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第0章 彼の苦悩
第3話〜安らぎ〜
しおりを挟む現れた人物が手で枝を避けた時、差し込んだ太陽光が俺の視界を眩ませた。煙草を手にした方の手でその光を遮り、そこにいる人物が一体何者なのかを俺が認識するよりも先に相手が声を発した。
「やっと見つけた」
そう言って安堵の溜息を漏らすと、草むらに寝転がっている俺の横に腰を下ろした。
肩まで伸びた少し癖のある栗毛と切れ長の目。日本人の割には背が高いそいつは、例え横に俺が並んだとしても俺が首を痛める事は無さそうだ。
「またお前か」
両肘を地面に付き上体を少し上げた俺の手元にそいつの視線が注がれる。手にしてるものが煙草だと気付いたのか、そいつは切れ長の目をカッと大きく見開いた。
「あっ、あんたもしかして煙草吸ってんの!?」
「は? それが?」
「『それが?』って……、未成年は煙草吸っちゃ駄目じゃんか。しかもここ学校。わかる? 勉強するところ」
バンバンと地面を叩きながら目を吊り上げ、少し興奮気味になっている。外国から来た俺にわかりやすいように説明をしているつもりなのかも知れないが、母親が日本人でしかも向こうでも日本語を学んでいた俺は、それが逆に癇に障った。
「……アメリカでは十八で煙草が吸える。……それに、学校で喫煙しても何の問題も無いんだが?」
そんな事も知らないのか、と言わんばかりに俺も言い返して見たが、どうやら火に油だったのかますます説教を垂れられてしまった。
「ここは日本! 日本にいるなら日本の法律守れっつの」
「あー、もううるせぇな! お前そんな事言う為にわざわざ授業抜け出してまでここに来たのかよ」
「んなワケないじゃん。あんたがこうやっていっつもサボるから、すぐ学級委員の私に捜索願いが出されるんだよ。学級委員ってだけであんたの子守役押し付けられる私の身にもなってよ」
煙草を持つ手で耳の穴に指を突っ込んでいると、指の隙間に挟んでいる煙草を取り上げ地面にギュッと押し付けた。
「あ、おまっ、それ最後の一本……」
伸ばした手をそのまま軽く握り締める。その煙草を諦めた俺は頭の下で両手を組み再び草の上に背中をつけた。
「……アメリカ人の俺が英語の授業出ても意味ねぇだろ」
「そうかもしんないけど……。あー、もう、私ただでさえ今学期英語の単位厳しそうなのに、こんなしょっちゅう授業抜け出してるんじゃマジで落とすかも。どうしてくれんのさー」
口ではさも俺の所為と言わんばかりの言い草だが、毎回俺を探し当てた後も教室に連れ戻そうとするどころか俺の隣で一緒に座り込んでいる。ただ単に自分を正当化してサボる理由が欲しかっただけなのだろう。だから、俺が義理立てする必要は全く無いとわかっているのに頭を抱え項垂れているコイツに何故か変な興味が湧き始め、気付けば俺らしからぬ言葉を吐いていた。
「俺が教えてやろうか?」
「え?」
隣に座っているそいつは、切れ長の目を丸くして頭を上げた。返事を聞かずともその表情を見る限り俺の申し出を断る事は無いだろうということがわかる。その反応を見て変に親切ぶってると思われたくないと妙なプライドがあった俺はある事を交換条件とした。
「……や、代わりといっちゃ何だが日本語を少し教えてくれれば……それでいい」
日本語に関しては日常会話なら問題ない。アメリカでも小さい頃から読み書きも含め、専門の家庭教師がついていたから最低限の事は大体理解出来ている。なのにこんな事を言ったのは単に親切ぶってると思われるのが嫌だという理由だけでは無く、全く別の理由が俺の中で存在していた。
俺はもしかすると少し人恋しくなっていたのかもしれない。
人と関わるのが嫌になって日本に逃げてきたというのに、この期に及んでこんな気持ちになるとは。
馬鹿馬鹿しいとは思いながらも、気付けばそんな台詞が自然と口を衝いてでていた。
俺の予想通り、そいつは何度も首を上下し満面の笑みを見せている。媚び諂う様子など全く無く、どちらかと言うと同じ目線に立って接してくる。その事が、俺の“家”に興味を持ったのではなく俺自身を見てくれているような、そんな風に思えた。
勢いに任せ、誰も俺の事を知らないであろうこの地にやって来たことを少し後悔し始めていたが、そいつの表情を見ていると俺の決断はなまじ間違ってはいなかったのだと思えた。
「――。あ、ところでお前、名前は?」
英語の授業があるたびこう何回も探しに来られるとなると、流石の俺でもコイツはクラスメートの一人なのだという事は認識している。しかし、名前までは記憶に無く何の悪気もなしにそう訊ねたのだが、そいつは不機嫌そうにキッと俺を睨みつけると薄い唇をツンと尖らせた。
「まだ覚えてないの!? ったく、――“芳野”。芳香剤の“ほう”に野原の“の”で“よしの”。わかった?」
――芳香剤って……。
自分の名前を例えるのにそんな例えでいいのかと呆れると同時に、俺の頭の中で新たに“芳野”と言う名前が刻み込まれた。
他人に全く興味が湧かなかったこの俺が、何故かこいつだけはやけに気になる。芳野のお陰でここ日本での生活もしばらく飽きる事は無さそうだ。と、この時俺はそう感じたのであった。
◇◆◇
「はぁー!? お前これのどこをどう読めばそんな解釈になるんだよ!」
半分本気で半分冗談のつもりだった。
この歳でどうやらホームシックにかかってしまった俺は、誰かと接していないと耐えられなくなったのか、クラスメートの芳野に英語を教えてやる事で気を紛らわそうとした。学校で教えてもらうとなると周囲の目が気になるから。と、ご丁寧に芳野一人で暮らしているというアパートに招待され、俺は今まさに今日出された宿題を芳野に教えている。日本人はシャイだと聞いていたがいきなり一人暮らしの家に誘い込むなんて、結局のところ性欲を満たすのにアメリカも日本も関係ないな。なんて最初は思っていた。
アメリカでは迫力ある身体をした女ばかり相手していたせいか、ガリガリな芳野は正直好みでは無かったがそれでも暇つぶしにちょっと相手してやってもいいか、なんて思っていた自分がなんとも憐れだ。
芳野は全く女を感じさせない……と言うか、俺をどうやら男とは思っていない。いや、流石に性別くらいはわかっているのだろうが、そういう対象として俺の事を見ていないようであった。
二人っきりで部屋にいても全くそんな雰囲気にならないのが不思議だ。しかし、なんだろう。この妙な安心感は。
今までの経験からして、こんなおいしい状況で何も起こらないということがある意味新鮮で、又ある意味頑張らなくていい素の自分で居られたのが嬉しくも感じた。
「あー、お前もうこれ完全に単位落とすな。流石の俺でもこれほどの馬鹿はお手上げだ」
「う、うっさいわ! あんたは英語が母国語だからこんな問題もわからないのかってイライラするかも知んないけど、殆どの日本人がわからないからこそこうやって学校で英語を勉強するんじゃないか!」
「話をすり変えるな。俺は今、お前の言いわけを聞いてやれるほど広い心を持ち合わせてもいなければ、暇があるわけでもない。このチキチキ麺がのびきって無残な姿になる前にさっさとこの問題を解かないと、これを俺の胃袋の中に流し込むぞ」
「はぁ!? ばっ、駄目だって! 今からバイト行くのにちゃんと食べとかないと、お腹が空き過ぎてラストまでもたな――」
「はい、あと三十秒。二十九、二十八、二十七……」
鬼だのサディストだの悪魔だの。コイツの頭の中にある言葉でもっとも相手を貶せるであろう語句を並べ立て、栗色の髪を手で掻き乱しては必死で問題を解こうとしている。
「ほら、もう俺が食うぞ」
箸を持っただけで本気で慌てる芳野が面白い。つい声を出して笑いそうになったがそんなのは俺のキャラではなく、いつものポーカーフェイスでやり過ごした。
「出来た! 返せ!」
真剣な顔で俺の手から箸をもぎ取り、慌ててチキチキ麺を掻っ込んでいる。そんな芳野の姿を見ていると必死で堪えていたものがとうとう一気に噴出した。
ケタケタと笑いがとまらなくなっている俺を、キョトンとした顔で見詰めながら麺をすすり上げている芳野に対し、俺は不覚にも心の安らぎなるものを感じてしまった。
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