその事実が俺に圧し掛かった。

 桑山の元へと逃げ込んだあいつを追って、二人の仕事場へと向かったあの日。あの階段を上ればそこに芳野が居た事はわかっていたのに、あいつを無理にでも連れ戻そうとしなかった。あの時の自分の判断が誤っていたのだと、悔やんでも悔やみきれない思いだった。

「そ、うか」

 ジャックに届くか届かないか位の声量でそう言うと、コートハンガーにかけていたジャケットを取りゆっくりと袖を通した。
 鏡越しにジャックがまだ何か言いたそうに突っ立っているのがわかる。本当は今にも膝から崩れ落ちそうだったが、何事もなかったかのように襟元をただしながらジャックに問いかけた。

「いつまでそこにボケーっと突っ立ってるんだ。そろそろ時間だろ?」
「――っ、兄さん!」
「……」

 プライベートでジャックから“兄さん”と呼ばれるのは、俺が覚えている限りでは二十年前にジャックに初めて殴られた時以来だ。あの時のジャックは目に溢れんばかりの涙を溜めながら何度も、何度も『兄さん』と呼び続け、その事が大変な過ちを犯してしまったのだと俺にわからせようとしているかの様だった。
 あの時の様子を今でも鮮明に覚えている。敢えて今そう呼ぶことが一体何を意味しているのか。その理由を知りたいような、でもやはり知らない方がいいんじゃないかと、どっちつかずで思いあぐねた。

 ――俺はまた、間違いを犯そうとしているのだろうか?
 
 自分の判断が果たして正解なのかどうかもわからない。そうこうしている内に、痺れを切らしたのかジャックが結論を急いだ。

「今ならまだ間に合うから、急いで!」
「急げって、……一体どこへ行けと? 爆弾に巻き込まれたんなら、あいつはもう……」

 泰然自若たいぜんじじゃくを貫こうとしたが、その先の台詞を己の口から吐き出すことはできなかった。言葉にしてしまうことで、芳野がもうこの世にいないということを決定づける事になる。表面上では、もう芳野とは随分昔に終わった事で俺には関係無いのだと思っていながらも、どこかで幸せに暮らしていてくれれば……という思いが俺の中にまだ残っていた。


 ◇◆◇

「――。……あ、ちょっと。“芳野 歩”っていう四十代後半位の女がここに入院しているはずなんだが」
「芳野さん? ああ、それなら」

 驚くことに、ジャックが言うには芳野はまだ生きていて、なぜだか今は日本の病院に入院しているらしい。ただ、いつ容態が悪化してもおかしくないらしく、かなり不安定な状況であることには間違いないそうだ。そんな話を聞いても答えを出し渋っている俺に業を煮やしたジャックは『これが最期になるかも知れないんだよ!? 今までの事、全部話してすっきりさせてやりなよ!』と言って俺の背中をドンと押した。

「どうも」
「いいえー。……ふふふ」
「……」

 芳野の病室を看護師に案内してもらったが、最後の含み笑いが今になって気にかかって来る。点滴を引き連れながら明らかに具合の悪そうなパジャマ姿の患者、まだ乗り慣れていないのか操作の覚束ない車いすの患者。そして、それに付き添う看護師。すれ違う全ての人が俺を二度見した後、物珍しそうな顔でじっと直視する。それもそのはず、消毒用アルコールの臭いが充満した無機質なこの廊下に、どう考えても不釣り合いなフォーマルウェア姿の男が闊歩しているともなれば、誰しもが首を傾げるだろう。

「しかも……」

 ボソッと呟いて自身の右手を見下ろす。手にした真っ赤な薔薇だけで構成された花束が、これ見よがしに自分の存在を誇示していた。
 派手な服装に真っ赤な薔薇の大きな花束。今からプロポーズでもしにいくのかと思われても仕方のないTPOなどまるで無視したこの出で立ちでは、人々の注目を集めてしまうのも無理はなかった。

「……帰ったら懲らしめてやる」

『病院に行くんだったら、やっぱあれだよ! 花を持ってかなきゃ!』そう言って、どこから持ってきたのかジャックからこの花束を渡され、何の疑いもせず受け取ってしまった事を後悔した。

 しかし、未だにわからない。自爆テロに巻き込まれたのに、なぜ今日本にいるのか。しかも、都心から程遠いこんな辺鄙へんぴな場所に。予後が悪く、途上国ではまともな医療を受けることが出来ずに日本へ戻って来たのだろうか。ジャックは予断を許さない状態だと言っていたが、日本に戻ってきてから悪化したということだろうか。
 いずれにせよ、ジャックのあの慌てっぷりからして、俺も覚悟を決めて芳野に対面せざるを得ない状況には間違いなさそうだ。
 二十数年振りの再会がよもやこんな形で迎えることになろうとは、想像すら出来なかった。

「……あった」

 何人かの名前に埋もれて“芳野 歩”の名を見つけた。解放された扉をくぐり足を一歩踏み入れ、右と左のベッドを交互に見る。芳野らしき姿がないのがわかると、ほっとしたと同時に早く逢いたい気持ちが高まっていく。一人、また一人と確認している内に、とうとう最後の一人になった。

「――」

 窓際の一番奥にはベッドで横たわっている足元が見える。ドンドンと煩い心臓の音。粟立つ全身の皮膚。自然と力が入る手は、薔薇の枝を力強く握りしめていた。

「う、そだろ……」

 自分の目に映っているものが現実のものだとは思えなかった。いや、思いたくなかった。
 ベッドに横たわっている人物は顔に布がかけられていて、ピクリとも動こうとしない。

「……っ!」

 頭上の壁に貼られた患者の名前を確認し、そこに“芳野 歩”の名前が刻まれている事に愕然とした。一気に目の前が真っ白になり、立っているのもままならない。足元に花束を置き、ベッドの横にある丸椅子に崩れる様に腰を下ろすと、両肘をベッドについて頭を伏せた。
 身体に沿う様にして布団の上に出された芳野の左手。相変わらず細いその手を掬い上げ、まだほんのりと感じる体温に僅かな時間の差だったのだと痛感した。
 二十代の頃とは違う手の甲にある皺、俺の記憶にはない傷。今日という日まで芳野はどんな風に過ごし、生きてきたのかを俺は何も知らない。俺と別れた後、いい男と出会っていれば良いと思っていたが、芳野がこんな事になってもこの場に誰一人居ないというこの現実が、芳野が歩んで来た人生を物語っているような、そんな気がした。
 顔にかけられた布をゆっくりと取り去る。露わになった芳野の顔はまるで深い眠りについているかの様だった。

「……芳野、迎えに来たぞ。一緒に帰ろう、――な?」

 掠れた声で問いかけた。手の甲にそっと口づけ、その手を自分の頬に押し付けると一気に感情の波が堰を切って溢れ出る。次から次へと流れ出る涙を拭うことなく、必死で声を殺してむせび泣いた。

「……ん、……」
「――。……っ」

 僅かに握りしめた芳野の指がピクリと動いたような気がした。ハッとして顔を見ると長い睫毛がゆっくりと上がり、あろうことかパチパチと瞬きを始めている。動くはずがないと思っていたのが突然動いたことに、違う意味でまた心臓がドクドクと煩く音を立てた。

「んー……、誰? なかば?」

 やがて、その目は確実に俺を捕え、まるで化け物にでも会ったかのように一気に目を拡大させた。

「は!? え!? お、お、お、お??」
「芳野?」
「小田桐っ!?」

 俺の名前を大声で叫ぶや否や、俺の手を振り払いベッドの端に逃げ込んだ。

「な、なななな、なんで、こ、こここここに、お、お、小田桐がっ!?」
「芳野、お前生きてたのか?」

 二十数年ぶりに交わした言葉は、お互い今思ってる事を言うという、見事なまでに噛み合わない会話だった。

「し、しかも何故か泣いてるしっ!!」
「お前、爆弾どうしたんだ」
「はぁっ? 爆だ……んって、ちょ、何すんの!」

 もしかしたら爆弾の所為で足が――。そんな不吉な事が頭を過り布団を下から捲りあげて見たが、ちゃんと足が二本あるのを確認できた。

「んだよ、一体どこが悪いんだ?」
「へ? どこも悪くないけど?」

 確かに俺の目にもそう見える。ここでやっと会話らしい会話が出来るようにはなったが、お互い話が見えないという感はまだ拭えない。

「……お前、自爆テロに巻き込まれたんじゃないのかよ」
「自爆テロ!? ……って、ああ、それってもう十数年以上も前の話じゃない?」
「って、やっぱり実話なのかよ!」

 今生きていられるからそんな呑気に言えるんだろうが、世界中の人間が自爆テロに遭遇する確率なんてほんの僅かと言えるだろう。しかも、生存しているとは何という強運の持ち主だ。

「あー、確かに、タイマー付きの爆弾を背負わされた小さい女の子を助けようとした事があったにはあったよ。どうやっても爆弾を取ることが出来なくて、流石にもう駄目だ――って覚悟は決めたけど、どうも設計ミスしたみたいで時間が過ぎても爆発はしなかったの。でも、それももう随分前の話だよ?」
「……紛らわしい」
「いや、そんな事言われてもですね」
「死んでないなら、なんで顔にそんな布かけてたんだよ!」

 芳野の顔のすぐ横に置いた布を何度も指差した。
 一瞬でもあんなに悲痛な思いをしたというのに、人の気も知らず平然と話すこいつにだんだん腹が立ってくる。

「え? これ? これはほら、ここって西日がキツくてさ。んで、顔にかけてたらいつの間にか寝ちゃってただけで」
「……うぜぇ」
「!!」
「なぁーにが、『いつ容態が急変するかわからない』だ。ピンピンしてるじゃないか」
「何よ、さっきから! 誰に騙されたんだか知らないけど、これだってこんなクマさん柄のハンカチを顔にかけてるのを見て、死んだって思う方がおかしいんじゃない!? 私は至って元気です! 今日も人間ドック受けるために入院してるだけなんです!」
「ああ″!? 人間ドックだと??」
「そ、そうですけど? 何か!?」

 俺の反応を見て芳野はさらに身体をベッドの隅へと移動させた。
 人間ドックを受ける為の入院なのだと知った途端、一気に全身の力という力が抜ける。前のめりになった上半身を元に戻し、組んだ手を額に当てると大きく肩で息を吐いた。

「……やられた」

 ――ジャックにしてやられた。
 目を瞑れば舌を出し、おどけているジャックの姿が目に浮かんでくる。

「……ぷっ、くくく」
「え? ちょ、何? 怒鳴ったと思えば急に笑い出したりして、かなり怖いんですけど」

 参った。完全に完敗だ。仕事だけじゃなく、色恋ごともジャックには到底敵わないのだと心底思った瞬間だった。

「わ、あ……」
「?」

 さっきまで冷ややかな目で俺を見ていた芳野が、ある一点を見つめていることに気が付いた。その視線の先にはやはりジャックが用意した薔薇の花束が転がっている。

「すご……。これ、高かったんじゃない?」
「ほんっと、お前はデリカシーの欠片もないのな」
「ドーモスミマセンネ」
「スゲー棒読みだなおい」

 二十数年ぶりに会ったとは思えないこのやりとりが、懐かしさと共に居心地の良さを感じさせられる。

「……やっぱり俺にはお前が必要なんだな」
「ん? 何?」

 俺が芳野を必要とするだけじゃなく、芳野からも必要とされる人間になりたい。お互いの足りないところを補える様な関係になりたい。尖った剣ならばその怒りを鎮めるさやとなり、心を閉ざしたときはその錠に合う鍵になろう。お前がB級で俺はS級? そんなもの、足して二で割れば丁度いい。

「……、――ああ。……そうか、そういうことか」
「?」

 花束まで手の届かない芳野の代わりに手を伸ばし、それをあいつの顔の前へと持って行った。一度視線を薔薇に向けた後、きょとんとした顔で俺を見る。

「ほら、好きなだけ蜜を吸えばいい。もう二度と他の場所へ飛んで行く気が起こらない位、甘い蜜を用意してやる」
「えっと、私チョウチョじゃないんですけど?」

 首を捻りつつも花束を受け取り、鼻をつけて匂いを嗅いだ。俺がそんな芳野をじっと見つめていた事に気付くと、顔を花束に埋もれさせる。

「あー、あの」
「ん?」
「そ、その。なんだかよくわからないけど……あ、ありがとう」

 顔は花に埋もれていて表情はわからなかったが、花束の横から出た耳が真っ赤に染まっているのがわかった。勝手に来たと思ったら勝手に死んだと勘違いして騒ぎ立てた俺にでも、こうして感謝してくれる。そんな芳野がいじらしく、封じ込めていた感情が徐々に目覚めていくのがわかった。

「なぁ、芳野。高校の時、お前がB級で俺がS級って言われてたの覚えてるか?」
「は!? 何、なんで今その話が出るかな??」

 俺の言葉につられたのか勢いよく花束を下ろすと、真っ赤になった顔が現れた。

「いや、あれもまんざら間違いじゃないな、って今思った」

 ――Bは“Butterfly”のBで、Sは“Spider”のSだったのかもしれない。
 芳野と別れた翌朝、もぬけの殻になったアパートの廊下の隅で見つけた、蜘蛛の巣に囚われていた一羽の蝶。やがてその蝶は張り巡らされた罠から逃げ出す事に成功し、残された蜘蛛に自身を重ねていたのを思い出していた。

「はい? 何それ、自慢ですか??」

 目をキッと釣り上げたその顔は、恥ずかしさと怒りで最高潮に赤くなっている。そして、その温度を確める様に耳の形に沿って指を這わすと、ピクリと肩を竦めた。

「スッゲーな。耳の先っぽまで真っ赤だぞ」
「……っ」

 その様子に、ついいつもの悪い癖が顔を出す。

「……今でもココ、弱いんだな」
「ひゃ、ちょ、馬鹿! 何す……、ここを何処だとっ――」
「病院?」

 何十年と歳を重ねても、俺の言葉、行動に落ち着かなくなる芳野が可愛くて堪らない。

「決めた」
「え?」

 おふざけはここまで。パンっと足を両手で叩くとそのままの勢いで立ち上がった。ベッドから俺を見上げる芳野を見下ろし、一つの決意を口にした。

「もう一度お前を口説くから。覚悟しとけよ」
「……。――! って、ええ?? ちょっと、んな勝手な事」
「うるさい。俺が口説くと決めたら口説くんだ。今のお前に“仮に”他の相手が居たとしてもな」
「ちょっと! 今、なんで『仮に』のところで指ちょんちょんって折り曲げたのさ!」
「ああ、これか? アメリカではこの仕草はその言葉を強調するときにやるんだ。つまり、ダブルクォーテーションのことだな」

 説明しながらまた顔の横で二本の指をちょんちょんと折り曲げて見せた。

「知ってるっての! 私が言いたいのはなんで『仮に』なのかってことで――」
「しかし、わざわざ来てやったのに茶すら出さないとは全く。気がきかん奴だ」
「って、話逸らすな! んで! もっかい言うけど、ここ病院だから! 勝手に来たくせに何で私があんたをもてなさなきゃ……って、こらー!!」
「喉が渇いたから何か買ってくる。――ああ、後」
「なに!?」

 頭の上から湯気が出るのかと思う程、怒りと恥ずかしさで顔を真っ赤にさせた芳野がなんともおもしろい。

「ここ、病院だから。静かにしろよ?」
「!」

 すると芳野は自分の口を両手で塞ぎながら、同室の人たちにペコペコと何度も頭を下げた。最後は俺を睨み付け、その顔を見ながら俺は病室を後にした。

 また、無機質な廊下を一人歩く。しかし、不思議と今は周りの目が全くと言っていいほど気にならなくなっていた。
 笑ったり、泣いたり。心配したと思いきや怒ってみたり。あいつといると――、いや、あいつの事を考えるだけでいつもは無表情かつ無関心な俺の心が様々な表情を見せる。どうしようもない自分にもこんな一面があるのだなと、芳野によって気づかされた。

「はは、こりゃ重症だな」

 困ったというような物言いとは反して、顔はほころんでいた。
 兎にも角にも、この地球に生を受けてから約半世紀の時が過ぎようとしているのだが、俺の人生はまだ始まったばかりと言えるだろう。芳野に受け入れてもらえるかどうかは正直不安ではあるけれども、『イエス』の言葉を聞けたならもう二度と自分から手放す様な事はしない。

 出会いと別れを繰り返し、三度みたび俺たちは再会を遂げた。“三度目の正直”という言葉がある様に、過去や何事にもとらわれることなく素直な気持ちを伝えたい。
 芳野はいつだって暗闇の中でもがき苦しんでいる俺を見つけてくれた。必死で伸ばした手を手繰り寄せ、俺を探し当ててくれた。
 次は俺がお前を導く番だ。俺はいつまでもお前に向けて手を伸ばし続けるだろう。
 この手をお前が掴むその時まで――。




 ~第一部・END~


















 ~数日後~

「ところでジャック。俺がまだ芳野の事を諦めきれていないってよくわかったな」

 今から叶子と新婚旅行に行くと言うのに、相変わらず直前まで仕事をしているジャックに声を掛けた。デスクで書類にペンを走らせていた手をピタリと止め、呆けた顔で俺を見上げている。

「へ?」
「結婚式の時、絶対俺が芳野のところに行く、って、何か確信でもあったのか?」

 俺が叶子を介して芳野を思い出していたと言うことにジャックが気付き、なんとかして芳野の元へ行かせる為にあんな芝居を打ったのかと思っていた。
 ジャックは眼鏡を取ると嫌みのない笑顔を見せた。そして、ある意味予想を裏切る、と言うか、兄弟だと言うのにまだまだ謎が多い、と言うか。兎に角、俺の予想していたのとは全く別の答えが返って来た。

「ああ、あれ? あれは単純に……」
「?」
「カナを取られたくない一心で、人に頼んで歩を探してもらったのさ。入院するって聞いたのは式が始まる直前で、何て言えば素直じゃないブランドンが歩の所に行くだろうかと考えてたら、あれが浮かんだんだよ」
「……ジャック」

 あきれてものが言えなかった。
 俺が素直じゃないからとか何か知らんが、いくらなんでも自爆テロはないだろ!? 俺はお前のつまらない嫉妬のせいであんな思いをしたって事か?

「――」

 しかし、今までが今までだったから、ジャックがそんな風に思ってしまうのも無理はないのかも知れないと、考えを改めた。

「あ! もうこんな時間だ!」

 バタバタと慌てて書類を片付け始めるジャックに呆れながら、手にしたコーヒーに口をつけた。

「じゃあ、行ってくるよ。――兄さん」
「……ああ、気をつけてな」

 すれ違いざまに肩をポンッと叩かれた。「お土産楽しみにしててよ」と言い残すと、ジャックは慌ただしく部屋を飛び出していった。

「兄さん、か」

 その言葉を噛みしめる様にしてポツリと呟くと、“弟”を気持ちよく送り出してやる為、ジャックの後を追って俺もその部屋から出ていった。





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