B級彼女とS級彼氏

まる。

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第0章 彼の苦悩

第6話〜自己満足と後悔と〜

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 芳野が泣いた。まるで子供の様にしゃくり上げながら俺の前で泣いていた。傍らに寄り添い芳野の頭を引き寄せると、あいつは素直に俺の胸に顔を埋めた。
 ジャックが一体何を吹き込んだのかは知らないが、何を思ったか芳野は俺の家族が羨ましいと言う。人から羨ましがられる程自慢できるような家族とは到底思えず、気付けば馬鹿みたいにペラペラと自分の生い立ちを話し始めていた。
 あの家で自分が置かれている立場、それに伴い強要された経営者になるための英才教育。同級生達が今日は何処に寄り道するか楽しそうに相談しあっているのをいつも横目でみながら、既に門で待ち構えている車に否応無く乗せられ早々に家路に着く毎日。子供らしい子供時代など全く無く、俺達はいつも父親の顔色を窺うような幼少時代を送っていた。そして、俺にいたっては長男と言うこともあり、半端ないプレッシャーを与えられ今にも押し潰されそうだ。なんて余計な話までしてしまった。

『それでも居ないよりかは全然いいじゃん。喧嘩をしたくても文句を言いたくても、もう私の声は届かない』

 そう言って泣き崩れる芳野に何て声を掛けてやれば良いかわからず、俺は言葉を詰まらせた。
 今の今まで自分の事だけで精一杯で、他人の事を思いやる余裕なんて一切無かったこの俺が、こいつの為に何かしてやりたい、馬鹿丸出しで笑うこいつの顔だけを見ていたいと、――不覚にも思ってしまった。


 ◇◆◇

「え? ジャッ君ってもう帰っちゃったの?」
「……ああ」

 いつもの様に芳野の家で漫画を読みふけっていると、隣の部屋で寝る支度をしながら芳野がそう言った。少し残念そうにしているのが声のトーンでわかったが、それは俺にとって決して気分のいいものでは無かった。それでも、テーブルの上を見れば俺用のマグカップがあり、視線を横に移せば俺用の布団が敷かれている。たったそれだけの事でも俺には特別な事に思え、それらがほんの少しの優越感を味あわせてくれた。

「じゃあ、先に寝る。電気代勿体無いからあんたもさっさと寝なよ?」
「はいはい」

 隣の部屋からベッドの軋む音が聞こえ、芳野がベッドに潜り込んだのがわかる。開けっ放しの扉の向こうに目をやれば、今夜も煌々と部屋の明かりが点いていた。
 暗闇の中で安心して眠れないと言う芳野の為に、最近では眠りについたのを見計らって俺があいつの部屋の電気を消しに行っている。そんなことをしたところで何も変わらないとは思いつつも、そうする事で少しでもあいつの中の闇を取り除く事が出来れば――、そんな風に思っていた。




「さむっ……」

 あまりの寒さに身体がブルッと震え意識を戻した。つけっぱなしのクーラーの風を直で浴びながらどうやら俺は眠ってしまっていたようだ。リビングの時計を確認してから寝ぼけ眼で隣の部屋に目を向ける。芳野が眠る部屋は煌々と電気が点されていて、そういえばまだ消していなかったなとあくびをしながら芳野の部屋へと向かった。
 俺が居たリビングとは違い、開けっ放しの扉から冷気が送り込まれている芳野の部屋は眠るには丁度いい適温を保っている。俺としてはクーラーを止めて寝たいのだが、止めたら止めたできっと今度は芳野が寝苦しくなるだろう。

「……」

 少し考えてすぐに名案が浮んだ。明かりを落とし、布団をはぐとこちら側に背中を向けて眠る芳野の隣へと潜り込む。冷えた身体に人肌が丁度良かった。



「う、……ん」

 再び睡魔に襲われ瞼がゆっくりと閉じられそうになった時、芳野が俺の方へと寝返り思わず息を呑んだ。もしも今、目を覚まして俺が同じベッドにいるとわかればこいつはきっと大声で騒ぎ出す。せっかく寝心地のいい場所を見つけたというのに、ベッドから追い出されるどころか出入り禁止にでもされそうだ。目と鼻の先にある芳野の顔に息が掛かって起こしてしまわないよう片手で口元を押さえながら、じっと息を潜めていた。
 やがて、スースーとまた規則正しい呼吸音が聞こえ始め、再び芳野が眠りについたのがわかった。どうにか難を逃れることができ小さく息を吐きながら口元からゆっくりと手を放すと、無防備に眠っている芳野の顔をじっと眺めていた。

 ――こいつはきっと、こうやって男と寝たことなんて今まで一度もないんだろうな。

 何の疑いもせず俺を家に入れ、こうやって無警戒に泊める。子供のように泣きじゃくり自分の弱いところを簡単に見せる様はまるでそこに付け入ってくれと言っている様なもんだ。それに、いくら暑いからと言っても部屋の扉を開けっぱなしするのもどうかと思う。今までの俺だったら“襲ってくれ”って遠まわしに言っている合図だと勘違いして力任せに組み敷いていただろう。
 俺だって大した恋愛をしてきたわけじゃないから偉そうな事は言えないが、あまりにも隙だらけな芳野を見るとこいつは男と寝るのはおろか、キスしたことも手を繋いだ事すら無さそうだと勝手に決め付けていた。

「――」

 そんな純粋すぎる芳野が羨ましく、同時に自分が酷く汚いものに思えてきた。
 ただ眠っているだけの芳野に対し、変な劣等感が自分の中で大きくなる。膨らみ続けたそれはやがて俺に突拍子も無い行動を取らせた。
 芳野の薄い唇に自身の唇を重ね、軽く上口唇を食む。あまりにもかけ離れている俺たちだったが、こうする事で二人の距離が少し縮まったのでは無いか、だなんて完全なる俺の独り善がりだった。
 眠っている芳野の唇を自分勝手に奪って自己満足に浸りながら眠りの淵についていたのだが、しばらくすると俺にある変化が現れ出た。久し振りに感じたその感覚に目が覚め、掌に当たる柔らかい物が一体何なのかを知るのにそう時間は掛からなかった。
 その柔らかいものを握り締めるたび、いつの間に俺に背を向けて寝ていたのか芳野の背中がピクリとしなる。この時ほど、癖とはなんとも恐ろしいものだという事をヒシヒシと感じた事は無かった。と言うのも、背中を見せてしまったが為に俺は芳野の身体に巻きつくように手足を絡ませピッタリと身体を密着させている。挙げ句、自分の意思とは反し勝手に俺の掌が芳野の、――小さなふくらみを揉んでいた。

「あ」

 無意識とはいえ胸を揉んでいた事にも驚いたが、自分の身体に異変が起こっていることに気付く。慌てて布団から飛び出し、足を畳につけた。

「うーわ、……ないわ」

 ズボンを捲って状態を確認した時、己の下半身の節操の無さに大きな溜息を吐いた。


 ◇◆◇

 芳野との関係が何かしら形あるものに変化を遂げようとしていた時、それは突然訪れた。
 元々九月になればアメリカの大学に通う予定だったから、遅かれ早かれ芳野とは離ればなれになるとはわかってはいた。だからといって、今の関係に終止符を打つつもりなど毛頭無く、アメリカに帰ったとしても数少ない俺の友人の一人として、付き合いを続けていくつもりだった。……少なくともあの日が来るまではそう思っていた。
 夏休み中の登校日。退校の手続きがあるからと教師に言われ職員室に出向いたのだが、先に芳野が話をしていたため話が終わるのを廊下で待っていた俺に、クラスの男が声をかけてきた。そいつは教室で拾ったらしい“男をランク付けした紙”を見せ、“S級”にランク付けされた俺と“B級”にランク付けされた芳野の事をからかい始めた。適当に流せばよかったものを何故か必死で否定した俺は、すぐ側で芳野が聞いている事にも気付かぬまま、『男だか女だかわからない』、『胸なんかまな板だ』と言って退けた。……そのまな板を触って下半身を膨らませたのはどこのどいつだよ。心の中でそう思いながら。
 その後は、顔を真っ赤にした芳野に見事な正拳突きを鳩尾みぞおちにくらい、俺は膝から崩れ落ちる結果となった。

 相手の事を完全に理解出来る様になるまではかなりの時間を要すが、築いたものを崩すのは一瞬だ。そして、今までの経験からして、一度こじれてしまったものはそう簡単に元に戻す事は出来ないのだということも、悲しいかな、熟知している。
 謝罪するタイミングを逃したまま芳野と顔を合わせる事無く、俺は胸の中にわだかまりを抱え込んだまま一人アメリカへと帰る事となってしまった。

 こうして俺の高校生活はあっけなく終りを告げた。




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